サズ奏者 FUJIのブログ -16ページ目

サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

野菊の散歩道

楽しいお便り待ってます

いろいろなかたがたから心温まるお手紙が寄せられています。その一部をご紹介します。

日本人のみなさん安全のために中国語を勉強しましょう 中国政府観光局


あと25年お待ちください。そうすれば本との事がわかりますから
アメリカ合衆国情報公開法実務担当官


英語で戦争したい
       ○○英会話学校

                           君が代の歌詞のなかの君をぶっしゅに言い換えて歌いましょう

                                   どうしても歌いたくない非国民の皆さんへ
                                           内閣法制局見解

地球にやさしい戦争 ECO WAR
地球にやさしい原子力発電
地球にやさしいテロ対策
地球にやさしい空爆
............
君も環境保護軍に入らないか!(新憲法第9条に規定された環境自衛隊新兵募集広告)

Love and Peace from the sky

当社はこのたび地球温暖化防止の為の冷凍爆弾(別名環境保全爆弾)の開発に成功いたしました。これは爆弾の地上での爆発と同時に地球にやさしい天然の冷気が急激に噴出し、まわりの大気汚染を一瞬のうちに浄化し、爆弾による環境悪化をほぼ完璧に修復することの出来る世界初の高性能爆弾で、これを使用すれば自然環境にほとんど影響を及ぼすことなく安心して敵を殲滅することが出来ます。ぜひお試しください。
(ラブアンドピイス社第一営業部)
         

世界はこんな映画を待っていたのではないでしょうか。見る前からどきどきします。『イラク・狼の谷』2006年トルコ映画 。アメリカ人を野蛮人のように描いたトルコ映画(CNN)だそうですが、
イラクで現実に起こったアメリカによるトルコ軍兵舎襲撃事件をもとに、トルコ諜報員によるイラク駐留米軍への復讐を描いた「反米」アクション映画だそうです。トルコ映画史丈最大の制作費をつぎ込み、歴代観客動員記録第一位を記録。ドバイでも初日の観客動員記録を更新したそうです。西欧では露骨な反米、反ユダヤ主義が社会問題となり、アメリカでは軍関係者に映画を見ないようにとの勧告があったそうな。わが国でも、まあこういうお国柄ですから、アメリカやイスラエルの意を汲んだ方々のお力により上映期間が大幅に短くされるかもしれません。あるいは、平日のモーニングショー限定といった巧妙な手口が使われるかもしれませんな。みなさん、急いで見に行きましょう。
映画評論家 磯村浩太郎


いい時代になりました


東京都議会は、このたび不純恋愛禁止条例を共産党を除く賛成多数で可決いたしました。もっぱら性的目的で行われる恋愛活動は公序良俗に反するため、法的に規制すべきだ、との都民の要請のこたえたものです。「当面は罰則規定は設けないが、常時不純恋愛パトロールを実施し、不審なカップルに対しては積極的に指導して行く」と牛原都知事は記者会見で語っています。



38年たった今、誰がビアフラを覚えていると言うのか?
国際人権万歳委員会 少数民族保護委員 ジョン=マクドナルド


独立を達成したばかりのチベット王国は、インドより帰国したダライラマを中心とした内閣を発足させたが、これを不満としてフランス亡命者を中心とするチベット民族独立党は北部を拠点にチベット共和国を樹立。同党は、王制はネパールの例を見てもわかるようにもはや過去のもの、と主張。中国と外交関係を維持するダライラマ政権を認めず、今後は北部一帯を支配下に置き、欧米資本の積極的な導入を図って行く方針という。またこのことに関連してアメリカ政府スポークスマンは、チベットの安全を中国から守るためにもラサ近郊に米軍基地を設置することがのぞましい、と語った。(アメリカン新聞)


政府の提出していた結婚正常化法案が、衆参両院で共産党を除く多数で可決されました。今後は正常な関係と思われない疑わしい結婚については自治体窓口で婚姻届を受理しないことが可能となります。これにより窓口では混乱が予想されますが、法務省発行の正常関係証明カードを提出することにより、正しい結婚とみなされるという救済措置が取られています。証明カードは、郵便局、西友などで一枚35万円で販売しています。
なお、いわゆる正常でない結婚の定義について、同法案を起草した民自党の山田一郎議員(48)は、20以上年の差がある、欧米諸国以外の国籍の保持者との婚姻、55歳以上の男性、及び45歳以上の女性の初めての婚姻、などを例に挙げています。「ま、野党のみなさんもあんまりむつかしいこと考えんと、常識的に見てこりゃあ変だ、というのをチェックするだけ。ほとんどの国民のみなさんには迷惑かけることのないいい法律です」と語っています。(大日本にこにこ通信員)

とんでもない情報も寄せられています


みなさーん、ぼくのこと、おぼえてますかあ。アメリカ人タリバーンのジョニーウオーカーでーす。いまグアンタナモにいまーす。ぼくも28歳になりました。マスコミのみんなはなんでぼくの話聴きに来ないのかね?面白い話、いっぱいあるよ~。

世間には忘れられた英雄、黙殺されたヒーローがごまんとおるんじゃ。歴史と言うのはこうした偉人たちを消去したあとのどうでもいいごみためみてえなもんじゃの(爺さんB)




中国人の皆さん安全のため韓国語をマスターしましょう

(日本政府観光局)




10月24日(日)

美は混沌の風の中~碧い誘惑 

2年前に大好評を博した、あのNenupharベリーダンスライブ,

装いも新たにさらなる高みへ。混迷の時代に舞い降りたヴィーナスの伝言。

その誘惑の導く先にあるものはか?

Nenuphar(ベリーダンス) 

花井尚美(ヴォーカル)星衛(チェロ) FUJI(サズ) 立岩潤三(パーカッション)

開場18時 開演19時

2500円+1ドリンク

白龍館

お問い合わせ&ご予約 info@hakuryuukan.jp

03-5325-6550(白龍館)

JR新宿駅徒歩15分 丸ノ内線西新宿駅徒歩8分

大江戸線西新宿5丁目駅徒歩5分

新宿区西新宿6-21-1 アイタウンプラザb1

世界旅行博にてサズソロ演奏


9月25日(土)

12時~

15時20分~

20分ほど


会場 東2ホールのブース番号:K-30


下記世界旅行博のサイトです。ほかに「飛んでイスタンブール」の庄野まよさんコンサートなどもあります。


http://ryokohaku.com/pc.html





シリア入国以来十日がすぎようとしていた。シリアのヴィザは二週間で、その間に外人局に出頭すればさらに14日間の延長が認められる。手続き上の書類はすべてアラビア語またはフランス語なので、俺は途方にくれていたのだが、たまたまフランス人ツーリストがやはりヴィザの延長申請にきており、そいつに頼んで記入してもらったと言う訳だ。外人局のすぐ近くには十字軍やチムールの侵略にも耐えた難攻不落のアレッポ城がある。エジプトやインドと違い、この国の名所旧跡には外人料金というものがなく、入場料はコカコーラ一本にも満たないコインで事足りたと記憶している。城内のすこぶる閑散とした道を抜け、穴倉のような石造りの邸内に足を踏み入れると、すぐ近くからすこぶる調子のよい音楽にのって、うたうような女のペルシャ語が聞こえてくる。 



「さあ親愛にして果報なるわが宝、誇り高きバルワクの血をひくアレッポのお客様よ。あたいのうまれはペルシャのシラーズで、おとうは道化香具師、お袋はパルミラの孔雀の名で知られた評判の娼婦さ。女だてらに猿や熊と一緒に育ち、さまざまな芸を仕込んで15年、あたいもさまざまな技を覚え、火を食ったり水を吹いたり、ついでにセタールの手ほどきも受けて、おとうとともにバルチスタンからコンスタンチノープルまでめぐりめぐって20年。かのカドキョイ士官学校のベイレルベイが更紗の薄物の間に見え隠れするわが胸の谷間に惚れさえしなかったら、今ごろ日の本ジャポン国の優雅な専業主婦として、ケエタイ片手にコウエンデビューなどしていたに相違ない」



女はサズをかきならしながら踊り始めた。体の線もあらわにしたノースリーブの上着にふんわりした襞の多いスカート、それに両手両肩に幅1センチほどの腕輪を幾重にもつけ、薄いヴェールをとったりはずしたりするさまは、イスタンブールのナイトクラブなんぞで踊られている今風ベリーダンスとはまるで違っていた。一言で言えば身の毛もよだつエロスというのだろうか。女の黒い髪がむちのようにしなり、汗ばんだ白い肌にまとわりつく。俺はムハンマドが女の髪が男の欲望をあおるので隠すようにと言った心境がよくわかる気がした。もっとも、ムハンマドが本当にそんなことを言ったかどうか。コーランといえばこの世で善行を積んで天国に行った男は、フールという永遠の処女と何度でも交わることが許されるといった知識しかない俺としては、はなはだ心許ない。さて女はしきりに俺に視線を投げかけ、その熱っぽさに耐え切れずおれは女がヴェールで顔を隠したのをきっかけに視線を転ずると、そこには5歳か6歳と思われる男の子が一人、無表情にたちつくしている。手足の至る所に水泡やらおできのような斑点が広がり、足はむくんで紫色に染まり、重い病気にかかっていると一目で知れる様子であった。



る淫れ女にシャイフのことば

気でも触れたか,いつもそう違った人と

なぜ交わるか

答えにシャイフよ私はお言葉の通りでも

あなたの口と行いは同じでしょうか



わたしのフェラージェさん ああ裾には金の刺しゅう

ねじれた口ひげがくるくる回る

行ってあなた ここにいちゃだめ

短剣を取って私の首を切ってちょうだい

それから5時には戻ってきてね

私を抱いて頂戴



わたしのフェラージェさん 袖口がきつそうね

仕立て屋サンに行ってはさみで切ってもらいましょ

腕の付け根から ばっさりと



気がつくとショーは終わり、女はしこたまかせいだシリアポンド札をスカートに押し込み、帰り支度を始めていた。周りを見れば客は俺以外に誰もいない。

女は俺の心を見透かしていた。「ドゥーユーハブサムスィング?」男性用のゴム製避妊具のことを言っているらしかった。「あいにく持ち合わせがないんだ。使うこともないだろうと思ってね」女は麻袋の中からドブネズミ色に変色したメンディル(ハンカチの一種)を取り出した。「これで充分さ。安心おし。ちゃんとコカコーラで消毒してるから大丈夫さ」俺の手首にからんだ女の指は燃えるように熱く、胸元に光るネックレスが誘うように揺れている。



「何落ち込んでるのさ。あたしゃ帰るよ。この子を病院に連れて行かなきゃならないんでね」「なんかあんたに情が移っちまった。おれも一緒に行こうか」「馬鹿言わないでおくれよ。そんな慈悲の心があるんだったらもうちっとはポンドをはずんだらどうなんだい」「いやそのっ…・あと3ポンドくらいだったら」「冗談だよばか。フダーハーフェス」「待ってくれ、あんたの名前を教えてくれ」「サンサーンといやあわかるだろ。イスラームのウマイヤ朝に滅ぼされたサーサーン朝の王家の家系なんだよあたしゃあ」

女が行ってしまった後、俺はけちけちせずにもう少し払っておけばよかったか、と悔やんだが、そんな後悔は必要なかった。いつそんな時間があったのか。ウエストポーチに入れておいた現金はそっくり消えていた。幸いトラヴェラーズチェックは無傷で、財布にいれたわずかのポンド札はそのまま残してあった。とりあえず今日の夕食代だけは残しておいてくれたらしい。






ある日スークの石鹸屋を訪ねた俺は、ひどい疲れとともに鈍い胸の痛みを感じた。

「バザールデゴザール、バザールデゴザール、ナオト、俺日本語うまいだろ。アイシテマアス、アイシテマアス、おや、どうも気分が悪そうだな。ドクトルにみせたほうがいいぞ」石鹸職人のバッサムの騒々しさが身にこたえた。

「いや、どこに病院があるかわからないんだ。心配だぜ。パラチフスが直りきってないのかもしれないしな」

「案内してやるぜ、おっとバクシシはいらねえよ。ここから車で10分くらいのアレッポ州立病院だ。今すぐつれていってやる。ガチョーン。イイトモー」

「バッサム、君はだれに日本語を習ったんだ」



バッサムハーラウィーの父親はアレッポがハレブと呼ばれていた頃からこの町に住んでいる。バッサムはここで生まれた。妻のゼイナブはドゥルーズ派イスラム教徒だが彼はアレウィーだ。ゼイナブは二度目の妻で、最初の妻とは子供の問題で離婚した。バッサムに種がないため妻に子供ができないので、妻の実家から無理やり別れさせられたという。「とんでもねえ欠陥商品を売りつけやがって、と親父は相手の父親から言われたらしい」

彼は軽口をたたきすぎる欠点はあるもののまじめな石鹸職人で、父親の後を次いだこの仕事に誇りを持っている。オリーブと月桂樹の油を皮ごと絞り、三日間釜で炊いてから溝に流し込み、2年間熟成させる。

「ナオト、いいことを教えてやろう。いま俺はこの石鹸をおまえの国に卸してるんだ。大きなビジネスさ。正真正銘天然百%のアレッポの石鹸は、人体の脂肪酸に最も近い成分であるところのオレイン酸を大量に含んでいるので、皮膚を荒らすことなく、脂肪酸を補い、お肌の滑らかさを保つのに最適だ。しっとりすべすべぷりんぷりん、コギャルからオバタリアン、キャピキャピヤンママからロウジンリョクの皆さんにいたるまで、アレッポの石鹸は日本女性の味方でーす」どこで覚えたのか今では余り使われなくなった流行日本語を駆使しながら、バッサムはすっかりセールスマンになっていた。



「戦争なんだ、こいつは。カラマンルのやつらへの。奴らの掲げるオルソドクス原理主義、それを黙認するいわゆる世界の良識とやらに対する、俺なりの筋の通し方なのだ」突然バッサムは言った。俺はうろたえた。彼の言葉の意味が理解できなかったのだが、バッサムはそれ以上説明しようとはしなかった。「そのうちいろいろなことがわかってくるだろう。今のおまえは何も知らない」



車はあっという間にアレッポ州立病院の玄関に着いた。

「いいかい、玄関を入って右側に受付がある。そこで受付の男に第一内科のジャミーラ先生をお願いします、というんだ。大丈夫だここは英語が通じるから。俺かい、俺はここで失礼するよ。釜の石鹸の味見に行かなくちゃあならないんだ。いやあほんというとな、アレッポ州の公務員とは折り合いがよくないのさ、じゃあな、マアサラーマ。今夜のイラク対ジャポン戦は見逃すなよ。」



「症状を説明してもらえますか」

第一内科診察室の重々しい机のむこうから涼しげな声がした。思わず息を呑んだ。三日前アレッポ城の地下室で会った不幸な娼婦であった。

サーサーン、いや第一内科のジャミーラ先生は俺のことをまったく覚えていないようだった。そんなはずはないだろうと俺は思った。たった三日前のことなのだ。

「サーサーン、アレッポ城で踊っていたサーサーンだろあんたは」

「そうよ」サーサーンは表情も変えずに言った。「さあそれはおいといて、どこが悪いのかな。わたしはここではダマスカス医科大学で心的外傷後ストレス障害について学んだ精神科医なのよ」白衣の上から黒のショールをかけ、クリーム色のスカーフで髪を隠したサーサーンは、アレッポ城で俺を誘惑したときとは言葉使いも別人のようだった。

「からかってるのかい。そんな詐欺まがいの冗談が通じるのかね、この国では」

「ほんとうのことよ」

「だったらなんで俺みたいな観光客相手に売春なんかしてるんだ」

「お金が必要なのよ、別に珍しいことじゃないわ。それにだれにもやらせるわけじゃあないわ。わたしは母親から習ったベリーダンスでアルバイトしてるだけよ。さあて他の患者さんも待ってるんだから診察を急ぎます」



サーサーンいやジャミーラはレントゲン写真を撮り、脈を調べ、舌の表裏をピンセットでつまんでから言った。

「パラチフスは完全に治ってるわ。栄養失調のため点滴の必要があるわね」そう言って点滴液の入った容器と針のついた管を俺に渡した。「自分でやれというのかい」

「まさか。部屋を出て右に行った突きあたりに点滴室があるわ。そこで看護婦に渡してちょうだい。それから、あなたカメラもってるでしょ。悪いけどそれで看護婦の写真を撮ってあげて。結婚証明用の写真が必要らしいのよ」といって笑った。



シリアでは点滴は一般に手の表面の親指と人差し指の間に注射する。1時間ほどベッドに身を横たえていたが、途中で液が血管を外れたのか、右手はむくんで一回りも大きくなっていた。これがシリア流というものか。しかし俺はパラチフスの再発でなかったことで安堵していた。病院を出てバス停に向かって歩き出した俺に、緑色のプジョーに乗った女が声をかけた。サーサーンだった。






 街に中心にそびえるオスマントルコ時代の時計塔の南に東西に広がるスークには、アーケードの下に1キロほどのメーンストリートが伸び、それと平行して無数の路地が網の目のようにはりめぐらされている。人ごみをかき分けるようにスズキのバイクが走り回り、その横をロバに麻袋を積んだ男が「どけ、すきまをあけろ」などとだみ声で怒鳴りながら歩いている。俺たちは今やアラブの都会では少なくなった昔ながらのオヤジの溜まり場にいた。水タバコをふかした男たちの視線が俺たちに注がれていたが、サーサーンは別に臆する様子もなかった。

「サーサーン、子供の面倒は見なくていいのかい。だいぶ具合が悪そうだったけど」

「子ども?私は独身でこどもはいないわ」

「しかしこの前連れていたあの男の子は」

「あああれ、あれは協会から借りてきたのよ」

「きょうかいだと」

「正確にはアラブ乞食振興協会アレッポ支部。ここに登録すると、乞食業を営む上で必要なさまざまな相談にのってくれるの。どこへ行けば実入りがよく、地元のボスに上納金を払わなくてもすむか。どこのモスクの信者が一番気前がいいか。警察の手薄な場所と時間、住民の同情心を買う身の上話のあれやこれやを、現役を引退した乞食の成功者たちが講師となってあらゆる知識を教えてくれる。もちろん必要な小道具もちゃんと調達してくれるわけ」

サーサーンの話は驚くべきものだった。

「小道具って何だ」

「わたしたちは道行く人に同情心をおこさせ、お金をいただくのだから、それなりの哀れな様子を見せないといけない。それも一目ではっきりとわからなくてはね。それには肉体的な不自由を売り物にするのが一番でしょう。目が見えないとか、手足が不自由だとか。アレッポには実際に体に障害がある乞食もいるけど大半はにせもの。専門家に金を払って障害者にしてもらうわけよ。もちろんメイキャップでそれらしく装うわけだけど、中には本当に手術で腕を切り落としたり、脚を捻じ曲げて歩けなくしたりする場合もある。この専門家は幸福の医者と呼ばれているわ」

「幸福の医者だと」

「乞食はね、アラブやトルコではほんとにもうかるのよ」といってサーサーンはアラビア語新聞の乞食特集の切りぬきをみせた。

新聞記事によると、カイロのナファーディー・アフマドという乞食はエジプトの乞食業界の無冠の帝王として知られており、彼の収入は月にだいたい3000ポンド。これはエジプトの大卒男子の初年度の年収を軽く上回るそうだ。寄付金を与えて乞食を辞めさせようとしたクウェート政府のもとに出頭したある乞食が、今までの収入と同じ金額を保証すればやめるといって月450ディナール要求したとか、バスラの乞食は30万ドル相当の大金を持って銀行に新札と交換にきたとか、そんな記事が満載されていた。

「おわかりかしら。でも踊り子の私は自分の体を傷つけるわけにはいかないでしょう。そこで協会から子どもを斡旋してもらい、夫を戦争でなくした哀れな未亡人を演じるわけよ。ほらこれが未亡人証明書よ」

サーサーンの差し出した茶色の紙切れには『ムハンマド=カビール伍長・1990年1月。イラクアメリカ戦争によりバスラで死亡』と書かれていた。

「しかしあんな重病の子どもを利用するなんてひどすぎると思わないか」

俺は女を買った自分の振る舞いも忘れて言った。

「だからあれもうそなのよ。手足を包帯できつくしばって一日たつと、血行が悪くなって手足がむくむでしょ。そこに上からなつめやしの樹脂を塗り込んだりバターをたらしたりすると、エソをおこしてるようにみえるのよ。ほかにも ハンミョウを塗って包帯で縛っておくと斑点や水泡ができて病気持ちに見せられるとか、肛門に猿の食道を突っ込んで潰瘍にみせるとか、いろいろなテクニックがあるわ」

「なんてことだ。子どもはどうやって調達する。さらってくるのか」

「まさか。子沢山で貧しい家庭の親はこの国にもたくさんいる。そんな親たちが協会に子どもを有料で貸出し、協会はそれを小道具の必要な乞食会員に貸出し、乞食の収入からレンタル料をとるというしくみね。いくらかの上納金といっしょに」

「あきれたね。いったいなんてことだ。そんなことをしてまで金がほしいのか。いったいなぜなんだ」

「サズを買うためよ。それも大量に。占領下のすべての市民に行き渡るほど」



いつのまにかサズを手にしたサーサーンは愛らしい顔立ちから想像できないようなたくましい声で歌い出した。

  



五万の歩兵がわたしのゆくてをはばむ

デルシム砦への道は閉ざされた

女たちはもう踊らない

敵はウルファ山を取り囲んだ

銃を撃ちつづけたので私の腕は疲れてしまった

もうすぐサズを弾けなくなることだろう

一人の少女がラクだと馬を連れて私の前に現れた

彼女の美しさは月の昇らぬ平原を照らした

あーひどく興奮してしまった私の心





「私の故郷はデリスタン。今その名を世界地図の上に認めることはできない。デリスタンは過去幾度も死に、サズの力でよみがえってきた。空気を震わせる振動がわれわれをつなぎとめ、そこにとどまることを許してきた。あの大破局の日までは。」



「わたしが話すことはとても現実離れして聞こえるかもしれない。特に長い間一神教の支配を受けるとともに、民族国家という異常に不自然な線引きになじんでしまった人々は、歴史の記憶からアレウィーの足跡をかき消そうとしている。それが自分たちを形を変えた従属への道に引きずって行くことも知らずに」

「ナオト。あなたはすでに秘密の扉に手をかけた。後戻りはできないようね」

「何のことだ。俺にはよく理解できないが」

「待っていたのよあなたを。この楽器に興味を抱いたあなたは、すでにわたしたちの歴史に関わってしまった。それはあなたの慣れ親しんだ世界からの逸脱を意味する。もう元にもどれないかもしれないのよ」

「アレウィーを知ることは、隠されたあなたを知ること。あなたの人間としての欠落はそこでようやく満たされる」

といってサーサーンはサズを袋にしまいこみ、帰り支度を始めた。



「さようなら、しあわせな牢獄からやってきた、黒い髪の客人よ。あなたはもう二度とここへ戻ってくることはないかもしれないが、わたしはあなたを祝福しましょう。あわれ人の世のキャラバンは過ぎて行く。だからこの一瞬を、わがものとして楽しみなさい、オマルハイヤーム」



さあ一瞬に明日の悲しみを忘れよう

ただひとときのこの人生を捉えよう

あしたこの古びた修道院を出て行ったら

七千年前の旅人と道連れになろう



「話はこれでおわります。私の役目はあなたをこの道の入り口に連れてくることだけ。ここから先はシーメー・カーンが案内してくれるはずよ」といってサーサーンは一枚の地図を渡した。

「アレッポを南下し国境を超えてヨルダンに入り、南に300キロ行きなさい。古代遺跡として有名なペトラ渓谷の東に広がるデルベデル砂漠に住むベドウィンの長老に会うのよ。最初にアカバに行きなさい。アマルディンという名のガイドがラクダに乗せてあなたをそこに連れて行くでしょう」

「待ってくれ。君はさっきおれの欠落した部分がどうのこうのといったがあれはいったいどういうことなんだ」

「あなたは選ばれたのよ。いいえ、いけにえにされたのかもしれない。サズの音色に魅入られたときから、あなたはここに来ることになっていた。文化の違いを超え、われわれはあなたの中に同じ周波数を認めた。世の中にはサズ的人間と非サズ的人間の二通りしかない。奇妙な表現だと思うかもしれないけど、つまりそういうことなのよ」
























































 非公式プロフィール
ペタしてね


藤井良行。

ステージでは海外旅行中に呼ばれていたFUJIを名乗る。もともと小学生の時分より音楽の時間が好きで、ハーモニカで歌謡曲を吹いたり、リコーダーをわざと尺八のような音で吹いたりするのが自慢であった。テレビから時折流れる中近東風のメロディーに惹かれ(マグマ大使など)強い憧れを抱く。


中学に入ると同級生の大半はビートルズかシルヴィバルタンに没頭していたが、全く興味を示さず、ひたすら「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」や「奴らを高く吊るせ」を聴いていた。いまでも自分の音楽のルーツはマカロニウエスタンにあると思っている。


高校時代フォークソングブームに乗ってフォークギターにのめりこみ、弦をかき鳴らす喜びに目覚めるが、やがて音楽的な物足りなさ、小さな個人的な体験ばかりを歌う世界のしみったれた雰囲気にだんだんと嫌気が差し、大学入学とともにクラシックギター教室に通い始める。しかし初めての発表会で、自分の発表曲を含め、演奏されたすべての曲が、先生の演奏を含め退屈でたまらなくなり、どうもこれではなかったのではないか、と疑問を抱く。


そんな折、たまたまラジオから流れてきたマニタスデプラタのフラメンコギターに衝撃を受け、浦和の東権正男フラメンコギター教室に入門。数年の修行ののち市役所を辞めてスペインへ本格修行の旅に出かけるも、途中立ち寄ったトルコのイスタンブールでぼったくりバーに引っかかり、スペイン行きは夢と消える。


バイト生活と旅の繰り返しの数年を経て、いつしか興味は民族楽器へと移行し、シタール、ウードから蛇使いの笛ビーンにいたるまで10種類近くに及ぶ民族楽器あれこれに手を出し、友人の太鼓奏者と組んで小学校の課外授業に招かれての演奏活動をしていたが、音色の美しさや、弾いたときの子どもたちの反応の良さなどから、しだいにサズばかり弾くようになり、気がつけばアマチュアのトルコ音楽グループに参加。


その後、偶然借りたレコードに入っていたトルコ随一のサズ奏者アリフサーの演奏を聴き、比べものにならない自分の演奏レベルのお粗末さにショックを受ける。これは自己流ではどうにもならない、やはりトルコで師に教えを請わねば、と痛感。3年ぶりに、ぼったくりバーのトラウマの残るイスタンブールの土を踏み、現地で師匠を捜し求め、姿勢、楽器の持ち方、調弦、音階練習など全くの基礎からサズ及びトルコ音楽を学び始める。以来17年、華麗な変拍子と微分音を駆使した旋律の美しさのとりことなり、いつしかこの楽器と切っても切れぬ間柄になっていた。いろいろと楽器や音楽の好みの変遷はあったものの、弦をかき鳴らすことによって自分の体と共振する喜びの追求、というテーマは一貫している。


サズの音色は、野性と洗練、くつろぎと神秘、拘束と自由、お祭り騒ぎと聖なる祈りの対極が渾然と混ざり合った豊饒な世界の息吹を感じさせるもので、もはや自分自身安住の地と思っている。

目サズ奏者の藤井です。やっと風も涼しくなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。10月のサズライブ案内をお送りいたします。


10月10日(日)海と炎 ATEŞ VE MAVi

アナトリア それは古代の女神の棲むところ


古代ギリシャの時代より、アナトリアは女神キュベレの土地として知られており、酒の神バッカスはキュベレから不思議な踊りの秘密を伝授されました。山中にこもって歌い踊る女たちの集団には、どんな強力な軍隊もかなわなかったそうです。それはトルコのベリーダンスのルーツかもしれません。


Shala Sahila Vivi (ベリーダンス)

星衛(チェロ) FUJI(サズ) 立岩潤三(パーカッション)


19時開演 投げ銭制

Café MURIWUI 世田谷区祖師谷4-1-22-3F

小田急線祖師谷大蔵駅より北口商店街を徒歩5分

03-5429-2033

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/




10月21日(木)夜を抱きしめながら

月と人魚と変拍子


赤い大きな月に照らされた石畳の街を、海から上がった人魚が、乾いた変拍子でコツコツコツツツツ、と歩いておりました。



Yosma(ベリーダンス)FUJI(サズ) 船原徹矢(パーカッション)

18時半開場 19時半 20時45分 22時の3ステージ入れ替えなし


ノチェーロセット2600円(おつまみ1品+チャージ)ディナーセット3300円(料理1品+チャージ9

ラテンの店ノチェーロ

港区六本木6-7-9 川本ビル地下一階

六本木駅より徒歩3分(イモ洗い坂下る郵便局となり)

ご予約お願いします

03-3401-6801

yo@nochero.com

http://www.nochero.com/



10月29日(金)音の栄養士シリーズ あなたの音、足りてますか

興奮した心、疲れた心、ざわついた心、むなしい心、、、、そんなこころが必要としているのはどんな音?



FUJI(サズ) ゲスト?


19時半開演

杉並区阿佐谷北2-9-5

JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分

1000円(1ドリンクつき)

http://www.geocities.jp/violin_plikkkeenoo/


03-3336-6414



番外編


9月19日(日)イラントルコ音楽

吟遊詩人の夕べ


北川修一(セタールタンブール)FUJI(サズ)船原徹矢(レク フレームドラム ダルブカ)

カフェオリンピコ(麻布十番駅より徒歩7分)

港区元麻布2-11-6

18時開演

2500円(1ドリンクオーダー要)

www.olimpico.jp/

ご予約は090-2919-4188(高橋)


これはなんともおしゃれなお店。デートがてら、いかが?愛の吟遊詩人がお二人の気持ちをつなぎます




























『砂に埋もれた遺書』

 「砂漠霊場ツアーはいきどまり」改題    

                                       

                        

オリエントの寓話



 ある村を吟遊詩人が訪れてみると、井戸の周りに人が集まって何やら興奮して言い争っているのだった。

「とにかくこの土地は先祖代々おれたちのものだ。なんせ二千年のむかしからここに住んでいるのだから」とアルメニア人が言った。

「俺たちは三千年前にこの井戸を発見した。ちゃんとした証拠もある」アッシリア人が言い返した。

「何を言ってるのだ。おれたちの先祖がここにやってきたとき、村は誰のものでもなく、井戸は土に埋もれてとても使える代物じゃあなかった。それをここまで発展させ、人が住めるような環境にしたのはおれたちなんだ」とトルクメンの農民が言った。

「そのあんたらが俺たちを閉め出したんだ。ここは俺たち遊牧民にとって冬の放牧地としてなくてはならないところだったんだ」とクルドの遊牧民は叫んだ。

「この村に法律を作り、行政官を派遣してきたわれわれこそが、村の所有者にふさわしい。現にみんなこうしてトルコ語で話しているではないか」とトルコ人が言うと

「それはあんたらの強制同化政策のせいだ」

「このイスラム改宗者め」といった罵詈雑言が飛び交った。

「まあまあみなさん、争いごとは一休みして、ちょっと音楽でも聞きませんか」

吟遊詩人は肩に担いだ弦楽器をおろして両手に持ちかえ、桜の木の皮を剥いで作った薄いピックを器用に弦の上で滑らせながら歌い始めた。古い民謡だった。その言葉は今では誰も使い手のいない、死滅した言語だったが、村人たちはみんなわかったふりをしていた。そしてしばらくはおとなしく聞き入っていたのだが、ある者の不用意なつぶやきがきっかけとなって、また騒々しいケンカが始まった。

「おれたちの歌だ」

「ばかこけ、おれが小さい頃、かあさんから教わった歌だ」

「なつかしい、これぞギリシャの旋律、ギリシャの民族の歌だ」

「トルコだ、これこそトルコの音楽だ、君はどこの出身だ?アンカラ?それともエスキシェヒール?」

詩人は答えた。

「わたしは何処にも属さない。あえていえば出身地は孤独、故郷はこのサズである」

「おいおい君は知らないかもしれないが、その楽器は本当はバーラマというんだ。われわれトルコ人がその昔中央アジアの平原から運んできた、まさにトルコ民族の魂の結晶なんだよ」トルコ人が感激して言った。

「セタールを爪弾く詩人よ、次はぜひわれわれの詩人ハーフェスの一節を吟じてはもらえないだろうか」ペルシャ人がトルコ人を無視して言った。

「やっぱりテンブールの音はこの村に合うよなあ。おれも昔は仕事の合間に弾いたもんさ。あんたもクルド出身なんだろ」

「ばかいうな、バーラマはトルコ人の魂だ」

「いいからテンブールを貸せ」

「セタールをよこせ」

「ブズーキだ、これはブズーキってんだ」

「わたしにみせろ。これは間違いなくわが民族のコプーズだ。変な名前で呼ぶんじゃない」

とおおぜいの者たちが寄ってたかって詩人の弦楽器をつかみとろうとしたので、ネックは折れ、胴体には孔があき、弦はさんざんにちぎれて壊れてしまった。











世界は鏡なり 心するがよい

この世界のすべては鏡であり

それぞれのかけらの中で

幾百もの太陽が燃え立っているのだぞ

                            (マフムード・シャベスタリー)

彼の心に飢えつけられた悲しみはすべての痛苦を凌駕した

                            (コーニー)

神は人間を作り、悪魔は民族を作った    

                            (ムハンマド・アリ)





イスタンブールの日本料理屋『さよならレストラン』の客引きをしている俺のところに、悲しい知らせがきた。イルハンが銃撃戦で亡くなったという。ここから3000キロのかなたの山の中で、イルハンは昔の吟遊詩人の伝統にのっとり、武器を持つこともなく、サズの力を信じて敵軍の中に入っていった。そして弦をかき鳴らし、歌いながら蜂の巣にされた、という。伝統の力も、無慈悲な近代国家には通じなかったのか。一瞬俺は物置にうち捨てたままの弦もさび付いたサズを思い浮かべた。あれは前線に旅立つ前の晩ジェンギースが俺にあずけたものだ。「おい日本人のツーリストがくるぞ、おまえの出番だ」オーナーのハシムの怒鳴り声がした。 イルハン、おれはやはり外人であることを隠れ蓑にした卑怯者だろうか。君はあの日硝煙と血の匂いのたちこめるテント小屋で、俺に何を言おうとしたのか。「急げよなにやってんだ、早く外に出て客をつかんで来い」「エベットエベットわかりましたよ。ブユルンブユルン日本のかたですか。学生さん?来たばっかりでしょ。靴が真っ白だもんね。どうです、たまには地球の歩き方にも載ってない寄り道はいかが。本場のベリーダンスにコーカサスのジプシー踊りもみられるよ、もちろんぼったくりはなし。チャージと料理が込みでたったの150000000リラだ」





2年前の夏。

アレッポ中央駅から歩いて数分のT.Eロレンスホテルで、俺はシリア入国以来三日目の夜を迎えようとしていた。あいかわらずの下痢と腹痛で出歩くこともままならない。しかし一日二回の薬屋通いを欠かす訳には行かなかった。この国ではパラチフスの注射は薬剤師がやるのだ。もっともトルコでもそうだった。シリア国境の街ヌサイビンで発病した俺は、病院で二週間分の注射針と注射液を買わされ、その町に一軒しかない薬屋で、女の薬剤師に水疱瘡の後の残ったきたない尻を見せねばならなかったのだが、あいにく観光ビザが切れてシリアに追い出されたという訳だ。親切なその薬剤師は、俺のような病んだ旅行者にもっとも必要なアラビア語を教えてくれた。それは「くすりやはどこですか」「尻に注射してください」の二つで、これさえしゃべれれば、まあなんとかなるはずだった。ところが最初に見つけた薬屋はもぐりで営業していたらしく、二度目に行ったときには閉鎖され、ライフルをもった警備員がひまそうに鼻くそをほじくっていた。宿のフロント係のムハンマドに頼んで別の薬屋を探してもらったが、ホテルから歩いて20分もかかるうえ、たっぷりとバクシーシを要求された。下痢と腹痛で、断るどころか値切る気力もなかった。そして、その二度目の薬屋の主人が、イルハン=メネメンジオウルだったのだ。



「イルハンとはモンゴルの有名な藩主の名前でね。つまり僕はモンゴル系遊牧民の末裔で、1936年の戦争で追われてこの国に移住したデリスタン難民のこどもなんだよ」

「戦争って、このあたりは第二次世界大戦のときは中立を保ったり植民地だったりで、ヨーロッパの戦争には関係なかったんじゃあないか。中東戦争でもないし」

まったく当時の俺は無知で、イルハンの故国デリスタンがどこにあるのか、いやそもそもそんな国が中東にあることさえ知らなかった。

「まああまり大きな声では言えないね。俺たちはゲストだから」

「ゲスト?」

「そう。僕みたいな立場のものは、この国に50万人いる。多宗教の世俗国家を国是とするシリアでは一応平等な市民として扱われているとはいえ、イスラム異端派に属する僕らを快く思わない連中も多い、それに」といってイルハンは一瞬口をつぐんだ。そしてやけに陽気な声で言った。

「さあジャポン、君はこの私と助手のどちらに注射を打ってもらいたいのかな。そりゃあもちろん彼女のほうだよな、アイリーン、注射針の用意を」

巡回の守衛のせきばらいがきこえた。

 



俺の容態は日増しによくなっていった。1日二回朝の9時と夕方の5時に、俺はイルハンの薬局に通ったが、あの日以来彼は冗談しか言わないようになった。俺の頭の中を、「イスラム異端派」「1936年戦争」といったことばが駆け巡った。しかしイルハンはバーレーンで開かれていたワールドカップ予選や、最近シリアでも見られるようになったアメリカ製ポルノ番組の話をするばかりで、あの話題を避けているようだった。俺は彼を喜ばせてやろうと、半年前にイスタンブールのチャイ屋でみかけた吟遊詩人のことを話してみた。トルコ人がよくやるように鳥打帽をかぶった初老の男が、柄の長い琵琶のようなみょうちきりんな楽器をかきならしながら、客の喝采を浴びていた。激しいピッキングのせいでつめの跡が無数についた胴体に、糸のように細い弦が張られている。男が弦をかき鳴らすと、一見きゃしゃなその楽器から、大地の咆哮のごとき音の洪水があふれた。

「たしかその男は俺に言ったんだ。デリスタンを追われてここに流れてきた。もう故郷へは帰れない、とな。今思い出したよ」

「ナオト、君は何者なんだ、そんなことをかぎまわってどうする?日本人である君に何の関係があるのか」イルハンは突然血相を変え、会話はそれで絶ちきれてしまった。






その日の早朝、俺はドゥルーズ派巡礼団の大騒ぎで起こされた。巡礼のほとんどは太ったばあさんで、みんな自分の部屋がどこだかわからず、めったやたらに部屋をたたくもんだから、うるさくてドアを開けたおれは思わず日本語で怒鳴りそうになったんだが、善良そうなばあさん相手にけんかするのもはばかられる。まだ朝の4時だというのにしかたなく朝食のスープを出してくれる店をさがしに外へ出たのだが、店はどこも閉っていた。ここにはコンビニだのファミレスなんぞはない。さて空腹のまま部屋に戻ったおれは、なんとなくリュックサックの位置がいつもと違うことに気づいた。妙な気分に襲われてひもといてみると、ない。おれがトルコで買ったカセットテープが全部消えうせていた。なんてこった。だいたいトルコのテープなんぞ国境からさほど遠くないこの街では簡単に手に入るし、現にこのホテルの向かいの雑貨屋の店先には、トルコ随一の人気歌手イブラヒム=タトゥルセスの新曲もののテープが山と積まれて人気を集めている。



「まいったぜ、ムハンマド。盗むんならサニーのコイルヒーターとかヒタツの携帯ラジオとか、カシノの電卓とか、ほかにもありそうなもんだ。トルコ音楽のテープっていうのはそんなにも高く売れるものなのかい」

「まあ高く売れるかどうかは知らないが、ものによってはこの国ではちょっとやばいことになるかもしれんな」

「どういうことだムハンマド」

「おめえがトルコで手に入れたテープてえのはいったいどういう種類の音楽なんだ」

「どういう種類って、実はまだ聴いてないんだよ。なにしろこの一ヶ月間パラチフスに苦しんでいたもんだから」

「誰のテープなんだ、そのくらいわかるだろ」

「んんん、アリアスケリとかいう男の歌手の、まあこんなひょうたんみたいな形をした弦楽器の弾き語りじゃないかな。イスタンブールのチャイ屋で一度だけ生で聴いたことがあるんだ。楽器の名前はよく知らないんだが。どこかなつかしいような哀調があって、かげりのある情熱とでもいうか。なつかしくなって思わず買ってしまったんだけど。そういえばシリアでは見かけない楽器だよな」

ムハンマドは突然奥の部屋に入り、すぐに戻ってきた。

「おめえがみたのはこれか」

「ああ、そうだこれだ。この楽器だ。こんなに近くで見るのは久しぶりだなあ。トルコでは楽器屋の天井からつりさがってるのを窓越しに見ていたけどね。しかしこの国でも演奏されるものとは知らなかったよ。あんたが弾くのかい」

「演奏…かね」ムハンマドの顔が奇妙にゆがんだ。そしてすぐさまその楽器をカウンターの下に隠した。いつのまにか軍人のような制服をきたはげ男がおれの後ろに立っていた。男はムハンマドにアラビア語で何か話した後、おれのほうに向き直って英語でいった。

「シリアの観光省の者ですが、なにか滞在されてご不便なことがありますかなミスター」

「いやあ、何もないよ。従業員はみんな親切だし、シーツもベッドも清潔だ。バスタブはいつでもお湯が出るし、洗面所にちゃんと栓がついてるのもうれしいね」

おれは精一杯愛想をふりまいた。従業員に闇で両替してもらってることや、盗まれたテープのことは言わないほうがいいような気がした。



「シリア情報省SCIAの回し者だ。ほかにも客だの新聞記者をよそおって近づく奴もいるから気をつけたほうがいい」

「気をつけるって何をだ」

「テープのことは誰にも言わんほうがいい。それからアレウィーには関わらんほうが身のためだぞ」

「アレウィー?なんだいそりゃあ」

ムハンマドはしばらく考え込んでから声をひそめて言った。

「あんたならかまわんだろう。今夜アバド地区のモスクでちょっとしたパーティーがある。若い女も大勢来る。やばい橋を渡りたけりゃあついて来な。楽しいライブになりそうだぜ」

ムハンマドはそれきり黙ってしまった。例のはげ男がドア越しにこちらに鋭い視線を送っていたからだ。




軽薄でずるがしこい商売人のムハンマドの、意味ありげな言葉に誘われ、おれは奴にくっついてアバド地区に入った。昔アラビアのロレンスというイギリスのスパイがひいきにしていた植民地風喫茶店が取り壊されてからは、欧米のツーリストがやってくることもなくなった。カラマンルヒッタイト国との戦争の際に受けた空爆の跡が今も生々しいスラム街の一角に、苔むしたモスクは建っていた。

モスクの中は礼拝客でいっぱいだったが、なんとなく他のモスクと違う雰囲気を感じたのは、男女が同じ場所で祈っていたからだろうか。女たちは髪を隠すこともせず、むしろ長い髪を男たちに見せつけるように振り乱しながら、踊りとも祈りともつかぬ動作で腹を小刻みに震わせている。あたりはなつかしい弦楽器の音で満たされ、男たちは「うっ」とか「はあ」と掛け声をだしながら思い思いの格好でゆらゆらと体をゆすっていた。ムハンマドはおれの手を引きながら奥のステージに連れていった。

「やはり来てしまったのかね」演奏の手を止めてイルハンが苦笑した。琵琶のような楽器は、近くで見ると琵琶よりも胴体が膨らんでいて、マンドリンのネック部分を引き伸ばしたような形をしている。

「イルハン、こいつは奴らとは関係ないただのツーリストだ」

「ああわかってるさムハンマド、尻に注射を打ってみればどんな人間でも素性ははっきりするもんさ」そしてイルハンは俺のほうに向き直って言った。

「みてのとおり、これがおれたちゲストの集まりさ。アレウィー、つまりイスラム聖者ハイダルアリを信奉するわれわれは、スンニー派の連中とは同じイスラムでも風習を異にする。たとえば礼拝所はモスクではなくサズデリと呼ぶ。サズとはこの楽器のことだ。デリはきちがい。つまりサズをかき鳴らし、陶酔して狂気すれすれの世界で神と合一する。男と女とで分け隔てすることもない。イスラム正統派からは異端派扱いされているが、実はデリスタンを中心にトルコ、イラン、ザカフカス、モンゴル、チョリスタンなどに散在するわれわれの仲間は二千万はくだらないだろう」

 デリスタンは地図上に存在しない幻の国家、いや国家以前の共同体である。ちなみに手元の世界地図を広げてみれば、デリスタン地方、つまりトルコ、シリア、イラクにはさまれた半砂漠地帯の大部分は、1936年に建国されたカラマンルヒッタイト国の領土となっている。もともとデリスタンには1936年以前からクルド、チュルケズ、アゼリー、アルメニー、トルクメンなどさまざまな民族が住んでいた。砂漠に伝わる伝説によれば、15世紀中ごろカフカスより移り住んだサペラーニーとよばれる行者の一団が、この地にシャーマニズムを持ちこみ、のちに先住民の宗教である東方キリスト教、拝火教、仏教、あるいはキリスト教伝来以前のアナトリアの土着信仰と融合し、音楽と踊りによって神との合一をめざす独特な神秘主義を発達させた。アラブの支配によりイスラムに改宗したもののひそかにそれまでの信仰を持ちつづけた彼らは、そのあまりに情熱的な瞑想儀式と戒律を無視した生活態度のゆえにたびたび迫害を受けるが、彼ら自身はイスラムシーア派の分派であるアレウィー派と称している。アナトリアとメソポタミアを結ぶデリスタンは、カフカス地方と並び16世紀以来オスマン帝国とサファビー朝ペルシャの間でたびたび戦われた領土紛争の舞台のひとつとなったが、貧弱な武力にもかかわらず400年以上も事実上の独立を維持できたのは歴史上の奇跡といわれている。彼らの国家はアシェグとよばれる吟遊詩人の長老を指導者とするゆるやかな部族連合にすぎず、住民の多くはシャーマンと遊牧民、またかなりの数の乞食商人と学者がいた。

「アシェグとは膝の関節を意味する古代ペルシャ語だ。足の骨をつなぐ膝関節がなければ立つことも歩くこともできない。アシェグは人の心と心をつなぐ、話をつなぎ合わせて語り伝える詩人の比喩だった。その後アラブの征服とともに、アラビア語のアーシュクのつづり文字があてられるようになった。アラビア語ではアーシュクは恋で満たされた人を意味するので、いまではわれわれは愛の吟遊詩人と呼ばれている。十字軍の遠征でわれわれの土地を破壊したフランクどもに強制連行された一人のアーシュクが、かの文化不毛の地にサズを奏で即興詩を歌うことを教えた。そもそもわが故郷デリスタンは乾いた土と岩がどこまでも広がる砂漠。森もなく、水も乏しい荒地こそがわが聖地であった。かつてわれわれの部族の多くは藩に仕える遊牧民だったが、その中で特に霊感に秀でたものは、シャーマンとして尊重され、別に集落をつくって住むようになった。砂漠は不毛の大地といわれ、かつては緑豊かな土地であったものが、過度の遊牧によって砂漠化したと言われているが、それは間違いだ。砂漠は、その誕生のときからして砂漠だったのだ。過酷な自然、邪悪の象徴としての太陽、母なる月、死者の乗り物たる星が、われわれにはいかなる壁を設けることも許さない。つまり、家を建て外気と遮断された生活は、われわれの霊感の源泉のひとつである天との交流を絶ち切ってしまうからだ。同様に」

常に言葉を選んで話す冷静なイルハンの口調が重々しくなり、やがて全身を小刻みに振るわせ始めた。ハイダル、ハイダル、という声がまわりに広がり、集まっていた人々はうめき声をあげながらゆっくりと首を振り、肩をゆすり始める。

「とりつかれたんだ」俺の横にいた石鹸職人のバッサムハーレウィーがうめくように言った。この男はシュメール以来4000年の技法を守る百%オリーブオイルの天然石鹸を作っており、最近日本の生協にも卸し始めたらしい。

「一匹の蛇が彼の左耳の穴からはいりこみ、詩人の細胞壁にとりついた。そこからいくつもの蛇が生まれ、やがてすべての細胞をうめつくすと、彼は人でも神でもない何か別の存在となる。ちょうど小麦粉と水を適正な分量で混ぜ合わせればナーンの生地ができるのと同じように」

気がつくと、壇上でイルハンがサズをかき鳴らし歌っていた。

 

ロローロロロー  オオ レイローレイロー ロロロローーー

列をなしてゆく難民の群れ

村は空っぽになり

七つの山を売り渡した領主たちの行方は知れない



美しいぶどう園は荒らされ、悲鳴が心臓をえぐりとおす

泉は枯れつき、もはや永遠に語ることのない舌が

ルビーのように輝いている

あー私が死んでいたら デリスタン



いたたまれぬ悲劇的な感情が空気を振るわせた。集まった人々は200人ほどか。女たちはみな泣いている。多くのものたちが頭に赤いターバンを巻き、立ち上がって踊り始める。楽器の弾き手は次々に交代し、前の奏者の後を受けて物語を続けて行く。



世界中を旅していた私はあるとき廃墟の丘に出会った

わたしは廃墟に『どのくらいの間ここにいたのか』と尋ねた。

廃墟が答えて言うには

「わたしは多くの友を持ち、われわれの村は繁栄していた

むかしわたしはあそこにいたのに、今はここにいる。誰も責めてはならないと神からの命令があった。私に何があったのかをあなたに聞かせよう」



周りの者たちはあるときには陽気に体をくねらせ、性の交わりを思わせるような悩ましい動きに没頭したかと思うと、突然投げ出された死体のようにたちつくし、能のようなかすかな動きとともに瞑想状態に入って行く。あるときには紙を燃やしながらアッラーの名を叫び、あるときは微動だにせず詩人の奏でるサズの音に聞き入ると言う具合だった。いつのまにかトルコの蒸留酒ラクが大きな木のグラスに入れられたまま運ばれてくる。その甘い香りに酔いしいれた俺は、深い眠りに誘われどうやら夢を見ているらしかった。



つづく














































1980年代から印度・中東を主に世界各地を旅する。トルコで弦楽器サズをかきならす吟遊詩人アーシュクに出会い、サズ奏者を志す。しばらく独学ののち我流の限界をさとり、1993年夏イスタンブルに赴く。現役サズ奏者のイルファンオラル、アドナンヴァルヴェレン、ジャフェルユルデュズの各氏に師事し、サズの演奏法の基礎から学ぶ。1994年に帰国し、日本で数少ないサズ奏者としてトルコ大使館関係のイベント、大学、図書館、ライブハウス、カフェなどで演奏を始める。1995年イスタンブルのSHOW TVおよびカナルテレビのニュース番組に出演。1999年トルコ地震チャリティーコンサートのために来日したサズ奏者エンギン=シャファク=ギュルレル氏の指導を受ける。2000年7月毎日新聞多摩版でライブ活動のもようが紹介される。
ソロ演奏に加え、ベリーダンスや舞踏の伴奏、ダルブカやウードなどの伝統楽器との合奏、ナスレッッティンホジャの小話をまじえての語り、結婚式や音楽葬での演奏など、多方面で活動するほか、2006年より放送大学世田谷学習センターの非常勤講師を勤めた。2007年5月24日の読売新聞連載東京ストーリー(都内版)に登場。2010年6月NHK衛星第一のアジアクロスロードに出演。


これまでの主な演奏場所(ライブハウス、カフェ、レストラン 自主企画ライブを除く)

法然院 妙蓮寺 トルコ大使館 東大和公民館 国立公民館 高津区民ホール アートスペースKEIO ひなぎく 湯島天神 田沢湖ビューホテル 上野西洋美術館 明治記念館 さんさんふくし芸術館 府中の森芸術劇場 読売文化センター 放送大学世田谷学習センター 国際教育センター 井の頭画廊 四万十会館 FM西東京 文化服装学園 ヒクメットの会 国分寺市光公民館 樋口一葉一人語り(語り手久保美希子) たまり場うめ吉 福岡アジア美術館 トルコ漫画展 トルコ軍艦遭難追悼イベント(串本町) いけだ画廊 なかのゼロホール ミュージアム東京 川口リリアホール アスベスト館 そばや百丈 日本トルコ文化協会(京都) 並木公民館 名古屋芸術大学 東洋英和女学院 こもれびホール オタンティックカフェバル(イスタンブール) 新山小学校 光明院 スペースN  日本トルコ文化交流会 東京ジャーミー イラン大使館  帝国ホテル ユーラシア旅行社 ニッコウトラベル 沼津西武 調布公民館江東区文化センター 世界旅行博 赤塚公会堂 長岡グランドホテル 南大沢文化会館 一橋大学留学生の会 和光大学オープンカレッジ 外国特派員協会  白龍館 中近東文化センター カフェバグダッド 日本トルコ交流協会 アクティブミドルの会  朝日カルチャーセンター横浜 松の湯ほか

演奏スタイル

サズソロ(演奏と若干の弾き語りが基本・トルコで良く知られたナスレッディンホジャの笑い話など語り中心のステージも可能)
サズ+パーカッション
サズ+パーカッションを基本に、バイオリン、ウード、ネイなどの弦楽器、管楽器を加えた楽団編成(ベリーダンスの伴奏としておこなわれることもある)
サズ+ボーカル(プロ歌手の伴奏)

演奏曲目

ハルク またはテュルキュと呼ばれるトルコ民謡を主体に
若干のアラベスク(アラブ風トルコ歌謡)と古典音楽(サナート)