★2019年06月05日(水)に掲載したブログのアップデート版です★
(1981年西武ファンブックより)
首脳陣が驚くほど、ライオンズの中でこれほど伸びた選手はいない。
コツコツと練習した努力が実ったといっていい。
だが、これからが問題。
力強くなったバッティングをいかに発揮し、ポジション争いに役立てるか。
【1981年の大原徹也】
西武在籍:3年目(24歳)、背番号27
打撃成績:11試合、5打数 0安打、打率.000、0本塁打、0打点、1盗塁
【イースタンリーグ成績】
打撃成績:59試合、205打数62安打、打率.302、8本塁打、33打点、7盗塁
前年は、67試合で先発出場するなど98試合に出場。
更なる活躍が期待された1981年シーズンだったが、新人・石毛宏典のめざましい活躍でポジション争いから脱落。
大原は開幕から二軍暮らしが続いた。
二軍では、正遊撃手として49試合に出場。
二塁手や三塁手として起用される事も多かった。
7月に入ってようやく一軍昇格も主に代走や守備要員としての途中出場に限られた。
7月21日対阪急戦では、石毛に替わり8番・遊撃手として先発起用されたが、2打数無安打、1失策で途中交代した。
その後一軍では、8月6日の試合を最後に出場機会が無く、結局11試合の出場に終わり、期待を裏切りシーズンとなってしまった。
【当時の記事写真とコメント】
打撃・守備とも一級品に近づきつつある大原選手