サズ奏者 FUJIのブログ -13ページ目

サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

夢のあとの夢





うまれることのなかった子らの深い霧の中から

美しき砂漠の幻影 虚無に立つ一条の光

漆黒の大地をあぶりだす白い闇の情念よ

果実は青く包まれ びちゃびちゃと音を立てながら

歯軋りを繰り返す

ざらついた苦悩が皮膚に食い込み

さそりはいつものように 夢の卵を産みつける

いくたびか産み落とされ 虚空の中に失われた

何万年分の廃墟 不機嫌な孤影の国の人間よ





1. 戦場の司令官    済州島


突然女たちの悲鳴がしたかと思うと、いつものように現場は流血と呪詛と憎悪の雄たけびに包まれた。済州島の誇るソギポリゾートビーチもまた、奴らの標的になった。これで海の向こうの四つの島にミサイルをぶちこもうという威勢のいい連中が、ますます気勢をあげることになる。

「予想していたことでしたな」

朝鮮タイムス記者の金正哲が皮肉な笑いを浮かべた。

「日本のナショナリズムを発展的に解消するためのたったひとつの方法だったはずが、このありさまだ」

「アメリカを敵に回した奴らに何ができる。せいぜい自爆テロが限界さ。そもそも歴史の正当性は俺たちの側にあるんだからな」

パクソギルはいらいらして言った。この記者は反体制的な記事を書くことで俺たち政府関係者の間ではつとに有名だ。気をつけたほうがいい。

「敵は外部からやってくるとは限りませんぞ。形を変えた植民地支配に不快感を覚える本鮮人も多い」

「またその話か。そもそも俺たち朝鮮人に本鮮も外鮮もありはしないんだ。せせこましい部族意識は敵につけこまれるだけだ。さあ議論はもう止めにしよう」

「あなたの上司に言ってやったほうがいい。こうしたやりかたそのものが時代おくれなんだと」


パクが朝鮮天皇国の植民省に勤め始めて5年になる。ソウルで生まれた彼は、この国が日本と呼ばれていた時代の記憶を持たない外鮮人2世だ。外鮮人とは日本列島からの渡来人で、本鮮人とはもともとの先住の朝鮮民族を指す。二千年代の初期、日本列島はすでにイスラム化し、行き場を失ったナショナリズムはついに歴史の闇をさまよい始めた。そしてかつては礼儀と思いやりに満ちた静謐な禅センターのような国だった日本が、電車の中で女が強姦されようが老人が撲殺されようが誰も気にとめないような、腐ったぼろ雑巾になりはてた2025年、憲法改正後初の国民投票で政権の座に着いた松浦秀治は、自由と民主主義を超える最後のかけとして、イスラムを国教として採用するに至る。この厳格な政教一致の一神教導入以外に、日本を再びアジアの独善者として孤立化させるナショナリズムの力を借りることなく、卑小な欲望と自己保身の塊と化した日本人の究極の腐敗を正す道はない。松浦はそう考えたのだ。追い詰められたナショナリストたちは、大胆にも仁徳天皇陵の発掘に最後の望みを託した。そして天皇のルーツが朝鮮王に他ならないことが立証されるやいなや、なんと日本を捨てて朝鮮に渡り、武力で皇族を中心とした朝鮮天皇国なる国家を建国した。彼らはみな日本語を捨て、自らのルーツである朝鮮の文化に同化した。当然名前も朝鮮名に改めた。以来イスラム世界との絆を強めるイスラム日本共和国の反米姿勢に対抗してアメリカの属国となる道を選んだものの、もともと朝鮮に住んでいた人々が、1000年ぶりの同朋の帰還を喜ぶはずもない。しかも彼ら元日本人たちは支配者面を捨てず本鮮人を使用人扱いする。これではかつての植民地支配と違いはなく、絶え間ない暴力沙汰もやむをえないというものだった。                つづく
















うつくしいこころがある


恐れなきこころがある


とかす力である


そだつるふしぎである



(八木重吉詩集より)


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戒厳令下のディアルバクル。トルコ軍国境警備隊員アイタッチ・ハキムの証言



「俺のもうひとつの仕事について話そうか。まあ実はこっちが本業なんだが、グルジアからの武器の密輸だ。今デリスタンでは二つの計画が同時進行している。ひとつはアラブに逃げた難民による百万人サズ無血大行進だ。カイロからサズ100万本をデリスタンに運び、砂漠からデルシムの聖なる山までサズを引きながら平和に行進する。すべてのデリスタン人と、少数のまともなカラマンル市民によびかけてカラマンをヒッタイトの国とする妄想から目を覚まし、難民の帰還を受け入れて民主国家を作ろうと呼びかけるのさ。あの戦争屋の政府相手にだぜ。カイロの指導者フスヌは、いがみあった歴史はサズによって一瞬に消え、デリスタンがかつて共有したサズ文化によるつながりが、洗脳されたカラマンル国民を呪縛から解き放つなどと夢のようなことをいっている。さて、もうひとつの計画は、はるかに現実的で、しかも可能性に満ちている。グルジアのバトゥーミからまもなく1万5千のカラシニコフ自動小銃がを運ばれ、ここディヤルバクルをとおり、ザホ、モスルをぬけてナギナ山に入る。待機していた5千人のムジャヒディンがそれを受け取って武装蜂起し、都市部での同時多発テロでかく乱しつつ敵の中枢を一斉攻撃するのだ。むろん実力でカラマンルを追い出せるなどと思ってはいない。泥沼の内戦にいやけがさして、カラマンル市民のたえまない国外脱出の時代がやってくる。デリスタン先住民が人口比率で逆転すれば、カラマンル政府が胸を張る中東で唯一の民主主義とやらによってデリスタン人は合法的に政権の座に着くだろう。さてあんたはどっちの計画が現実的だと思うかね。」



1936年5月17日

トルコ軍がアララット山でクルド解放軍の息の根を止めようとしていたその日、満を持して三方からカラマンル軍が進撃してきた。自由デリスタン運動は一発の銃を撃つこともなく壊滅した。かつてともにサズを弾いた仲間であるはずのカラマンルに武装放棄させることができるのはただサズの響きだけであった。そう彼らは信じた。ラクダに乗り、サズをかき鳴らす吟遊詩人が次々に倒れて行く。侵略者にもはや慈悲の心はない。



2004年8月13日

カラマンルヒッタイト国北西部のデリスタン砂漠の村が、12日未明カラマンル国軍空挺部隊によって爆撃された。同国政府の発表によれば、昨年来カラマンル国の転覆を目論む外国のテロリストが砂漠地帯に基地を建設。エジプト及びトルコの援助によって武装したイスラム過激派が密入国し、首都デルシム攻撃計画が実施されようとしていたため、事前に拠点をたたく必要に迫られたものだという。今後は国外の過激派とつながりのあるテロリスト集団の壊滅に全力を挙げる方針だという。なおエジプト及びトルコの政府スポークスマンは、テロ活動への関与を全面否定している。



アメリカ国務省ジェイソン長官の談話

中東和平を妨害するテロリストの卑劣な計画を事前に食いとめることができた。計画の規模から見て外国政府の関与は明らかだ。われわれは中東唯一の民主主義国家の防衛のため、あらゆる手段を検討している。テロリストたちには武力の行使がいかに高いものにつくか思い知らせてやらねばならない。




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「ねえねえそれでどうなったの。みんな死んじゃったわけ?」

西条紀子が俺にもたれかかりながら言った。イズニックタイルのデザインを勉強に来た学生だ。『さよならレストラン』のベリーダンスショーがお気に入りで、週に二回はひとりでやってくる。最近までトルコ人の恋人がいたのだが、結婚を迫るのでいやになって別れた。この街ではありふれた話だ。

「そうだ。そのときイルハン・メネメンジオウルは敵軍の中にひとり入ってこう言った。

「諸君、俺たちの先祖はどんな和解しがたい戦いであっても、こうしてサズを共に聴き、魂を癒すことで、かけがえのないものを思い出すことができた。争いごとには限りがないということを。言葉を捨てよう。民族、神話、伝統、文明、あらゆるまやかし言語が、諸君を個人でなくし、集団の狂気に身をゆだねることを命じている。どんなにつらくともひとりで決断しようではないか。この音を聴いてくれ。ここに俺たちが民族と宗教で反目させられるはるか以前の記憶がつまっている。俺たちに父を殺された諸君、諸君に母を強姦された俺たちは、すべてこの音の兄弟なのだ。俺たちすべての血管をめぐる蛇の声に耳をすませ、どんなににくくとも兄弟殺しを止めると誓おうではないか。殺せば殺すほど、われわれは自分の記憶のかけがえのない一部分を殺してしまうんだ。」

返ってきた答えは一斉射撃さ。カラマンルの奴らにはもはや彼が何を言ってるのか理解できなかったのさ」

「きゃあかっこいい、サズってそんなに素敵な物語があったんだあ、ねえ弾いて弾いて」

紀子の長い髪がふさふさと揺れて俺の顔にかかった。イスタンブルに長期滞在する日本人旅行者の中には、現地の空気になじめない反動で、俺のような外国暮らしの日本人の男を妙に美化して恋心を抱いてしまう女がたまにいる。

「なにがかっこいいものかよ。さあどいてくれ。俺は街頭の客引きなんだ。あんたばかり相手にしてるわけには行かない。ノルマをこなさなくちゃあお払い箱なんだよ」


2004年夏のデリスタンでの出来事をここで繰り返すまでもないだろう。皆さんはすでに新聞でご存知のはずだ。カラマンル政府公式発表の作り話と、お定まりのイスラムテロ非難のヒステリックな大合唱を。だが結局俺は逃げた。怖気づいてデリスタン砂漠のテント小屋からひき返したのだ。イルハンは言った。君は生き残って俺の最後を見届けてくれ。それを歌にしてイスタンブルから世界に発信してくれと。君は死んではいけない。その言葉に自分の臆病を正当化した。そしてすさまじい銃撃のドサクサにほとんど反射的に逃げ出した。イルハンから預かったサズだけを握りしめて国境に向かった。その後はどうなったのか。まるで覚えていない。すさまじい爆裂音と血の匂いとやけただれた皮膚の臭い以外には何ひとつ。


音楽に関わりつづけることは時として命を落とす。俺が言えるのはそれだけだ。音楽に魅せられてしまったものは、その音楽の作り手と運命を共にしなきゃならないってことだ。あたりさわりのないように逃げまわったとしても、結局はそうなるのだ。イルハンから預かったサズは、恐らく世界にひとつしか残っていない蛇皮のサズだ。サズがシャーマニズムの聖性を帯びていた時代、たしかにその響きは人の心を支配できた。だからこそ戦場に置かれた一本のサズが、平和をもたらすことができた。だがあの爆裂音が全身を貫いて以来、俺の体に恐怖が張りついてしまった。今やアパートの物置小屋で荒れるにまかせているサズに、申し訳ない思いでいっぱいだ。このサズを弾きこなせる者こそがお隠れになった最後のイマームだとイルハンは言った。国籍も与えられず、ゲットーに閉じ込められたまま緩やかな死を生きるデリスタン人は、きょうもイマームを待ち望み、サズを奏でるのだが、彼らがサズの力を信じられる時間はもうそれほど残っていない。楽器を捨てて武器を手に取ることもかなわず、肉体を唯一の爆弾にして占領者の群れに突っ込む彼らを非難する正義が、この世の何処かにあるのか。

        



イルハン・メネメンジオウル

カラマンル国領内に不法侵入し大衆を煽動した罪により射殺



ジェンギス・エルデム

カラマンル国の過去50年のデリスタン人への弾圧を告発した記録本の出版によりイラン人権賞受賞。その後ラク酒場で何者かにより射殺。


バッサム・ハーラウィー

カラマンル国に不法侵入し、日本向け出荷果物スウィーティーに小便をかけているところを警察に捕らえられ獄中で拷問死


サーサーン

カラマンル大統領府主催の晩餐会にベリーダンサーとして招かれ、大統領側近2名を殺害。その場で逮捕されるが刑務所を脱獄。今もって行方不明



フスヌ・アスラン

サハラの修道院より自由デリスタン放送をカラマンルに向けて発信。ピルスルタンアブダルの歌を弾き語り、カラマンル空軍の空爆を受け、地下室で爆死



アイテキン・アタシュ

シリアを追われたPKKクルド労働者党の拠点づくりのため日本滞在中、酒場でやくざ風の男と口論になり、腹を刺されて死亡


アドナン・ヴァルヴェレン

2004年夏のデリスタン蜂起の首謀者としてカラマンルに拉致され、軍法会議により銃殺。獄中でひそかに録音したサズのテープが占領下のデリスタン住民の手に渡りひそかに聴かれている。



アイタッチ・ハキム

トラック運転手としてカラマンル軍に軍需物資を搬送中に暴走し、カラマンル市民5人を殺害。自らも爆死。


ムハンマド

出稼ぎ先のフランスで幼児買春容疑で逮捕され、服役中に突然死


ネスリーン・マレキ

百万人サズ大行進に参加するためカラマンル国に密入国し、イルハンの最後を見届けた後、現場から逃走。以後行方不明。




エピローグまたはプロローグ


あてもなく俺は町をさまよっていた。どうやら旧市街のアプタル人(この国では先住民のことをそう呼んでいる)居住区に入りこんでしまったようだ。「アプタル人は危険で好戦的ですから何をされるかわかりません。決してひとりでは立ち寄らないでください」というツアーコンダクターの緊張した声が思い出される。レンガ造りの民家の路地を歩いていると、どこかなつかしい色あせたピンク色が目に飛び込んできた。アパートの軒につるされた女のヴェールが風に揺れていた。「ナオトサーン、そっち行っちゃだめだめ」ガイドの声がした。次ぎの瞬間後頭部に激痛が走った。俺は頭を抱えてうずくまり、おぼろげにかすんで行く意識の中で子どもたちのかんだかい笑い声を聞いた。

                                                  

                               2001・4・29


言うまでもないが 

この物語は完全なフィクションであり、実在するいかなる国家、政府、団体、宗教、党派、人物とも関係がない。



あとがき


この小説(?)らしきもの、最後まで全文読んでくださった方はまあ、おそらくひとりもいないだろうが、長いことどうもありがとうございました。10年も前に書いたもので、もともとは中東を舞台にした小説を書くための取材ノートみたいなものだった。しかし、自分には小説を書く能力が決定的に不足していると感じ、メモ書きのまま公開してしまったというわけだ。事実に即しているところ、部分的にフィクションをはさんでいるところ、まったくのでたらめ、が混在しているので、中東に行ったことのない方にはわかりにくかろうが、わかりにくいことこそ、まさに、中東の本質なのだと思う。善悪の単純な図式はほとんど意味を持たないだけでなく、害悪でさえある。よくわからないけど、興味をそそられる、そういっていただけると私もとてもうれしい。この話の後日談として短編をちかじかお送りする。これも以前に書いたもので、生き残った人々のその後、といった趣だ。わたしは絶対の正義を信じることのできない人間である。誰にも、犯罪者にさえそれなりの正義がある、という考えを捨てることができない。そんな私にとって、中東(とひとくくりにできるはずもないことは当然として)は様々な正義の生存を賭した永久闘争の場であり、かつて正義を調停するものとして存在していたはずの何かが失われてしまった虚無の荒野で、、それを取り戻そうとする人々の痛ましいが人間的な、愛の実験場である。そしてその何かを、わたしは音楽=サズという名で呼んでみたのだった。主人公や、彼が訪れる各地での出会いや出来事には、わたし自身の1990~1995年の断続的な中東旅行の記憶が反映しており、旅で出会った幾人かのトルコ人、シリア人、エジプト人、ヨルダン人、イラン人の方々にはこの場を借りて深く感謝したい。特に国境の街で疲れ果てていたパラチフスのわたしを診察してくれた、シリアの亡命アルメニア人医師と、尻に注射してくれた妙齢の看護婦ネスりーン、あなた方がいなければ、私の病状はかなり悪化し、、その後の人生も違ったものになっていたかもしれない。本当にありがとうございました。                               2011.3.5




















4月6日(水) 美しき春の歓び

クレオパトラの玉手箱

鍵はどなたがお持ち?


IKUYO(ベリーダンス) FUJI(サズ) 船原徹矢(パーカッション)


開場18時半 開演19時半 20時45分 22時 3ステージ入れ替えなし

ノチェーロセット2600円(おつまみ一品+チャージ)ディナーセット3300円(料理一品+チャージ)

ラテンの店ノチェーロ

港区六本木6-7-9川本ビルB1

地下鉄六本木駅徒歩3分

メールまたは電話でご予約ください

03-3401-6801

yo@nochero.com


http://www.nochero.com/


一つ20円の安い紅茶袋を湯呑に入れ、しょうがをすりおろしては茶こしで絞り、砂糖とともに熱い湯を注ぐそれがわたしの何十年と変わらぬやりかただ。

おとずれる者もない部屋でわたしは老いてゆく。わずかに青春と呼べるのものがあったとすれば、東南アジアから中東へと流れて行った、旅の日々の記憶の中だけであったろう。




「やめなよ、そんなつまらねえ話」2か月前から同居しているバヌワリが言った。

「そんなことより、あんた、どうしてくれるんだ。おれはな、へびつかいの仕事がごまんとあるってんで、この国に来たんだ。だが、なんてこった、みんな不景気な面しやがって、へびなんか、何の興味もないんだとよ」




わたしはこの男の相手をするのがうっとうしくなったので話をそらせるために言った。

「バヌワリ、カムラはどうしてる?」

わたしはバヌワリの義理の娘の消息を聞いた。ヒンディー語で心地よい部屋、を意味する名を持ったこの娘に、惚れたことがある。もうずいぶんと昔、バックパッカーとして砂漠の街を訪ねたころの話だ。

「カムラ、、、」

バヌワリは幾分苦しげに顔をゆがめた。

「そんなこと聞いてどうするんだ、あんた今になって、とことん、汚い男だよ」

「汚い?この私がか」

「そうだ、あんたが毎年あの娘におくった時計やら首飾りのせいで、あいつはあたまがおかしくなっちまったんだ。あんなことはやるべきじゃあなかった、あれがいったいインドでどれくらいの価値があると思ってるんだ」

「で、いまカムラはどうしてるんだ」




「「知らないね。若くて器量よしの女が、突然カネに目がくらみ始めたら、行先は目に見えてるだろうよ。そんなに知りてえんなら、、、」

とバヌワリは妙な笑いを浮かべた。

「自分で確かめてみるんだな。ダイヤモンドバザールに行ってよ」




暖房が静かな機械音を持続していた。

「やめんかいこんな暖房。なんでもかんでも、機械だ、科学だ、システム設計だ、そうやって、あんたはごつごつした現実から逃げまわっでんだ、外でもうちでも寒いもんなんだよお、この季節はインドでもな」といってバヌワリは暖房を叩き壊した。




「女を見世物にして消費するだけの文明は、そろそろガタがきている。そうは思わないか」最近イスラム教徒になった源田真一が口を挟んだ。

「あわれみの一つもあっていいだろう。西アジアからやってきた異国の密売人と、芸能界のタブーに踏み込んだために追放され口封じのために消されようとしてる女の出会い。一片の哀しいロマンを感じることすらできない、文学的感性の完璧な欠如、これが日本のマスコミをひたすらみにくく下賤なものにしている」

源田は最近覚せい剤購入の疑いで逮捕された女の事件が気になっているようだった。




「持田光義さんですね、入国管理局のものですが」慇懃だが感情のない電話の声に、わたしはまた何かに巻き込まれる予感を感じて、かすかに震 えた。                           おわり


番外

芸能界のタブーに振れたため口封じのために消されようとしている、と書かれている女性タレントは、逮捕するほどの証拠なし、として釈放された。罪人扱いした新聞や雑誌やテレビは、あのときはどうもすみませんでした、と頭くらい下げるべきだろう。土下座、というのはこういう時になされるべきふるまいであろう。しかし、そんなことはなされないだろう。これぞ救いがたい社会の病巣である。かつてマスコミ産業への就職を目指した者として、こみあげる不快と嫌悪を抑えるのは難しい。



              14




ウードゥルの赤いりんご

蜂蜜のように甘いりんご

恋人が戻ってから心の傷が癒された




死にそうになる

何をしても満たされない

蜂蜜のようなりんごが好き

恋人が好き




ウードゥルのチャイ屋で男が歌っている。

「いい歌だ」

「この村の国歌みてえなもんだ。恋人とはピルのことさね」

「ピルってピルスルタンアブダルのことかい」

「そうだ。デリスタン解放戦争のときカラマンルの戦車にラクダで立ち向かった英雄さ」

「ピルは16世紀オスマン帝国に抵抗した吟遊詩人じゃあないのか」

「同じことさ。デリスタンでは英雄にはみんな彼の名前をつける」







「その歌の二番はこうじゃ。




ウードゥルでりんごを買った

恋人が逝ってしまってからかりんのようにしおれてしまった




海には海の法則

水の中で泳げるのは魚だけ

こんな恋に落ちなければ

こんな別れにならなかったのに




いつのまにか白髭のやせた老人がかたわらにたっていた。

「あなたは」

「さよう。あんたが探しているデデ。アドナン・ヴァルヴェレンじゃ」

度の強いメガネをかけた老人がだぶだぶのコートに身を包んで立っていた。




「東部アナドルのアルメニア共和国をつぶしたトルコ軍の次の標的はアッシリア人じゃ。アッシリア人はイギリスの支援を当てにしてシリアで反乱を起こすが、トルコ軍はアッシリア人と歴史的に仲の悪いクルド人を操って討伐隊を組織し、反乱軍は全滅する。イギリスはアルメニア人虐殺のときと同じくこれを黙認する。ケマルが徹底した反共主義者であることもあって、トルコ政府と妥協しソ連をけん制したほうがいいと思ったのじゃ。クルド人は心ならずもトルコ軍の最前線に立たされ、キリスト教徒の憎悪の的とされる。オスマン時代から支配者の駒として操られてきた歴史が、またも繰り返されたのだ。当時のクルド人は昔ながらの部族対立を克服できず、民族の連帯だの近代国家だの一握りのインテリの発想でしかなかった。だから1925年にケマルが神秘主義教団の道場を閉鎖したのに抗議して、保守的なクルド僧シャイフサイドがイスラム復古の立場から七千の兵と共に東部アナドルのワン湖周辺を占領したときも、多くのクルド人は傍観していた。しかしトルコ軍の容赦なき弾圧ぶりに、ムスリムの連帯というクルド人の牧歌的幻想は砕かれ、やがてケマルと共にトルコ解放戦争を戦ったクルド人将校イーサンヌーリが、シャイフサイドの乱の残党と共にアララット山で蜂起する。これが最初のクルド独立戦争じゃ。

デリスタン200万の住民は、トルコ系とクルド系、ザザ人を中心とした約40の多民族のよせ集まり。つまりわれわれは多民族の共存というオスマンの最後の遺産だった。その中には虐殺を逃れたアルメニア人や強制送還を免れたギリシャ人、仕事を失った宮廷楽師やジプシーたちが身を寄せていた。トルコ共和国が成立したとき、スンニー派による支配に服従を強いられてきたトルコ系アレウィーの中には、ケマルの理想を信じトルコ軍に身を投ずる者もいたが、一方でクルド人コミュニティはアレウィーとクルディスタンの二つの立場に引き裂かれて分裂。クルディスタン派はアララットの軍隊に合流してクルド独立闘争に加わってゆく。一方独立クルディスタンの支配を嫌う他の少数民族、特にザザスタン人の多くは、トルコ共和国にもクルディスタンにも帰属しない自由デリスタン運動を開始する。その武器はただサズのみ。サズだけが、民族に引き裂かれる以前の原初の記憶を回復できる。そこにはインドの蛇使いの音楽、東方正教の典礼音楽、カフカスやアゼルバイジャンの民謡、黒海の漁師の歌も、エチオピアのコーヒー労働者の歌も、今や腐敗堕落の遺物としてトルコ政府から禁じられたオスマン宮廷音楽まであった。あらゆる音楽が渾然一体となった芸術運動。あらゆる文化は本質において雑種である。それが彼らの主張だ。地中海世界がトルコとヨーロッパに、アナドルがトルコ系とインドヨーロッパ系に引き裂かれて行く時代に、音楽のみによって、国境に有刺鉄線を敷くことの無意味を感じさせようとした」

「つまりデリスタン社会はトルコ共和国派、クルド独立派、自由独立派の三つに分かれて反目しあっていた。そして自由独立派だけが民族主義を超える道を求めた」

「そうじゃ。ケマルによってトルコ分割の夢絶たれたイギリスとフランス、ギリシャは、まだどの勢力と手を結んだらよいか決めていなかった。ところが実に厄介な問題が、連合軍の側からすれば願ってもない事件が発生したのじゃ。ポグロムじゃよ」

「なんですかそれは」

「虐殺じゃ。ヨーロッパに移住したカラマンルがソ連の各地で殺されたのじゃ。その波は東欧にも達し」

「ちょっと待ってくださいよ。そのカラマンルとはなんですか」

「おおそうか。あんたは日本人じゃった。カラマンルとはな、オスマン帝国建国よりはるかに昔、東ローマ帝国、いわゆるビザンチン帝国の傭兵としてアナドルに住んでおったトルコ人の末裔じゃ。ビザンチン帝国の軍隊は異民族の傭兵で成り立っており、その中軸は実はトルコ人部隊じゃった。その傭兵の子孫はビザンチン滅亡ののちもアナドル一帯に住んでおった。彼らはトルコ語を話すギリシャ正教徒であり、1922年の住民強制交換によってギリシャ人とみなされてギリシャに追放された。デリスタンに住む約5万人のカラマンルもサズと共に去っていった。それはむごいものじゃった。宗教が違うと言うだけで言葉も習慣も違う異国へ追放されたのじゃ。当然社会にはなじめず、しかもトルコ出身者ということだけで差別を受け、犯罪に走る者も出てくる。特にデリスタンのカラマンルの持ちこんだサズはアテネやテッサロニキでも大いに力を発揮する。難民の下積み生活の中から生まれたレンベティカは、トルコ出身者のアウトローな生活を歌ってギリシャ当局の神経を逆なですることとなり、たびたびのサズ禁止令に対し、カラマンルは袖の下に隠せるような小型のサズをつくって対抗、ひそかに刑務所で演奏を続けたのじゃが、結局彼らはギリシャに失望し、ヨーロッパに移り住むことになる。しかしここでもトルコ人扱いされてゲットーに押し込められ、何か異常な犯罪が起こると、決まってカラマンルのせいにされて犠牲者が出た。ヨーロッパ人というやつはなあ、あきれるほどに執念深くて、十字軍のエルサレム略奪作戦に兵を送らなかったビザンチン帝国をいまだにうらんでおり、カラマンルはビザンチンの傭兵の子孫ということだけで、ヨーロッパ人の潜在的な敵意をかきたてたのじゃよ.。つらい日々の中で彼らの信仰は深まって行った。イスラム支配のもとでも改宗に応じなかった土着のキリスト教徒としての特別の誇りが、紀元前2000年にアナドルに初めての国家を作ったヒッタイト人を先祖と仰ぐ選民思想に通じてゆく。もっともこれは途方もない作り話にすぎんのじゃが、いまではだれもがそれを認めておる。というのはカラマンル虐殺があいつぐと、ドイツに住んでおったカラマンル人のギュネッシュ・オクタイという人物が、カラマンルの父祖の地ヒッタイトアシュラム帰還をめざすヒッタイティズム運動を始め、アナドルにカラマンルの国家を作ろうと呼びかけたのじゃ。そしてキョトゥ湖のほとりでカラマンルが古代ヒッタイトの部族として神からアナドルの土地を授かったと記された紀元前の文書が発見された。これまたとんでもない偽ものじゃったが、これを機に、ヒッタイティズム運動はますます盛んになって行く。といってもほとんどのカラマンルが国家建設など夢のまた夢と思っておったはずじゃ。ところがヒトラーの登場ですべてが変わる。言わずと知れたホロコーストじゃ。ユダヤ人粛清の十年もまえに、多くのカラマンルが十字軍非協力の罪によりガス室送りとなっている。しかし驚くべきことに、ヒッタイティズム運動の指導者はカラマンル粛清についてナチスに協力しておった。なぜかというと、ナチスのような狂信政治が行われれば行われるほど、カラマンルにとってのシェルターとして、カラマンル国の建設が必要になるからだという。ナチズムはヨーロッパのまぎれもない正当な後継者じゃ。かつて異端審問によりイベリア半島からすべてのイスラムとユダヤ人を追放した精神、異民族への徹底した不寛容のシンボルが、アウシュビッツなのじゃ。そして傲慢にも彼らはわしらの土地を犠牲にすることで自分たちの罪をあがなおうとした。きのうまでカラマンルをアナドルの羊野郎と罵っていた市民たちが、猫なで声で人権擁護を叫ぶ。こうして1920年代からカラマンルのアナドル帰還運動が始まるのじゃが、問題はなんといってもヒッタイト建国の地であるアンカラがトルコ共和国の首都になっていることじゃった。そこで選ばれたのがデリスタンじゃ。確かにアナドルの一部には違いないし、14世紀までカラマンルの同族のカラマン人の国家があったこともある。しかし何よりも決定的なのは石油じゃよ。イギリスはすでにデリスタンの砂漠の地下に眠る無尽蔵な石油の存在をつかんでおり、その利権確保のためにキリスト教徒によるかいらい国家を必要としたのじゃ。イギリスは石油の利権欲しさに、ギリシャはビザンチン帝国帝国復活のための橋頭堡としてカラマンル建国を支持。一方デリスタン併合をもくろむトルコは、一気に南下して南部のイギリス委任統治領イラクも手中に収めようとしていた。そしてアララット山を血に染めたイーサンヌーリ部隊の生き残りが、体制建て直しのためデリスタンに帰ってくる。こうして1936年の大破局を迎えるのじゃ。」







俺の生まれ故郷はシノップ刑務所で

歌を歌った罪でつかまった

もう覚悟はできている

反逆者は世界を支配できないのだ




1936年当時トルコ共和国軍志願兵として東部アナドルに進駐していた

アドナンヴァルベレン少尉の回想




その年、トルコ軍が北からデリスタンに入り、北部の山岳地帯を占領した。そこはかつてアナドルとカフカスの吟遊詩人たちが山の聖者に音楽を捧げ、その力を競うアーシュク祭りの本拠地でもあった。わたしはなつかしくも苦い思いで山の方角を見つめる。あれはいつの年だったろうか。吟遊詩人の父に連れられてはじめてあの山のふもとに出かけた。ヴァンからやってきたデルヴィーシュのサズに、すべての岩山が呼応し、深いうねり声を発した。そのとき私の体は電気が走ったように熱くなったのを覚えている。「蛇神様の降臨だ」父はそう言ってサズを弾いてくれたのだ。




おれの故郷はシノップ刑務所で

歌を歌った罪でつかまった

もう覚悟はできている

反逆者は世界を支配できないのだ




「アドナン、何を感傷にふけっているんだ」

志願兵仲間のケナンは陽気に声をかけた。イーサンヌーリがアララットで自決した。自由デリスタン運動も無抵抗で降伏だ。反乱ごっこはもう終わりだよ」

私の体内でむなしさが広がって行った。

「ケナン、俺たちはトルコ革命に夢を託して結集した。宗教による差別のない明るく楽しいトルコを目指していたはずだ。ところがどうだ、やっていることといえば無数の少数民族に無理やりトルコ語を教え込み、フランスパンとドネルケバブの食事を強制し、私はトルコ人であると言える事は、なんと幸せなんだろう、と唱えさせることでしかない。宗教の代わりに民族が絶対的な価値になってしまった。みろよ、この町にはかつてグルジア人やアルメニア人がたくさん住んでいた。彼らから豊かな音楽を吸収して育ったデリスタンの文化は今やすっかり退屈なものに落ちぶれた。いったいキリスト教徒と言うだけで追い出してまで忠誠を誓わせる国家とはなんだ。なにがトルコ共和国万歳音頭だ、これが音楽か。だれがこんなもの歌えるってんだ」

「もうよせよアドナン、それ以上しゃべったら指導者侮辱罪でシノップ監獄ゆきだぞ。いいか、トルコ共和国ほど音楽を重視している国はない。今や国民の二人に一人がサズをもち、サズは音楽学校の正規の科目にも採用され、優れたサズ奏者はトルコ名誉芸術家として生涯年金を保証されている。卑しい音楽乞食扱いされ、貧窮の中に死んでいったオスマン時代と何たる違いだろう。われらがアタテュルクほど音楽に理解を示した指導者はかつてなかった。名うてのサズ奏者であるおまえに、それがわからないはずはなかろう」」

「そうだったな」

私はうなずいた。たしかにケナンのいうとおり、トルコ共和国はサズに代表される民衆音楽を重視する政策をとった。共和国の音楽大臣ズイヤギョカルプは国民に向けて演説した。あの気持ちの悪い明るい口調を今も覚えている。




「サズ奏者の皆さん、諸君らの素朴な音楽こそが、中央アジアから今に伝わるトルコ人の純粋な精神の表れです。これにくらべればスルタンの奴隷たちによって伝承されたいまわしいアラブ音楽など、本来のトルコ人の剛毅の気風に害をもたらし、柔弱と退廃と臆病を蔓延させた毒物以外の何物でも有りません。たとえばオクターブを九つに分割する微分音が元凶のひとつです。いいですかみなさん、皆さんの目指す音楽はただひとつ。西洋音楽です。この西洋音楽の魅力はなんと言ってもハーモニーですね。ソビエト連邦の人々の歌声のあの素晴らしさは、まさにこの和声の響きにほかなりません、ところがアラブやペルシャの悪しき影響がもたらした半音の半分の音などと言う大変気持ちの悪い音を、あたかも洗練された繊細な美意識の表現であるかのごとく思いこむ愚かな幻想が、いまだにわが国の民族音楽界を支配しておるのであります。それでは試みに微分音の音程に和音をつけてみるとよいでしょう。なんときたならしい、蛇がのたくっているような不快なノイズではありませんか。残念ながら皆さんがたの民謡の中にも、悪しき伝統から免れているとは言いがたい不純物が存在することは否定できない。これは音楽大臣として見過ごすことのできない問題であります。そこで私は提唱します。これからはすべての民謡にコードをつけ、ハーモニーで演奏することが望ましい。ナチュラルはナチュラル、シャープはシャープ、フラットはフラット、この明瞭にしてめりはりのある音感こそが、新生トルコにふさわしい文明開化の音、ヨーロッパに近づく進歩と統一のリズムなのであります」




耳を疑うような卑屈な植民地主義はいまでもトルコ音楽界を支配しておる。あのオスマン朝の時代、サズをもった吟遊詩人はイスタンブールに立ち入りを許されなかった。アレウィー蜂起につながる過去の歴史は、オスマンの支配者にこの楽器へのぬぐいがたき偏見を植え付けた。サズは宮廷芸術の器楽のリストからはずされ、宮廷ではウードやカヌーンナーイなどのアラブやペルシャ起源の楽器がつかわれた。このことが、つまり宮廷芸術に汚染されていない唯一の楽器であると言うことが、トルコ共和国政府の印象をよくしたのであろう。しかしかれらにとってサズはトルコ西洋化のための材料に過ぎなかった。確かに現在トルコではサズが国民的楽器とまで呼ばれて隆盛を見せておるが、かつて1オクターブを24に分割した先人の音感覚はもはや伝わっておらず、1にちを99の時間帯に分け、それぞれの時間の旋法を使って奏された即興音楽の流儀も、ほとんど姿を消してしまった。まして蛇の耳にのみ感受できる特殊なドローンを保ちながらの演奏法など、ほとんど消滅してしまったわい」







































だいぶ寒さも和らいでまいりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。サズ奏者の藤井です。3月のサズライブのご案内です。





3月6日(日)Kadife 春の章 生演奏&ベリーダンス&トルコ料理の饗宴

 ベリーダンス Miho(スペシャルゲスト) Farasha

 音楽 FUJI(サズ) 平井ペタシ陽一(パーカッション)

 

 17時開場  18時半~と19時半~の2ステージ(入れ替えなし)

 7500円(チャージ+フルコースディナー+デザート+ワンドリンク込)

 スルタン 立川市高松町3-14-11 マスターズオフィスビルB1

 JR立川駅徒歩6分

 042-527-0017

 http://www.surutan.com/



 お席に限りがございますのでご予約をお電話で直接お店にお願いします。





3月13日(日) トルコ音楽映画とお話 (以下主催者メールより抜粋)



3月の映画研究会のお知らせです。

今年公開されて話題のヴェネチア映画祭審査委員賞受賞作「ソウル・

キッチン」監督ファティ・アキンの2005年の作品で、

トルコ音楽の歴史やクルド・ミュージックも盛り込んだ内容です。

今回は、特別に昨年の木乃久兵衛の忘年会で、素晴らしい演奏を披露し

てくれたサズ奏者のFUJI(藤井良行)さんをお招きして、トルコ音楽についてお話していただきます。

近くの音楽好き、トルコ好き、ロマ音楽好き方もお誘いし奮ってご参加下さい。



313日(日)エスパシオ映画研究会

「トルコ音楽夜話」トーク:FUJI(藤井良行)

pm4:00~参考上映:「クロッシング・ザ・ブリッジ」ファティ・アキン

監督作品

(「ソウル・キッチン」でヴェネチア映画祭審査委員賞受賞の注目の監

督の2005年作)

料金:無料(終了後¥1000で打ち上げ予定、差し入れ、持ち込み

歓迎)

会場:キノ・キュッヘ:木乃久兵衛

JR国立駅南口下車富士見通り徒歩15分、国立音大付属高校向い、文房具店地下1F

立川バス、多摩信用金庫前より立川駅南口行き、又は国立循環で約2分「音高前」下車20メートル戻る)

186ー0005

東京都国立市西2-1132 B1

TELFAX 042-577-5971

http://www1.pbc.ne.jp/users/kino9/




para_kino9@m2.pbc.ne.jp  




3月20日(日)ROMAN HAVASI ~Turkish Gipsy~ 春の祭典

トルコジプシー音楽とベリーダンス





アフメット伊藤(ダルブッカ、ダフ/ヴォーカル)

藤井教授(サズ/ヴォーカル)

テディ熊谷 (サクセロ/フルート)



スペシャルゲスト:JIN(ベリーダンス)



19時開演

『トルコジプシー・ユニット「アフメット伊藤とザ・スルタンキングス」今回はゲストに本格派ジプシーダンサーJINさんを迎えて、春の到来を祝います』



no music charge: 投げ銭制

Café MUriwui



03-5429-2033

世田谷区祖師ヶ谷大蔵4-1-22-3F

小田急線祖師谷大蔵駅徒歩5分

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/



3月25日(金)カレーとベリーダンスとイーチャンと

毎月最終金曜日にはいつもと違うちょっとときめく夜を過ごしたい、そんなあなたにぴったりの場所があるんです。さあ、立川へ。



イーチャン(ベリーダンス) テディ熊谷(サクセロ、フルート)伊藤アツ志(パーカッション)FUJI(サズ)



19時半 21時(2ステージ)

チャージなし よい席をご予約ください。

042-523-0410(マユール 田中)



インドレストラン マユール

http://www.mayur.jp  






3月27日(日)石のこころを月は知らず 

~Tian サズの扉 Ⅱ

春のやはらかな月光の中に一つの素朴なサズを置けば

美しさに耐えかねてひとりでに鳴り出すだろう





FUJI(サズ) 平井ペタシ陽一(パーカッション) Izumi(サズダンス)

17時30分開演(2ステージ

Tian セッションルーム

横浜市西区岡ノ町1-17-10

(横浜駅西口徒歩10分)

2500円

予約要

http://www.tian-yokohama.com  

045-548-8295 Tian


3月28日(月) これが本場のサズだ!

トルコ人サズ奏者ソネル・ケミクのトルコ音楽Live


Soner Kemik(サズ)

ゲスト FUJI(サズ) 星衛(チェロ)  立岩潤三(ダルブカ)

カフェムリウイ

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅 北口商店街徒歩5分 一文書店3F

03-5429-2033

投げ銭

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
























寒い毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。サズ奏者の藤井です。今月のサズライブ案内をお送りいたします。

2月17日(木)黄砂のむこうは愛の王国~西域の花と愛のキャラバン

Chiyo(ベリーダンス)  FUJI(サズ) 立岩潤三(パーカッション)

18時半開場 19時半開演(3ステージ入れ替えなし)

ノチェーロセット2600円(おつまみ一品+チャージ)ディナーセット3300円(料理一品+チャージ)

ラテンの店ノチェーロ

港区六本木6-7-9川本ビルB

地下鉄六本木駅徒歩3分

予約要 03-3401-6801 yo@nochero.com

2月19日(土)あなたの夜を独り占め~愛のように苦く 死のように甘く

Kahina(ベリーダンス)

演奏 BAHARAT

星衛(チェロ) FUJI(サズ) 立岩潤三(パーカッション)

19時開演 投げ銭

カフェムリウイ 世田谷区祖師谷4-1-22-3F

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅より北口商店街を徒歩5分

03-5429-2033

http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/

2月25日(金)カレーとトルコとイーチャンと

毎月最終金曜は立川でロマンティックな夜を

イーチャン(ベリーダンス)

演奏 スルタンキングス

伊藤アツ志(パーカッション)FUJI(サズ)テディ熊谷(サクセロ フルート)

19時半  21時

チャージなし

インドレストラン マユール

042-523-0410

http://www.mayur.jp

このメールはお世話になった皆様にBCCにてお送りしています。このようなメールをご希望でない方はお手数ですがご一報ください。ではどこかの会場でお待ちしております。

新装オープン
高級スナックなでしこの詩
サズ奏者 FUJIのブログ

お疲れの皆様に真の憩いと潤いを提供します




1932年長老のテント小屋における最後のデリスタン民衆議会

砂塵の向こうにかすかに見えるのは赤地に白い月と星をあしらった見慣れぬ旗であった。シリア、トルコ、メソポタミアの境に住むデリスタン人にはそれが何か不吉な前兆にみえた。

「ジェンギース、あれは何じゃ。むかしわしがスルタンにはげたかを献上するするためイスタンブルをたずねたとき、うまれてはじめて旗という物を見たんじゃが、だいぶデザインがちごうておるようじゃのう」

「シャイフ、それはイェニチェリの軍旗でありました。しかしイェニチェリはとうに廃止され、スルタンもトプカプ宮殿を追われ、ドイツに追放されたと言う話です」

「なんじゃと。わしらのスルタンが。では帝国は、オスマン帝国はどうなったのじゃ」

デリスタンの長老シャイフケリブのテント小屋を重苦しい空気が包んだ。

「帝国はすでに滅んだそうです」去年の3月アゼルバイジャンのカラバックで開かれた全カフカス吟遊詩人大会にデリスタン代表として参加し、優勝してみごと羊五頭を持ちかえったバッサムが口を開くと、沈うつなため息があちこちからもれた。

「それはイスタンブルが例のヨーロッパ人どもに蹂躙され略奪をほしいままにされておるということか」

「シャイフ、あれはヨーロッパ人ではなく、ムスタファケマルという軍人に率いられたトルコ共和国軍です。ケマルはすでにギリシャ軍を撃退し、アンゴラ、今はアンカラというそうですがそこを首都としてオスマン帝国にかわるトルコ共和国を樹立しました。ケマルはイスラムをトルコがヨーロッパに敗れた一因と考え、徹底した政教分離をとり、フランスに倣って民族主義による近代国家を整備し、ヨーロッパの一員として花の都パリの社交界に出ても恥ずかしくない洗練されたトルコ民族の育成を目指しているそうです。かれは田舎くさいチフテテリはもうやめにして、男と女が組んで踊る優雅なソシアルダンスこそ文明化されたトルコ紳士の必須の教養であると側近に語ったそうです」

「ばかものめが、たわけたことをぺらぺらぺらぺら」

「わたしが言ってるのではありません。これはあくまでケマルの」

「このロバ男めが。ところでその民族というのがわしにはよくわからんぞ。それは信仰を同じくするものではないのか」

「違いますよシャイフ。それではオスマン帝国におけるミッレト制度と同じになってしまう」今年の春留学先の東京帝国大学を卒業して帰ってきたジャフェル・ユルドゥズが言った。

「民族というのは共通の言語をもち、共通の文化、習慣、歴史的信念に生きる人々のことで、イスラムに代わってわれわれを結びつける紐帯となるべきものとされています。トルコは遠い昔北アジアより移住したトルコ系遊牧民の末裔であるトルコ人の国であり、ザカフカスのアゼルバイジャンからブハラサマルカンド、シンジャンウイグルにいたる中央アジア一帯に住む者は、みなトルコ語の兄弟語を話す広い意味でのトルコ人である。つまり昨今はやりの表現を用いれば『ボスフォラスの船頭からカシュガルのラクダ曳きまで』みなトルコ人というわけです。しかしエンベルパシャがコーカンドのトルキスタン自治政府の支援に駆けつけ、ソ連軍と戦って戦死して以来、汎トルコ主義の熱はさめ、一国トルコ主義に転換したケマルはソビエトとの暗黙の了解のもと、国内の完全なトルコ化をめざしているのです。学校なるものが各地に作られ、そこではアラブやペルシャの影響を廃した純粋トルコ語による学習が行われ、子供たちはこんな歌を歌っています。『緑の山を持つ祖国よ、今おまえに挨拶がささげられた、勇気ある父が吉報をもたらした、トルコ人は偉大だと言った、わたしはもうつぎはぎの服を着ない、抑圧者には従わない、文明の民となろう、万歳共和国、わたしたちに完全な自由を与えてくれた』

「もういいジャフェル。おまえの物知りはようわかった。しかしわしは納得がいかんぞ。そもそもアナドル、トラキアを問わず、国という器はいろいろな言葉を話す異邦人の集まりであるのが普通である。現にこのデリスタンひとつとってもシリア付近にはアラブ、アッシリア、北東の山岳地帯にアルメニー、クルド、アゼリー、グルジスタン、チュルケズ、バシキールと住んでおる。みな言葉が違う。ここにおられる諸衆、たとえばジェンギースはアルメニー、バッサムはクルド、ジャフェルはアッシリアーニーである。わしの父親はダゲスタンのチェチェンで、妻のシーリーンはイランのバルチスタン出身じゃ.。そこに何か問題があるかの。みななかよくイスラム神秘主義の一派であるハイダルアリーを信仰しておるわけじゃし、こうしてペルシャ語やトルコを共通語にしておるではないか。またデリスタンとモスール州の境にあるハラン村にはトルコ語を話すカラマンも住んでおる。やつらはごりごりのキリスト教徒とばかり思っておったが、魔よけのまじないの文句などわしらとそっくりなのじゃ」

「シャイフ、ハラン村のルームどもは先年ギリシャとの住民交換条約により全員サロニカに追放されました。アルメニーはデリスタン州内を除いてすべて虐殺またはソビエトとシリアに追放されています。アゼリー人に今のところ動きはないようですが、すでに東部のクルド人はヴァンを首都とする独立国家をめざし、トルコ軍と戦闘中との情報が入っています。デリスタンのクルド人の中からも武器を取るものが出始めたそうです」

ジャフェルはクルド人のバッサムをにらんで言った。

「なっなんということじゃ、つまりそれは……この国を単一民族の国という幻想で固め、強制的な同化か、戦争による死かの選択を迫るものなのじゃ。これに間違いはないか」

「そういうことです」一同は口口に述べた。このとき、一人の若者が疲れきった様子でシャイフの小屋を訪ねた。

「シャイフ、大変だ。クルディスタンに抜ける街道がトルコ軍に押さえられちまった。俺はさっきマハバドのお笑いサズ寄席に出演するため、楽器ひとつで出かけたのさ。そしたら去年までアルメニアの修道院があったあたりに見慣れぬ旗が立っていてさ、武器を持った軍人が言うのさ。これからは州の外に出るのに共和国の許可がいるんだと。それでおれがくってかかったらやつら「こんなものがあるからわが国の治安が乱れるのだ」とかわめいて、俺のサズをこえだめに投げ込んじまった。あんまりだ、こりゃああんまりだ。サズに対してあんなことをする奴は人間じゃねえ、人間じゃあねえよ」

このときすでにイーサンヌーリ将軍率いるクルド人部隊がこのトルコ軍検問所を襲い、デリスタンはトルコ=クルド戦争に巻きこまれつつあった。多民族からなるアレウィー派の人々は、同化を押し付けるトルコ共和国と内部で台頭する民族主義者の二つの敵に直面していた。

「なんということじゃ。かのセリム一世とのいくさのときでさえ、オスマンの兵士はピルスルタン先生のサズの演奏に敬意を表し、デリスタンを直轄領とせず事実上の独立を与えたものじゃ。それが今サズを持つ者に無礼を働き、完全なる自由なぞと称してわれらにとって死活的な移動の自由を奪おうとしておる」

「シャイフ、この際共和国軍に加勢し、クルドの狂信的なイスラム主義者を打倒すべきです。オスマンの統治のもと、ペルシャに通ずる内部の敵と疑われ16世紀以来弾圧を受けてきたわれわれにとって、この革命はまたとないチャンスではありますまいか」

ジャフェルがいきおい込んで言った。

「ジャフェル、トーキョウーにいっておる間におまえはどうやら心眼をなくしてしもうたらしい。見えないものを見る。これがハジベクタシュ以来のわれわれの伝統じゃ。おおかたギオンかヨシワラカブキチョー、あるいはカワサキホリノウチ、ハナゾノジンジャ裏のユーカクあたりで落し物をしたんじゃろう。まあよい。土産の茶碗をみせなさい」シャイフは西洋文明の及ばぬ砂漠に住んでいるにしては極東の地理にくわしかった。

ジャフェルが新聞包みをあけると、そこには当時日本の都会人士のあいだで流行っていた朝鮮風の素焼きの湯呑茶椀のセットがあった。「高麗焼じゃな」シャイフサイードはしばし無言でその文様に見入っていたがやがておもむろにチャイをたてると、集まったもの全員にそれを飲むように奨めた。「一杯目の茶は人生のように苦く、二杯目に茶は愛のように濃い。そして三杯目の茶は死のように甘い。トルコ軍はまさに三杯目の茶だ。無知にしてこれに従うものはわれらの誇りのすべてを失うことになろう」

しかしシャイフの警告も空しく、ジャフェルは一族を率いてトルコ軍に加わり、デリスタンは内戦に引き裂かれて行く……・

第一次大戦の敗北により、オスマン解体は現実のものとなった。オスマン帝国のスルタンと連合軍の間で交わされたセーブル条約によれば、バルカンのすべての民族は独立し、東部アナドルにはアルメニアとクルドの共和国、黒海沿岸にギリシャ系の国家が作られ、いずれ西部アナドルとともにギリシャに併合される。ボスフォラスとダーダネルスの二つの海峡及びイスタンブールは戦勝国の管理化に置かれ、一定期間の後にイスタンブール周辺のみがスルタンに返還される。この屈辱的な状況からトルコを救うため、第一次大戦でダーダネルス海峡防衛に成功したムスタファケマル将軍をリーダーとするトルコ共和国軍が組織される。ケマルは英仏軍相手に戦闘を開始し、ビザンチン帝国復活の布石として西部アナドルに駐屯するギリシャ軍をエーゲ海に撃退して一躍救国の英雄となる。そして連合軍の傀儡と化したオスマン帝国を滅ぼし、あらゆるイスラム制度を廃して1923年の新生トルコ共和国樹立となる。トルコの小学生は胸を躍らせてこの建国の美談を学ぶのだが、実はトルコ共和国公式の建国はこの年ではない」

「どういうことなんだ」

「トルコ建国は西暦552年さ。この年に何があったか知ってるかい。アルタイ山脈のかなた、バイカル湖のほとりに住む突厥の伊利可汗がモンゴル系国家の柔然から独立した。これがトルコ人による最初の統一国家建設なのだ、と法律に書いてある」

「なんだって。そりゃまたむちゃくちゃな」

「それが民族主義というものだ。民族には実体がないから、誰もが都合のよい建国神話だの救国の英雄伝説だの持ち出して煽りたてる。いってみりゃあガラスのような人工物なのだ。しかしとにかくオスマン帝国の子孫は、器はだいぶ小さくなったものの世界地図から抹消されずにすんだ。そしてケマルの次の仕事は、トルコを純粋なトルコ人の国に作り変えることだった。新生トルコに残された領土の3%はヨーロッパ側のトラキア、残りの97%はアジア側のアナドルにあった。実際にはトラキアの面積はもう少し大きいのだが、 トルコのヨーロッパ国家としての印象を少しでも薄めたい国連によって少なめに公示されている。だがそんなことはまあどうでもいいんだ。当時トルコ領内には70を超えるトルコ語を話さない人びとがモザイク上に全土にわたって住んでいた。地域的にまとまってないからインドのように言語別に州政府を作ることもできない。とくに目障りなのはデリスタン砂漠に住む音楽遊牧民どもだ。トルコもクルドも隠れキリスト教徒どもも同じ村に住み、いまだに異民族で結婚し、ますます民族の識別ができなくなってしまっている。公用語は音楽などとうそぶき、神秘主義の修行と称して飲めや歌えの大騒ぎが大好きで、いつイランに寝返るかもわからぬ信用できない連中だ。しかし、イスラムと訣別し、政教分離の世俗国家としてトルコをヨーロッパの仲間入りさせたいケマルは、新しいトルコ人意識を作り出すにあたって、結局イスラムに頼るほかはなかった。アナドルのキリスト教徒をギリシャに追放し、ギリシャ領内のムスリムをトルコに移住させるギリシャトルコ住民強制交換条約がそれだ。これがのちのカラマンル建国問題につながり、200万人のデリスタン難民を生み出すことになるのだ。ケマルはすべてのよきムスリムはよきトルコ人である、という苦し紛れの建前をかかげ、少数民族の存在を無視してトルコ化政策を推進する。それまでのアラビア文字に変わるローマ字の採用。ペルシャやアラブの悪影響を受けたオスマン時代のトルコ語を駆逐する、純粋トルコ語運動。トルコ語の名詞のほとんどがペルシャとアラブからの借り物である事実は、堕落した過去の象徴であるとされ、次々に珍妙な新語がつくられ、地名もまた純トルコ風に改められた。フランスの教育がモデルとされ、トルコ語以外の言葉を学校で話した生徒の首には『方言札』がかけられた。その生徒は自分と同じ間違いをしでかした者を見つけない限り、いつまでも札をかけていなくてはならない。学校だけではなく、トルコ語以外の言葉を公の場で使用することを禁止したのもフランスをまねたものだ。こうして、人々が出自を隠してトルコ人を装うシステムが出来上がる。」

「セーブル条約で独立を認められたクルド人とアルメニア人の運命は」

「悲惨なものだった。すでに独立国家を樹立していたアルメニアは、ケマルの軍隊とソ連軍の挟み撃ちにあってわずか半年で崩壊する」

「ソ連が」

「トルコとソ連は少数民族の分離独立という共通の難問の解決にあたって手を組んだ。トルコは東部アナドルの支配のため。ソ連は独立派アルメニア人による共和国をつぶして共産主義者による傀儡国家を作るためだ。いっぽうクルディスタンの状況は」

突然アイテキンがりんごを口にしたまま倒れた。近くで銃声が聞こえ、数人の武装した兵士が馬に乗ってやってきた。兵士の一人が俺に言った。

「アイテキンは心臓が悪いんだ。さあもうお勉強はおしまいだ。ハッキャリ村がカラマンル軍の空爆にあった。シイルトも、ザホも、めちゃくちゃだ。奴らはいっきにドウバヤジットを占領し、さらに植民地を拡大する気だ。トルコもシリアもそれを望んでいるのだ。俺たちが戦闘状態に入る前に君はここを離れ、北のウードゥルに行くがよい」

「ナオト、きいてくれ。かんじんのデリスタンの運命は、ウードゥルのデデだけが知っている。だから君はデデに会って話の結末を聞いたらよいだろう。だがおれ自身はもはや音楽を信じない。サズで何が変わると言うのか。ゲットーに閉じ込められ、四方を民族主義者の銃口で囲まれたおれたちは、銃で武装するほかないからだ」

「この状況を見てみろよ。おれたちにはもともと失うものなど何もないのさ。俺たちがテロリスト呼ばわりされる理由はたった一つ。国家がないからだ。圧倒的に武装した敵の銃口の前で、音楽が何の役に立つかね。カラマンル市民が俺たちの帰還を求めて署名運動でも起こしてくれると言うのかい。奴らが俺たちから盗んだ土地を返して、おとなしく出て行ってくれると言うのかい。戦場から車で1時間のリゾート海岸でおたわむれの市民たちに、占領下の俺たちの痛みをわからせるのはもはや愛じゃない。俺立ちが味わっているのと同じ程度の痛みなのだ。」