『砂に埋もれた遺書』その5 アルジェリア生まれの女子大生はオクシタンの悲劇を物語る | サズ奏者 FUJIのブログ

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遺書

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「アナドルの東の奥深く、エルジス山脈に囲まれた湖のほとりに、エムラーという若者が住んでいた。父はあたりでは有名な吟遊詩人であった。エルジシュ城の新しい藩主ミルオウルベイの歓迎の宴に招かれた父ユスフは、謝って弦を切り、宴席を台無しにした罪で両目をつぶされ、ヴァンの王に売られてしまう。復讐を誓うエムラーは名うての吟遊詩人と偽り、長官お抱えの詩人とのサズ対決に挑むが、機転の利いた詩句の一つも口にできず、袋叩きに去れて帰ってくる。エムラーはエルジスの山のふもとに父の残した馬を連れて行き、不老不死の水を与え、自らもそれを口にする。やがて夢の中でふしぎな老人が現れ、緑色の茶碗に入った緑色のワインを飲むように命ずる。「一杯は創造の神のために、もう一杯は40人の聖者のために、最後の一杯は藩主の娘セルヴィハンのために」と言って姿を消した。夢からさめた彼はサズを持って城に出かけて行く。彼は藩主に言う。「すべての吟遊詩人と即興詩の掛け合いにきた」エムラーがサズに指を触れただけで語る言葉は次々とあふれ、誰も彼の言葉に答えられなかった。エムラーはセルヴィハンと結婚した」。



「そうじゃないわ。あなたの話はエルジシュに伝わるエムラーとサルヴィハンの恋物語と、キョロウル伝説を混同してるわ」

突然砂の中から女が現れた。

「君は確かデリスタン砂漠でシーメーカーンのテントにいた、ああなんて言ったかな、チョコレートの好きな、そうだ君はたしかネスリーンといったっけ」

「ネスリーン・マレキ。23歳。アルジェリア移民の二世でフランス国籍。今はアカバ大学の学生よ」

「何を勉強してるのかな」

「中世ヨーロッパにおける少数民族にムスリム詩人が与えた影響について」





ぶらぶらと来る私のガゼル

言ってくれ この黒い目が見る 君の恋人は誰

君が気がかりで 心乱れてしまった

言ってくれ、楽しい話し手 君の恋人は誰



それはなに?

「セルヴィハンとはじめてあったときエムラーが歌ったの。それを聴いてセルヴィイハンは彼が夢で見たエムラーと知り、二人は果樹園で逢引を重ねるようになる。

でも彼女には嫉妬深い二人の兄がいて、すぐに彼女を別荘に閉じ込めてしまうの。その間エムラーは藩主のそばを離れることを許されなかった。やがてイランのアッバス王がエルジシュ城を手に入れるため大群を率いて遠征する。王の兵士たちは セルヴィハンの別荘に踏み込み彼女はとらわれて王の元へ。王は一目で彼女を気に入り、さっそく結婚の準備が始まる。セルヴィハンが連れ去られたことを知ったエムラーは、彼女を探して旅に出、道で出会った鶴に消息を尋ねるのです」



移動して行く 私たちのキャラバン

一群となり  群群に分かれた鶴よ

もしその道筋で セルヴィハンにあったなら

私の胸は悲しみで 穴が開いたと伝えよ 鶴よ



やがて彼は王が彼女をイスファハンに連れて行ったことを知り、イランへの道をたどる。そしてセルヴィハンを取り戻すため、王のアーシュクとの歌合戦にのぞむというわけ。

このあと、まだいろいろな困難があるのだけど、最後に二人は結ばれるのよ。それから、キョルオウルについてだけど、キョルオウルとはトルコ語でめくらの息子と言う意味。もともとはオスマン帝国のイラン遠征に参加したある兵士キョルオウルをたたえた唄なのだけど、それがいつからかボルベイという悪代官に両目を突き刺された馬飼いのユスフの息子の復讐物語になったのね。ボルベイに馬を献上にきたユスフは、その馬がとても弱々しいのに腹を立てたボルベイによって、めくらに去れてしまう。息子キョルオウルは、その病弱な馬を二年間飼いつづけ、やがて堂々たる灰色のアラブ馬に成長する。十五歳のある日父の復讐を誓った彼は、ビンギョルの山の不老不死の水を馬に飲ませ、自分も飲んだ。



ヘいへイ みなの者私の挨拶をボルベイに伝えよ

出陣してその山によりかかれと

馬のいななき 矢のうなりは

山びこととなって 響き渡るに違いない



ヘイヘイ みなの者

キョロウルは落ちぬか その名声から

多くの兵士が去る 戦場から

灰色の馬の吹く泡 敵が流す血

わがまわりに満ち

シャルワルを濡らすに違いない





「そのサズは何処で手に入れたの」

「フスヌアスランと言う人から預かってるんだ。エジプト西部のリビア国境に近いシーワオアシスで彼に会った。彼の工房を見せてもらったよ。カラマンルヒッタイト国にサズ百万本を密輸する計画があるそうだ。俺はこのサズを持って旅をし、アララト山のデデに合ってサズの奏法を伝授されるのだ」

「とてもうれしそうね、でもそれは演奏技術の習得というわけではないのよ。あなたはサズと、いやアレウィーと運命を共にするように命じられた。5年前の私と同じように」

混じりけにない白い砂漠が突然途切れ、おだやかなアカバ湾が二人の前にあった。十人ほどの娘たちが車座になり、真中の娘のたたくダルブカの軽快なリズムに合わせて歌っている。

5年前パリのジダン銀行のOLだった私は、ある日フランス語をまったく話せないお客の応対をすることになった。もちろんその人はアルジェリアやコソボの移民じゃなくてフランス国籍を持ったフランス人だけど、彼女の話す言葉はフランス語とまったく違った言葉なのに、なぜか私にはとても懐かしかったの。そのことが気になってしょうがなかった。ある日出張先の南フランスのラングドッグという街のバーで男友達と飲んでいた私は隣に座った夫婦が話しているのを聞いてしまったの。銀行の窓口で耳にした懐かしい異国語を」

「いろいろと調べて行くうちに、フランス人の三分の一は母語としてフランス語とは別の言葉を話しているのだとわかったわ」

「フランスの中南部の中央高地を区切りに、はっきりとした言語の境界線がある。北で話されてるのはロマンス語の流れを汲むフランス語だけど南の諸州、ガスコーニュ、リムザン、オーベルニュ、ラングドク、プロバンス、ドーフィネ、さらにサヴォアの一部で話されてるのはオック語で、フランス語とはまったく違う。かつてはオック語はフランス全土で使われていて、フランス南部はオクシタンと呼ばれ、学問や芸術の中心地として栄えていた。中でもプロヴァンスにはトルヴァドールと呼ばれる吟遊詩人が現れ、それまで英雄叙事詩しか知らなかったヨーロッパに恋愛賛美の優雅な抒情詩を広めたことで有名だけど、彼らは実はカフカスやアナドルの吟遊詩人アーシュクのもとで弾き語りを学んだ。アラブとヨーロッパが出会うはるか昔からアーシュクたちは地中海を越えて南フランスにやってきていたし、十字軍遠征に出てアナドルの各地に住みつき、アーシュクに入門してサズを学んだ多くのプロヴァンス人が故郷にサズと共に愛の弾き語りを伝えたこともある。だけどサズと一緒にイスラムの信仰が入って来ることになって、困ったのはローマ教会です。なぜなら当時のローマ教皇の腐敗に怒った南フランスの民衆の間では教会の支配を脱して清貧の理想を掲げたカタリ派による宗教運動が起こっていて、その中心地ラングドッグでこの運動を煽っていたのはアナドル帰りの吟遊詩人たちだったから。もちろん運動はキリスト教の改革を求めていたのだけど、聖職者の権威を認めず神との直接の合一を求める運動は、イスラムの影響の表れと言えるわ。中でも中心都市アレビでは教会の典礼がサズ詩人によってのっとられ、歌と踊りの乱痴気騒ぎと化すという事件が頻発していた。

「頭が混乱してきたよ。そんな話は聞いた事もない。よくできた小説の筋書きを聞いてるようだ」

「どういうこと?」

「つまりぼくの植えつけられてきたヨーロッパの、いやフランスのイメージが崩れて行くようだ」

「イメージが歴史を捻じ曲げてゆくのよ。でもそれは解体することができる」

ネスリーンはヴェールを取り、なめらかな髪をかきあげながら話しつづけた。



「ローマ教皇はラングドックに特使を派遣するのだけど、逆に農民たちに殺されてしまう。フランス統合をもくろむ北部のフランス王国はこのときを待っていた。すぐさま教皇イノケンティウス三世に十字軍の派遣を申し出る。こうして1209年から1229年まで二十年にわたるアレビ征服戦争の結果、南仏は壊滅してフランスに併合され、フランス語がオック語に取って代わるようになる。多くの吟遊詩人が殺され、亡命した。愛の歌声は絶え、文化も芸術もイスラム色を一掃するという名目で、とことん破壊された。アレビのキリスト教改革運動はその後イタリアから海を渡ってボスニアに入り、カトリックにも正教にも属さない独立派協会を牙城に生き延びる。でも二度とフランスにサズが響き渡る日は来なかった。

「この後のフランスの歴史的テーマは一貫して少数言語の抹殺で、フランス革命こそがその総仕上げだった。18世紀のフランスの人口2200万のうちの1200万のフランス後を話せない人々に、フランス語という国家の言葉を強制し、フランス人という民族意識を意図的に作り出すことだった。そこには当然生まれながらに母親からフランス語を身につけた人たち、つまり北部のフランス人と、フランス語を国家の言葉として強制される南フランスや、東西の国境周辺に住む少数民族の間に差別を作り出す。オクシタン語、フラマン語、カタルーニャ語、アルザス語などの少数言語は、フランス語とは別個の言葉なのだけど、今やフランス国家によってフランス語の方言とされてしまった。わかるかしら。彼らの言葉はいやしい乳しぼりや靴屋や売春婦の話す、教養のない崩れた方言として、国家の矯正の対象になる訳よ。小学校では方言札による統制が行われた。正しいフランス語以外の言葉をしゃべった生徒は首に方言札をかけられ、彼は次に同じ間違いをしでかす者を見つけない限り永遠に罰から逃れられない、という残酷なゲームのことよ。あなたの国でもその昔に似たようなことがあったと聞いたわ」

海辺では相変わらず娘たちが楽しげに歌い、太鼓のたたき手は次々に交代して行く。ヴェールも身につけていない華やいだ女たちの宴を、遠巻きに男たちが見守っている。

「フランスは言語に関する限り、ヨーロッパでもっとも無神経で野蛮な国のひとつです。でも最近やっと自分の国の中に、方言でなく独自の言語を話す人がいることを認めた。でもいまだにそれを認めてない国もある。フランス革命をお手本にして近代化を進めたトルコ共和国よ」



「言葉って奴はもっともわかりやすい文化だからね。俺みたいに均質な国で育ったものは、日本で外国語が話されているのに出会うと、なんとなく落ち着かなくなる。例えば電車の中で外国人の集団が話していることにさえ、当惑してしまうことがある。それがおそらく、差別感情の源なんだろうな。そこには日本にいる人間は日本語をしゃべるべきだといった、あまりに素朴な国家意識があるのかもしれない」

「そうよ。日本だけじゃないわ。第1次大戦後のオスマン帝国とオーストリアハンガリー帝国の崩壊以来、地球上のすべての国家はとても偏狭なものになってしまった。それはかならず統一されたひとつの言葉、つまり国語を必要とする。誰もが同じ言葉を話さなくてはならない。たとえばあなたの国ではかつて侵略された民族は、アイヌなどほんの一部を除いては日本語に同化されてしまった。母親たちが自分の言葉を捨て、支配者の言語を子どもに伝えた結果、侵略され滅ぼされたと言う記憶そのものが永遠に消えてしまった。でもフランスでは800年にわたる同化政策にもかかわらずいまだに25%のフランス国民がフランス語以外の言葉で生活しているのよ。これは驚くべきことだわ」

「ネスリーン、君はどうしてここにいる。アレウィーに関わっているのはなぜだ」

「私の母はボスニアからきた。八百年前に故郷を追われたアレビの改革派は、カトリックと正教の草刈場となったボスニアで、アナドルからやってきたイスラム神秘主義の布教団と出会う」

「つまり君は」

「アレウィーなの私も」



さあおまえを連れて行くぞ 小娘のうちに

さもないと きっと後悔する

どこかの別の男に嫁いで

ゆりかごをゆする羽目になるのだ



夜の砂漠はおよそ地球離れした景観を見せる。黒い大地のはるかかなたの底から照らされた白い光が、やがて大地を縁取り、天空に産み落とされて行くそのさまは、生命の誕生を思わせる。一瞬にして星の輝きはを消え、砂地に銀色の無数の破片が散らばる。俺たちはアフガニスタン製のマントにくるまりながらオレンジとナツメヤシを食べていた。砂漠は何もかもが月明かりのせいで青かった。ネスリーンの薄絹の下のやわらかな肉体に触れようとした瞬間、彼女は消えて、俺の膝の上には蛇が座っていた。



つづく