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サズ奏者 FUJIのブログ

新ホームページができるまでの間、しばらくの間ここからライブ情報を発信します。

1980年代から印度・中東を主に世界各地を旅する。トルコで弦楽器サズをかきならす吟遊詩人アーシュクに出会い、サズ奏者を志す。しばらく独学ののち我流の限界をさとり、1993年夏イスタンブルに赴く。現役サズ奏者のイルファンオラル、アドナンヴァルヴェレン、ジャフェルユルデュズの各氏に師事し、サズの演奏法の基礎から学ぶ。1994年に帰国し、日本で数少ないサズ奏者としてトルコ大使館関係のイベント、大学、図書館、ライブハウス、カフェなどで演奏を始める。1995年イスタンブルのSHOW TVおよびカナルテレビのニュース番組に出演。1999年トルコ地震チャリティーコンサートのために来日したサズ奏者エンギン=シャファク=ギュルレル氏の指導を受ける。2000年7月毎日新聞多摩版でライブ活動のもようが紹介される。
現在は本来のソロ演奏に加え、ベリーダンスや舞踏の伴奏、ダルブカやウードなどの伝統楽器との合奏、ナスレッッティンホジャの小話をまじえての語り、結婚式や音楽葬での演奏など、多方面で活動するほか、2006年より放送大学世田谷学習センターの非常勤講師を勤めている。2007年5月24日の読売新聞連載東京ストーリー(都内版)に登場。2010年6月NHK衛星第一テレビ『アジアクロスロード』に出演


これまでの主な演奏場所(ライブハウス、カフェ、レストラン 自主企画ライブを除く)

法然院 妙蓮寺 トルコ大使館 東大和公民館 国立公民館 高津区民ホール アートスペースKEIO ひなぎく 湯島天神 田沢湖ビューホテル 上野西洋美術館 明治記念館 さんさんふくし芸術館 府中の森芸術劇場 読売文化センター 放送大学世田谷学習センター 国際教育センター 井の頭画廊 四万十会館 FM西東京 文化服装学園 ヒクメットの会 国分寺市光公民館 樋口一葉一人語り(語り手久保美希子) たまり場うめ吉 福岡アジア美術館 トルコ漫画展 トルコ軍艦遭難追悼イベント(串本町) いけだ画廊 なかのゼロホール ミュージアム東京 川口リリアホール アスベスト館 そばや百丈 日本トルコ文化協会(京都) 並木公民館 名古屋芸術大学 東洋英和女学院 こもれびホール オタンティックカフェバル(イスタンブール) 新山小学校 光明院 スペースN  日本トルコ文化交流会 東京ジャーミー イラン大使館  帝国ホテル ユーラシア旅行社 ニッコウトラベル 沼津西武 東海大学 東京大学 調布公民館 江東区文化センター NHK文化センター 朝日カルチャーセンター横浜 
山口スタジオ 外国人記者クラブ 霞が関ビル 泉の森会館 世界旅行博ほか


演奏スタイル

サズソロ(演奏と若干の弾き語りが基本・トルコで良く知られたナスレッディンホジャの笑い話など語り中心のステージも可能)
サズ+パーカッション
サズ+パーカッションを基本に、バイオリン、ウード、ネイなどの弦楽器、管楽器を加えた楽団編成(ベリーダンスの伴奏としておこなわれることもある)
サズ+ボーカル(プロ歌手の伴奏)

演奏曲目

ハルク またはテュルキュと呼ばれるトルコ民謡を主体に
若干のアラベスク(アラブ風トルコ歌謡)と古典音楽(サナート)




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サズ。それは弦を弾いて音を出す楽器のもっとも原初的にして完成されたもののひとつである。その形、材質、デザイン、音、どれをとっても時の試練に耐えぬいたもののみがもつ簡素にして洗練された美が感じられる。それは音楽する人間の本能をゆさぶる魂の発音体だ。それはあなたのなかの音楽魂と共振しあうことで、より深い生の神秘を垣間見せてくれる秘密の鏡である。



中央アジア、カフカス、そしてアナトリア半島に古くから存在する吟遊詩人アーシュク。その源をたどればキリスト教、イスラム教などの一神教伝播のはるか以前のシャーマンにまで行きつくだろう。吟遊詩人がいつ頃から弦楽器を携えて歌い語るようになったのかは知らない。が、9千年前のものと思われるルーブル美術館所蔵の陶器にはすでにサズの祖形と思われる弦楽器をかき鳴らしつつ踊る男の姿が描かれているという。



中央アジアで使われていたコプーズが14世紀にアナトリアで発展し現在のサズと呼ばれる楽器になった、というのが定説である。以下に解説を記す。


サズまたはバーラマ解説
サズはトルコの民俗音楽の中でピックを使って演奏される発弦楽器の総称であり、大きさや形によりジュラ、バーラマ、ディヴァンサズ、チョウル、ブルガリ、イキテリ、タンブーラ、メイダンサズなどの種類がある。中でももっとも頻繁に演奏される中型のサズはバーラマと呼ばれる。バーラマにはフレットの数と音域により、短い竿のバーラマ(クササプルバーラマ)と長い竿のバーラマ(ウズンサプルバーラマ)がある。                                                       
私はトルコ音楽の専門家ではない。サズはもともと広い意味での民謡のた  


トルコにも日本、と同様、あるいはそれ以上に多様な音楽ジャンルが存在するが、大きな違いは民謡が老人や一部の物好きな、あるいはあたらし物好きなマニアによって細々といきながらえているのではなく、あるいは今日の津軽三味線をはじめとする、古さの中に新鮮さを見出すニッポン再発見風の、どこか仕掛けられたブームのような状況をまったく必要としない。
つまり、トルコという国の中で、民謡はただそこにあるだけで世の中の主役を占めている。それは民謡ファンの集まるカフェや酒場だけでなく、テレビやラジオやインターネットカフェや、野外ライブやCMやポップなイベントの中に堂々と存在している。今週のトップランキング風の番組で洒落たポップスと民謡が一位を競い合うことは別に珍しいことではない。つまり民謡は売れている。そして次から次へとアレンジを施され、常に『今風』たる宿命を背負った音楽、とさえいえるだろう。だが、そもそも民謡とそうでない音楽をどうやって区別するのか。説明するのは難しいが、聴けば分かる。そして、民謡にはサズは不可欠。サズを使わずして民謡の味わいを表現するのは大変難しい。




4月6日(水) クレオパトラの玉手箱

鍵はどなたがお持ち?
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IKUYO(ベリーダンス) 船原徹矢(パーカッション)FUJI(サズ)

開場18時半  19時半 20時45分 22時の3ステージ入れ替えなし

ノチェーロセット2600円(おつまみ一品+チャージ)ディナーセット3300円(料理一品+チャージ)飲み物別


ラテンの店ノチェーロ

港区六本木6-7-9川本ビルB1

六本木駅徒歩3分

メールまたは電話でご予約ください

03-3401-6801

yo@nochero.com

http://www.nochero.com/


4月22日(金) 見る、食べる、飲む、踊る。。。。何でもそろってます  立川の夜


イーチャン(ベリーダンス) テディ熊谷(サクセロ、フルート) FUJI(サズ)立岩潤三(パーカッション)


19時半  21時 2ステージ

チャージなし


インドレストランマユール(JR立川駅北口徒歩5分)

良いお席を確保するためご予約を

042-523-0410(田中店長)

www.mayur.jp



4月24日(日)トルコ音楽夜話


人はいつ死ぬかわかりません。しかし必ず死ぬのです。まあ、割とよくやったほうじゃないか、、と思いつつ死にたいもの。吟遊詩人の楽器サズが死と官能のはざまに揺れる究極のエロスをお届けします


FUJI(サズ ボーカル)

18時開場  19時開演

投げ銭+1500円(1ドリンク&トルコ料理1皿)

キノ・キュッヘ

JR国立駅南口富士見通り徒歩15分

音大付属高校向い文房具店B1

または多摩信用金庫前より「音高前」下車20m戻る

国立市西2-11-32 B1

042-577-5971

http://www1.pbc.ne.jp/users/kino9/



3. 情報屋の憂鬱    東京


   中東和平を掲げてイスラエル訪問中のアレックスジェイソン国務長官暗殺の第一報が飛び込んだのは、つい1時間ほど前のことだ。しかし職場の空気はまるで無関心で、誰もが自分の作業のことだけに集中している。同じマスコミとは言え、エロスポーツ新聞の編集室に国際政治の激動に一喜一憂する臨場感などあるはずもないのだ。整理記者の桑原健一は、仕事に精を出すふりを装いながら、ニュースに聞き耳を立てていた。机の上には彼がつけた『イチロー今日のランチは愛妻の天津どん』だとか『松井夜の六本木で場外ホームラン』といった陳腐な見出しが踊っている。だが記事そのものがどうしようもないのだから、しかたがない。もともと外語大でアラビア語を専攻した桑原は、現在のエロスポーツ誌の親会社の全国紙の外報部で、エルサレム特派員をしていたが、彼の送ってくる記事があまりにもパレスチナ寄りであると、ある筋からお達しがあり、すぐさま今の職場に更迭された。桑原が自分の経験からつくづく思うのは、日本の国際ニュースの大半は欧米特にアメリカの通信社からの受け売りで、そこにはアジアやアフリカや中近東を遅れた野蛮な後進国扱いする、白人文明の優越感と、それを脅かす正体不明の異物への神経症的恐怖心がまぜこぜになった、すこぶるゆがんだ世界観が投影されている。例えばここ数十年の間驚くべき分量で垂れ流されてきたパレスチナ問題。一体全体世界最強の軍事大国から湯水のように援助を受け、核兵器さえ所有しているパクスアメリカーナの特権者イスラエルと、国家さえも認められない占領下のパレスチナ住民を、まるで対等な国家間の争いであるかのように扱い、ケンカ両成敗的なおためごかしに逃げ込む日本のマスコミの、一体誰が占領地を訪れ、アラビア語で取材したことがあるのだろうか。「日本のメディアのあらゆる情報は、アメリカ大使館によって事前または事後にチェックされている。この検閲体制のそもそもの始まりは戦後の占領期だが、今でも巧妙なやり方で行われている。湾岸戦争でイラク寄りの報道をした国営放送の花形記者Hはその後まったくテレビに姿を見せなくなったが、どうやら君と同じように左遷されて今じゃ風俗新聞の広告取りをやらされているらしいぜ」通信社に勤める学生時代からの友人の村田直行が言っていたのを思い出す。「パレスチナ問題とは要するに満州国と同じなんだ。日本の植民地支配のかくれみのにつくった形だけの独立国。自分たちの土地を奪われゲリラ化した農民が満鉄を襲うたびに、日本の新聞は匪賊だの支那の盗賊などと騒いで国民の憎悪をかきたてた。イスラエルとはいってみればアメリカ公認の満州国なんだ」「おーい、桑原君ちょっときたまえ」部長の片桐が大声で自分を呼んでいる。「あのよう、新庄選手ユニクロ大好き」つうのもいいけどよ、一面にはやっぱ『清原夜の博多で⑤連発』だろ、やっぱうちの読者の好みをかんげえてくれねえとよ、先生よ。お上品ぶってちゃあ勤まらないんだよこの業界は」

2 焼けた廃墟の聖者   カルカッタ



腐乱した魚の臭いの立ちこめる路地裏のぬかるみの中で、私は一個5ルピーに値上げしたばかりのサモサをちぎって食いながら、サルモネラ中毒に侵された下腹をなでさすり、遠からず訪れる死を待ちわびている。

「サンチェさん、おなか壊してんだろ、そんな脂っこいもの朝から食べてちゃだめじゃないか。あたしがこれ作ってきてあげたからね」

太りじしの中年女が両手に鍋を持って私のテントに入ってきた。向かいのサダルバザールで観光客相手に絵葉書を売っているテスリーヌだ。亭主のラジューは乱暴な男で、よくこの女を殴りつけていたが、去年の暮れから商品の仕入れと称して上海に出かけたきり帰ってこないので、テスリーヌはすっかり持ち前の明るさを取り戻している。黒い更紗のスカートからはみでたももの肉がいつものように悩ましい。

「一体ナンだよう、この臭いは」

「となりのアハマドがフグリーの岸辺で釣ってきたんだ。アハマドは淫売宿に売られた妹を取り返しに街に行ったっきり戻ってこねえ。その間に魚は腐っちまったんだ」

「まあもったいない、それであんた、なんでどうにかしてやんなかったのさ」

「俺は老いぼれてごらんのとおり脚も動かねえ。ただ魚が腐って行くのを待ってるだけだ。だが、この臭いが何か無性に懐かしくてな。この町に逃げてきたばかりの頃、あの頃は街中が魚の腐った臭いであふれかえっていたよな。希望と歓喜の街、世界で最も汚い聖なる町とよばれていたものさ」

そういいながら、私は空中に射精していた。半年ぶりのことだった。

「あれまああんた、一体どうしちゃったんだい」

テスリーヌはうれしそうに身を乗り出すと、しぶきをあげたばかりのちんちんをすっぽり唇で覆い、激しく吸い始めた。あまり吸われたので肛門が突き上げるように痛かった。

むっちりとした白い脚が這うように腰に絡みつき、私はひんやりした女の肌触りを楽しみながらまたぐらを丹念になめまわしてやった。

「ここはどこだろうテスリーヌ、あらゆる革命戦士の墓標が建ち並ぶ、うらぶれた世界の豊穣な壁よ」ずんずんと私は突き進んで行った。ここを通るのは何とも久しぶりな気がした。ゆっくりと圧力をかけると、テスリーヌの壁が広がり、私は股関節の痛みも忘れて熱い海の中を泳いでいた。


私が子どもの頃には学校と言う建物があちこちにあり、私も近所の子らといっしょに、いやいやながらそこに行かされ、1日の大半を過ごさねばならなかった。私は学校になじめない子どもだった。私の生まれた島は、世界をゆるやかにめぐる風の吹き溜まりで、あらゆる生命が行き止まり、逃げ場をなくしてよどみ、生気を抜かれ、ゆっくりと腐って行った。島の人間はその臭気を文化とか伝統とか、愛国心だとか呼んでいた。学校はその自慢の文化のひとつだったが、あいにく私はおもらしをしやすい神経質な性分で、軍隊的に昇華されたタイムテーブルの仕切られた時間割に、自分の肛門を適応させていくのは並大抵のわざではなかった。時と所をわきまえず突き上げてくるアナーキーな便意は、無機質な役所然とした教室という空間のなかで勢い過敏となり、しばしば熱いシャワーをほとばしらせるのだった。その後に待ちうける教師の叱責と、子供たちの嘲笑、侮蔑、いじめ。それが私の、島の文化とのあまり幸福とは言えぬ出会いであった。


「あんた、重いよ。もうちょっと体をずらしとくれよ、そう、そうだよ、まだ出きるんじゃないかい、もっと、もっと突いておくれよ」

テスリーヌが私の肩にしがみつき、ゆったりと波打つ乳房が私の腹の下で柔らかく弾んだ。外で遠慮がちな咳払いがきこえた。

「誰だ、アハマドか」

違った。隣の横丁の市営アパートに住む車夫のモロゾフだった。

「サンチェ、地元の警察の動きがおかしいんだ。さっきも俺のところに来てあんたの事をあれこれ聞いて帰った。もっとも何もしゃべっちゃいねえが。おい、やばいぞ、急いでここを立ち去ったほうがいい。隠れ家のほうは俺が何とかする」

「いつもありがとよモロゾフ」と私は濡れたちんぼこを抜き取りながら言った。

「だが俺はもう年だ。そういつまでも逃げ切れるもんじゃねえだろ。今年になってからフズリーとバサエフとイブラヒムが死んだ。そして先週バヌワリがパリの酒場で殺された。あの事件の実行犯で生き残っているのは今じゃ俺一人だからな」

モロゾフは何も言わず、唇をかみ締めながら出て行った。何処で手に入れたのか、ルーマニア警察正式採用の短銃が一丁、入り口に置いてあった。

「ありがとよモロゾフ」

「ねえ、何話してたんだいあんたたち、あの人はだあれ」

「なんでもねえんだ。宝くじ売りのおじさんさ、それよりきょうのおまえ、やけに川魚のにおいがするぜ。なあいつものようにあれをしてみせてくれねえか、みたいんだよ今すぐにな」






もはや原子力発電所は即時全面廃止しかないだろうと私は思うが、世の中にはいのちより(百歩譲って健康よりも)電気が大切、という考えの御仁もおられるのだろう。したがって、日本全国で54基の原発が稼働中であることをあることを考えれば、統一地方選なんぞ今やどうでもよくて、政府は即刻原発をやめるか、やめないかの国民投票を実施すべきである。今月だめなら来月にでも実施すべきと考える。利権とか、金とか、しがらみがあってほんとうのことが言えないとか、そんな話が通用する時代は津波の一発で完全に終わった、と知るべきである。


後日談

これを書いてから6日後、東京都知事選の選挙公報をみてたまげた。原発のげの字も出てこないのである。今大変なことになってる福島の原発の電気を使ってきたのはわれわれ東京都民なんですよ。もはや使えなくなった福島原発の代わりに、またどっかに原発を作るんですか。それはやめます、という一言さえないんですな、これが。いやあ、首都に大量の放射能が降ってくるかもしれないご時世にとことん悠長なものだ。