西武ライオンズタイムマシーン(第375回):1980年 根本隆 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1980年西武ファンブックより)

銚子商業から木樽二世といわれ、球界入りして6年目。
今年は勝負の年になりそうだ。
彼自身意欲に燃えて、練習に励んでいるので楽しみ。
気の強い性格がピッチングに災いして、単調にならなければしめたもの。

 

【1980年の根本隆】
西武在籍:2年目(26歳)、背番号26
投手成績:9試合 0勝 1敗 0セーブ、投球イニング13回2/3、自責点10、防御率6.43

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:26試合 12勝 5敗 0セーブ、投球イニング126回2/3、自責点34、防御率2.42
打撃成績:26試合 32打数4安打、打率.125、0本塁打、2打点、0盗塁


1980年は、開幕からずっと二軍生活が続いていたが、イースタンリーグでは二軍投手陣の勝ち頭として結果を出していた。
しかし、なかなか一軍昇格の声は掛からず、8月に入りようやく一軍昇格。
8月7日対近鉄戦でシーズン初登板を果たした。
その後は、勝敗がほぼ決した試合終盤に短いイニングだけに限られていたが、4試合連続で無失点に抑えていた。
9月17日対南海戦で初失点するとその後は失点する試合が増えたが、シーズン最終戦となった10月11日対近鉄戦で先発でのチャンスが巡ってきた。
4回まで無失点に抑える好投を見せていたが、5回裏に石渡、マニエル、栗橋と1イニングで3本塁打を浴び6失点し降板。
チームも4-10で敗れ、根本が敗戦投手になった。

この年、一軍ではアピールできずに終わったが、イースタンリーグの試合では、チーム全体の勝利数(35勝)の約3分の1となる12勝をあげるなどエース級の活躍だった。

 

【1980年当時の記事写真とコメント】

胸元で伸びるボールを武器に苦手なタイプをなくす

持ち前の強気のピッチングができれば、先発組にも入れる実力がある。
力強いダイナミックなフォームからのストレートは重い。
今年はロングリリーフを任せられそうだ。

 

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