藤井良行。
ステージでは海外旅行中に呼ばれていたFUJIを名乗る。もともと小学生の時分より音楽の時間が好きで、ハーモニカで歌謡曲を吹いたり、リコーダーをわざと尺八のような音で吹いたりするのが自慢であった。テレビから時折流れる中近東風のメロディーに惹かれ(マグマ大使など)強い憧れを抱く。
中学に入ると同級生の大半はビートルズかシルヴィバルタンに没頭していたが、全く興味を示さず、ひたすら「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」や「奴らを高く吊るせ」を聴いていた。いまでも自分の音楽のルーツはマカロニウエスタンにあると思っている。
高校時代フォークソングブームに乗ってフォークギターにのめりこみ、弦をかき鳴らす喜びに目覚めるが、やがて音楽的な物足りなさ、小さな個人的な体験ばかりを歌う世界のしみったれた雰囲気にだんだんと嫌気が差し、大学入学とともにクラシックギター教室に通い始める。しかし初めての発表会で、自分の発表曲を含め、演奏されたすべての曲が、先生の演奏を含め退屈でたまらなくなり、どうもこれではなかったのではないか、と疑問を抱く。
そんな折、たまたまラジオから流れてきたマニタスデプラタのフラメンコギターに衝撃を受け、浦和の東権正男フラメンコギター教室に入門。数年の修行ののち市役所を辞めてスペインへ本格修行の旅に出かけるも、途中立ち寄ったトルコのイスタンブールでぼったくりバーに引っかかり、スペイン行きは夢と消える。
バイト生活と旅の繰り返しの数年を経て、いつしか興味は民族楽器へと移行し、シタール、ウードから蛇使いの笛ビーンにいたるまで10種類近くに及ぶ民族楽器あれこれに手を出し、友人の太鼓奏者と組んで小学校の課外授業に招かれての演奏活動をしていたが、音色の美しさや、弾いたときの子どもたちの反応の良さなどから、しだいにサズばかり弾くようになり、気がつけばアマチュアのトルコ音楽グループに参加。
その後、偶然借りたレコードに入っていたトルコ随一のサズ奏者アリフサーの演奏を聴き、比べものにならない自分の演奏レベルのお粗末さにショックを受ける。これは自己流ではどうにもならない、やはりトルコで師に教えを請わねば、と痛感。3年ぶりに、ぼったくりバーのトラウマの残るイスタンブールの土を踏み、現地で師匠を捜し求め、姿勢、楽器の持ち方、調弦、音階練習など全くの基礎からサズ及びトルコ音楽を学び始める。以来17年、華麗な変拍子と微分音を駆使した旋律の美しさのとりことなり、いつしかこの楽器と切っても切れぬ間柄になっていた。いろいろと楽器や音楽の好みの変遷はあったものの、弦をかき鳴らすことによって自分の体と共振する喜びの追求、というテーマは一貫している。
サズの音色は、野性と洗練、くつろぎと神秘、拘束と自由、お祭り騒ぎと聖なる祈りの対極が渾然と混ざり合った豊饒な世界の息吹を感じさせるもので、もはや自分自身安住の地と思っている。