サズ奏者 FUJIのブログ -14ページ目

サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

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戦争状態にある民族国家ほどテロ性の強い勢力はない

(リチャード・ルービンスタイン)

ドウバヤジットに着いたときは冬だった。かなり近い距離にアララットがみえたが、それはまるで空中に浮かんでいるようで、不思議な霊気がこの町全体に降り注いでいるように感じた。何処を歩いても、山に見られているような気がした。カセットテープを山積みにしたテープ屋が、あたりかまわず大音響でクルド人の歌を流している。屋台の張り紙に『永遠の青春スターブルハンチャチャンのクルド語オリジナル新発売!売ってるのはここだけ』と書いてある。イスタンブールで大人気のスター歌手はクルド人だったのだ。『マンカファツーリズム』は客もなく、ひっそりとした店内で数人の男がチャイを飲みながら、たんたんとバックギャモンを続けていた。そのうちのひとりが俺に挨拶した。

「ひまなんだよ。政府軍とPKKの戦闘が始まって以来、クルド地域に観光バスで行く馬鹿はいない」アイテキンは眠そうな目をこすった。

「あんたのことは聞いてるよ。いよいよあの計画がスタートしたってわけか。とりあえず飯でも食いながら話そうや。クルド名物の羊の焼肉を食わせてやるよ。イランにはろくな食いもんはなかったろ」

アイテキンアタシュは四十を少し過ぎたクルド人で、ドルムシュの運転手と観光ガイドを兼ねている。

「この街の住民は100%クルド人さ。トルコのやつらはおれたちをPKKクルド労働者党のスパイ扱いしている。酔っ払った兵隊が装甲車の上から毎晩のように威嚇射撃をかけるのさ。あいつらも同じクルド人なんだから、もう救いがねえ。この店のカベはごらんのとおり穴だらけだが、何処の店もおんなじだ」

俺はアイテキンに自分のこれまでの旅のあらましを語り、タブリーズで聴いた話の続きを促した。しばらく沈黙が続いた。突然店の外で銃声が下かと思うと、ぱらぱらと激しい雨がたたきつけるような連続音が聞こえた、「おい、身を伏せろ、またやつらだ」誰かの大声が聞こえた。

「イサクパシャ宮殿に行ったことがあるか。中世のクルド王の宮廷で、この街一番の観光名所だ。俺のドルムシュで案内する。料金は要らない」

森の中にひっそりとたたずむ宮殿は、5キロ先で行われている殺戮の愚かさを静かに哀れむように建っていた。

「俺のオヤジはカラマンル建国で追い出された難民で、自由デリスタン運動のリーダーだった祖父はカラマンル軍に殺された。オヤジはデリスタンへの帰還を夢見て死んだが、俺は今ではPKKのメンバーとしてクルディスタン解放運動に関わる身だ。つまり、立場が違うんだ。しかしとりあえずあんたの要望に応じて、話の続きをきかせよう。

村よ 村よ 村よ 村よ

村は今年も緑になった

なぜなくのだ なぜすすり泣くのだ

誰がおまえをぶったのだ

なぜ俺に言わないのだ

「デリスタン人は音楽によって宗教と言語の違いが反目の原因にならないような社会を作り上げていた。音楽や、歌や舞踊は人間が分裂する以前の原初の記憶を呼び覚ますのだ。民族の違いなど後世のでっちあげさ。ひとつ例をあげよう。デリスタンの北にあったトレビゾンド帝国はビザンチン帝国の親戚みたいな国で、ギリシャ人皇帝によって治められていたが、ここにはギリシャ系の人やラーズ人が住んでいた。彼らに共通する文化といえば、ハムーシという魚が飛び跳ねるさまを表現した快活な踊りとケメンチェの超絶技巧だ。15世紀にオスマン帝国によってほろぼされて以降、イスラム文化との同化が進んだが、ギリシャの独立とトルコ共和国の出現ですべてがおかしくなった。人々は宗教や言語でことさらに差別しあうようになり、例のトルコギリシャ住民交換で、ギリシャ系はみなテッサロニキやバツウミに追放された。だが彼らはどこへ行ってもハムーシの踊りを忘れることはない。宗教上ギリシャ共和国に属しているが、故郷はエーゲ海ではなく黒海だと言う真実を、踊りに反応する彼らの肉体が証明してしまったのだから」

19世紀のデリスタンにはヨーロッパから新しい風が吹き始めていた。オスマン帝国との対決を通してヨーロッパ意識を持つようになった西洋は、ことさらにオスマン内部の国際色への憎悪をあらわにして行った。オスマントルコという名前がたぶんあんたたちの目くらましに一役買っているのだろうが、この国は決してトルコ人の国ではなかったんだ。いやそもそもトルコ人という概念そのものがヨーロッパに対抗するための苦し紛れの発明品だった。13世紀に中央アジアから出現したオスマン朝は、バルカンの美女との結婚によって血筋としてはほとんどギリシャ人やスラブ人となっていた。一方広大な領土に住むアラブ人やアルメニア人やクルド人などさまざまな異民族が通婚を繰り返すうちに、支配的な言語であるトルコ語を話す者が増えて行く。もともとトルコ語を話す人々はトルクメン、カラマン、アゼリー、テュルケズ、タタールなどそれぞれの部族意識を持っていて、トルコ系であってもトルコ人ではなかった。フランス人やスペイン人やイタリア人がラテン系といわれてもラテン人という単一の民族が存在しないようにだ。

「ところがこうしたあいまいさは国民国家の時代にあっては役に立たないどころか有害だ。オスマン帝国の領土に目がくらんだ西洋人たちはなんとしても帝国を分裂させ、小国を乱立させたうえで傀儡国家として操ろうとした」

1815年ベルサイユ宮殿におけるヨーロッパ十字軍首脳会議

「まずはギリシャの独立だ。西洋が軍を送って援助するための効果的なキャッチフレーズがないだろうか」

「異教徒に蹂躙されたコンスタンチノープルをヨーロッパに取り戻そうというのはどうだ」

「いやそれはまずい。ビザンチン帝国をつくったのはギリシャ人だが、彼らの正教とわがローマカトリックはあまり仲がよくない。あまり知られていないことだが、メフメット二世によってコンスタンチノープルが攻め落とされるまえに、実はおれたち第四回十字軍がビザンチン帝国を破壊し尽くしてしまったのだから。古傷が再発して大変なことになるぞ」

「そもそもギリシャが西洋の仲間だという設定そのものに無理があるのではないか。シシカバブやムサカを食ってアイランやラク飲んでる連中はどこからみてもアジア人だ。そもそも宗教の違いを別としてトルコ人とギリシャ人をどう区別したらよいのか。カトリックのドイツ人とプロテスタントのドイツ人を別の民族扱いするようなものだ」

「それをいってはおしまいだ。いいか、これは戦争なんだ。この戦争はどうしても野蛮なイスラムに対する西洋文明の戦いと位置付ける必要がある。無理やりにでもアテネやサロニカの市民に武器を持たせなくてはならないのだ」

ヨーロッパ聖戦機構の首脳が一堂に会しての作戦会議は、なかなか結論が出なかった。アングロサクソン帝国の首相がおずおずと発言を求めた。

「どうでしょうみなさん、ソクラテスもプラトンもみんな怒ってる、というのは」

「なんだいそりゃあ、ソクラテスって誰だ」

大フランス国の大統領だけが感心したように言った。

「いいところに目をつけたぞジョージ、俺たちヨーロッパ人が仲間でいられるのはキリスト教だけでなく、ギリシャローマ精神こそが俺たちの民族的ルーツに他ならない、という確信のゆえである」

「しかし史実としては、ギリシャの合理主義的哲学と科学はビザンチンに逆らったネストリウスの一派によってペルシアに全部持ち去られ、ペルシアからアラブに渡って完成し、われわれの祖先はアラブからルネッサンスを教えていただいたと言う・…

「アラブのベドウィンどもにアリストテレスが理解できたというのか君は」

「しかしこれは歴史的な事実で」

「歴史などほうり捨てておけ、今は戦争なんだ。とにかく俺たちの師はギリシャなんだ、決してアラブなんかじゃない」

「しかしギリシャの学問芸術がキリスト教に反し人間の自由な理性を尊重しすぎていると言う理由で禁止したのは、ほかならぬ中世のギリシャ人だったのですよ。今やキリスト教の中でも原理主義の正教に属する彼らが、多神教時代のギリシャにアイデンティティーを持つなんて考えられません。現に彼らの大半が自分たちをルーム、つまりローマ人だと称している」

「そこを何とかするんだ。学者や詩人を動員してキャンペーンを張れ。オスマン軍を挑発してエーゲ海の島で住民大量虐殺のひとつでも起こさせればしめたものだ。その虐殺の実態を詩人が嘆き、画家が描く。こんなキャッチコピーはどうかね。「俺たちの故郷で、ソクラテスの子どもたちが死んで行く」

こんな風にして無理やり民族意識を持たせられた人々は、次々に独立して行った。モンゴル来襲につながる古い蛮族の記憶が呼び覚まされ、トルコ人と称せられる人のほとんどが、言語をトルコ語に変えイスラムに改宗したギリシャ人やアルメニア人アッシリア人であることなど誰も覚えていなかった。いや同じ民族であれば、近親憎悪はより深かった。

「まずはバルカンのキリスト教圏をイスラムの宗教弾圧から守ると言う名目で全部独立させる。後は東部アナドルをどう分割するかだが」

「アルメニア、クルド、アッシリアが独立を求めています。それぞれ昔からアナドルに住んでおり、アルメニア、アッシリアはかつて古代王国を築きました。中央アジアの蛮族どもに虐げられた忍従の歴史キャンペーンを張り、スルタンを東からかく乱しましょう」

「そいつはいい考えだ。ところで適当な煽動者はいないのか。たとえば詩人バイロンががギリシャ独立を煽ったように、民衆をたきつけるなんらかのオルグが必要ではな いか」

「アナドルには古くからアーシュクという吟遊詩人がいて庶民相手に英雄伝説や恋物語をサズという弦楽器を弾きながら語り聞かせる習慣があるようです」

こうして、アーシュクの中にはヨーロッパ聖戦機構からの補助金によりスパイとなり、懐柔され、民族主義を鼓舞する歌を広める者も出てきた。古代の統一国家の栄光の日々が語られ、異民族の支配のもとでの苦難の歳月が語られる。

西洋の武力攻勢の前に窮地に立ったオスマン帝国の内部でもまた、青年トルコ人と称する一派が台頭してきた。西洋に留学経験を持つ軍人たちは、今やヨーロッパの国家の強さの秘密を知ったのだ。ひとつの民族でひとつの国家をつくる。民族とは共通の言語と文化の共同意識であり、団結心に満ちた求心力だ。ひるがえって帝国の現状は、100を超える言語が話され、かってきままな村の伝承をふりかざす無数の部族のよせ集まりではないか。なんとかヨーロッパに負けないような統一化された民族国家をつくらねばならない、と彼らは考えた。ところが、オスマン帝国には民族はいなかったのだ。

困ったものだ。この国には民族がいない。民族が存在しないのだから、民族意識を持ちようがないのは当たり前だ。

この国はオスマントルコと呼ばれてはいるが、トルコとはトルコ語を話すアナドルの田舎者の総称で、そもそもトルコ語といっても現在トルコ共和国で使われているような統一されたものではない。同じインドヨーロッパ語でもヒンディー語とフランス語がまったく違うように、トルコ語も共通の語源を持つおおまかな言語集団にすぎない。彼らはまず第一にイスラム教徒であり、次にトルクメン人、アブダル人、バシキール人、タタール人で、しいて言えば遊牧トルコ系諸民族だった。トルコ人などという言葉はラテン人、漢字人、インドヨーロッパ人などと同じく実体のない幻想であった。一方で、トルコ系でない言語の話し手、とくにアルメニア人とアッシリア人ははやくから民族意識を持つようになって行く。ムスリム指導のもとでの平和を屈辱と考える思想がはびこり、ギリシアやセルビアの成功が独立への勇気を鼓舞する。オスマン帝国の領土分割をもくろむロシアとイギリスが、影で独立運動を煽っていた。アルメニアの背後にロシアが、アッシリアの背後にはイギリスがいた。一方同じイスラム教徒のクルド人は、歴史上統一国家を形成したことがなく、常にペルシアとオスマンの間の陣取り合戦に利用されてきた。古くからクルド人の抵抗に手を焼いたオスマン帝国は、この頑固で勇猛な部族をペルシアとの国境紛争に利用してきたが、16世紀にサファビー朝が登場してからは、クルド人の中にもシーア派信仰が広がり、デリスタン独立運動の一翼を担うようになる。オスマン政府はその弾圧にスンニー派クルド人の部隊を利用したため、クルド人社会に深刻な亀裂が生まれた。シーア派クルドにはサファビー朝が武器を援助し、現在まで続くクルドゲームの原型がつくられたのだ。

「それで東部アナドルではアルメニアとアッシリアの独立運動が起こったときにクルド人はオスマン側についたのか」

「クルド人の貧困につけこみ、アッシリア人を追い出せばそこがおまえたちの土地になる、とささやいたのさ。折りしも東からは帝政ロシアの支配を逃れてチェチェン難民が、西からはバルカン諸国の独立で粛清の恐怖にかられた多くのトルコ人が殺到し、アナトリアの土地をめぐる小競り合いが頻発していた。やがて村ごとにハマディア騎兵隊なるものが組織され、アルメニア人討伐命令が下る。当初この策謀に加わるクルド人はほとんどいなかった。アルメニア人とクルド人は何世紀もの間、宗教の違いを超えて共存してきた仲間であった。賢明な者は、キリスト教徒を追放した後にオスマンの銃口がクルド人に向けられることを知っていたからだ。しかしオスマン軍への協力を拒んだ村が爆撃されるにいたってやむなくこの討伐に参加し、ほどなくアルメニア人のほとんどがアナドルから追放される。その過程で起こったのが二百万人のアルメニア人大虐殺だ。こうして東部アナドルのほとんどの土地を手にしたクルド人は、しかしやがてトルコ民族主義によって第二のアルメニアの道をたどる。」

「そもそもトルコ人が存在しなかったオスマン帝国に、どうやってトルコ民族主義なるものがうまれたのだろう」

「青年トルコ運動の指導者エンベルパシャは、イスラム改宗以前のトルコ系民族のご先祖を統一のシンボルとして担ぎ出した。現在トルコ共和国の国是となっているトルコ中央アジア渡来説だ。トルコ人の先祖はかつてバイカル湖の南に住む遊牧民で、西に移動してヨーロッパにいたり、オスマン帝国を誕生させた。トルコ系民族の連帯が叫ばれ、灰色の狼がトルコのシンボルとなる。トルコ人の最初の祖先が狼の血を引くという伝説にのっとったものだ。」

「しかしオスマンの支配者たちは700年の混血によって実は異民族化していたのではないか」

「そのとおり、支配者だけではない。ほとんどのトルコ人は先住民との混血によって雑種化している。トルコ人とは先住民であるギリシャ人やペルシャ人やクルド人やアルメニア人のうちで、トルコ系民族と混血し、言語と宗教を受け入れた者のことだ。つまりアナドルではトルコ系民族そのものが混血の産物なのだ。しかしあたかも中央アジア渡来の純血トルコ人の末裔であるがごとくに幻想をもち始めた彼らは、オスマン帝国領内にはトルコ人しか住んでおらず、また住んでいてはいけないと確信するようになる。さらにエンベルパシャはすべてのトルコ系民族による統一国家をめざし、中央アジアに兵を進める。彼の妄想の中では日本人やハンガリー人もトルコ人なのだ。」

「しかしそれはまさにヨーロッパのわなにはまったことではないか」

「しかり。ヨーロッパの連中からすれば、オスマン帝国自らが中央アジアの蛮族の国であることを認めてくれたのだから、オスマン帝国を文明のヨーロッパから切り離すのにもはや何の遠慮も要らない。やつらはしょせんキリスト教世界の破壊者であり、バルカンからの駆逐はトルコ人を本来の故郷に帰してやるだけのことだ。話は変わるが21世紀の今日、バルカンの多くの国で、イスラム教徒の多くはキリスト教徒と同じスラブ系であるにもかかわらず、トルコ人と呼ばれている。セルビアのスナイパーたちは、中央アジアの砂漠に帰れと叫びつつサラエボ市民を殺したが、それは当時のヨーロッパの植民地主義者が考えていたこととまったく同じだ。」

「つまりオスマン帝国の住民が実はヨーロッパ人の血をひいていることがばれてしまってはまずいので、これを無理やり好戦的なアジアの遊牧民の純血種とみなし十字軍意識を高め、一方オスマンの側でも列強に侵略される恐怖から、祖国防衛のイデオロギーとしてトルコ民族主義を採用するに至った」

1598年トルコ東部エルズルム拘置所における

       死刑囚と看守の会話



ピルスルタンアブダルは獄中にあって落胆の思いを隠すことができなかった。すでに一週間食べ物も水も与えられていなかった。だが彼の戦闘意欲をなえさせたのはそのことではなかった。彼を絞首刑にしようとしているのはかつてかれがサズの愛弟子として目をかけてやった男である。だがそのことでもなかった。彼が民衆の希望の象徴と信じ、そのために戦ってきた同士であるはずのイランの王シャーイスマイルの裏切りによってであった。

「俺は甘かった。イランの王はイエメンの砂漠で俺に語った。弱肉強食の野蛮な欲望に歯止めをかけ、人間のわずかな善意を束ねて、慈愛と正義による平等な社会を作ろう。権力者がイスラムをかくれみのにほしいままの略奪を働き、イスラム法の権威ある有識者がシャリーアを自分たちの既得権益を守るためのみに使用する、こんな不正義への怒りと涙に報いるために、共にアナドル解放のために立ち上がろう。あの熱い弁舌はどこへいってしまったのか」

16世紀に何度となく繰り返されたオスマントルコとサファビー朝ペルシアの戦争。ピルにとってそれはアナドルをオスマン支配から解放するためのものだったが、シャーはカフカス領有の見かえりにデリスタンをオスマントルコに売り渡したのだった。実はシャーは最初からアナトル奪取のためピルスルタンとデリスタン遊牧民の宗教的情熱を利用しただけだった。そして戦勝のあかつきにはわずかな褒美を与えた上、サファビー朝のケルマンシャー州と合併するつもりだった。しかしピルの考えがシャーへの服属でなくデリスタン独立であることを知り、オスマンとの取引材料にすることにしたのだ。

「支配者からの自由と解放。なんというきこえのよい言葉か。しかし歴史上解放のための戦いが、まともな人間たちによって勝ち取られたためしはない。戦いはつねによこしまな利口者によってその成果をもぎとられ、また新たな監獄が作られるだけだ。」

ピルがはじめて反オスマンの戦いに参加したのは1514年のことである。誕生したばかりのサファビー朝の革命の輸出を怖れたセリム一世は、タブリーズ進撃に際して後方の守りを固めると称してシーア派の住民を片っ端から殺戮した。ピルの恋人のメリアムもそのときに死んだ。

「そして俺は復讐のためにシーア派に入門した。生死をかけた戦いに望まねばならないとき、男は必ず大義を必要とする。無意味に死ぬことは耐えがたいのだ。大義のない戦士は単なる殺人嗜好者であり、強姦魔以外にはありえない。だが、実は大義はシーア派信仰でなくともよかった。21世紀日本にいきる読者諸君は活字と言葉の中毒者だから、俺とシーア派信仰をイコールでつなぎ、そこにターバンを巻いて口ひげを生やした、諸君から見て見るからにおどろおどろしい異形のアラブ人のイメージをあてはめる。そいつはほとんど瞬時に行われる情報操作だ。しかもまったく無意識にね」

「ピル先生よ、誰に向かって話してるんだ。処刑は明日の早朝だ。今夜はぐっすり寝たらどうだ。革命の戦士らしく身なりを整える時間も必要じゃないか」

看守がとがめて言った。

「ご親切様。俺は今21世紀の日本人に語りかけているのさ。まったくあいつらときたら、書物にしろテレヴィジョンにしろ作り物だと言う前提がすっぽり抜け落ちて、頭から信じ込んじまうイノセントな連中だからなあ」

「よくわからんが、その日本人というのは黒海のラズ人の親戚かね。ラズ人と同席するのはごめんだね。なぜってあいつらの言葉が俺にはわからないからだよ」

「なんだ君はまるで日本人みたいな考えの持ち主だなあ看守君。さて日本人の諸君、例えば君はオスマントルコといいサファヴィー朝というとき、当然ながら君たちの言語を使うわけだ。だが、16世紀のアナドルではそれらは当然違う言葉で呼ばれていた。つまり君らが想像もできない言葉で名づけられていたその現場の空気感を、君はまったく感じることができない。わかりやすい例をあげよう。オスマントルコという日本語で君が呼ぶその国を、当時のアナドルの住民はローマと呼んでいたんだ。それから、西洋文明発祥の地ギリシャと君の口からよどみなくすらすらと口をついて出る安っぽい広告のキャッチフレーズについてだが、少なくとも18世紀以前そんなことを口走る人は間違いなく精神病院送りになっていたろう。なぜなら多神教時代に栄えたギリシャの学問はキリスト教徒となったギリシャ人によって禁じられ、ゾロアスター教のペルシアとそれを滅ぼしたイスラームのアラブ人によってそっくり受け継がれ、発展したのだから。つまり学問の発達を尊重したのはキリスト教社会ではなく、偏狭な原理主義と見られているイスラームのほうだった。当然21世紀のギリシャ国はビザンチンと後世呼ばれるようになったローマ帝国の子孫なので、西洋文明ではなく西洋から決別した東洋キリスト世界の後継者というべきだ。では西洋文明の子孫とは誰か、われわれさ」」

「しかしピル先生、未来のギリシャ人たちはよく言ってますよ。オスマンの圧制に500年間も苦しめられた恨みは今でも忘れないって。セルビアやブルガリアでもそうですよ。」

「そうだ、問題はそれだよ。オスマン帝国500年の圧制、といま君がよどみなく語るとき、君の頭は実は何も考えていない。広告のキャッチフレーズさ。だれかがある特定の効果を狙って作った広告。言うまでもなくそれは人を殺し合いに導くための言葉だ」

「するてえとなんですかい、オスマン帝国は悪いこともしたがいいこともたくさんしたではないか、そういえばいいんですかい」

「違う違う。いいかね、過去の総体的評価などだれもできやしない。ある言葉と言葉を対立させる、その作為に気づくべきだ。オスマン対ギリシャ、トルコ対ロシア、アジア対ヨーロッパ、なんでもいいがこうした対立軸の設定のやりかたそのものの暴力性を疑えと言ってるんだ。つまり、対立しているかに見えるオスマンとギリシャがおなじだったらどうする?アジアとヨーロッパが同じものだったら?いやそもそもイスラムとキリスト教が地下水脈でつながった兄弟だとしたら」

「先生、何を言ってるんですかい。死刑の恐怖できがふれちまったとしかいいようがない。イスラムとキリスト教が同じ、オスマンとギリシャが同じ、アジアとヨーロッパが同じものだなんて、いくらなんでも無茶だ」

「そうかね、そもそもギリシャなんて言葉は今日誰も使ってない。それは未来に作られた造語だ。ササン朝がユスキュダルを占領し、コンスタンチノープルのローマ帝国を攻めたとき、どちらもアジア対ヨーロッパの戦いなどと考えもしなかった。どちらの側にも異教徒の傭兵がいたし、どちらも同じようなものだった。これが重要だ。イスラム教対キリスト教。この対立軸も問題だ。あたりまえのことだが宗教は人間の属性のごく一部なんだ。たとえイスラム教のように聖も俗もなく生活すべてを律する、だとか、いわれていても、主観的にどう思っていようと人間の行動のすべての動機が宗教だなんてことは絶対にありえないのだ。聖戦の背後には別のもくろみがある。そもそもがイスラムと戦争をリンクするイメージ操作の虚構を疑わなくてはね。例えばキリスト教の特集と称してインディオ集団虐殺の再現フィルムや、KKKの夜の集会や、黒人の子どもを寝かせて足の裏を暖めている強欲なくわえタバコの白人農場主の映像を、休むまもなく流しつづけるテレビ番組を想像してみたまえ。なんと偏った編集だ、これはひどすぎる、キリスト教のごく一部しか表していないあまりに偏った宣伝だ。誰でもそう思うだろう。しかしイスラムという記号に対しては同じことが毎日にように行われているのだ。そしてそれがあまりにもあたりまえのことなので誰も不思議に思わない」





「ピルスルタンアブダルは16世紀のアレウィー派神秘主義詩人で、デリスタンの西のはずれのシワスで生まれ、死刑に処せられた。実は史実として明らかなのはそれだけなのだ。しかし彼の残した膨大な詩はいまもデリスタン人の心を捉えて話さない。

「結局のところオスマンとサファヴィの戦争は宮廷の面子をかけた王と王のたたかいだった。宗教は領土獲得のためのかくれみの、民衆をすすんで戦場に行かせるための大義名分に過ぎなかった。シーア派もスンニー派もイスラム教徒であることには何の違いもない。たまたまスンニー派が政治権力と結託したために私服を肥しためにいけにえの異端を必要とした。異端派は経済的に貧しいまま捨て置かれ、その怨念からますます異端としての自覚を強めて行く。正統派は必ず異端を必要とするのだ。彼らは自分の地位が危なくなったとき民衆を異端粛清に動員することで効果的なガス抜きを行う。ピルスルタンアブダルは地中に埋められたままスンニー派の村人たちから石を浴び半死半生になるまで棒で殴られたあと、引きずり出されて縛り首になった。この記憶が今日に至るまでシーア派の復讐心をさらにかきたてる。シーア派が支配した地域では逆のことが起こったろう。



16世紀に世界のあちこちでほぼ同時に起こった反乱。

東部アナドルデリスタン州のシーア派をかかげたオスマン帝国からの独立戦争

トロス山脈の義賊集団アイフェイのイズミール州庁舎占領と二百日間の支配

南フランスラングドック州アレビ市のオック語回復運動

グラナダ大司教によるサンブラ禁止令に端を発するアルバイシンでのアラブ人キリスト教徒モリスコの反乱



ピルスルタンが73人の仲間と共にオスマン打倒の戦いに立ち上がったとき、彼は世界各地の反乱軍と連携していた。デリスタンのアーシュク、アイフェイのゼイベキウス、南仏のトルヴァドール、そしてアラビックスペインの伝統を守る改宗モーロ人たち。物乞いに身をやつした吟遊詩人たちが諸国を行き来し、革命の進捗状況を報告し会った。記録文書のたぐいはなく、すべては音楽と詩によって記憶に刻まれた。このため、彼にまつわるすべての物語は、伝承者のおぼろげな言い伝えによるほかはないのだがね」





「俺たちの英雄ピルスルタンアブダルの伝説は、早くからイラン領となりデリスタンと切り離されたアゼルバイジャンには、不思議にもまったく伝わっていない。この街で彼を知る人間などまずひとりもいない。ピルを捨て駒にしたサファビー朝の為政者たちによって封じ込められたとしか思えない。オスマントルコとの戦争に敗れてからはサファビー朝もオスマンを見習って歩兵中心の近代的軍隊に切り替えたので、遊牧民の反乱を鼓舞した男の歌など、かえって有害なものになったのだろう」

「ピルスルタンによるデリスタン独立戦争はついえたが、その後もイスタンブル政府がデリスタンの自治を許したことはひとつの美しい奇跡だ。その理由は二つある。五万人の吟遊詩人部隊が、オスマントルコ各地で剣やペストより恐ろしい毒歌を広める可能性を恐れたことがひとつ。かつて人々は言霊を信じ、死者の霊に通ずる吟遊詩人がひとたび不吉な歌を広めれば、災いは必ず実現すると考えられていたのさ。もうひとつはかつての同志ベクターシュ教団の布教活動によって皇帝の親衛隊イエニチェリの中に入信者が続出し、アレウィー派住民に銃を向けることを拒否するようになったこと。ベクターシュ教団の布教活動があと1年少し早ければ、デリスタン独立運動が成功した可能性もある。



「僕の話はこれでおわる。オスマン帝国末期から現代に至るデリスタン現代史は、トルコの東の玄関口ドウバヤジットの観光ガイドアイテキン・アタシュに聞いてくれ。バスターミナル横の旅行代理店『マンカファツーリズム』へ行けば彼の居場所がわかるだろう」
























みなさまあけましておめでとうございます。サズ奏者の藤井です。本年も皆様方にとって良い年でありますようお祈りいたします。


さて1月のサズライブの追加です。

1月27日(木) 音の栄養士 新しい音の始まりです

19時半開演


名曲喫茶ヴィオロン

FUJI(サズ 唄 解説)

1000円(1ドリンク付き)これは安い!

杉並区阿佐ヶ谷北2-9-5

阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分


03-3336-6414


http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/











1月6日(木)春を呼ぶベリーダンス~トルコ音楽のしらべにのせて~


凝縮された生命が濃密な大人のときを醸し出す

アイリッシュパブがイスタンブールのメイハネに早変わり


Izumi(ベリーダンス) Yomi(ベリーダンス)

FUJI(サズ)平井ペタシ陽一(パーカッション)

20時半開演  投げ銭

OBrien,s Irish Pub

東横線日吉駅徒歩3分

ご予約とお問い合わせはお店にどうぞ

045-563-5460

info@obrienshiyoshi.com

http://www.obrienshiyoshi.com/


1月10日(月祝)



成人の日にちょっと妖しいプレゼント

イスタンブール発 行先不明

それは官能と孤高に彩られた弦魔術。あなたの細胞直撃だア。


太田惠資(ヴァイオリン)× FUJI(サズ)=?


19時開演 投げ銭

Café Muriwui

世田谷区祖師ヶ谷4-1-22-3F

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅より北口商店街を徒歩7分

03-5429-2033

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/


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六本木アークヒルズカフェにてベリーダンス


お洒落なスペースで一年をスタート まさに開運のべりーダンス


19:3020:30~2ステージ

KIKI(ベリーダンス)FUJI(サズ)平井ペタシ陽一(パーカッション)


1月22日(土)

PTC project いよいよ始動

西横浜の風が自由を運んでくる  よどんだ心にいい空気を入れましょう


西横浜 BAR EL PUENTE

(相鉄線西横浜駅徒歩3分)


http://www.myspace.com/barelpuente


 1900開場2000開演

charge \2500


saz  FUJI

violin  及川景子

drum  平井ペタシ陽一


1月28日(金)イーチャンとカレーとトルコ音楽と


毎月最終金曜日の夜は立川で過ごしませんか


E-chan(ベリーダンス)FUJI(サズ)テディ熊谷(サクセロ フルート)

伊藤アツ志(パーカッション)


19時半 21時 2ステージ


チャージなし ご注文をお願いします

良い席を確保するためご予約を

042-523-0410

www.mayur.jp


本格インドレストラン マユール

(中央線 南武線立川駅北口徒歩5分)





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「お客さん、終点だよ」

運転手に起こされ、気がつくとバスはタブリーズに着いていた。地図もなければ言葉もわからない。この街はイラン領とはいえかつてのアゼルバイジャン自治共和国の首都で、昔も今も住民のほとんどはトルコ系のアゼリー人だ。しかし俺の目にはトルコの街とはずいぶん雰囲気が違うように見える。それに人々の話している言葉は俺のなじんだトルコ語よりはおだやかで優美な感じがするのでペルシア語と聞き間違えたほどだ。。ゴッズホテルはイラン各地へのバスの発着所の近くの、チャイハネの隣にあった。イスラム圏なのにゴッズ、つまり神々のホテルとは妙な気がする。


「よお日本人、サズ持ってるね。弾けるのかい。アーシュクベイセルやピルスルタンアブダルの歌は歌えるかい。ハラキリやエンコーの唄でもいいよ」

ゴッズホテルの支配人ジェンギス・エルデムは陽気な男だった。


私は病の人 心が痛む

このメッセージを 鶴よ早く彼女に届けて送れ

異国の地のみじめに見捨てられた男に  鶴よ うたっておくれ


「吟遊詩人が東部アナドルに登場したのは、チンゲーネつまりジプシーがレコンキスタでスペインを追われたムスリムの後を埋めるようにしてアンダルシアに入ったのと同じ15世紀のことだ。彼らの宗教儀式はシャーマニズムそのものに見えたので、音楽を禁ずるイスラーム正統派の住民たちからはデリ、つまり気の狂った者とよばれ、彼らの住む地域はデリスタン、狂人の土地とよばれるようになった。もちろんそれは蔑称だが、彼ら自身その名に誇りを持っていた。またアナドル移民後のかれらの信仰は次第にアリーへの聖者崇拝色を強め、シーア派でなくアレウィー派(アリー崇拝者)と呼ばれるようになったが、これは、異なった名称によって互いの異質性を際立たせることで、イランのシーア派と団結するのを防ぐためのスルタンの策略でもあった。

当時東部アナドルにはトルコ系遊牧民族の小さな国家が乱立し、空白の土地と呼ばれたデリスタンは、その緩衝地帯となっていた。そこにはトルクメン、アルメニア、クルドを中心に多数の民族が住んでいたが、国家らしきものはなく、優れた百人の吟遊詩人を中心とする世界の吟遊詩人のセンターであった。そこには偶像崇拝者を含めあらゆる宗教の博物館であったが、中東と言えば宗教戦争をイメージしてしまうあなたがたにはデリスタンの日常は奇跡としか思えないかもしれない。イスラム教徒がアルメニア人の結婚式に招かれ、スンニー派とシーア派の村が合同でラクダの綱引き大会を開いて楽しみ、トルクメンとクルドはいくさのけりがつかないときは即興詩の大会を開いて勝敗を決めた。人々の間を共通言語として媒介するサズが、共通した文化の基盤であり、寛容の精神の母体だった。

この時代、サズの楽器構造にも大きな変化があった。もはや蛇皮を張ることが不可能になったため、やむなく木をくりぬいたり、寄木細工で作られた。そのボディーの形はとぐろを巻いた蛇をデフォルメしたもので、木胴の裏側にひそかに蛇神の描かれたが、当局に見つかったときの言い逃れのため、コーランの一節を記した装飾スタイルのアラビア文字にもみえる代物だった。

デリスタン地方はクルディスタンとメソポタミアの間の、アフガニスタンに似た峻厳な山と岩だらけの砂漠の一帯で、人々の多くは遊牧で暮らすが、唯一のオアシス都市デルシムはかつてのコマゲネ王国の首都で、キリスト教時代から多くの修行僧の道場として栄えた所だ。ここには異端派キリスト教徒やスペインから追放された逃れたユダヤ人、カリフから死刑宣告を受けたスーフィーらが一種の隠れ家としていた。そのためこの街にはユダヤ教やギリシャ哲学、神秘主義思想、アラブ音楽、仏教などさまざまな文化が融合し、無国籍の自由世界を形成していた。忘れてならないのはアナドルの土着信仰であるメドゥーサ崇拝者たちで、オスマンの圧制を逃れた彼らはデルシムの自由の中で信仰を保つことができた。他人の悪意の視線をはねかえすお守りとして、トルコ全土のみやげ物やで売られているあの青い眼のガラス玉が、メドゥーサ崇拝者のお守りだとは、たぶん君も知らないだろう。この自由にかげりがさしたのが16世紀。イランにサファビー朝が成立し、シーア派を国教にしたときから始まる。東ヨーロッパを手中に収めたオスマントルコ帝国は、それまで宗教的にはいたって寛容だったのだが、バルカンのキリスト教文化にのっとられてしまう焦りを感じたのか、突然イスラムのスンニー派の盟主の看板を掲げ始める。標的となったのがサファビー朝さ。遊牧民の軍事力によって成立したオスマントルコは遊牧民をすでに必要としなくなっていた。戦争の主役はバルカンのキリスト教徒の子どもをイスラムに改宗させ、宮廷で育て上げたスルタン直属の歩兵軍団イエニチェリである。遊牧民はもはや国家の支え手ではなく、税金を搾り取る対象に過ぎなくなった。支配者たちはより確実な徴税の方法をめぐって悪知恵をしぼり、東部アナドルに土地所有制度を導入した。つまりもともと部族の共有地であった土地を、部族の指導者に安い金で買わせたのだ。目的は金ではなかった。部族の指導者を土地の所有者にし、部族民を小作農にして土地に縛り付けるのがねらいだった。その効果はすぐに現れた。族長は自分の土地から収益を上げるのに躍起になり、一方自由で頑固なやり方を通してきた遊牧民たちは、今までの自分の土地で奴隷扱いされることに我慢がでならず、指導者に武力で反抗し始める。土地所有の味をしめた族長はもはや部族のリーダーとして尊敬されることはなく、オスマン帝国の忠実な下僕になりさがり、イスタンブールに逃亡して不在地主と化した。部族の紐帯はまったく失われて伝統的な遊牧民社会はばらばらになり、食い詰めた小作人は放浪者となってアナドルの各地で山賊集団を形成するに至る。


そんな時代に、アゼルバイジャンのタブリーズにシーア派政権が誕生する。当時は両国の国境はあいまいで、アナドルとアセルバイジャンの間を人々は自由に行き来していた。カフカスからやってきたデリスタン人にとってはアゼルバイジャンこそ懐かしい故国であり、オスマンよりもむしろサファビー朝のシャーイスマイルを自分たちの盟主として仰ぐようになる。クルドの名高い吟遊詩人であったシャーイスマイルは、肥沃なアナドルをオスマンから奪うために住民感情を利用しようと考え、、多くの美しい詩歌を伝令のアーシュクに託してデリスタンに伝えた。彼にはとっておきの秘策があった。正式な典礼としての蛇信仰の奨励。蛇捕獲禁止令の撤廃。この二つである。





寒くなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。12月のサズライブ案内&特別ライブ案内です。

12月4日(土)スルタンキングス

サズ+サックス+パーカッションで盛り上がろう

伊藤アツ志(パーカッション) テディ熊谷(サックス フルート) FUJI(サズ)

21時半 22時半

浦安イーグル

047-350-1196

浦安市猫実4-21-12フローリッシュ21 1F

12月8日(水)幻花の舞  夜の果て 狂おしく

Jamila Mika(ベリーダンス) FUJI(サズ) 立岩潤三(パーカッション)

18時半開場 19時半 20時45分 22時の3ステージ入れ替えなし

おつまみセット2600円(おつまみ一品+チャージ)

ディナーセット3300円(料理一品+チャージ)ドリンク別

ラテンの店ノチェーロ

港区六本木6-7-9川本ビルB

地下鉄六本木駅徒歩3分

03-3401-6801

座席に限りがございますので必ず予約をお願いします

yo@nochero.com

http://www.nochero/com/

12月18日(土)ベリーダンスとトルコ音楽

タカダアキコ(ベリーダンス) FUJI(サズ)平井ペタシ陽一(パーカッション)

20時開演

2000円

ペルシャレストランSHURU(大宮)

http://www.geocities.jp/shuru_kami/

12月19日(日) Roman havası

  Turkish Gipsy Music Bellydance

MILLA / べリーダンス 

  演奏 / アフメット伊藤とザ・スルタンキングス

  アフメット伊藤 ダルブッカ/ヴォーカル

    Fuji教授  サズ/ヴォーカル 

   テディ熊谷 サクセロ/フルート

  open 12:00pm9:00pm start 7:00pm

Show Charge 投げ銭♪ (入れ替え無し 2ステージ)

c a f e M U R I W U I

03-5429-2033 世田谷区祖師ケ谷大蔵 4-1-22-3F

(小田急線祖師ヶ谷大蔵駅徒歩5分)

12月24日(金)Belly dance Night

音楽、ダンス、美味で誘うアラビアンナイトの世界

マユールクリスマスディナー・イブ

Echan(ベリーダンス) テディ熊谷(サクセロフルート) FUJI(サズ)

伊藤アツ志(パーカッション)

19時半 21時

ご予約受付中 042-523-0410(マユール)

3500円

インドレストラン マユール(立川)

www.mayur.jp

12月26日(日)ただ、好きだから

くにたちサズ教室第二回発表会

国立サズ教室の皆さん+FUJI

18時半開演

名曲喫茶ヴィオロン

杉並区阿佐ヶ谷北2-9-5

JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分

1000円(1ドリンクつき)

03-3336-6414(ヴィオロン)

http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/

http://ameblo/jp/mankafa

12/27() 「愛の枕木交換」再び?!

open 19:30 / start 20:00

瀬戸信行 clarinet

FUJI saz

ノミヤタカコ darbukka

小松崎千月  bellydance

「ターキッシュキャバレーユニットのつもりが、

すでにジャンルを時空を超越してしまったトリオ(名無し)による

年末の枕木交換会」

(小松崎千月さんブログより)

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料金:投げ銭(終演後:別途バーチャージ500円+ドリンク代)

渋谷Bar Isshee080-3289-6913

http://isshee.at.webry.info/


そして、特別ライブ

2011年1月10日(月祝)

成人の日にちょっと妖しいプレゼント

イスタンブール発、行先不明

その音はどこからあらわれ、どこに消えてゆくのか。あらゆる境界を一瞬に飛び越え、レッテルを張って安心しようとする常識を翻弄するかのように、浮遊、乱舞しつつ細胞を直撃する、音、音、音。。。。官能と孤高に彩られた弦魔術の世界へ

太田恵資(ヴァイオリン)×FUJI(サズ)=?

Café Muriwui

世田谷区祖師谷4-1-22-3F

小田急線祖師谷大蔵駅徒歩5分

03-5429-2033

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/

今年最後のライブです。ぜひおいでください。なおこのようなメールをご希望でない方は恐れ入りますが、このまま返信してください。

このたびサズソロライブのお知らせです。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

11月28日(日)19時半

サズの光と影

アナトリアを駆け抜けた異端者たち


名曲喫茶ヴィオロン

FUJI(サズ 唄 解説)

1000円(1ドリンク付き)

杉並区阿佐ヶ谷北2-9-5

阿佐ヶ谷駅北口徒歩7分


03-3336-6414


http://www.geocities.jp/violon_plikkkeenoo/






11月27日(土)音の栄養士スペシャルさらにおいしくなりました歌う、こする、はじく、、、、、栄養満点の特別音メニュウできびしい冬に備えましょう FUJI(サズ) 花井尚美(ヴォーカル) 星衛(チェロ)


変更↓

20時半開場21時開演


1000円(1ドリンクつき)名曲喫茶ヴィオロン JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分 03-3336-6414 http://www.geocities.jp/violin_plikkkeenoo/