西武ライオンズタイムマシーン(第311回):1979年 ジム・タイロン | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

 

【1979年のタイロン】
西武在籍:1年目(30歳)、※シーズン途中に米マイナーリーグから移籍、背番号1
成績:58試合、64安打、打率.291、8本塁打、24打点、9盗塁

 

1971年MLBドラフト7巡目でシカゴ・カブスに指名され契約。
1972年メジャー初昇格。
その後はメジャーとマイナーを行ったり来たりを繰り返した。
アスレチックスに在籍した1977年は、96試合に出場し72安打、5本塁打、26打点の成績を残した。
しかし、翌1978年は一転マイナーへ降格し、メジャー昇格できないままシーズンを終えていた。

1979年成績不振のトニー・ミューサーに代わる新外国人選手として、7月に来日し西武へ入団した。
後半戦初戦となった7月27日対南海戦で3番・右翼手として西武移籍後初出場。
移籍後3試合目となった7月29日対南海戦で来日初本塁打を放った。
8月1日には2号本塁打が出たものの、しばらくは日本の野球に戸惑ったのか8月5日ダブルヘッダー第1試合終了時点では打率が.194まで落ち込んだ。
8月後半から徐々に打率を上げていき、9月に入ってようやく本領を発揮。
9月は21試合中18試合に安打を放ち、そのうち10試合が2安打以上のマルチ安打であった。
9月は、83打数31安打、打率.374と安打を打ちまくった。
9月13日から10月8日まで15試合連続で安打を放ち、タイロン自身の打率も10月8日終了時で.307まで上昇させた。
しかし、10月9日からの4試合で14打数無安打に終わるなど、シーズン終了までの残り6試合で21打数3安打と失速し、最後は打率3割をキープできずに.291に終わった。