はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~ -17ページ目

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2020年3月20日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算253枚目】

カルビー1983年 No.621(表面)

 

カルビー1983年 No.621(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算254枚目】

カルビー1983年 No.621「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.621「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

(1981年西武ファンブックより)

努力が実って速球に一段と磨きがかかった。
これからは体力を増強して、完投能力を身につけることだ。
まだまだ打者との駆け引きなどマスターしなければならない点もあるが、試合で投げこんで実力をつけてほしい。

 

【1981年の良川昌美】
西武在籍:3年目(22歳)、背番号50
投手成績:一軍出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:一軍出場無し

 

プロ入り4年目の1981年は、二軍の試合でも登板がないまま11月に自由契約となった。
クラウンライター時代も含めライオンズでの4年間は一軍登板を果たせなかった。

西武退団後に近鉄と契約。

移籍後に投球フォームをオーバースローからサイドスローへ転向した。
1983年には、プロ入り6年目で悲願の一軍初登板を果たすとプロ初勝利もあげた。
1988年に現役を引退するまで11年間の選手生活を送った。
翌1989年にパ・リーグ審判部へ入局し審判員として第二の野球人生をスタートさせた。
審判員として2016年まで28年間現役を務め1519試合に出場。
2017年から2022年までは指導員として、後輩の育成に尽力した。

【良川昌美】
西武在籍期間:1979-1981年(3年)
西武通算成績:一軍出場無し

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第277回):1979年 良川昌美

★2020年2月26日(水)に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算251枚目】

カルビー1983年 No.619(表面)

 

カルビー1983年 No.619(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算252枚目】

カルビー1983年 No.619「祝優勝」あり版(表面)

※サインは、直接ご本人から書いて頂きました。

 

カルビー1983年 No.619「祝優勝」あり版(裏面)

裏面コメントは、No.605のカードと全く同じになっています。

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2020年4月20日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算249枚目】

カルビー1983年 No.617(表面)

 

カルビー1983年 No.617(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算250枚目】

カルビー1983年 No.617「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.617「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2020年3月2日(月)に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算247枚目】

カルビー1983年 No.615(表面)

 

カルビー1983年 No.615(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算248枚目】

カルビー1983年 No.615「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.615「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

(1981年西武ファンブックより)

高校生ながら、北海道球界では名前が知れわたっていた大型投手。
長身から投げおろす速球は威力十分。
甲子園にも2度出場してピッチング度胸も満点。
新人らしい思い切ったピッチングを早くファンの前で見せてもらいたい。

 

【1981年の西本和人】
西武在籍:1年目(19歳)、※新人=東海大四高からドラフト外入団、背番号44
一軍成績: 1試合、0勝 0敗 1セーブ、投球イニング4回、自責点1、防御率2.25、奪三振3

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:18試合、3勝 2敗 1セーブ、投球イニング58回1/3、自責点18、防御率2.79、奪三振24
打撃成績:18試合、14打数3安打、打率.214、0本塁打、1打点、0盗

 

【アマチュア時代】
北海道・東海大四高時代は、1年生の秋からエースとなり、3年生時に1980年春の選抜甲子園大会に出場。
1980年オフにドラフト外で西武への入団が決まった。

【入団後】
高卒1年目だが二軍の試合では18試合に登板するなど実戦経験を積んだ。
うち8試合に先発投手として起用され、完封勝利もあげた。

一軍デビューは、シーズン最終戦の10月4日対ロッテ後期13回戦(西武球場)。
先発した小野和幸の2番手として6回表から登板。
8回に弘田澄男に本塁打を浴びたもの、4イニングを被安打2、3奪三振、1失点に抑えた。
試合は西武が5-4で勝利し、西本にプロ初セーブが記録された。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第163回):1986年 西本和人

西武ライオンズタイムマシーン(第104回):1991年 西本和人

★2020年5月13日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算245枚目】

カルビー1983年 No.613(表面)

 

カルビー1983年 No.613(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算246枚目】

カルビー1983年 No.613「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.613「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2020年4月15日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算243枚目】

カルビー1983年 No.609 (表面)

 

カルビー1983年 No.609 (裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算244枚目】

カルビー1983年 No.609「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.609「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2020年5月6日に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算241枚目】

カルビー1983年 No.607(表面)

 

カルビー1983年 No.607(裏面)

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算242枚目】

カルビー1983年 No.607 「祝優勝」あり版(表面)

 

カルビー1983年 No.607 「祝優勝」あり版(裏面)

 

表面に金文字で「祝優勝」と記載があるバージョンと記載が無いバージョンの2種が存在します。

裏面に「パシフィックリーグ優勝おめでとう」との記載があり、西武ライオンズの2年連続のパ・リーグ優勝を記念したシリーズになっています。

 

裏面コメントは、全く同じになっています。

★2019年06月05日(水)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)

首脳陣が驚くほど、ライオンズの中でこれほど伸びた選手はいない。
コツコツと練習した努力が実ったといっていい。
だが、これからが問題。
力強くなったバッティングをいかに発揮し、ポジション争いに役立てるか。

 

【1981年の大原徹也】
西武在籍:3年目(24歳)、背番号27
打撃成績:11試合、5打数 0安打、打率.000、0本塁打、0打点、1盗塁

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:59試合、205打数62安打、打率.302、8本塁打、33打点、7盗塁

 

前年は、67試合で先発出場するなど98試合に出場。

更なる活躍が期待された1981年シーズンだったが、新人・石毛宏典のめざましい活躍でポジション争いから脱落。

大原は開幕から二軍暮らしが続いた。

二軍では、正遊撃手として49試合に出場。

二塁手や三塁手として起用される事も多かった。

 

7月に入ってようやく一軍昇格も主に代走や守備要員としての途中出場に限られた。

7月21日対阪急戦では、石毛に替わり8番・遊撃手として先発起用されたが、2打数無安打、1失策で途中交代した。

その後一軍では、8月6日の試合を最後に出場機会が無く、結局11試合の出場に終わり、期待を裏切りシーズンとなってしまった。

 

【当時の記事写真とコメント】

 

打撃・守備とも一級品に近づきつつある大原選手