3. 情報屋の憂鬱 東京
中東和平を掲げてイスラエル訪問中のアレックスジェイソン国務長官暗殺の第一報が飛び込んだのは、つい1時間ほど前のことだ。しかし職場の空気はまるで無関心で、誰もが自分の作業のことだけに集中している。同じマスコミとは言え、エロスポーツ新聞の編集室に国際政治の激動に一喜一憂する臨場感などあるはずもないのだ。整理記者の桑原健一は、仕事に精を出すふりを装いながら、ニュースに聞き耳を立てていた。机の上には彼がつけた『イチロー今日のランチは愛妻の天津どん』だとか『松井夜の六本木で場外ホームラン』といった陳腐な見出しが踊っている。だが記事そのものがどうしようもないのだから、しかたがない。もともと外語大でアラビア語を専攻した桑原は、現在のエロスポーツ誌の親会社の全国紙の外報部で、エルサレム特派員をしていたが、彼の送ってくる記事があまりにもパレスチナ寄りであると、ある筋からお達しがあり、すぐさま今の職場に更迭された。桑原が自分の経験からつくづく思うのは、日本の国際ニュースの大半は欧米特にアメリカの通信社からの受け売りで、そこにはアジアやアフリカや中近東を遅れた野蛮な後進国扱いする、白人文明の優越感と、それを脅かす正体不明の異物への神経症的恐怖心がまぜこぜになった、すこぶるゆがんだ世界観が投影されている。例えばここ数十年の間驚くべき分量で垂れ流されてきたパレスチナ問題。一体全体世界最強の軍事大国から湯水のように援助を受け、核兵器さえ所有しているパクスアメリカーナの特権者イスラエルと、国家さえも認められない占領下のパレスチナ住民を、まるで対等な国家間の争いであるかのように扱い、ケンカ両成敗的なおためごかしに逃げ込む日本のマスコミの、一体誰が占領地を訪れ、アラビア語で取材したことがあるのだろうか。「日本のメディアのあらゆる情報は、アメリカ大使館によって事前または事後にチェックされている。この検閲体制のそもそもの始まりは戦後の占領期だが、今でも巧妙なやり方で行われている。湾岸戦争でイラク寄りの報道をした国営放送の花形記者Hはその後まったくテレビに姿を見せなくなったが、どうやら君と同じように左遷されて今じゃ風俗新聞の広告取りをやらされているらしいぜ」通信社に勤める学生時代からの友人の村田直行が言っていたのを思い出す。「パレスチナ問題とは要するに満州国と同じなんだ。日本の植民地支配のかくれみのにつくった形だけの独立国。自分たちの土地を奪われゲリラ化した農民が満鉄を襲うたびに、日本の新聞は匪賊だの支那の盗賊などと騒いで国民の憎悪をかきたてた。イスラエルとはいってみればアメリカ公認の満州国なんだ」「おーい、桑原君ちょっときたまえ」部長の片桐が大声で自分を呼んでいる。「あのよう、新庄選手ユニクロ大好き」つうのもいいけどよ、一面にはやっぱ『清原夜の博多で⑤連発』だろ、やっぱうちの読者の好みをかんげえてくれねえとよ、先生よ。お上品ぶってちゃあ勤まらないんだよこの業界は」