(1981年西武ファンブックより)
ノビのある速球をビシビシ決めるピッチングは小気味がいい。
移籍1年目で本人もやる気十分。
持ち前の素質をライオンズで開花させようと張り切っている。
明るい性格から早くもチームの一員としてとけこんだ。
1975年:広島工高3年時に地元の広島東洋カープからドラフト4位指名を受け入団。
プロ入り後に肩を痛めてサイドスローに転向。
広島時代は1980年までの5年間で2勝3敗、1979年、1980年の2年間は一軍での登板は無かった。
1981年から西武へ移籍。
林義一コーチにより、投球フォームをサイドスローに戻した。
【1981年の小林誠二】
西武在籍:1年目(23歳)、※広島から移籍、背番号23
一軍成績: 7試合、0勝 0敗 0セーブ、投球イニング9回、自責点4、防御率4.00、奪三振3
【イースタンリーグ成績】
投手成績:16試合、7勝 0敗 2セーブ、投球イニング75回2/3、自責点11、防御率1.30、奪三振40
打撃成績:18試合、23打数2安打、打率.087、0本塁打、1打点、1盗塁
開幕は、一軍スタート。
4月4日対ロッテとの開幕戦で、8回裏、先発・東尾降板後の2番手として西武移籍後初登板。
小林自身3年振りとなる一軍登板を果たした。
2安打を許すも無失点で切り抜けた。
翌日のロッテ戦も登板。
4-3と1点リードで迎えた9回裏、7回途中から投げていた永射が無死満塁のピンチを招いた場面で3番手として小林が登板。
直後に弘田に同点となる安打、つづく江島にも安打を打たれサヨナラ負けを喫した。(小林には勝敗つかず)
開幕から2戦続けて登板したが、その後、登板機会は一気に激減。
4月12日登板後、二軍へ降格。
一軍再昇格した8月に2試合、9月にも2試合登板機会があったが、いずれも敗戦処理での場面であった。
球威のなさを突かれ安打を許してはピンチを招くシーンが見られ信頼を得られなかった。
それでも登板した6試合では計7イニングを自責点0で切り抜ける粘りも見せた。
しかし、7試合目の登板となった9月21日対近鉄戦で2イニング被5安打、自責点4と打ち込まれ、この試合がシーズン最後の登板になった。
【当時の記事写真とコメント】
移籍の小林投手は初めからとばしている