8
一面に塩をぶちまけたようなファラフラ砂漠は通称白砂漠とよばれ、白人観光客がジープで乗りつけるサハラ観光の名所となっている。その出発点となるバハレイヤオアシスと違って、俺の滞在するシーワオアシスには民家をそのまま使った雑魚寝の大部屋だけのホテルが一軒きりで、当然俺もその民家に泊まったのだが、主人のサードは気のいい若者で、白砂漠のコプト修道院にすむデルヴィーシュの元へ連れて行ってくれという俺の頼みを、ほとんどただ同然で引き受けてくれた。もっともそのかわりに、彼の母親が編んだラクダの毛の靴下を1ダースも買わされてしまったのだが。
「なあサード、アレウィー派って知ってるかい」
「ああ知ってるよフリーセックスの連中のことだろ」
「フリーセックス?」
「ああ、葬式の日には明かりを消して暗闇で誰かれかまわず乱交する。人肉食いの習慣があって、一人旅のイスラム教徒を殺すんだっておっかあが言ってた」
「なんだって。君の母親はそれを見たのか」
「いやいや言い伝えだよ。とにかくコーランの教えにそむいて酒は飲むし、モスクには行かないし、ラマダン月の断食の義務も果たさない。とんでもない奴らだ。俺の叔父さんはアレウィーひとり殺せば天国の門が開かれるって言ってたよ。もっともエジプトには奴らはいないはずだよ。カラマンル建国の頃にここら辺にも難民キャンプがあったけど、ほとんどがヨーロッパに追い出されちまったはずだ」
世界を旅してきたものは多くの嘘をつく
(ペルシアのことわざ)
サードの荒くれた運転で割れた窓からすさまじいほこりがたたきつけ、白砂漠についた頃には俺たち二人は砂から抜け出した化け物のようだった。俺は彼に明日の朝迎えに来てくれるよう頼んでから、ひとり修道院に入っていった。先ほどの口ぶりから、アレウィーの人間と会わせるのはまずいと感じたのだ。
「待ってたよナオト。伝書鳩がヨルダンからの伝令を運んできたところだ」
「それには何と書いてあるんだ」
「今は言えない。君がわれわれの敵ではないかどうか審査する必要がある」
「なぜ俺を疑うんだ。もともと俺は中東の歴史については何も知らないし、たまたまトルコで聞いたサズの音色が好きで、それを求めて行くうちに成り行きでこうなっちまったんだ。まあ日本にいたときから成り行きまかせの人生だったからね」
「それが怖いのさ。疑うことを知らん君は、ついうっかりわれわれの敵に情報を漏らしかねない。教えてやろう。君をここへ案内した男の父親はエジプト内務省の役人だ。君は奴にアレウィーのことをしゃべった。白砂漠にあるわれわれの拠点もさっそく捜査の対象になるだろう」
「なんてことだ。しかしあんたたちは別にこの国の法律に違反しているわけじゃないだろう。合法的な難民として受け入れられたんだろう。それにあんたたちだって同じイスラム教徒じゃあないか」
「現実は複雑怪奇なんだよ。モスクに行かないからと、われわれをイスラームの仲間とは認めない人々もたくさんいる。原理主義者といわれる連中は特にそうだ。それに君だってカーンから聞いたろう。われわれの祖先がインドからきた偶像崇拝者だってことを」
「もちろんきいた。そこだよ俺が知りたいのは。蛇神や砂漠の精霊を信仰するシャーマンを母にもつ君たちが、なにゆえイスラームを名乗るのか」
「それを語ることこそ、わたしがカーンから受け継いだ使命なのだ」
9
兵を引き連れ行進する、ウルムの地へ
アリーの血をひく廉潔なイマームが訪れる
へりくだり願いを込める御手に
アリーの血をひく廉潔なイマームがやってくる
地は足跡でよごされ
敵の体からは臓物がしたたる
朱と緑をまとった若き戦士
アリーの血をひく廉潔なイマームが訪れる
「12世紀中ごろのカフカースは、ハーンと呼ばれる君主に率いられた遊牧国家の割拠する戦乱の時代だった。そんな時われわれの祖先に真っ先にテントをあてがい、隣人として受け入れたのはタサウーフと呼ばれる行者集団だった。タサウーフはアラビア語で羊毛を着る人を意味する。つまり現世の汚濁を捨てて貧しい羊毛一枚に身を包み、各地を修行して歩く変わり者の一団。今風に言えばイスラム神秘主義者だ。英語風にスーフィーと呼ばれることもある。彼らはイスラームを名乗っているが、正統派の人々、つまり当時のアッバス朝の大多数の一般市民とは信仰の仕方が違っていた。アッラーは天の玉座に座っているのではなく、激しい精神の集中を要する修行によって自分の内側に発見するものなのだ。究極における神との合一。そのためにかれらははるばるイエメンやエチオピアにおもむいて、当時まだ世に知られてなかったコーヒー豆を手に入れた。コーヒー豆を沸かして飲むと目がさえて心は覚醒し、徹夜で修行してもまるで疲れない。世界で最初にコーヒー豆を煎じて飲んだのは、彼らイスラム神秘主義者だった。さて、その修行だが、修行と言う言葉に惑わされないでほしいが、それはまるで堅苦しいところのない実に楽しいものなのだ。「ラーイラッハイルララー」や「アラーフーエクバル」といった祈りの決まり文句ぐらいは君も耳にしたことがあるだろう。1日5回モスクから信徒に礼拝を促す言葉として節をつけて伝えられる、アザーンの文句でもある。神秘主義者はこれをリズミカルに唱え、体をゆすったり手足を振ったりして没我の境地に入って行く。決まった動作などなく、それぞれが祈りの言葉をひたすら唱えながら、心を空にして行く。はじめてこの儀式を見たとき、われわれの祖先は思った。いったいこれが我らを弾圧してきたイスラームなのだろうか。われわれシャーマンの蛇おろしの儀式とまったく同じではないか。サペラーニーは思わずサズを手に取り、神秘主義者の群れに加わって行った。イスラームと偶像信仰の知られざる混交はこうして始まったのだ」
「イスラーム神秘主義者にもいろいろの宗派があったが、サペラーニーを出迎えた行者たちは、イランのホラサン出身の聖者ハジベクターシュを開祖とするベクターシュ教団に属していた。ベクターシュ教団はシーアアリーの人々との親交が深かった。シーアアリー、つまりシーア派は、イスラームの開祖ムハンマドの死後3代続いたカリフ(後継者)の治世を認めない。そして4代目カリフのアリーのみを正当な指導者として認める。これは要するにムハンマドの甥であるアリーのみがムハンマドの血をひいていたからで、しかも彼は預言者の娘ファティマと結婚していた。アリーとその子フサインの虐殺によって天下を取ったウマイア朝にはじまるイスラーム帝国は、イスラムを否定する不正義の輩の集団である。そして、自らはアリーこそ真の指導者と仰ぎ、アリーの血統の者によるいわば賢者の支配に社会正義をたくそうとする。このシーア派のなかにもいろんな宗派があるが、われわれと関わりが深いのは12イマーム派である。つまり、シーア派の人々は現実には国家を作ることはなかったが、アリーの血統の者をイマーム、つまりイスラームの精神的指導者と仰ぎ、帝国に忠誠を誓うスンニー派社会の異分子として、信徒の結束を保ってきた。しかし西暦874年7月24日、第11代イマームが死んだその日に、当時5歳の彼の息子つまり第十二代イマームのムハンマド=イブン=ハッサンは地下室に入ったきり姿を消し、行方不明となる。この幼いイマームは実は死んだのではなくいずこかに隠れているのであり、いずれ救世主マフディとして現世に現れて千年王国を築くであろう。その日がくるまでスンニー派の支配のもとで異邦人として耐え忍ぶのだ。簡単に言えばこれが12イマーム派の思想である。
「アリーから十二代イマームに至る系譜をわれわれの歴史に置きかえてみよう。カラーシュの蛇であった初代ナギーナーからカムラーン、ヴィムラーンと続き、十二代目の幼い娘サマーラはアルダビールでのアラブ軍との戦闘の際に行方不明となり、これ以降長年保たれてきた蛇の血筋は絶え、われわれはサマーラの霊的な復活を待ち望んできた。これが、われわれが必要とする光なのだ。わかるかね。サペラーニーの人々は12イマーム派の経典を自らの歴史に照らして解釈することでイスラーム世界を生き延びるパスポートを手に入れたのだ」
「表向きにはわれわれはイスラームシーア派の一派だと答えることにしている。これはもちろん当局の弾圧を避けるためでもあるが、理由はそれだけではない。われわれが実はイスラームと縁もゆかりもないインドからきた蛇信者だと公言したとしよう。イスラームの発展を快く思わない外部の好戦的な蛮族が、ことさらにわれわれとイスラム体制のあいだに揉め事を起こさせ、その結果民族主義と言うとんでもないお化けにすがる愚か者どものお先棒を担がされる羽目になるのだ。アルメニア人やクルド人からサラエボのモスレム人の運命にいたるまで、歴史はそのことを物語っている」
「こうして12イマーム派の経典によって理論武装したわれわれは、宗教儀式に始めて音楽を持ちこんだために他の部族から一目置かれることとなった。カフカスにはカヴァルという素朴なあし笛のほかに楽器と言うものがまるでなかったのだ。当時この地域は多くの藩主の小国家に分裂していたが、われわれは国境もフリーパスで、許可なく自由に山中を移動することが許された。片手にサズを持つ者は神の使いとして、ときには神そのものとして崇められることもあった。
カフカス人はタタール人、アゼリー人、アルメニア人などの先住民とサペラーニーの混血である。民族などという観念のない時代で、人々は出身部族や宗教、生まれた土地や師事するデルヴィーシュの違いによって人々を分けていた。もっとも神秘主義の儀式においては言葉も宗教の違いもどうでもよいことである。それはムスリムだろうと偶像崇拝者だろうとすべての人間に開かれている。例えばアルメニア人やグルジア人は東方キリスト教会に属していたが、司教の度重なる禁止令にもかかわらず儀式に惹かれてこっそり弟子入りする者が跡を絶たなかった。
サペラーニーの儀式は理性を鍛える光の集会と、感情と本能を発達させる闇の集会に分けられる。光の集会ではデデと呼ばれるサズの名手が壇上に立ち、神にささげる言葉を唱えた後、その日のテーマが決められ、デデの音頭取りで即興詩の掛け合いが行われる。これには誰もが参加しなくてはならず、次々に前の人の詩を引き継いで何事かを語らねばならない。たとえばデデがある参加者に問いを投げかける。愛は地球を救うか、と。彼は即座に答えねばならず、答えられない者はその場を去らねばならない。参加者はほとんどがサズを持っており、問答はすべて唄と旋律によってなされる。革新的な者はデデによって選ばれた旋法のわくをほんのの少しだけ踏み越えたあらたな旋律を提示する。それが大勢の者を感動させることができれば、その旋律に作者の名を冠して呼ばれることになる。これらはいわば理性的な集会で、光の時間と呼ばれている。この後、休憩があり、デデによって参加を許された者だけが、闇の時間に入る。それは一見したところ他の神秘主義と変わらない。アッラーアクバルを唱えサズをかき鳴らしながら次第にゆっくりとした踊りになり、激しい乱舞に至る。ひたすら踊り狂っているうちに蛇の降臨した状態となり、人と蛇が合体し何やら奇妙なことを口走る。ラクとよばれる酒が回し飲みされることもある。闇の時間は人間が限りなく原初の状態に回帰しようとする過程である。この現場では実のところ信仰する宗派も教義も聖典もどうでもいい。蛇信仰も精霊崇拝も一神教も究極においては同じことなんだ。
「しかしあなたがたは愛の吟遊詩人アーシュクと言われている」
「そのとおり。娯楽の少ない時代に、土地に縛られて生きる農民たちはわれわれの語る物語にききほれ、サズのメロディーに合わせて踊るのが唯一の楽しみだった。『アーシュク』とはアラビア語での愛に狂った人を意味するが、イスラム改宗以前の古い時代ぬはアシェグと呼ばれた。膝の間接を意味する古いペルシャ語だ。骨をつなぎ合わせて人を歩けるようにする膝は、さまざまな土地の話をつなぎ合わせて物語を想像するわれわれの象徴だ。それは人と人をつなぐ心の関節である。対立する宗教や部族の争いの調停こそがわれわれの任務だった。仲のよくない領主のもめごとを解決したり、許されぬ恋人同士のために双方の親を説得することが期待された。われわれにはそれだけの権威があった。例えば一本のサズを戦場の只中に置くことで争いをやめさせることさえできたのだ。」
フスヌはチャイを一口すすると、かたわらにあったサズを取り上げ、カフカスの有名な伝説『アスリとケリム』を語り始めた。
「アルメニア人の地主の娘アスリと、ハーンの息子でイスラム教徒のケリムの悲恋物語は今に歌い継がれる傑作で、シェイクスピアのロミオとジュリエットの原作ともいわれる。異教徒同士の恋がタブーとされた時代、アスリの父は娘をケりムと引き離すため一族でその土地を去る。ケリムは命がけでアスリを探す旅に出る。雪深い山で死に直面しながらもアスリとの再会を果たすが、アスリの父親にみつかって逮捕されてしまう。たまたまその地方を訪れた王のためにアスリの父は宴会を開くが、腕のいい吟遊詩人が見つからず、やむなく牢屋に入れられたケリムが招かれる。自分の恋物語を語るケリムに王は同情し、アスリとの結婚を父親に命じる。やむなく結婚式を準備する父親は、のろいのかかった服を花婿に着せる。二度とボタンが外れない服を。ケリムがサズで一曲歌うたびに、のろいは解けてボタンがひとつ外れる。しかし最後のボタンが外れた瞬間、火が吹き出し、ケリムの体は炎に包まれたちまち灰と化す。アスリは40日間泣きはらしたあげく、ケリムの後を追って死ぬ。
「あなたたちの祖先はなぜカフカスを離れたのだ」
「オスマン帝国の蛇捕獲禁止令のためさ。われわれの中のある者ははベクターシュ教団とともにバルカン半島に布教の旅におもむき、残りの者はいまだオスマンの支配の及ばぬ東部アナドルの砂漠地帯に向かう。15世紀のはじめのことだ。
「私の話はこれまでだ。ここから先はまた別の仲間が話すだろう」
「その砂漠地帯とはデリスタンのことなのかね」
「そういうことだ。苦労してわざわざ危険なところに出向いて行ったのはデリスタンが西アジア有数の蛇の産地だったからだ。しかし残念なことにすでにこの地方にもオスマン軍は進出しており、マングース討伐隊によって蛇はとうに全滅させられていたのさ。」
「オスマン帝国はどうしてそんなことをしたんだろう」」
「蛇の皮をはった弦楽器をかき鳴らしながら遊牧をして歩くわれわれに、彼等の理解を超えた狂気を感じたのだ。オスマンのスルタンたちはイスラームの旗の後ろに縫い付けられた蛇の模様をみのがさなかった。早いうちにつぶしておかねば、アナドル人と結託していずれオスマンに歯向かうようになるだろうと思ったのさ。」
「アナドル人というのは」
「アナドル、つまり現在のトルコ共和国のアジア側の半島にキリスト教伝播以前から住んでいた多神教信者の末裔で、蛇の髪を持つ地母神を信じる人々さ。トルコ西部のエーゲ海沿岸地方に住んでいて、彼らの一部はタウロス山脈に自治区を作り、ゼイベキアスというゲリラ部隊を組織してオスマン軍に抵抗を続けていた。」
オスマン時代のアナドルの民衆反乱のほとんどは西部ではゼイベキアス、東部ではわれわれの先祖が関わっている。それは異教的信仰とイスラム正統派の対立と言うだけではない。定住化政策を進める国家による遊牧ネットワークの解体とそれに対する抵抗。君は想像できるかね、遊牧民が都市の家で暮らすことは牢獄の禁固刑に等しく、血液の腐る病気によって数年で死んでしまうのだ。これはまた別の者が話すだろうがね」
「別の者っていったい誰なんだ」
「イラン北西部のウルミエ湖の東、タブリーズのアゼリー人街にあるゴッズホテルを訪ねたまえ。ホテルの支配人のジェンギース=エルデムがこの続きを話して聞かせるだろう。ここからタブリーズは遠い。まずカイロに戻り、明日の早朝のバスでシナイ半島を横断してアカバに着く。そこから船で紅海、アデン湾、アラビア海を抜けてホルムズ海峡に到着。ケシム島からイラン本土に渡り、ザグロス山脈にそってバスで北上。ケルマンシャーの先にタブリーズの町がある。うまくいけば2週間後にはジェンギースに会えるだろう。さあ友よ、行きなさい。そのまえにひとつ面白い場所に案内しよう。サズの工房だ。わたしはサズを大量に作ってデリスタンに運ぶ計画を立てているんだ。その計画の一部を君に教えよう」
選ぶなら酒場の舞い男カランダルの道がよい
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子ひとすじに
酒を飲め、君、つまらぬことを言わぬがよい。
(オマル・ハイヤーム)
どうやら俺はめんどうな問題に巻きこまれつつある。琵琶とマンドリンを合わせたような楽器にたまたま関心を持った暇な男にとっては、すこぶる厄介な問題に。ほこりっぽい荒野を驀進するバスの中で、羊飼いの一団と赤肌の岸壁群、それに第三次中東戦争の際に破壊されたエジプト軍の戦車の残骸を眺めながら、俺は昨夜フスヌに案内された洞窟の光景を思い出していた。おびただしい数のサズが出陣のときを待っていた。フスヌはその中の一本を手に取り俺に言ったのだ。
「これを持っていけ友よ。つらい旅をさせるのだ。この木と鉄のすみずみにまで熱砂と暴風と寒気を染み込ませるのだ。そして君はいずれアララトのふもとに住むデデを訪ねることになる。彼は君にサズの用い方のすべてを教えるだろう。その日まで耐えて行け」
つづく