砂に埋もれた遺書 その8 国境の街に漂う死の現実と豊穣なる記憶の「はざまで俺は | サズ奏者 FUJIのブログ

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戦争状態にある民族国家ほどテロ性の強い勢力はない

(リチャード・ルービンスタイン)

ドウバヤジットに着いたときは冬だった。かなり近い距離にアララットがみえたが、それはまるで空中に浮かんでいるようで、不思議な霊気がこの町全体に降り注いでいるように感じた。何処を歩いても、山に見られているような気がした。カセットテープを山積みにしたテープ屋が、あたりかまわず大音響でクルド人の歌を流している。屋台の張り紙に『永遠の青春スターブルハンチャチャンのクルド語オリジナル新発売!売ってるのはここだけ』と書いてある。イスタンブールで大人気のスター歌手はクルド人だったのだ。『マンカファツーリズム』は客もなく、ひっそりとした店内で数人の男がチャイを飲みながら、たんたんとバックギャモンを続けていた。そのうちのひとりが俺に挨拶した。

「ひまなんだよ。政府軍とPKKの戦闘が始まって以来、クルド地域に観光バスで行く馬鹿はいない」アイテキンは眠そうな目をこすった。

「あんたのことは聞いてるよ。いよいよあの計画がスタートしたってわけか。とりあえず飯でも食いながら話そうや。クルド名物の羊の焼肉を食わせてやるよ。イランにはろくな食いもんはなかったろ」

アイテキンアタシュは四十を少し過ぎたクルド人で、ドルムシュの運転手と観光ガイドを兼ねている。

「この街の住民は100%クルド人さ。トルコのやつらはおれたちをPKKクルド労働者党のスパイ扱いしている。酔っ払った兵隊が装甲車の上から毎晩のように威嚇射撃をかけるのさ。あいつらも同じクルド人なんだから、もう救いがねえ。この店のカベはごらんのとおり穴だらけだが、何処の店もおんなじだ」

俺はアイテキンに自分のこれまでの旅のあらましを語り、タブリーズで聴いた話の続きを促した。しばらく沈黙が続いた。突然店の外で銃声が下かと思うと、ぱらぱらと激しい雨がたたきつけるような連続音が聞こえた、「おい、身を伏せろ、またやつらだ」誰かの大声が聞こえた。

「イサクパシャ宮殿に行ったことがあるか。中世のクルド王の宮廷で、この街一番の観光名所だ。俺のドルムシュで案内する。料金は要らない」

森の中にひっそりとたたずむ宮殿は、5キロ先で行われている殺戮の愚かさを静かに哀れむように建っていた。

「俺のオヤジはカラマンル建国で追い出された難民で、自由デリスタン運動のリーダーだった祖父はカラマンル軍に殺された。オヤジはデリスタンへの帰還を夢見て死んだが、俺は今ではPKKのメンバーとしてクルディスタン解放運動に関わる身だ。つまり、立場が違うんだ。しかしとりあえずあんたの要望に応じて、話の続きをきかせよう。

村よ 村よ 村よ 村よ

村は今年も緑になった

なぜなくのだ なぜすすり泣くのだ

誰がおまえをぶったのだ

なぜ俺に言わないのだ

「デリスタン人は音楽によって宗教と言語の違いが反目の原因にならないような社会を作り上げていた。音楽や、歌や舞踊は人間が分裂する以前の原初の記憶を呼び覚ますのだ。民族の違いなど後世のでっちあげさ。ひとつ例をあげよう。デリスタンの北にあったトレビゾンド帝国はビザンチン帝国の親戚みたいな国で、ギリシャ人皇帝によって治められていたが、ここにはギリシャ系の人やラーズ人が住んでいた。彼らに共通する文化といえば、ハムーシという魚が飛び跳ねるさまを表現した快活な踊りとケメンチェの超絶技巧だ。15世紀にオスマン帝国によってほろぼされて以降、イスラム文化との同化が進んだが、ギリシャの独立とトルコ共和国の出現ですべてがおかしくなった。人々は宗教や言語でことさらに差別しあうようになり、例のトルコギリシャ住民交換で、ギリシャ系はみなテッサロニキやバツウミに追放された。だが彼らはどこへ行ってもハムーシの踊りを忘れることはない。宗教上ギリシャ共和国に属しているが、故郷はエーゲ海ではなく黒海だと言う真実を、踊りに反応する彼らの肉体が証明してしまったのだから」

19世紀のデリスタンにはヨーロッパから新しい風が吹き始めていた。オスマン帝国との対決を通してヨーロッパ意識を持つようになった西洋は、ことさらにオスマン内部の国際色への憎悪をあらわにして行った。オスマントルコという名前がたぶんあんたたちの目くらましに一役買っているのだろうが、この国は決してトルコ人の国ではなかったんだ。いやそもそもトルコ人という概念そのものがヨーロッパに対抗するための苦し紛れの発明品だった。13世紀に中央アジアから出現したオスマン朝は、バルカンの美女との結婚によって血筋としてはほとんどギリシャ人やスラブ人となっていた。一方広大な領土に住むアラブ人やアルメニア人やクルド人などさまざまな異民族が通婚を繰り返すうちに、支配的な言語であるトルコ語を話す者が増えて行く。もともとトルコ語を話す人々はトルクメン、カラマン、アゼリー、テュルケズ、タタールなどそれぞれの部族意識を持っていて、トルコ系であってもトルコ人ではなかった。フランス人やスペイン人やイタリア人がラテン系といわれてもラテン人という単一の民族が存在しないようにだ。

「ところがこうしたあいまいさは国民国家の時代にあっては役に立たないどころか有害だ。オスマン帝国の領土に目がくらんだ西洋人たちはなんとしても帝国を分裂させ、小国を乱立させたうえで傀儡国家として操ろうとした」

1815年ベルサイユ宮殿におけるヨーロッパ十字軍首脳会議

「まずはギリシャの独立だ。西洋が軍を送って援助するための効果的なキャッチフレーズがないだろうか」

「異教徒に蹂躙されたコンスタンチノープルをヨーロッパに取り戻そうというのはどうだ」

「いやそれはまずい。ビザンチン帝国をつくったのはギリシャ人だが、彼らの正教とわがローマカトリックはあまり仲がよくない。あまり知られていないことだが、メフメット二世によってコンスタンチノープルが攻め落とされるまえに、実はおれたち第四回十字軍がビザンチン帝国を破壊し尽くしてしまったのだから。古傷が再発して大変なことになるぞ」

「そもそもギリシャが西洋の仲間だという設定そのものに無理があるのではないか。シシカバブやムサカを食ってアイランやラク飲んでる連中はどこからみてもアジア人だ。そもそも宗教の違いを別としてトルコ人とギリシャ人をどう区別したらよいのか。カトリックのドイツ人とプロテスタントのドイツ人を別の民族扱いするようなものだ」

「それをいってはおしまいだ。いいか、これは戦争なんだ。この戦争はどうしても野蛮なイスラムに対する西洋文明の戦いと位置付ける必要がある。無理やりにでもアテネやサロニカの市民に武器を持たせなくてはならないのだ」

ヨーロッパ聖戦機構の首脳が一堂に会しての作戦会議は、なかなか結論が出なかった。アングロサクソン帝国の首相がおずおずと発言を求めた。

「どうでしょうみなさん、ソクラテスもプラトンもみんな怒ってる、というのは」

「なんだいそりゃあ、ソクラテスって誰だ」

大フランス国の大統領だけが感心したように言った。

「いいところに目をつけたぞジョージ、俺たちヨーロッパ人が仲間でいられるのはキリスト教だけでなく、ギリシャローマ精神こそが俺たちの民族的ルーツに他ならない、という確信のゆえである」

「しかし史実としては、ギリシャの合理主義的哲学と科学はビザンチンに逆らったネストリウスの一派によってペルシアに全部持ち去られ、ペルシアからアラブに渡って完成し、われわれの祖先はアラブからルネッサンスを教えていただいたと言う・…

「アラブのベドウィンどもにアリストテレスが理解できたというのか君は」

「しかしこれは歴史的な事実で」

「歴史などほうり捨てておけ、今は戦争なんだ。とにかく俺たちの師はギリシャなんだ、決してアラブなんかじゃない」

「しかしギリシャの学問芸術がキリスト教に反し人間の自由な理性を尊重しすぎていると言う理由で禁止したのは、ほかならぬ中世のギリシャ人だったのですよ。今やキリスト教の中でも原理主義の正教に属する彼らが、多神教時代のギリシャにアイデンティティーを持つなんて考えられません。現に彼らの大半が自分たちをルーム、つまりローマ人だと称している」

「そこを何とかするんだ。学者や詩人を動員してキャンペーンを張れ。オスマン軍を挑発してエーゲ海の島で住民大量虐殺のひとつでも起こさせればしめたものだ。その虐殺の実態を詩人が嘆き、画家が描く。こんなキャッチコピーはどうかね。「俺たちの故郷で、ソクラテスの子どもたちが死んで行く」

こんな風にして無理やり民族意識を持たせられた人々は、次々に独立して行った。モンゴル来襲につながる古い蛮族の記憶が呼び覚まされ、トルコ人と称せられる人のほとんどが、言語をトルコ語に変えイスラムに改宗したギリシャ人やアルメニア人アッシリア人であることなど誰も覚えていなかった。いや同じ民族であれば、近親憎悪はより深かった。

「まずはバルカンのキリスト教圏をイスラムの宗教弾圧から守ると言う名目で全部独立させる。後は東部アナドルをどう分割するかだが」

「アルメニア、クルド、アッシリアが独立を求めています。それぞれ昔からアナドルに住んでおり、アルメニア、アッシリアはかつて古代王国を築きました。中央アジアの蛮族どもに虐げられた忍従の歴史キャンペーンを張り、スルタンを東からかく乱しましょう」

「そいつはいい考えだ。ところで適当な煽動者はいないのか。たとえば詩人バイロンががギリシャ独立を煽ったように、民衆をたきつけるなんらかのオルグが必要ではな いか」

「アナドルには古くからアーシュクという吟遊詩人がいて庶民相手に英雄伝説や恋物語をサズという弦楽器を弾きながら語り聞かせる習慣があるようです」

こうして、アーシュクの中にはヨーロッパ聖戦機構からの補助金によりスパイとなり、懐柔され、民族主義を鼓舞する歌を広める者も出てきた。古代の統一国家の栄光の日々が語られ、異民族の支配のもとでの苦難の歳月が語られる。

西洋の武力攻勢の前に窮地に立ったオスマン帝国の内部でもまた、青年トルコ人と称する一派が台頭してきた。西洋に留学経験を持つ軍人たちは、今やヨーロッパの国家の強さの秘密を知ったのだ。ひとつの民族でひとつの国家をつくる。民族とは共通の言語と文化の共同意識であり、団結心に満ちた求心力だ。ひるがえって帝国の現状は、100を超える言語が話され、かってきままな村の伝承をふりかざす無数の部族のよせ集まりではないか。なんとかヨーロッパに負けないような統一化された民族国家をつくらねばならない、と彼らは考えた。ところが、オスマン帝国には民族はいなかったのだ。

困ったものだ。この国には民族がいない。民族が存在しないのだから、民族意識を持ちようがないのは当たり前だ。

この国はオスマントルコと呼ばれてはいるが、トルコとはトルコ語を話すアナドルの田舎者の総称で、そもそもトルコ語といっても現在トルコ共和国で使われているような統一されたものではない。同じインドヨーロッパ語でもヒンディー語とフランス語がまったく違うように、トルコ語も共通の語源を持つおおまかな言語集団にすぎない。彼らはまず第一にイスラム教徒であり、次にトルクメン人、アブダル人、バシキール人、タタール人で、しいて言えば遊牧トルコ系諸民族だった。トルコ人などという言葉はラテン人、漢字人、インドヨーロッパ人などと同じく実体のない幻想であった。一方で、トルコ系でない言語の話し手、とくにアルメニア人とアッシリア人ははやくから民族意識を持つようになって行く。ムスリム指導のもとでの平和を屈辱と考える思想がはびこり、ギリシアやセルビアの成功が独立への勇気を鼓舞する。オスマン帝国の領土分割をもくろむロシアとイギリスが、影で独立運動を煽っていた。アルメニアの背後にロシアが、アッシリアの背後にはイギリスがいた。一方同じイスラム教徒のクルド人は、歴史上統一国家を形成したことがなく、常にペルシアとオスマンの間の陣取り合戦に利用されてきた。古くからクルド人の抵抗に手を焼いたオスマン帝国は、この頑固で勇猛な部族をペルシアとの国境紛争に利用してきたが、16世紀にサファビー朝が登場してからは、クルド人の中にもシーア派信仰が広がり、デリスタン独立運動の一翼を担うようになる。オスマン政府はその弾圧にスンニー派クルド人の部隊を利用したため、クルド人社会に深刻な亀裂が生まれた。シーア派クルドにはサファビー朝が武器を援助し、現在まで続くクルドゲームの原型がつくられたのだ。

「それで東部アナドルではアルメニアとアッシリアの独立運動が起こったときにクルド人はオスマン側についたのか」

「クルド人の貧困につけこみ、アッシリア人を追い出せばそこがおまえたちの土地になる、とささやいたのさ。折りしも東からは帝政ロシアの支配を逃れてチェチェン難民が、西からはバルカン諸国の独立で粛清の恐怖にかられた多くのトルコ人が殺到し、アナトリアの土地をめぐる小競り合いが頻発していた。やがて村ごとにハマディア騎兵隊なるものが組織され、アルメニア人討伐命令が下る。当初この策謀に加わるクルド人はほとんどいなかった。アルメニア人とクルド人は何世紀もの間、宗教の違いを超えて共存してきた仲間であった。賢明な者は、キリスト教徒を追放した後にオスマンの銃口がクルド人に向けられることを知っていたからだ。しかしオスマン軍への協力を拒んだ村が爆撃されるにいたってやむなくこの討伐に参加し、ほどなくアルメニア人のほとんどがアナドルから追放される。その過程で起こったのが二百万人のアルメニア人大虐殺だ。こうして東部アナドルのほとんどの土地を手にしたクルド人は、しかしやがてトルコ民族主義によって第二のアルメニアの道をたどる。」

「そもそもトルコ人が存在しなかったオスマン帝国に、どうやってトルコ民族主義なるものがうまれたのだろう」

「青年トルコ運動の指導者エンベルパシャは、イスラム改宗以前のトルコ系民族のご先祖を統一のシンボルとして担ぎ出した。現在トルコ共和国の国是となっているトルコ中央アジア渡来説だ。トルコ人の先祖はかつてバイカル湖の南に住む遊牧民で、西に移動してヨーロッパにいたり、オスマン帝国を誕生させた。トルコ系民族の連帯が叫ばれ、灰色の狼がトルコのシンボルとなる。トルコ人の最初の祖先が狼の血を引くという伝説にのっとったものだ。」

「しかしオスマンの支配者たちは700年の混血によって実は異民族化していたのではないか」

「そのとおり、支配者だけではない。ほとんどのトルコ人は先住民との混血によって雑種化している。トルコ人とは先住民であるギリシャ人やペルシャ人やクルド人やアルメニア人のうちで、トルコ系民族と混血し、言語と宗教を受け入れた者のことだ。つまりアナドルではトルコ系民族そのものが混血の産物なのだ。しかしあたかも中央アジア渡来の純血トルコ人の末裔であるがごとくに幻想をもち始めた彼らは、オスマン帝国領内にはトルコ人しか住んでおらず、また住んでいてはいけないと確信するようになる。さらにエンベルパシャはすべてのトルコ系民族による統一国家をめざし、中央アジアに兵を進める。彼の妄想の中では日本人やハンガリー人もトルコ人なのだ。」

「しかしそれはまさにヨーロッパのわなにはまったことではないか」

「しかり。ヨーロッパの連中からすれば、オスマン帝国自らが中央アジアの蛮族の国であることを認めてくれたのだから、オスマン帝国を文明のヨーロッパから切り離すのにもはや何の遠慮も要らない。やつらはしょせんキリスト教世界の破壊者であり、バルカンからの駆逐はトルコ人を本来の故郷に帰してやるだけのことだ。話は変わるが21世紀の今日、バルカンの多くの国で、イスラム教徒の多くはキリスト教徒と同じスラブ系であるにもかかわらず、トルコ人と呼ばれている。セルビアのスナイパーたちは、中央アジアの砂漠に帰れと叫びつつサラエボ市民を殺したが、それは当時のヨーロッパの植民地主義者が考えていたこととまったく同じだ。」

「つまりオスマン帝国の住民が実はヨーロッパ人の血をひいていることがばれてしまってはまずいので、これを無理やり好戦的なアジアの遊牧民の純血種とみなし十字軍意識を高め、一方オスマンの側でも列強に侵略される恐怖から、祖国防衛のイデオロギーとしてトルコ民族主義を採用するに至った」