サズ奏者 FUJIのブログ -15ページ目

サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

来年1月10日(月祝)

バイオリン太田恵資さんとデュオです。場所は祖師谷大蔵のカフェムリウイで18時半から。詳細はのちほど1月のライブ案内で。この際ぜひ、お聴き逃しなきよう!

磯村浩太郎の『あんた、いくらなんでもやりすぎやろ』

が始まりました。




というわけでプロ野球。セリーグ優勝の中日とパリーグ3位のロッテの日本シリーズで、ロッテが勝って『日本一』でえの、おかしくないか。どうかんがえてもへんやないか?(とまあ、ロッテが勝つような話をしているが、おそらく数日後にはそうなっているだろう。そういう流れなのだ)

しかし、クライマックスシリーズなどと、敗者復活戦みたいな妙な制度を始めたために、優勝も日本一も、日本シリーズで勝つことの意味も、なにもかもがおかしくなってはいないか。こういう筋が通らないことを平気でやれる神経こそが、日本人の美徳なんだ、と居直れる人がどれだけいるのか知りたいものだ。

遺書

10

「アナドルの東の奥深く、エルジス山脈に囲まれた湖のほとりに、エムラーという若者が住んでいた。父はあたりでは有名な吟遊詩人であった。エルジシュ城の新しい藩主ミルオウルベイの歓迎の宴に招かれた父ユスフは、謝って弦を切り、宴席を台無しにした罪で両目をつぶされ、ヴァンの王に売られてしまう。復讐を誓うエムラーは名うての吟遊詩人と偽り、長官お抱えの詩人とのサズ対決に挑むが、機転の利いた詩句の一つも口にできず、袋叩きに去れて帰ってくる。エムラーはエルジスの山のふもとに父の残した馬を連れて行き、不老不死の水を与え、自らもそれを口にする。やがて夢の中でふしぎな老人が現れ、緑色の茶碗に入った緑色のワインを飲むように命ずる。「一杯は創造の神のために、もう一杯は40人の聖者のために、最後の一杯は藩主の娘セルヴィハンのために」と言って姿を消した。夢からさめた彼はサズを持って城に出かけて行く。彼は藩主に言う。「すべての吟遊詩人と即興詩の掛け合いにきた」エムラーがサズに指を触れただけで語る言葉は次々とあふれ、誰も彼の言葉に答えられなかった。エムラーはセルヴィハンと結婚した」。



「そうじゃないわ。あなたの話はエルジシュに伝わるエムラーとサルヴィハンの恋物語と、キョロウル伝説を混同してるわ」

突然砂の中から女が現れた。

「君は確かデリスタン砂漠でシーメーカーンのテントにいた、ああなんて言ったかな、チョコレートの好きな、そうだ君はたしかネスリーンといったっけ」

「ネスリーン・マレキ。23歳。アルジェリア移民の二世でフランス国籍。今はアカバ大学の学生よ」

「何を勉強してるのかな」

「中世ヨーロッパにおける少数民族にムスリム詩人が与えた影響について」





ぶらぶらと来る私のガゼル

言ってくれ この黒い目が見る 君の恋人は誰

君が気がかりで 心乱れてしまった

言ってくれ、楽しい話し手 君の恋人は誰



それはなに?

「セルヴィハンとはじめてあったときエムラーが歌ったの。それを聴いてセルヴィイハンは彼が夢で見たエムラーと知り、二人は果樹園で逢引を重ねるようになる。

でも彼女には嫉妬深い二人の兄がいて、すぐに彼女を別荘に閉じ込めてしまうの。その間エムラーは藩主のそばを離れることを許されなかった。やがてイランのアッバス王がエルジシュ城を手に入れるため大群を率いて遠征する。王の兵士たちは セルヴィハンの別荘に踏み込み彼女はとらわれて王の元へ。王は一目で彼女を気に入り、さっそく結婚の準備が始まる。セルヴィハンが連れ去られたことを知ったエムラーは、彼女を探して旅に出、道で出会った鶴に消息を尋ねるのです」



移動して行く 私たちのキャラバン

一群となり  群群に分かれた鶴よ

もしその道筋で セルヴィハンにあったなら

私の胸は悲しみで 穴が開いたと伝えよ 鶴よ



やがて彼は王が彼女をイスファハンに連れて行ったことを知り、イランへの道をたどる。そしてセルヴィハンを取り戻すため、王のアーシュクとの歌合戦にのぞむというわけ。

このあと、まだいろいろな困難があるのだけど、最後に二人は結ばれるのよ。それから、キョルオウルについてだけど、キョルオウルとはトルコ語でめくらの息子と言う意味。もともとはオスマン帝国のイラン遠征に参加したある兵士キョルオウルをたたえた唄なのだけど、それがいつからかボルベイという悪代官に両目を突き刺された馬飼いのユスフの息子の復讐物語になったのね。ボルベイに馬を献上にきたユスフは、その馬がとても弱々しいのに腹を立てたボルベイによって、めくらに去れてしまう。息子キョルオウルは、その病弱な馬を二年間飼いつづけ、やがて堂々たる灰色のアラブ馬に成長する。十五歳のある日父の復讐を誓った彼は、ビンギョルの山の不老不死の水を馬に飲ませ、自分も飲んだ。



ヘいへイ みなの者私の挨拶をボルベイに伝えよ

出陣してその山によりかかれと

馬のいななき 矢のうなりは

山びこととなって 響き渡るに違いない



ヘイヘイ みなの者

キョロウルは落ちぬか その名声から

多くの兵士が去る 戦場から

灰色の馬の吹く泡 敵が流す血

わがまわりに満ち

シャルワルを濡らすに違いない





「そのサズは何処で手に入れたの」

「フスヌアスランと言う人から預かってるんだ。エジプト西部のリビア国境に近いシーワオアシスで彼に会った。彼の工房を見せてもらったよ。カラマンルヒッタイト国にサズ百万本を密輸する計画があるそうだ。俺はこのサズを持って旅をし、アララト山のデデに合ってサズの奏法を伝授されるのだ」

「とてもうれしそうね、でもそれは演奏技術の習得というわけではないのよ。あなたはサズと、いやアレウィーと運命を共にするように命じられた。5年前の私と同じように」

混じりけにない白い砂漠が突然途切れ、おだやかなアカバ湾が二人の前にあった。十人ほどの娘たちが車座になり、真中の娘のたたくダルブカの軽快なリズムに合わせて歌っている。

5年前パリのジダン銀行のOLだった私は、ある日フランス語をまったく話せないお客の応対をすることになった。もちろんその人はアルジェリアやコソボの移民じゃなくてフランス国籍を持ったフランス人だけど、彼女の話す言葉はフランス語とまったく違った言葉なのに、なぜか私にはとても懐かしかったの。そのことが気になってしょうがなかった。ある日出張先の南フランスのラングドッグという街のバーで男友達と飲んでいた私は隣に座った夫婦が話しているのを聞いてしまったの。銀行の窓口で耳にした懐かしい異国語を」

「いろいろと調べて行くうちに、フランス人の三分の一は母語としてフランス語とは別の言葉を話しているのだとわかったわ」

「フランスの中南部の中央高地を区切りに、はっきりとした言語の境界線がある。北で話されてるのはロマンス語の流れを汲むフランス語だけど南の諸州、ガスコーニュ、リムザン、オーベルニュ、ラングドク、プロバンス、ドーフィネ、さらにサヴォアの一部で話されてるのはオック語で、フランス語とはまったく違う。かつてはオック語はフランス全土で使われていて、フランス南部はオクシタンと呼ばれ、学問や芸術の中心地として栄えていた。中でもプロヴァンスにはトルヴァドールと呼ばれる吟遊詩人が現れ、それまで英雄叙事詩しか知らなかったヨーロッパに恋愛賛美の優雅な抒情詩を広めたことで有名だけど、彼らは実はカフカスやアナドルの吟遊詩人アーシュクのもとで弾き語りを学んだ。アラブとヨーロッパが出会うはるか昔からアーシュクたちは地中海を越えて南フランスにやってきていたし、十字軍遠征に出てアナドルの各地に住みつき、アーシュクに入門してサズを学んだ多くのプロヴァンス人が故郷にサズと共に愛の弾き語りを伝えたこともある。だけどサズと一緒にイスラムの信仰が入って来ることになって、困ったのはローマ教会です。なぜなら当時のローマ教皇の腐敗に怒った南フランスの民衆の間では教会の支配を脱して清貧の理想を掲げたカタリ派による宗教運動が起こっていて、その中心地ラングドッグでこの運動を煽っていたのはアナドル帰りの吟遊詩人たちだったから。もちろん運動はキリスト教の改革を求めていたのだけど、聖職者の権威を認めず神との直接の合一を求める運動は、イスラムの影響の表れと言えるわ。中でも中心都市アレビでは教会の典礼がサズ詩人によってのっとられ、歌と踊りの乱痴気騒ぎと化すという事件が頻発していた。

「頭が混乱してきたよ。そんな話は聞いた事もない。よくできた小説の筋書きを聞いてるようだ」

「どういうこと?」

「つまりぼくの植えつけられてきたヨーロッパの、いやフランスのイメージが崩れて行くようだ」

「イメージが歴史を捻じ曲げてゆくのよ。でもそれは解体することができる」

ネスリーンはヴェールを取り、なめらかな髪をかきあげながら話しつづけた。



「ローマ教皇はラングドックに特使を派遣するのだけど、逆に農民たちに殺されてしまう。フランス統合をもくろむ北部のフランス王国はこのときを待っていた。すぐさま教皇イノケンティウス三世に十字軍の派遣を申し出る。こうして1209年から1229年まで二十年にわたるアレビ征服戦争の結果、南仏は壊滅してフランスに併合され、フランス語がオック語に取って代わるようになる。多くの吟遊詩人が殺され、亡命した。愛の歌声は絶え、文化も芸術もイスラム色を一掃するという名目で、とことん破壊された。アレビのキリスト教改革運動はその後イタリアから海を渡ってボスニアに入り、カトリックにも正教にも属さない独立派協会を牙城に生き延びる。でも二度とフランスにサズが響き渡る日は来なかった。

「この後のフランスの歴史的テーマは一貫して少数言語の抹殺で、フランス革命こそがその総仕上げだった。18世紀のフランスの人口2200万のうちの1200万のフランス後を話せない人々に、フランス語という国家の言葉を強制し、フランス人という民族意識を意図的に作り出すことだった。そこには当然生まれながらに母親からフランス語を身につけた人たち、つまり北部のフランス人と、フランス語を国家の言葉として強制される南フランスや、東西の国境周辺に住む少数民族の間に差別を作り出す。オクシタン語、フラマン語、カタルーニャ語、アルザス語などの少数言語は、フランス語とは別個の言葉なのだけど、今やフランス国家によってフランス語の方言とされてしまった。わかるかしら。彼らの言葉はいやしい乳しぼりや靴屋や売春婦の話す、教養のない崩れた方言として、国家の矯正の対象になる訳よ。小学校では方言札による統制が行われた。正しいフランス語以外の言葉をしゃべった生徒は首に方言札をかけられ、彼は次に同じ間違いをしでかす者を見つけない限り永遠に罰から逃れられない、という残酷なゲームのことよ。あなたの国でもその昔に似たようなことがあったと聞いたわ」

海辺では相変わらず娘たちが楽しげに歌い、太鼓のたたき手は次々に交代して行く。ヴェールも身につけていない華やいだ女たちの宴を、遠巻きに男たちが見守っている。

「フランスは言語に関する限り、ヨーロッパでもっとも無神経で野蛮な国のひとつです。でも最近やっと自分の国の中に、方言でなく独自の言語を話す人がいることを認めた。でもいまだにそれを認めてない国もある。フランス革命をお手本にして近代化を進めたトルコ共和国よ」



「言葉って奴はもっともわかりやすい文化だからね。俺みたいに均質な国で育ったものは、日本で外国語が話されているのに出会うと、なんとなく落ち着かなくなる。例えば電車の中で外国人の集団が話していることにさえ、当惑してしまうことがある。それがおそらく、差別感情の源なんだろうな。そこには日本にいる人間は日本語をしゃべるべきだといった、あまりに素朴な国家意識があるのかもしれない」

「そうよ。日本だけじゃないわ。第1次大戦後のオスマン帝国とオーストリアハンガリー帝国の崩壊以来、地球上のすべての国家はとても偏狭なものになってしまった。それはかならず統一されたひとつの言葉、つまり国語を必要とする。誰もが同じ言葉を話さなくてはならない。たとえばあなたの国ではかつて侵略された民族は、アイヌなどほんの一部を除いては日本語に同化されてしまった。母親たちが自分の言葉を捨て、支配者の言語を子どもに伝えた結果、侵略され滅ぼされたと言う記憶そのものが永遠に消えてしまった。でもフランスでは800年にわたる同化政策にもかかわらずいまだに25%のフランス国民がフランス語以外の言葉で生活しているのよ。これは驚くべきことだわ」

「ネスリーン、君はどうしてここにいる。アレウィーに関わっているのはなぜだ」

「私の母はボスニアからきた。八百年前に故郷を追われたアレビの改革派は、カトリックと正教の草刈場となったボスニアで、アナドルからやってきたイスラム神秘主義の布教団と出会う」

「つまり君は」

「アレウィーなの私も」



さあおまえを連れて行くぞ 小娘のうちに

さもないと きっと後悔する

どこかの別の男に嫁いで

ゆりかごをゆする羽目になるのだ



夜の砂漠はおよそ地球離れした景観を見せる。黒い大地のはるかかなたの底から照らされた白い光が、やがて大地を縁取り、天空に産み落とされて行くそのさまは、生命の誕生を思わせる。一瞬にして星の輝きはを消え、砂地に銀色の無数の破片が散らばる。俺たちはアフガニスタン製のマントにくるまりながらオレンジとナツメヤシを食べていた。砂漠は何もかもが月明かりのせいで青かった。ネスリーンの薄絹の下のやわらかな肉体に触れようとした瞬間、彼女は消えて、俺の膝の上には蛇が座っていた。



つづく



























イラク南部侵略中の米軍戦車部隊の兵士の一部がはきわめて強い放射能をあびてふらふらとなり、嘔吐やめまいに倒れるなどの症状が出ている。当初イラク軍の化学兵器かと思われたが、調べてみると湾岸戦争当時米軍がイラク軍に対し投下した劣化ウラン弾により一帯は今なお放射能汚染されており、米軍は自分の出したうんこを食べてしまったようなものだと、村人たちの物笑いの種となっている。



外電によると、国連安全保障理事会は現地スタッフの調査に基づき、難民に対する安全指標を策定した。これは、アメリカ軍の空爆が続く中で、安全に生活できる目安として1分間にミサイル被弾5・7発以下でなおかつ死人30人以下を安全基準と定め、アメリカ軍がこの数値を遵守することにより、イラク国民の帰国を促し、少しでも安全に生活してもらおうと言うもの。今月25日以来シリアのアルカミシリーに避難している靴職人のムスタファさん(38)は「1分間に5.7発に押さえられるなんて夢のような話だ。これで国に帰ってもあと3日くらい生きられる可能性が出てきた。国連の努力に感謝している」と喜びの表情で語った。安全指標の作成にあたった国連担当官は「イラク国民の1日あたりの出生率から換算して人口の減少を招かないために死者制限1日30人としたのは、大変人道的かつ画期的な措置であると確信する。アメリカ軍にはこの数値を厳しく遵守するよう求めたい」と語った。



ハリウッドからの外電によると、ラストオブサムライのヒットに気を良くした配給会社はすでに第2作の企画を進めている。タイトルはずばりラストオブムジャヒディン。全米で26人を射殺して死刑判決を受けた元警備員のジョニーが、イラク戦争に従軍してイラク人を2600人殺せば無罪になるという司法取引によって、バグダッドにやってくるが、現地で米軍に捨て身の攻撃を続けるイスラムゲリラたちと接するうちに肥満飽食のアメリカ人がとうに失った崇高なムジャヒディン魂を見出し、いつしか彼らと行動をともにし、米軍に反旗を翻すという筋だ。すでにバクダッドの米軍基地でも上映が決まっており、米兵に浸透するイスラムの教えとともに、ホワイトハウスにとっては誠に厄介な事態となっている。(2004.2.3 アメリカン新聞)



SAZ  神秘なる野性 憑依したる反逆 猥雑な理性 
SAZ  それは特定の楽器ではなく ある種のどうしようもない生きかたのことである



 Q:サズは何処の楽器ですか
A:トルコだよ。きまってるじゃねえか。
Qトルコでは何語を話してるんですか
A:何語って、おいおいあんた、肉屋ではなにを売ってますかみてえないい質問だ。おれに質問する前に地球の歩き方くれえ読んどけよ。
まあまあ、これは公式インタヴューなんですからもうすこし親しみやすい感じでお願いしますよ(主催者わってはいる)
A:はいはい、わかりましたよ。気仙沼さん。
Q:サズを始めた動機は?
A:当時おれはすべてに絶望していた。生きてることにも、死ぬことにも、くそしてけつの穴拭くことにさえもな。
主催者:またあ、FUJIさん、言葉に気をつけてください、これはあくまで公式発表なんですから
A:わかったよわかったよ、まあ、その頃おれは学生時代から独学してたフラメンコギターに、なんとなくしっくりいかねえもんを感じてた。おれの求めてる音はもっとギトギトしてて、腹にぎんぎん来るような、それでいてスカーンとどっか違う世界にいざなってくれるような、そんな音だった。そしたらあんた、あったんだ。このサズがな。
Q:なんかもっと、理路整然としたお話しがきけるものと想ってたんですがねえ。それではサズという楽器について説明してください。
A:古くはコプーズと呼ばれていた。トルコやイランや、コーカサス地方の吟遊詩人の弾き語りに使われたものだ。吟遊詩人はウザーンとよばれた。話をつなぎ合わせる人、という意味だ。要するに、詐欺師だな。うめえ話をでっち上げて夢や希望を売って商売する。ときには片手に銃を持って山野を駆け巡る、義賊の親玉みてえなつわものもいた。ウザーンの役目はいろいろあってなあ、恋の仲裁、揉め事の調停、結婚式や各種イベントの盛り上げ役。とまあいろいろだ。彼らの語る英雄伝説や、こいものがたりは村の女たちのひとみを涙であふれさせたもんさ。アイシェ、シーリーン、ファトゥマ、ゼイネップ、ギュル、イムラーン、ネスリーン・・・・ああ、俺もあの頃に生まれてればなあ・・・・
主催者:FUJIさん、FUJIさん、きいてますか。
A:おお、すまんすまん、質問は楽器についてだったな。えーこれはペルシャのセタールから派生した楽器のひとつでして、胴体は栗や桑や柳の木でできており、竿はマツを使っている。反響板はカナダマツ。ここに、スチールや銅巻弦を3コース複弦で張り、チューニングは上からソ、ド、レ。通常は下のコースでメロディーラインを引き、中と下のコースはドローンのようにかき鳴らす。まあ、こんなところでいいだろ。
Q:トルコ音楽にはどんなジャンルがあるのでしょう
A:よくしらねえが、伝統的には音楽にも金持ちと貧乏人の音楽があってな、宮廷の楽師や女奴隷がスルタンの御膳で演奏していたのがウードやカヌーンなどを使ったアラビア起源の音楽、サナートだ。旋回無踊で有名なメフレヴィ教団の典礼音楽やベリーダンスもこの系列だ。貧乏人の音楽はいわゆる民謡テュルクで、村の集会や結婚式で演奏されていたものさ。太鼓や笛、ラッパでがんがんやるやつ、サズもまあ、そっちの一派だわな。サナートとテュルクは交わることのない別世界の音楽で、使われる楽器も違っていた。例えば伝統的にはサズでサナートを演奏することはなく、ウードで民謡を弾くこともなかった。だがまあ、今となってはなんでもありだな。
Q:トルコ民謡について教えてください。
A:そもそもトルコ民謡のことをトルコ語でテュルクというんだが、これはトルコ人に属するもの、つう意味でな。共和国成立以来トルコはアタテュルク指導のもと国粋主義にまい進し、サナートはアラブペルシャ起源の遅れた音楽とされ、民謡こそがトルコ人本来の素朴で純粋なおんがくとされ、やたらサズがもてはやされた。だがな、トルコ人本来の音楽といっても、先住民であるクルドやアルメニアやギリシャ人の民謡が言葉だけトルコ語に置きかえられたものもたくさんあってなあ。つまりトルコ民謡はいろいろな素材がごちゃ混ぜになったカルカッタの牛肉カレーみてえなもんだ。
Q:その、カルカッタの牛肉カレーというのは
主催者:ああ、すいませんあんまり気にしないで、また例のでまかせですから。つづく






一面に塩をぶちまけたようなファラフラ砂漠は通称白砂漠とよばれ、白人観光客がジープで乗りつけるサハラ観光の名所となっている。その出発点となるバハレイヤオアシスと違って、俺の滞在するシーワオアシスには民家をそのまま使った雑魚寝の大部屋だけのホテルが一軒きりで、当然俺もその民家に泊まったのだが、主人のサードは気のいい若者で、白砂漠のコプト修道院にすむデルヴィーシュの元へ連れて行ってくれという俺の頼みを、ほとんどただ同然で引き受けてくれた。もっともそのかわりに、彼の母親が編んだラクダの毛の靴下を1ダースも買わされてしまったのだが。

「なあサード、アレウィー派って知ってるかい」

「ああ知ってるよフリーセックスの連中のことだろ」

「フリーセックス?」

「ああ、葬式の日には明かりを消して暗闇で誰かれかまわず乱交する。人肉食いの習慣があって、一人旅のイスラム教徒を殺すんだっておっかあが言ってた」

「なんだって。君の母親はそれを見たのか」

「いやいや言い伝えだよ。とにかくコーランの教えにそむいて酒は飲むし、モスクには行かないし、ラマダン月の断食の義務も果たさない。とんでもない奴らだ。俺の叔父さんはアレウィーひとり殺せば天国の門が開かれるって言ってたよ。もっともエジプトには奴らはいないはずだよ。カラマンル建国の頃にここら辺にも難民キャンプがあったけど、ほとんどがヨーロッパに追い出されちまったはずだ」



世界を旅してきたものは多くの嘘をつく

              (ペルシアのことわざ)


サードの荒くれた運転で割れた窓からすさまじいほこりがたたきつけ、白砂漠についた頃には俺たち二人は砂から抜け出した化け物のようだった。俺は彼に明日の朝迎えに来てくれるよう頼んでから、ひとり修道院に入っていった。先ほどの口ぶりから、アレウィーの人間と会わせるのはまずいと感じたのだ。


「待ってたよナオト。伝書鳩がヨルダンからの伝令を運んできたところだ」

「それには何と書いてあるんだ」

「今は言えない。君がわれわれの敵ではないかどうか審査する必要がある」

「なぜ俺を疑うんだ。もともと俺は中東の歴史については何も知らないし、たまたまトルコで聞いたサズの音色が好きで、それを求めて行くうちに成り行きでこうなっちまったんだ。まあ日本にいたときから成り行きまかせの人生だったからね」

「それが怖いのさ。疑うことを知らん君は、ついうっかりわれわれの敵に情報を漏らしかねない。教えてやろう。君をここへ案内した男の父親はエジプト内務省の役人だ。君は奴にアレウィーのことをしゃべった。白砂漠にあるわれわれの拠点もさっそく捜査の対象になるだろう」

「なんてことだ。しかしあんたたちは別にこの国の法律に違反しているわけじゃないだろう。合法的な難民として受け入れられたんだろう。それにあんたたちだって同じイスラム教徒じゃあないか」

「現実は複雑怪奇なんだよ。モスクに行かないからと、われわれをイスラームの仲間とは認めない人々もたくさんいる。原理主義者といわれる連中は特にそうだ。それに君だってカーンから聞いたろう。われわれの祖先がインドからきた偶像崇拝者だってことを」

「もちろんきいた。そこだよ俺が知りたいのは。蛇神や砂漠の精霊を信仰するシャーマンを母にもつ君たちが、なにゆえイスラームを名乗るのか」

「それを語ることこそ、わたしがカーンから受け継いだ使命なのだ」




  兵を引き連れ行進する、ウルムの地へ

  アリーの血をひく廉潔なイマームが訪れる

  へりくだり願いを込める御手に

  アリーの血をひく廉潔なイマームがやってくる


  地は足跡でよごされ

  敵の体からは臓物がしたたる

  朱と緑をまとった若き戦士

  アリーの血をひく廉潔なイマームが訪れる


12世紀中ごろのカフカースは、ハーンと呼ばれる君主に率いられた遊牧国家の割拠する戦乱の時代だった。そんな時われわれの祖先に真っ先にテントをあてがい、隣人として受け入れたのはタサウーフと呼ばれる行者集団だった。タサウーフはアラビア語で羊毛を着る人を意味する。つまり現世の汚濁を捨てて貧しい羊毛一枚に身を包み、各地を修行して歩く変わり者の一団。今風に言えばイスラム神秘主義者だ。英語風にスーフィーと呼ばれることもある。彼らはイスラームを名乗っているが、正統派の人々、つまり当時のアッバス朝の大多数の一般市民とは信仰の仕方が違っていた。アッラーは天の玉座に座っているのではなく、激しい精神の集中を要する修行によって自分の内側に発見するものなのだ。究極における神との合一。そのためにかれらははるばるイエメンやエチオピアにおもむいて、当時まだ世に知られてなかったコーヒー豆を手に入れた。コーヒー豆を沸かして飲むと目がさえて心は覚醒し、徹夜で修行してもまるで疲れない。世界で最初にコーヒー豆を煎じて飲んだのは、彼らイスラム神秘主義者だった。さて、その修行だが、修行と言う言葉に惑わされないでほしいが、それはまるで堅苦しいところのない実に楽しいものなのだ。「ラーイラッハイルララー」や「アラーフーエクバル」といった祈りの決まり文句ぐらいは君も耳にしたことがあるだろう。15回モスクから信徒に礼拝を促す言葉として節をつけて伝えられる、アザーンの文句でもある。神秘主義者はこれをリズミカルに唱え、体をゆすったり手足を振ったりして没我の境地に入って行く。決まった動作などなく、それぞれが祈りの言葉をひたすら唱えながら、心を空にして行く。はじめてこの儀式を見たとき、われわれの祖先は思った。いったいこれが我らを弾圧してきたイスラームなのだろうか。われわれシャーマンの蛇おろしの儀式とまったく同じではないか。サペラーニーは思わずサズを手に取り、神秘主義者の群れに加わって行った。イスラームと偶像信仰の知られざる混交はこうして始まったのだ」


「イスラーム神秘主義者にもいろいろの宗派があったが、サペラーニーを出迎えた行者たちは、イランのホラサン出身の聖者ハジベクターシュを開祖とするベクターシュ教団に属していた。ベクターシュ教団はシーアアリーの人々との親交が深かった。シーアアリー、つまりシーア派は、イスラームの開祖ムハンマドの死後3代続いたカリフ(後継者)の治世を認めない。そして4代目カリフのアリーのみを正当な指導者として認める。これは要するにムハンマドの甥であるアリーのみがムハンマドの血をひいていたからで、しかも彼は預言者の娘ファティマと結婚していた。アリーとその子フサインの虐殺によって天下を取ったウマイア朝にはじまるイスラーム帝国は、イスラムを否定する不正義の輩の集団である。そして、自らはアリーこそ真の指導者と仰ぎ、アリーの血統の者によるいわば賢者の支配に社会正義をたくそうとする。このシーア派のなかにもいろんな宗派があるが、われわれと関わりが深いのは12イマーム派である。つまり、シーア派の人々は現実には国家を作ることはなかったが、アリーの血統の者をイマーム、つまりイスラームの精神的指導者と仰ぎ、帝国に忠誠を誓うスンニー派社会の異分子として、信徒の結束を保ってきた。しかし西暦874年724日、第11代イマームが死んだその日に、当時5歳の彼の息子つまり第十二代イマームのムハンマド=イブン=ハッサンは地下室に入ったきり姿を消し、行方不明となる。この幼いイマームは実は死んだのではなくいずこかに隠れているのであり、いずれ救世主マフディとして現世に現れて千年王国を築くであろう。その日がくるまでスンニー派の支配のもとで異邦人として耐え忍ぶのだ。簡単に言えばこれが12イマーム派の思想である。

「アリーから十二代イマームに至る系譜をわれわれの歴史に置きかえてみよう。カラーシュの蛇であった初代ナギーナーからカムラーン、ヴィムラーンと続き、十二代目の幼い娘サマーラはアルダビールでのアラブ軍との戦闘の際に行方不明となり、これ以降長年保たれてきた蛇の血筋は絶え、われわれはサマーラの霊的な復活を待ち望んできた。これが、われわれが必要とする光なのだ。わかるかね。サペラーニーの人々は12イマーム派の経典を自らの歴史に照らして解釈することでイスラーム世界を生き延びるパスポートを手に入れたのだ」


「表向きにはわれわれはイスラームシーア派の一派だと答えることにしている。これはもちろん当局の弾圧を避けるためでもあるが、理由はそれだけではない。われわれが実はイスラームと縁もゆかりもないインドからきた蛇信者だと公言したとしよう。イスラームの発展を快く思わない外部の好戦的な蛮族が、ことさらにわれわれとイスラム体制のあいだに揉め事を起こさせ、その結果民族主義と言うとんでもないお化けにすがる愚か者どものお先棒を担がされる羽目になるのだ。アルメニア人やクルド人からサラエボのモスレム人の運命にいたるまで、歴史はそのことを物語っている」

「こうして12イマーム派の経典によって理論武装したわれわれは、宗教儀式に始めて音楽を持ちこんだために他の部族から一目置かれることとなった。カフカスにはカヴァルという素朴なあし笛のほかに楽器と言うものがまるでなかったのだ。当時この地域は多くの藩主の小国家に分裂していたが、われわれは国境もフリーパスで、許可なく自由に山中を移動することが許された。片手にサズを持つ者は神の使いとして、ときには神そのものとして崇められることもあった。

カフカス人はタタール人、アゼリー人、アルメニア人などの先住民とサペラーニーの混血である。民族などという観念のない時代で、人々は出身部族や宗教、生まれた土地や師事するデルヴィーシュの違いによって人々を分けていた。もっとも神秘主義の儀式においては言葉も宗教の違いもどうでもよいことである。それはムスリムだろうと偶像崇拝者だろうとすべての人間に開かれている。例えばアルメニア人やグルジア人は東方キリスト教会に属していたが、司教の度重なる禁止令にもかかわらず儀式に惹かれてこっそり弟子入りする者が跡を絶たなかった。

サペラーニーの儀式は理性を鍛える光の集会と、感情と本能を発達させる闇の集会に分けられる。光の集会ではデデと呼ばれるサズの名手が壇上に立ち、神にささげる言葉を唱えた後、その日のテーマが決められ、デデの音頭取りで即興詩の掛け合いが行われる。これには誰もが参加しなくてはならず、次々に前の人の詩を引き継いで何事かを語らねばならない。たとえばデデがある参加者に問いを投げかける。愛は地球を救うか、と。彼は即座に答えねばならず、答えられない者はその場を去らねばならない。参加者はほとんどがサズを持っており、問答はすべて唄と旋律によってなされる。革新的な者はデデによって選ばれた旋法のわくをほんのの少しだけ踏み越えたあらたな旋律を提示する。それが大勢の者を感動させることができれば、その旋律に作者の名を冠して呼ばれることになる。これらはいわば理性的な集会で、光の時間と呼ばれている。この後、休憩があり、デデによって参加を許された者だけが、闇の時間に入る。それは一見したところ他の神秘主義と変わらない。アッラーアクバルを唱えサズをかき鳴らしながら次第にゆっくりとした踊りになり、激しい乱舞に至る。ひたすら踊り狂っているうちに蛇の降臨した状態となり、人と蛇が合体し何やら奇妙なことを口走る。ラクとよばれる酒が回し飲みされることもある。闇の時間は人間が限りなく原初の状態に回帰しようとする過程である。この現場では実のところ信仰する宗派も教義も聖典もどうでもいい。蛇信仰も精霊崇拝も一神教も究極においては同じことなんだ。

「しかしあなたがたは愛の吟遊詩人アーシュクと言われている」

「そのとおり。娯楽の少ない時代に、土地に縛られて生きる農民たちはわれわれの語る物語にききほれ、サズのメロディーに合わせて踊るのが唯一の楽しみだった。『アーシュク』とはアラビア語での愛に狂った人を意味するが、イスラム改宗以前の古い時代ぬはアシェグと呼ばれた。膝の間接を意味する古いペルシャ語だ。骨をつなぎ合わせて人を歩けるようにする膝は、さまざまな土地の話をつなぎ合わせて物語を想像するわれわれの象徴だ。それは人と人をつなぐ心の関節である。対立する宗教や部族の争いの調停こそがわれわれの任務だった。仲のよくない領主のもめごとを解決したり、許されぬ恋人同士のために双方の親を説得することが期待された。われわれにはそれだけの権威があった。例えば一本のサズを戦場の只中に置くことで争いをやめさせることさえできたのだ。」

フスヌはチャイを一口すすると、かたわらにあったサズを取り上げ、カフカスの有名な伝説『アスリとケリム』を語り始めた。


「アルメニア人の地主の娘アスリと、ハーンの息子でイスラム教徒のケリムの悲恋物語は今に歌い継がれる傑作で、シェイクスピアのロミオとジュリエットの原作ともいわれる。異教徒同士の恋がタブーとされた時代、アスリの父は娘をケりムと引き離すため一族でその土地を去る。ケリムは命がけでアスリを探す旅に出る。雪深い山で死に直面しながらもアスリとの再会を果たすが、アスリの父親にみつかって逮捕されてしまう。たまたまその地方を訪れた王のためにアスリの父は宴会を開くが、腕のいい吟遊詩人が見つからず、やむなく牢屋に入れられたケリムが招かれる。自分の恋物語を語るケリムに王は同情し、アスリとの結婚を父親に命じる。やむなく結婚式を準備する父親は、のろいのかかった服を花婿に着せる。二度とボタンが外れない服を。ケリムがサズで一曲歌うたびに、のろいは解けてボタンがひとつ外れる。しかし最後のボタンが外れた瞬間、火が吹き出し、ケリムの体は炎に包まれたちまち灰と化す。アスリは40日間泣きはらしたあげく、ケリムの後を追って死ぬ。


「あなたたちの祖先はなぜカフカスを離れたのだ」

「オスマン帝国の蛇捕獲禁止令のためさ。われわれの中のある者ははベクターシュ教団とともにバルカン半島に布教の旅におもむき、残りの者はいまだオスマンの支配の及ばぬ東部アナドルの砂漠地帯に向かう。15世紀のはじめのことだ。

「私の話はこれまでだ。ここから先はまた別の仲間が話すだろう」

「その砂漠地帯とはデリスタンのことなのかね」

「そういうことだ。苦労してわざわざ危険なところに出向いて行ったのはデリスタンが西アジア有数の蛇の産地だったからだ。しかし残念なことにすでにこの地方にもオスマン軍は進出しており、マングース討伐隊によって蛇はとうに全滅させられていたのさ。」

「オスマン帝国はどうしてそんなことをしたんだろう」」

「蛇の皮をはった弦楽器をかき鳴らしながら遊牧をして歩くわれわれに、彼等の理解を超えた狂気を感じたのだ。オスマンのスルタンたちはイスラームの旗の後ろに縫い付けられた蛇の模様をみのがさなかった。早いうちにつぶしておかねば、アナドル人と結託していずれオスマンに歯向かうようになるだろうと思ったのさ。」

「アナドル人というのは」

「アナドル、つまり現在のトルコ共和国のアジア側の半島にキリスト教伝播以前から住んでいた多神教信者の末裔で、蛇の髪を持つ地母神を信じる人々さ。トルコ西部のエーゲ海沿岸地方に住んでいて、彼らの一部はタウロス山脈に自治区を作り、ゼイベキアスというゲリラ部隊を組織してオスマン軍に抵抗を続けていた。」

オスマン時代のアナドルの民衆反乱のほとんどは西部ではゼイベキアス、東部ではわれわれの先祖が関わっている。それは異教的信仰とイスラム正統派の対立と言うだけではない。定住化政策を進める国家による遊牧ネットワークの解体とそれに対する抵抗。君は想像できるかね、遊牧民が都市の家で暮らすことは牢獄の禁固刑に等しく、血液の腐る病気によって数年で死んでしまうのだ。これはまた別の者が話すだろうがね」

「別の者っていったい誰なんだ」

「イラン北西部のウルミエ湖の東、タブリーズのアゼリー人街にあるゴッズホテルを訪ねたまえ。ホテルの支配人のジェンギース=エルデムがこの続きを話して聞かせるだろう。ここからタブリーズは遠い。まずカイロに戻り、明日の早朝のバスでシナイ半島を横断してアカバに着く。そこから船で紅海、アデン湾、アラビア海を抜けてホルムズ海峡に到着。ケシム島からイラン本土に渡り、ザグロス山脈にそってバスで北上。ケルマンシャーの先にタブリーズの町がある。うまくいけば2週間後にはジェンギースに会えるだろう。さあ友よ、行きなさい。そのまえにひとつ面白い場所に案内しよう。サズの工房だ。わたしはサズを大量に作ってデリスタンに運ぶ計画を立てているんだ。その計画の一部を君に教えよう」


選ぶなら酒場の舞い男カランダルの道がよい

酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!

手には酒盃、肩には瓶子ひとすじに

酒を飲め、君、つまらぬことを言わぬがよい。

                     (オマル・ハイヤーム)


 

どうやら俺はめんどうな問題に巻きこまれつつある。琵琶とマンドリンを合わせたような楽器にたまたま関心を持った暇な男にとっては、すこぶる厄介な問題に。ほこりっぽい荒野を驀進するバスの中で、羊飼いの一団と赤肌の岸壁群、それに第三次中東戦争の際に破壊されたエジプト軍の戦車の残骸を眺めながら、俺は昨夜フスヌに案内された洞窟の光景を思い出していた。おびただしい数のサズが出陣のときを待っていた。フスヌはその中の一本を手に取り俺に言ったのだ。

「これを持っていけ友よ。つらい旅をさせるのだ。この木と鉄のすみずみにまで熱砂と暴風と寒気を染み込ませるのだ。そして君はいずれアララトのふもとに住むデデを訪ねることになる。彼は君にサズの用い方のすべてを教えるだろう。その日まで耐えて行け」



つづく

















叛逆の甘い香り

アナトリアの大地を彩るアウトロー音楽列伝


叛逆が悪いことだなんて教えたのはどいつだ


2010.10.29(金)19:30名曲喫茶ヴィオロンFUJI(サズ 唄 解説) 杉並区阿佐ヶ谷北2-9-5 JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分 1000円(1ドリンク付き) http://www.geocities.jp/violin_plikkkeenoo/ 03-3336-6414(ヴィオロン)                                 
サズ奏者 FUJIのブログ-ペシャーワルno





真昼の砂漠の暑さは過酷である。昔太陽のせいで人を殺した殺人犯を主人公にした小説があったが、この苦しさから抜け出すためならおれもそうするかもしれないとさえ思った。おまけにうまれて初めてのラクダの旅でひどい股ずれを起こし、ベドウィンのテントに着いてラクダを降りたときには痛みで歩くこともできなかった。あたりの空気が陽炎のようにゆらめき、精神の悩みだとか、他人のまなざしへの恐れだとか、内面を支配していた秩序が限りなく後退し、快と不快の感覚だけが昆虫のごとくまわりを伺っている。

「熱風に季節はない。ペトラの遺跡には見向きもせず、ひとりでこんな砂漠の果てまでやってくるとはあんたもツーリストにしては変わっておるのお」

デルベデール砂漠の長老シーメーカーンはナイキのマークの入った真っ赤な野球帽をかぶり直して言った。

「ネスリーン、ジャポンから来たこのお客さんにチャイをだしてあげなさい。まちがってもアンマンのチャイハネのようなまねをするでないぞ。それから、あれはなんじゃったかな、ほれ,去年の今ごろ泊めてやったデンマーク人が置いてった、茶色い、らくだのうんこのような」

「チョコレートでしょ」

「そうじゃ、うんこのようなチョコレート、あれもお出ししなさい」

俺は内心後悔していた。ベドウィンの長老であるはずのこの老人は、よれよれの背広にだぶだぶのジーパン、眼にはどういうわけかおもちゃのゴム製の鼻眼がね、腰にはブリキの刀を差し、口元から黄色いよだれがたれている。つまり、どうみても民族の悲劇を体現している一族の長には見えなかった。

「どうしたジャポン。ここへきたことを後悔しとるような顔つきじゃな」

「いえそんな」

「まあまあここで一服じゃ。。ネスリーンの入れたチャイでも飲んで、旅の疲れを癒すがよい。そこらの屋台の香料も使わぬ粗悪品とちごうて、ネスリーンのいれるチャイは、五種類のスパイスが芳香をかもし出す極上の一品じゃ。あんたも知っとるじゃろうが、近頃のアンマンではブルックボンドとかいう粗悪な紙袋に入った1年前の茶葉を、湯に放り込んだまま客に出すのじゃ。まったくもってアラブの誇るもてなしの心も地に落ちたものじゃ」

「長老、ありがたいことですが、今の私はチャイを楽しむ心の余裕がありません。私はシリアのアレッポでのサーサーンという女性に出会い、不思議な語りに導かれてここへやってきました。彼女は自分の話の続きを聞かせるのはあなたであると言いました」

「えっなんですかあ、ちょいと最近耳が遠くなっての。おやおや、これが好物の、ああ・・ラクダのうんこによく似た、なんじゃったかな」

「チョコレート」

「あっそう。ジャポンも一口どうじゃな」

「長老、ですからわたしは話の続きをうかがいに来たのです。あなたがたアレウィーの歴史について、わたしはアレッポの何人かの人々からその存在を知りました。彼らがサズデリとよぶ夜の集会にも参加しましたが、どうも今だわからない点が」

「んん、なんですかあ、ネスリーン、この人は今なんと言ったのか。びすみっらいるらふまあんあらひいむアッラーアクバル。そういえばネスリーン、おまえが昔振られたサイードがコックをやってるホテルの名前は何というたかな」

「ホテルソーソーソーでしょ。でもおじいさんあたしがふられたわけじゃないわ。日本の女とつきあうようになって、あいつが変わったのよ。パソコンばかりぴこぴこやって野山羊のしとめ方も忘れちゃったんだから」

「まあまあ、それはさておき、あのサイードの淹れるアラビアコーヒーの味が以前に比べてずいぶんとまずくなったと思わんか」

「サイードは日本でフランス料理店で働いていたでしょう。コーヒーもフランス式になっちゃったのよ。馬鹿な奴」

「そうじゃのう。まだ先代のオーナーの時分に、泊まりに来た日本人の女と恋仲になり、結婚して日本に渡ったものの、1年も経たずに女房はセックスレス。きゃつはあのとおり根っからの好きもんじゃろ。なにかとうまくいかんで結局離婚となった。なんでもおたくの国では結婚した男と女は友達のようになってしまいお互いに欲望を感じなくなってしまうんじゃとか。わしらの常識では図りしれんのう。男と女は一緒に暮らしておれば乳繰り合うのが生物の摂理、神のお望みであるはずじゃ」

「おじいさん、ジャポンの眼がなんだかうつろよ。まるでおじいさんの話を楽しんでないみたいに見える」

確かに俺がいらいらしているのは暑さのせいばかりではなかった。

「まあまあ、先を急ぎなさんな。シュワイヤシュワイヤ、リトゥルリトゥル、これからがおもしろくなるのじゃぞ。どうもジャポンという人種はせっかちじゃのう。そんでもってこの村に舞い戻ったサイードは、また前と同じホテルに勤め出したのじゃが、このホテルの名前の由来については知っとるか、ネスリーン」ベドウィンの長老はおかしくてたまらないと言った表情で笑いをこらえていた。

「なあに、どんな由来があるのかしら、ぜひ聞きたいものだわ」

「そうじゃろう。実はあのホテルはもともとホテルベドウィンといって白人ヒッピーご用達の安宿じゃった。ところが新しいオーナーがアンマン空手専門学校の生徒での、もうジャポンが好きで好きで、白人ヒッピーどものリラックスしきったでかい態度にすっかりおびえてちじこまっとる日本人ツーリストがかわいそうでのう、ぜひ日本人専用のホテルにしてやろうと、まずは名前からして日本人の気に入るものに変えようとしたのじゃ。そこでまずホテルブルースリーにしようという話になったんじゃが、ブルースリーは日本人じゃないらしいとわかって没にされた。そんなあるとき自分がフロントに立ってみると、日本人ツーリストたちが男女の別なく、会話の中でしょっちゅうソーソーだのソーソーソーだのと口にしとることに気づいた。これはきっとアラビア語でとてもよいを意味する「アフラン」とかオーケーをいみする「アイワ」のような決まり文句に違いない。決まり文句というものはいわば国民性のシンボルじゃからの。しかし従業員会議では大変じゃった。『ホテルソーソーソー』にするか『ホテルソーソーソーソー』にするかでもめてのう。フロント係の大半の者は「ソーソーソーソー」のほうがよく聞かれる言葉じゃというんでほぼ決まりかけたんじゃが、、あのサイードが強硬に反対しての。日本人にとって四は死につながり、大変不吉である。よって三回繰り返す「ソーソーソー」でなくてはだめだ、と主張しよった。日本帰りの奴には誰も反論できず、こうして『ホテルソーソーソー』に決まったということじゃ」

「なんて素晴らしい話なのおじいさん、そんな神秘に満ちたいきさつがあっただなんて、あたし今まで知らなくてよ」

「それから、ホテルの看板の文字について、アルファベットがいいのか、漢字がいいのか、それともひらがなにしたらいいのかについては」

俺は頭が痛くなった。ペトラ渓谷までやってきてこんな無駄話を聞かされるのはかなわない。やはりあの女にいっぱい食わされたのか、という苦い思いが込み上げてきた。

「長老、そんな話などもうどうでもいいでは有りませんか。俺ははやく知りたいのだ。サズの音色に隠されたもうひとつの中東の歴史を」

「まあまあ、三秒待ちましょう、イチ、ニ、イチ、ニ、ありゃ三秒たたないね」

「長老、いいかげんに」

「帰ったぞシーメーカーン」俺をここに案内したガイドのアマルディンがテントの外をみつめながら言った。

「そうかね、それでは、いよいよ始めるかの」

シーメーカーンは突然居住まいをたたし、さきほどまでとは別人のような、威厳に満ちた顔を俺に向けた。

「腑抜けを装うのも疲れるものじゃ。客人よ気を悪くなさるな。ここいらはスパイがうようよしとる。カラマンルヒッタイト国と抜け駆けの平和条約を結んで以来、ヨルダン王家はわしらのちょっとした動きに神経をとがらしておるのじゃ。ネスリーン、サズを持ってきなさい。それから見張りは30分交代で立つように。ペトラの観光客を装う情報機関の手下もいるから警戒を怠るでない」




「そもそもデリスタン人の起源は紀元前3世紀のヒンドゥスタンにさかのぼる。チャンドラグプタの軍隊が北インドに初めての統一国家を築くはるか以前、当時この世の果てと呼ばれていたインドのジャンタール砂漠にはバヌワリという屈強な山刀使いに率いられたサペラーニー族が、古代からの生活そのままに暮らしておった」

「水と草を求めての争いと略奪、子孫にまで及ぶ復讐の掟は、過酷過ぎる環境から生まれたものだ。サペラーニー族もまた近隣のバローチ族やパシュトゥーン族と争い、縄張りを広げて行った。あるときバヌワリはカシュカイ族との七日間に及ぶ激戦で敵のシャイフの娘を略奪し、自分のテントにつれて帰った。驚いたことに女は反抗するどころか、以前からバヌワリの姿を遠くから眺め、この日のくるのを待っていたというのだ。バヌワリは敵の策略かも知れぬとその言葉を怪しんだが、たいそう気立てのよい美しい女だったので、結婚することにした。それ以来、バヌワリの山羊は以前の3倍の乳を出すようになり、らくだは二倍の荷を運んでも余りあるほどの元気を見せた。敵の部族は恭順の意を示して戦を仕掛けてくることもなく、平和な日々が続いた。やがて女の子が生まれ、カムラと名づけられた。ヒンディー語で居心地のよい空間という意味じゃ。しかしどの世界にも幸福をねたむものはおる。誰とはなしにバヌワリの妻が敵の部族の男と通じ合っていると言ううわさが広まった。ある日バヌワリは遊牧に出かけるふりをして途中で引き返すと、妻は出かける途中だった。こっそり後をつけたところ、妻は村はずれの岩山に入ったきり2時間も出てこなかった。その夜バヌワリが妻に問いただしたところ、見る見るうちに妻の顔が曇り、恐ろしい勢いで外に飛び出して行った。後を追ったバヌワリは折りからの竜巻に巻き込まれ、妻も自分の位置も見失い、うっかり毒蛇の住む地域に入り込んでしまった。首筋に毒蛇が飛んできた瞬間、別の蛇が現れ、すさまじい殺し合いの末にかみ殺した。バヌワリの前に瀕死の妻が姿をあらわした。女は死に際にこう語った。「私はカラーシュ渓谷のふもとに住む蛇でありました。私たちの国の習俗に習って、私はあなたを自分の夫にいたしました。私の国ではこんなことはよくあることで、蛇の女は働き者ですから、人間の間ではとても評判がよいのです。私たちの体は愛でできているので、『疑い』によって性質が破壊されてしまいます。そのまなざしにあえばもはや人間の姿でいることはできないのです。こうしてジンの国に去って行く前にあなたの命をお救いで来たことだけが、私の喜びです」と言って息絶えた。バヌワリは涙に暮れながら蛇に戻った妻のなきがらを抱きしめ、幾年月もそうしておった。

あるとき羊飼いの老人が不思議な音色を耳にした。音のする方向にふらふらと近寄ってゆくと、行方不明になっていたバヌワリと妻の蛇が仲良く抱き合ったままミイラとなり、妻の皮にバヌワリの山刀の柄を装飾する細い金属の紐があたり、風に吹かれて心地よい響きをたてておった。これが、最初のサズじゃ」

「サペラーニー族はバヌワリの一人娘カムラーンに率いられ、蛇は一族の象徴として信仰されるようになった。蛇の血をひくカムラーンは、人間の及ばぬ感知能力を持ち、不思議な能力で死者の霊と交信することができた。砂漠人の間では昔からジンへの崇拝心が強い。ジンとはいわば砂漠に住む精霊で、人間の接し方によりその力は善とも悪ともなる。ジンは人間をはじめさまざまな形をしておる。つまり人間のジンやガゼルのジンや、ライオンや禿げたかや糞転がしのジンがいる。実際砂漠は人間が入り込んでくる前はジンの支配する国だったと考えられている。これはある種の転生思想を表している。人は死ぬ瞬間の意識のあり方によってそれに応じたジンの姿が与えられる。もっとも自由で力と生命力を持つジンは、人間ではなく蛇のジンである。蛇は毒を持って人間を襲うことから、邪悪の象徴とみなす連中が多いが、砂漠人は自分の悪行をいましめる神の使いと考える。そして蛇の娘を首領とすることによって、サペラーニー族は砂漠の中で独自の地位を獲得してゆく。つまり戦闘においてはすべての蛇がサペラーニーの側に加勢するため、他の部族は恐れて近寄らない。当時ジャンタールの北西部には狼の子孫と恐れられたテュルクやモンゴルが割拠していたが、彼らでさえラクダと山刀しかもたないサペラーニーに手出しできなかった。カムラーンは蛇の心に訴えかける交信手段としてサズを使った。初期の頃サズは素焼きのつぼの内側に鉄線を張り巡らし、息を吹き付けて音を出すものであったが、戦いながら使えるように、ひょうたんで作った丸い胴体に蛇の皮を張ってさおをつけ、鉄線を張って指でかき鳴らすものにかわった。これが現在のサズの祖型となる。サズは人間の耳に捕らえられないかすかな振動で蛇を誘い出す。カムラーンは部族の仲間たちにサズを使っての交信の方法を教え、やがて多くのものがサズを手にするようになる。それは蛇崇拝の儀式でもあり、現世とジンの世界との境界に身を置き、始源の力を獲得するイニシエーションでもあった。」

「しかしサペラーニー族の幸せな日々のも暗い影が忍び寄りつつあった。紀元三世紀の始め、チャンドラグプタが土着の信仰を支配しヒンドゥー教を国教とする統一国家をたてたのじゃ。ジャンタールにも盛んに密使がやってきて、昔ながらの生活を捨てて街で暮らすように奨めた。熱風による被害で村にひとつしかない井戸が砂に埋まりそうになったある年、役人どもは砂を防ぐための囲いを建設するために、測量技術者を派遣してきた。当時の族長はカムラーンの娘のヴィムラーであった。カムラーンはすでにこの世にいなかった。インド統一軍のマングース討伐隊によって家族もろとも虐殺されヴィムラーだけが生き残ったのである。12歳になったばかりの族長は言った。「いかなる建て物を設けることも定着を意味する。定着は弛緩と拘束と隷属に満ちた生活に身をゆだねることであり、それは砂漠の習慣になじまない。わたしたちは一ヶ所にとどまれば病気になってしまう水や空気と同じだ。水は流れを止められれば死に、空気は閉じ込められれば腐る」

だがやがて砂漠は旱魃に見まわれ、餓死者が続出し、サペラーニーの中からもみはてぬオアシスを求めて旅立つ者や、羊を売って都市に逃げて行く者が現れた。あらゆる人間の支配を拒否するゆえに、誰も住まぬ過酷な世界にあえて身を置こうとする。それが砂漠人の生き方じゃ。そこはすさまじくも自然が絶対の破壊的な力を振るう場所であり、その代償として誰にも服属しない自由を獲得している。太陽が去った後のつきかかりに照らされ茶を飲みながら談笑する自由な時間。わずかなこかげにそよぐ風につかの間の安らぎを得るたのしみ。自然の無慈悲を前にした人間とラクダの運命共同体的なきずな。野生動物への畏敬、つかのまの夜のいこいに飛翔する想像力の世界、なによりもむき出しで自然に対峙することで可能となる蛇との交信の自由を失えば、シャーマンとしての特権はすべて剥奪され、都市民の冷たい視線のもと、狂人カルト集団として葬り去られるのは目に見えておる。やがて統一インド軍隊ジャンタール方面軍が、砂漠に農業用水を敷くために五千匹のマングースとともに乗りこんでくる。

ヴィムラーは決断した。なおも砂漠にとどまろうとする約二千の一団を率い、彼らの共通の神である蛇、つまりバヌワリの妻ナギナの故郷カラーシュ渓谷をめざすことを。




カラーシュはパキスタンとアフガニスタン国境沿いの山岳地帯の渓谷じゃ。しかし目的地に至る途中好戦的なパシュトゥーン族との戦闘に敗れてとらわれの身となる。その土地には蛇が住んでおらず助けを得ることができなかったためである。しかし難民収容所に響き渡るサズの音は、パシュトゥン族の戦闘的精神を確実に奪って行った。それは音楽を知らない彼らにとって始めて耳にする空気の振動であり、不思議なリズムと声調であった。サペラーニー族が蛇の儀式と称して行っているもろもろの行為は、戦争の勝者に支配のみじめさを思い知らせる武力以上の武器であった。客人よ、このことを覚えておくがよい。

パシュトゥーンの族長はヴィムラーンに取引を申し出る。カイバル山のふもとで行う詩人対決に勝てば全員解放し、負ければヴィムラーンは族長の妻となり、他の捕虜は全員処刑するというものだ。族長は狡猾にも毒を仕込み、ヴィムラーの舌は麻痺して動かなくなった。だが歌を歌えなくなったヴィムラーはのど奥だけを振動させる特殊な歌唱法によりパシュトゥーン側のシャーマンを圧倒し、アフガンの山々はヴィムラーの勝利を告げた。かくてパシュトゥーンの領地を脱出した一行は再びカラーシュ渓谷を目指すが、おりからの地震で道は寸断され、ヌーリ一族の襲撃を受けてヴィムラーは捕らえられ焼き殺される。500人ほどの生き残りもほとんどの者が舌を抜かれ、ササン朝ペルシアに奴隷として売られてしまう。我らの祖先はサズだけを自らの守り神として耐え忍ぶが、1000キロの旅のさなか、さらに死者が続出。ササン朝の都エスファハンについた頃には50人ほどになっておった。

当時のペルシア王は、サペラーニーの特異な音楽の才能に注目し、宮廷の楽師や踊り子として奴隷とはいえ、厚い待遇を受けることができた。ムハンマドに率いられたアラブとの抗争に悩む王にとっては優秀なシャーマンの託宣が何よりも必要じゃった。この時代の音楽とは冥界に通ずる特殊なチャンネルであり、吟遊詩人の歌は霊魂が迷える子孫に与える教示そのものであり、中東では一般に政治は祖先の導きによって行われておった。優秀なシューマンを多く抱えた部族は武勇にすぐれた者よりも畏れられた。これには独特の蛇信仰も関係しておって、もともとインドから西アジアにかけての一帯では毒を持って人間を殺す蛇は逆らえぬ運命の力であった。蛇は独特の受信装置によって砂漠の生態系を乱す無法者とそうでない人間を識別して、無法者に対してのみ害を与える。いわば砂漠にひそむ神の化身と考えられた。今日でもヒンドゥーの神々が首に蛇を巻いておる像を見たことがあるじゃろう。あれはもともとインドで信仰されておった蛇神のナーガを侵略者の宗教であるヒンドゥーの神々が従えておるわけじゃ。つまり土着の蛇信仰はヒンドゥーの神に服属するというポーズをとって生き延びていった」

ここまで語ると老人はふうと大きな息をついた。テントにはいつのまにか入りきれないほどの男女があふれるほどに詰めかけており、シーメイカーンの一言も聞き漏らさぬよう息を凝らしている。その中にはやはり俺と同じように中東のマイノリティー集団に魅せられたらしい、フランス人とおぼしき若者の姿もあった。

「さて、ヴィムラー亡き後、ヴィムラーの娘ラジキに率いられたわれらにはぜひとも訪れねばならぬ土地があった。ザグロス山脈北方の街ニハーヴァンドは蛇の産地として名高い。相次ぐ戦乱で多くのサズを失ったわれらにとってサズの製作は急務であった。わずかに残ったサズも多くは皮が破れ、いくら弾いても蛇神が降臨しないこともあった。ところがエスファハンの北西へ500キロ、旅の荷を解いた我らを待っていたのは『コーランか、剣か、さもなくば税金か』という見慣れぬおふれであった。ササン朝ペルシアはすでに滅んでいた。

新しい支配者アラブはわれらにとってやっかいだった。彼らの信ずるイスラームは、預言者の啓示による宗教すなわちイスラーム、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教を啓典の民と呼び、イスラーム以外の三つの宗教の信仰の自由は保障された。もっとも相応の貢物を捧げねばならなかったが。しかしわしらのごとき蛇信仰者は奴らにとってもっともおぞましい偶像崇拝者であり、生き延びるには改宗のほかに選択肢はなかった。このとき改宗に応じてイスラム宮廷に使えるようになった一部の者が、のちにジプシーとなってヨーロッパをかけめぐることになる。残った者たちはアラブの追撃を逃れ、北の山岳地帯に向かう途中、粗末な羊毛の衣を引きずった行者に出会う。「この道の先、二つの湖を通り、アララットとカフカスの山に囲まれたあたりに行きなさい。そこに住む者たちはあなたがたに必要な光―言葉を持っており、あなたがたは彼らが必要とする闇―音楽を持っておる。二つの集団が結ばれ、そこに完璧な世界の環が生ずるだろう」この老人がイスラーム神秘主義教団のシャイフのハジ=ベクターシュであることを知ったのはずっと後のことである。




40年の間鹿と共に原野を旅をした

鹿は傷つき 山のふもとで眠り

小鹿になった夢を見る

灯篭に群がる蛾の羽ばたきに似て

ケレムは愛の炎にまみれ、アスリもまた灰燼と化す







蛇がその皮を脱ぎ捨てるように

わたしは自分という皮を脱ぎ捨てた

そしてわたしは、自分自身の中をのぞきこんでみた

どうだろう、わたしは彼だったのだ

            (バーヤズイ―ド=バスターミー)




「ハジベクターシュの導きによってわれらがカフカスとアララットのふもとに住む行者の集団と出会ったのは12世紀中ごろのことである。この行者たちはやはり羊毛の粗末な布一枚に身を包み、 頭に反逆者の象徴である赤いターバンを巻いていた。初めのうちわれらはイスラームへの警戒心から用心を怠りなかった。アラビア半島の一角から起こったアラブ帝国は、すでにペルシア、メソポタミア、北アフリカ、イベリアを支配し、カフカスもまたイスラーム帝国の重要な拠点であった。しかし行者たちと接しているうちに彼らの信仰がサペラーニーと似ていることを知る。この者たちはシーアアリーと称し、イスラーム帝国の正統派イスラームの支配を否定している。なぜかと言うと、うっ…くくく」

「おじいさん、おじいさんどうしたの!」

「長老、どうされました!」

「どうしたんだ、まさか、これは、このラクダのくそは何だ」

「それはチョコレートアラモードといって三ヶ月前にここに泊まったデンマークのヒッピーがくれたものよ」

「そいつだ、そいつが諜報機関の者だったんだ」男たちのあいだに不穏な空気が流れた。

「そんなことないわ、だって三ヶ月の間長老も私も食べてたわ、何ともなかったじゃない」

「つまり今日だれかが毒を盛ったということか、長老がデリスタン伝説を語りつくそうと言うこの日にあわせて」

シーメイカーンは苦しそうにあえぎながら俺に向かって行った。

「ジャポンよ、どうやら敵はわしらの記憶が外国人であるあんたによって外部に漏れるのを怖れておる。じゃがわしが語らずともフスヌが語るだろう。いずれ眠りから覚めたピールスルタンによってデリスタンは」







別離の苦しみを知らない心は

愛する人と結ばれる幸せに値しない

一つ一つの苦悩にはそれにあった違った癒しかたがある

だが、苦悩のない人の苦悩は

いやしようがない                (フズーリー)





                              つづく























11月11日(木)ヴィオロンライブ 吉久昌樹と小粋な仲間たち

吉久昌樹(ギター)及川景子(ヴァイオリン) FUJI(サズ)



吉久昌樹オリジナル作品、トルコ、ギリシャの粋で深い音楽の数々。

美しい音の響きはこの世のはてにあなたをいざなう

19時半開演

1000円(1ドリンクつき)

名曲喫茶ヴィオロン

JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分

スターリード荻窪方向へ直進最先端

杉並区阿佐谷北2-9-5

03-3336-6414

http://www.geocities.jp/redsno0/





11月17日(水)その剣は恋のため

スミルナの泉に誓った愛は幻なのか



IZUMI(ベリーダンス)Hilis(ベリーダンス)

FUJI(サズ) 伊藤アツ志(パーカッション)



18時半開場 19時半 20時45分 22時の3ステージ 入れ替えなし

おつまみセット2600円(おつまみ一品+チャージ)ディナーセット3300円(料理一品+チャージ)

ラテンの店 ノチェーロ

港区六本木6-7-9 川本ビル B

地下鉄六本木駅徒歩3分

座席に限りがございますので必ずご予約お願いいたします

03-3401-6801  yo@nochero.com

http://www.nochero.com/



11月23日(火)トルコ音楽とベリーダンスの夕べ

Kadife 冬の章

カディーフェ、それはあなたを魅了してやまないベルベットの蝶

「ベリーダンスで魅惑のカラダ体を作る」の著者ファラーシャが季節ごとに違った色彩を放つ立川発ベリーダンスライブ。今回のゲストダンサーは韓国で人気沸騰中のカナダ人ダンサーEshe

世界三大料理に数えられるトルコ料理に舌鼓を打ちながら、わすれえぬ魅惑のひとときに酔ってください。

Farasha(ベリーダンス)FUJI(サズ)平井ペタシ陽一(パーカッション)

Eshe(ゲストダンサー)



17時開場 18時半開演

7500円(ショーチャージ+トルコフルコース料理 、デザート、1ドリンク付き)

ターキッシュダイニング スルタン

042-527-0017

http://www.surutan.com/

お席に限りがございますので、ご予約はお店にお電話でお願いします。



11月26日(金)E-chanとカレーとトルコ音楽



これはもはや事件だ


E-chan(ベリーダンス)

スルタンキングス 伊藤アツ志(パーカッション)テディー熊谷(サクセロ フルート) FUJI(サズ)

19時半~ 21時~  2ステージ

インドレストラン  マユール

立川駅北口徒歩5分

042-523-0410

www.mayur.jp

よいお席を早めにご予約ください。



11月27日(土)音の栄養士スペシャル

さらにおいしくなりました

歌う、こする、はじく、、、、、栄養満点の特別音メニュウできびしい冬に備えましょう



FUJI(サズ) 花井尚美(ヴォーカル) 星衛(チェロ)

20時半開場  21時開演(終了予定10時10分頃)

※時間がいつもと異なります。ご注意ください。

1000円(1ドリンクつき)

名曲喫茶ヴィオロン

JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分

03-3336-6414

http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/






























敵も人間だということを忘れるな。

(ハジベクタシュ)


バーラマのピックは原爆をしのぐ力を持っている

(ユルマズギュネイ)


間違った釣銭はバグダッドからでも戻る



犬のいない村をみつけて棒を持たずに歩く


えりが広くてスカートの丈も短いんじゃないかしら