『砂に埋もれた遺書』最終回 逃げ場なき逃亡者に明日はあるか | サズ奏者 FUJIのブログ

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戒厳令下のディアルバクル。トルコ軍国境警備隊員アイタッチ・ハキムの証言



「俺のもうひとつの仕事について話そうか。まあ実はこっちが本業なんだが、グルジアからの武器の密輸だ。今デリスタンでは二つの計画が同時進行している。ひとつはアラブに逃げた難民による百万人サズ無血大行進だ。カイロからサズ100万本をデリスタンに運び、砂漠からデルシムの聖なる山までサズを引きながら平和に行進する。すべてのデリスタン人と、少数のまともなカラマンル市民によびかけてカラマンをヒッタイトの国とする妄想から目を覚まし、難民の帰還を受け入れて民主国家を作ろうと呼びかけるのさ。あの戦争屋の政府相手にだぜ。カイロの指導者フスヌは、いがみあった歴史はサズによって一瞬に消え、デリスタンがかつて共有したサズ文化によるつながりが、洗脳されたカラマンル国民を呪縛から解き放つなどと夢のようなことをいっている。さて、もうひとつの計画は、はるかに現実的で、しかも可能性に満ちている。グルジアのバトゥーミからまもなく1万5千のカラシニコフ自動小銃がを運ばれ、ここディヤルバクルをとおり、ザホ、モスルをぬけてナギナ山に入る。待機していた5千人のムジャヒディンがそれを受け取って武装蜂起し、都市部での同時多発テロでかく乱しつつ敵の中枢を一斉攻撃するのだ。むろん実力でカラマンルを追い出せるなどと思ってはいない。泥沼の内戦にいやけがさして、カラマンル市民のたえまない国外脱出の時代がやってくる。デリスタン先住民が人口比率で逆転すれば、カラマンル政府が胸を張る中東で唯一の民主主義とやらによってデリスタン人は合法的に政権の座に着くだろう。さてあんたはどっちの計画が現実的だと思うかね。」



1936年5月17日

トルコ軍がアララット山でクルド解放軍の息の根を止めようとしていたその日、満を持して三方からカラマンル軍が進撃してきた。自由デリスタン運動は一発の銃を撃つこともなく壊滅した。かつてともにサズを弾いた仲間であるはずのカラマンルに武装放棄させることができるのはただサズの響きだけであった。そう彼らは信じた。ラクダに乗り、サズをかき鳴らす吟遊詩人が次々に倒れて行く。侵略者にもはや慈悲の心はない。



2004年8月13日

カラマンルヒッタイト国北西部のデリスタン砂漠の村が、12日未明カラマンル国軍空挺部隊によって爆撃された。同国政府の発表によれば、昨年来カラマンル国の転覆を目論む外国のテロリストが砂漠地帯に基地を建設。エジプト及びトルコの援助によって武装したイスラム過激派が密入国し、首都デルシム攻撃計画が実施されようとしていたため、事前に拠点をたたく必要に迫られたものだという。今後は国外の過激派とつながりのあるテロリスト集団の壊滅に全力を挙げる方針だという。なおエジプト及びトルコの政府スポークスマンは、テロ活動への関与を全面否定している。



アメリカ国務省ジェイソン長官の談話

中東和平を妨害するテロリストの卑劣な計画を事前に食いとめることができた。計画の規模から見て外国政府の関与は明らかだ。われわれは中東唯一の民主主義国家の防衛のため、あらゆる手段を検討している。テロリストたちには武力の行使がいかに高いものにつくか思い知らせてやらねばならない。




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「ねえねえそれでどうなったの。みんな死んじゃったわけ?」

西条紀子が俺にもたれかかりながら言った。イズニックタイルのデザインを勉強に来た学生だ。『さよならレストラン』のベリーダンスショーがお気に入りで、週に二回はひとりでやってくる。最近までトルコ人の恋人がいたのだが、結婚を迫るのでいやになって別れた。この街ではありふれた話だ。

「そうだ。そのときイルハン・メネメンジオウルは敵軍の中にひとり入ってこう言った。

「諸君、俺たちの先祖はどんな和解しがたい戦いであっても、こうしてサズを共に聴き、魂を癒すことで、かけがえのないものを思い出すことができた。争いごとには限りがないということを。言葉を捨てよう。民族、神話、伝統、文明、あらゆるまやかし言語が、諸君を個人でなくし、集団の狂気に身をゆだねることを命じている。どんなにつらくともひとりで決断しようではないか。この音を聴いてくれ。ここに俺たちが民族と宗教で反目させられるはるか以前の記憶がつまっている。俺たちに父を殺された諸君、諸君に母を強姦された俺たちは、すべてこの音の兄弟なのだ。俺たちすべての血管をめぐる蛇の声に耳をすませ、どんなににくくとも兄弟殺しを止めると誓おうではないか。殺せば殺すほど、われわれは自分の記憶のかけがえのない一部分を殺してしまうんだ。」

返ってきた答えは一斉射撃さ。カラマンルの奴らにはもはや彼が何を言ってるのか理解できなかったのさ」

「きゃあかっこいい、サズってそんなに素敵な物語があったんだあ、ねえ弾いて弾いて」

紀子の長い髪がふさふさと揺れて俺の顔にかかった。イスタンブルに長期滞在する日本人旅行者の中には、現地の空気になじめない反動で、俺のような外国暮らしの日本人の男を妙に美化して恋心を抱いてしまう女がたまにいる。

「なにがかっこいいものかよ。さあどいてくれ。俺は街頭の客引きなんだ。あんたばかり相手にしてるわけには行かない。ノルマをこなさなくちゃあお払い箱なんだよ」


2004年夏のデリスタンでの出来事をここで繰り返すまでもないだろう。皆さんはすでに新聞でご存知のはずだ。カラマンル政府公式発表の作り話と、お定まりのイスラムテロ非難のヒステリックな大合唱を。だが結局俺は逃げた。怖気づいてデリスタン砂漠のテント小屋からひき返したのだ。イルハンは言った。君は生き残って俺の最後を見届けてくれ。それを歌にしてイスタンブルから世界に発信してくれと。君は死んではいけない。その言葉に自分の臆病を正当化した。そしてすさまじい銃撃のドサクサにほとんど反射的に逃げ出した。イルハンから預かったサズだけを握りしめて国境に向かった。その後はどうなったのか。まるで覚えていない。すさまじい爆裂音と血の匂いとやけただれた皮膚の臭い以外には何ひとつ。


音楽に関わりつづけることは時として命を落とす。俺が言えるのはそれだけだ。音楽に魅せられてしまったものは、その音楽の作り手と運命を共にしなきゃならないってことだ。あたりさわりのないように逃げまわったとしても、結局はそうなるのだ。イルハンから預かったサズは、恐らく世界にひとつしか残っていない蛇皮のサズだ。サズがシャーマニズムの聖性を帯びていた時代、たしかにその響きは人の心を支配できた。だからこそ戦場に置かれた一本のサズが、平和をもたらすことができた。だがあの爆裂音が全身を貫いて以来、俺の体に恐怖が張りついてしまった。今やアパートの物置小屋で荒れるにまかせているサズに、申し訳ない思いでいっぱいだ。このサズを弾きこなせる者こそがお隠れになった最後のイマームだとイルハンは言った。国籍も与えられず、ゲットーに閉じ込められたまま緩やかな死を生きるデリスタン人は、きょうもイマームを待ち望み、サズを奏でるのだが、彼らがサズの力を信じられる時間はもうそれほど残っていない。楽器を捨てて武器を手に取ることもかなわず、肉体を唯一の爆弾にして占領者の群れに突っ込む彼らを非難する正義が、この世の何処かにあるのか。

        



イルハン・メネメンジオウル

カラマンル国領内に不法侵入し大衆を煽動した罪により射殺



ジェンギス・エルデム

カラマンル国の過去50年のデリスタン人への弾圧を告発した記録本の出版によりイラン人権賞受賞。その後ラク酒場で何者かにより射殺。


バッサム・ハーラウィー

カラマンル国に不法侵入し、日本向け出荷果物スウィーティーに小便をかけているところを警察に捕らえられ獄中で拷問死


サーサーン

カラマンル大統領府主催の晩餐会にベリーダンサーとして招かれ、大統領側近2名を殺害。その場で逮捕されるが刑務所を脱獄。今もって行方不明



フスヌ・アスラン

サハラの修道院より自由デリスタン放送をカラマンルに向けて発信。ピルスルタンアブダルの歌を弾き語り、カラマンル空軍の空爆を受け、地下室で爆死



アイテキン・アタシュ

シリアを追われたPKKクルド労働者党の拠点づくりのため日本滞在中、酒場でやくざ風の男と口論になり、腹を刺されて死亡


アドナン・ヴァルヴェレン

2004年夏のデリスタン蜂起の首謀者としてカラマンルに拉致され、軍法会議により銃殺。獄中でひそかに録音したサズのテープが占領下のデリスタン住民の手に渡りひそかに聴かれている。



アイタッチ・ハキム

トラック運転手としてカラマンル軍に軍需物資を搬送中に暴走し、カラマンル市民5人を殺害。自らも爆死。


ムハンマド

出稼ぎ先のフランスで幼児買春容疑で逮捕され、服役中に突然死


ネスリーン・マレキ

百万人サズ大行進に参加するためカラマンル国に密入国し、イルハンの最後を見届けた後、現場から逃走。以後行方不明。




エピローグまたはプロローグ


あてもなく俺は町をさまよっていた。どうやら旧市街のアプタル人(この国では先住民のことをそう呼んでいる)居住区に入りこんでしまったようだ。「アプタル人は危険で好戦的ですから何をされるかわかりません。決してひとりでは立ち寄らないでください」というツアーコンダクターの緊張した声が思い出される。レンガ造りの民家の路地を歩いていると、どこかなつかしい色あせたピンク色が目に飛び込んできた。アパートの軒につるされた女のヴェールが風に揺れていた。「ナオトサーン、そっち行っちゃだめだめ」ガイドの声がした。次ぎの瞬間後頭部に激痛が走った。俺は頭を抱えてうずくまり、おぼろげにかすんで行く意識の中で子どもたちのかんだかい笑い声を聞いた。

                                                  

                               2001・4・29


言うまでもないが 

この物語は完全なフィクションであり、実在するいかなる国家、政府、団体、宗教、党派、人物とも関係がない。



あとがき


この小説(?)らしきもの、最後まで全文読んでくださった方はまあ、おそらくひとりもいないだろうが、長いことどうもありがとうございました。10年も前に書いたもので、もともとは中東を舞台にした小説を書くための取材ノートみたいなものだった。しかし、自分には小説を書く能力が決定的に不足していると感じ、メモ書きのまま公開してしまったというわけだ。事実に即しているところ、部分的にフィクションをはさんでいるところ、まったくのでたらめ、が混在しているので、中東に行ったことのない方にはわかりにくかろうが、わかりにくいことこそ、まさに、中東の本質なのだと思う。善悪の単純な図式はほとんど意味を持たないだけでなく、害悪でさえある。よくわからないけど、興味をそそられる、そういっていただけると私もとてもうれしい。この話の後日談として短編をちかじかお送りする。これも以前に書いたもので、生き残った人々のその後、といった趣だ。わたしは絶対の正義を信じることのできない人間である。誰にも、犯罪者にさえそれなりの正義がある、という考えを捨てることができない。そんな私にとって、中東(とひとくくりにできるはずもないことは当然として)は様々な正義の生存を賭した永久闘争の場であり、かつて正義を調停するものとして存在していたはずの何かが失われてしまった虚無の荒野で、、それを取り戻そうとする人々の痛ましいが人間的な、愛の実験場である。そしてその何かを、わたしは音楽=サズという名で呼んでみたのだった。主人公や、彼が訪れる各地での出会いや出来事には、わたし自身の1990~1995年の断続的な中東旅行の記憶が反映しており、旅で出会った幾人かのトルコ人、シリア人、エジプト人、ヨルダン人、イラン人の方々にはこの場を借りて深く感謝したい。特に国境の街で疲れ果てていたパラチフスのわたしを診察してくれた、シリアの亡命アルメニア人医師と、尻に注射してくれた妙齢の看護婦ネスりーン、あなた方がいなければ、私の病状はかなり悪化し、、その後の人生も違ったものになっていたかもしれない。本当にありがとうございました。                               2011.3.5