小説「砂に埋もれた遺書」その3 ベドウィンの長老は物語る | サズ奏者 FUJIのブログ

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真昼の砂漠の暑さは過酷である。昔太陽のせいで人を殺した殺人犯を主人公にした小説があったが、この苦しさから抜け出すためならおれもそうするかもしれないとさえ思った。おまけにうまれて初めてのラクダの旅でひどい股ずれを起こし、ベドウィンのテントに着いてラクダを降りたときには痛みで歩くこともできなかった。あたりの空気が陽炎のようにゆらめき、精神の悩みだとか、他人のまなざしへの恐れだとか、内面を支配していた秩序が限りなく後退し、快と不快の感覚だけが昆虫のごとくまわりを伺っている。

「熱風に季節はない。ペトラの遺跡には見向きもせず、ひとりでこんな砂漠の果てまでやってくるとはあんたもツーリストにしては変わっておるのお」

デルベデール砂漠の長老シーメーカーンはナイキのマークの入った真っ赤な野球帽をかぶり直して言った。

「ネスリーン、ジャポンから来たこのお客さんにチャイをだしてあげなさい。まちがってもアンマンのチャイハネのようなまねをするでないぞ。それから、あれはなんじゃったかな、ほれ,去年の今ごろ泊めてやったデンマーク人が置いてった、茶色い、らくだのうんこのような」

「チョコレートでしょ」

「そうじゃ、うんこのようなチョコレート、あれもお出ししなさい」

俺は内心後悔していた。ベドウィンの長老であるはずのこの老人は、よれよれの背広にだぶだぶのジーパン、眼にはどういうわけかおもちゃのゴム製の鼻眼がね、腰にはブリキの刀を差し、口元から黄色いよだれがたれている。つまり、どうみても民族の悲劇を体現している一族の長には見えなかった。

「どうしたジャポン。ここへきたことを後悔しとるような顔つきじゃな」

「いえそんな」

「まあまあここで一服じゃ。。ネスリーンの入れたチャイでも飲んで、旅の疲れを癒すがよい。そこらの屋台の香料も使わぬ粗悪品とちごうて、ネスリーンのいれるチャイは、五種類のスパイスが芳香をかもし出す極上の一品じゃ。あんたも知っとるじゃろうが、近頃のアンマンではブルックボンドとかいう粗悪な紙袋に入った1年前の茶葉を、湯に放り込んだまま客に出すのじゃ。まったくもってアラブの誇るもてなしの心も地に落ちたものじゃ」

「長老、ありがたいことですが、今の私はチャイを楽しむ心の余裕がありません。私はシリアのアレッポでのサーサーンという女性に出会い、不思議な語りに導かれてここへやってきました。彼女は自分の話の続きを聞かせるのはあなたであると言いました」

「えっなんですかあ、ちょいと最近耳が遠くなっての。おやおや、これが好物の、ああ・・ラクダのうんこによく似た、なんじゃったかな」

「チョコレート」

「あっそう。ジャポンも一口どうじゃな」

「長老、ですからわたしは話の続きをうかがいに来たのです。あなたがたアレウィーの歴史について、わたしはアレッポの何人かの人々からその存在を知りました。彼らがサズデリとよぶ夜の集会にも参加しましたが、どうも今だわからない点が」

「んん、なんですかあ、ネスリーン、この人は今なんと言ったのか。びすみっらいるらふまあんあらひいむアッラーアクバル。そういえばネスリーン、おまえが昔振られたサイードがコックをやってるホテルの名前は何というたかな」

「ホテルソーソーソーでしょ。でもおじいさんあたしがふられたわけじゃないわ。日本の女とつきあうようになって、あいつが変わったのよ。パソコンばかりぴこぴこやって野山羊のしとめ方も忘れちゃったんだから」

「まあまあ、それはさておき、あのサイードの淹れるアラビアコーヒーの味が以前に比べてずいぶんとまずくなったと思わんか」

「サイードは日本でフランス料理店で働いていたでしょう。コーヒーもフランス式になっちゃったのよ。馬鹿な奴」

「そうじゃのう。まだ先代のオーナーの時分に、泊まりに来た日本人の女と恋仲になり、結婚して日本に渡ったものの、1年も経たずに女房はセックスレス。きゃつはあのとおり根っからの好きもんじゃろ。なにかとうまくいかんで結局離婚となった。なんでもおたくの国では結婚した男と女は友達のようになってしまいお互いに欲望を感じなくなってしまうんじゃとか。わしらの常識では図りしれんのう。男と女は一緒に暮らしておれば乳繰り合うのが生物の摂理、神のお望みであるはずじゃ」

「おじいさん、ジャポンの眼がなんだかうつろよ。まるでおじいさんの話を楽しんでないみたいに見える」

確かに俺がいらいらしているのは暑さのせいばかりではなかった。

「まあまあ、先を急ぎなさんな。シュワイヤシュワイヤ、リトゥルリトゥル、これからがおもしろくなるのじゃぞ。どうもジャポンという人種はせっかちじゃのう。そんでもってこの村に舞い戻ったサイードは、また前と同じホテルに勤め出したのじゃが、このホテルの名前の由来については知っとるか、ネスリーン」ベドウィンの長老はおかしくてたまらないと言った表情で笑いをこらえていた。

「なあに、どんな由来があるのかしら、ぜひ聞きたいものだわ」

「そうじゃろう。実はあのホテルはもともとホテルベドウィンといって白人ヒッピーご用達の安宿じゃった。ところが新しいオーナーがアンマン空手専門学校の生徒での、もうジャポンが好きで好きで、白人ヒッピーどものリラックスしきったでかい態度にすっかりおびえてちじこまっとる日本人ツーリストがかわいそうでのう、ぜひ日本人専用のホテルにしてやろうと、まずは名前からして日本人の気に入るものに変えようとしたのじゃ。そこでまずホテルブルースリーにしようという話になったんじゃが、ブルースリーは日本人じゃないらしいとわかって没にされた。そんなあるとき自分がフロントに立ってみると、日本人ツーリストたちが男女の別なく、会話の中でしょっちゅうソーソーだのソーソーソーだのと口にしとることに気づいた。これはきっとアラビア語でとてもよいを意味する「アフラン」とかオーケーをいみする「アイワ」のような決まり文句に違いない。決まり文句というものはいわば国民性のシンボルじゃからの。しかし従業員会議では大変じゃった。『ホテルソーソーソー』にするか『ホテルソーソーソーソー』にするかでもめてのう。フロント係の大半の者は「ソーソーソーソー」のほうがよく聞かれる言葉じゃというんでほぼ決まりかけたんじゃが、、あのサイードが強硬に反対しての。日本人にとって四は死につながり、大変不吉である。よって三回繰り返す「ソーソーソー」でなくてはだめだ、と主張しよった。日本帰りの奴には誰も反論できず、こうして『ホテルソーソーソー』に決まったということじゃ」

「なんて素晴らしい話なのおじいさん、そんな神秘に満ちたいきさつがあっただなんて、あたし今まで知らなくてよ」

「それから、ホテルの看板の文字について、アルファベットがいいのか、漢字がいいのか、それともひらがなにしたらいいのかについては」

俺は頭が痛くなった。ペトラ渓谷までやってきてこんな無駄話を聞かされるのはかなわない。やはりあの女にいっぱい食わされたのか、という苦い思いが込み上げてきた。

「長老、そんな話などもうどうでもいいでは有りませんか。俺ははやく知りたいのだ。サズの音色に隠されたもうひとつの中東の歴史を」

「まあまあ、三秒待ちましょう、イチ、ニ、イチ、ニ、ありゃ三秒たたないね」

「長老、いいかげんに」

「帰ったぞシーメーカーン」俺をここに案内したガイドのアマルディンがテントの外をみつめながら言った。

「そうかね、それでは、いよいよ始めるかの」

シーメーカーンは突然居住まいをたたし、さきほどまでとは別人のような、威厳に満ちた顔を俺に向けた。

「腑抜けを装うのも疲れるものじゃ。客人よ気を悪くなさるな。ここいらはスパイがうようよしとる。カラマンルヒッタイト国と抜け駆けの平和条約を結んで以来、ヨルダン王家はわしらのちょっとした動きに神経をとがらしておるのじゃ。ネスリーン、サズを持ってきなさい。それから見張りは30分交代で立つように。ペトラの観光客を装う情報機関の手下もいるから警戒を怠るでない」




「そもそもデリスタン人の起源は紀元前3世紀のヒンドゥスタンにさかのぼる。チャンドラグプタの軍隊が北インドに初めての統一国家を築くはるか以前、当時この世の果てと呼ばれていたインドのジャンタール砂漠にはバヌワリという屈強な山刀使いに率いられたサペラーニー族が、古代からの生活そのままに暮らしておった」

「水と草を求めての争いと略奪、子孫にまで及ぶ復讐の掟は、過酷過ぎる環境から生まれたものだ。サペラーニー族もまた近隣のバローチ族やパシュトゥーン族と争い、縄張りを広げて行った。あるときバヌワリはカシュカイ族との七日間に及ぶ激戦で敵のシャイフの娘を略奪し、自分のテントにつれて帰った。驚いたことに女は反抗するどころか、以前からバヌワリの姿を遠くから眺め、この日のくるのを待っていたというのだ。バヌワリは敵の策略かも知れぬとその言葉を怪しんだが、たいそう気立てのよい美しい女だったので、結婚することにした。それ以来、バヌワリの山羊は以前の3倍の乳を出すようになり、らくだは二倍の荷を運んでも余りあるほどの元気を見せた。敵の部族は恭順の意を示して戦を仕掛けてくることもなく、平和な日々が続いた。やがて女の子が生まれ、カムラと名づけられた。ヒンディー語で居心地のよい空間という意味じゃ。しかしどの世界にも幸福をねたむものはおる。誰とはなしにバヌワリの妻が敵の部族の男と通じ合っていると言ううわさが広まった。ある日バヌワリは遊牧に出かけるふりをして途中で引き返すと、妻は出かける途中だった。こっそり後をつけたところ、妻は村はずれの岩山に入ったきり2時間も出てこなかった。その夜バヌワリが妻に問いただしたところ、見る見るうちに妻の顔が曇り、恐ろしい勢いで外に飛び出して行った。後を追ったバヌワリは折りからの竜巻に巻き込まれ、妻も自分の位置も見失い、うっかり毒蛇の住む地域に入り込んでしまった。首筋に毒蛇が飛んできた瞬間、別の蛇が現れ、すさまじい殺し合いの末にかみ殺した。バヌワリの前に瀕死の妻が姿をあらわした。女は死に際にこう語った。「私はカラーシュ渓谷のふもとに住む蛇でありました。私たちの国の習俗に習って、私はあなたを自分の夫にいたしました。私の国ではこんなことはよくあることで、蛇の女は働き者ですから、人間の間ではとても評判がよいのです。私たちの体は愛でできているので、『疑い』によって性質が破壊されてしまいます。そのまなざしにあえばもはや人間の姿でいることはできないのです。こうしてジンの国に去って行く前にあなたの命をお救いで来たことだけが、私の喜びです」と言って息絶えた。バヌワリは涙に暮れながら蛇に戻った妻のなきがらを抱きしめ、幾年月もそうしておった。

あるとき羊飼いの老人が不思議な音色を耳にした。音のする方向にふらふらと近寄ってゆくと、行方不明になっていたバヌワリと妻の蛇が仲良く抱き合ったままミイラとなり、妻の皮にバヌワリの山刀の柄を装飾する細い金属の紐があたり、風に吹かれて心地よい響きをたてておった。これが、最初のサズじゃ」

「サペラーニー族はバヌワリの一人娘カムラーンに率いられ、蛇は一族の象徴として信仰されるようになった。蛇の血をひくカムラーンは、人間の及ばぬ感知能力を持ち、不思議な能力で死者の霊と交信することができた。砂漠人の間では昔からジンへの崇拝心が強い。ジンとはいわば砂漠に住む精霊で、人間の接し方によりその力は善とも悪ともなる。ジンは人間をはじめさまざまな形をしておる。つまり人間のジンやガゼルのジンや、ライオンや禿げたかや糞転がしのジンがいる。実際砂漠は人間が入り込んでくる前はジンの支配する国だったと考えられている。これはある種の転生思想を表している。人は死ぬ瞬間の意識のあり方によってそれに応じたジンの姿が与えられる。もっとも自由で力と生命力を持つジンは、人間ではなく蛇のジンである。蛇は毒を持って人間を襲うことから、邪悪の象徴とみなす連中が多いが、砂漠人は自分の悪行をいましめる神の使いと考える。そして蛇の娘を首領とすることによって、サペラーニー族は砂漠の中で独自の地位を獲得してゆく。つまり戦闘においてはすべての蛇がサペラーニーの側に加勢するため、他の部族は恐れて近寄らない。当時ジャンタールの北西部には狼の子孫と恐れられたテュルクやモンゴルが割拠していたが、彼らでさえラクダと山刀しかもたないサペラーニーに手出しできなかった。カムラーンは蛇の心に訴えかける交信手段としてサズを使った。初期の頃サズは素焼きのつぼの内側に鉄線を張り巡らし、息を吹き付けて音を出すものであったが、戦いながら使えるように、ひょうたんで作った丸い胴体に蛇の皮を張ってさおをつけ、鉄線を張って指でかき鳴らすものにかわった。これが現在のサズの祖型となる。サズは人間の耳に捕らえられないかすかな振動で蛇を誘い出す。カムラーンは部族の仲間たちにサズを使っての交信の方法を教え、やがて多くのものがサズを手にするようになる。それは蛇崇拝の儀式でもあり、現世とジンの世界との境界に身を置き、始源の力を獲得するイニシエーションでもあった。」

「しかしサペラーニー族の幸せな日々のも暗い影が忍び寄りつつあった。紀元三世紀の始め、チャンドラグプタが土着の信仰を支配しヒンドゥー教を国教とする統一国家をたてたのじゃ。ジャンタールにも盛んに密使がやってきて、昔ながらの生活を捨てて街で暮らすように奨めた。熱風による被害で村にひとつしかない井戸が砂に埋まりそうになったある年、役人どもは砂を防ぐための囲いを建設するために、測量技術者を派遣してきた。当時の族長はカムラーンの娘のヴィムラーであった。カムラーンはすでにこの世にいなかった。インド統一軍のマングース討伐隊によって家族もろとも虐殺されヴィムラーだけが生き残ったのである。12歳になったばかりの族長は言った。「いかなる建て物を設けることも定着を意味する。定着は弛緩と拘束と隷属に満ちた生活に身をゆだねることであり、それは砂漠の習慣になじまない。わたしたちは一ヶ所にとどまれば病気になってしまう水や空気と同じだ。水は流れを止められれば死に、空気は閉じ込められれば腐る」

だがやがて砂漠は旱魃に見まわれ、餓死者が続出し、サペラーニーの中からもみはてぬオアシスを求めて旅立つ者や、羊を売って都市に逃げて行く者が現れた。あらゆる人間の支配を拒否するゆえに、誰も住まぬ過酷な世界にあえて身を置こうとする。それが砂漠人の生き方じゃ。そこはすさまじくも自然が絶対の破壊的な力を振るう場所であり、その代償として誰にも服属しない自由を獲得している。太陽が去った後のつきかかりに照らされ茶を飲みながら談笑する自由な時間。わずかなこかげにそよぐ風につかの間の安らぎを得るたのしみ。自然の無慈悲を前にした人間とラクダの運命共同体的なきずな。野生動物への畏敬、つかのまの夜のいこいに飛翔する想像力の世界、なによりもむき出しで自然に対峙することで可能となる蛇との交信の自由を失えば、シャーマンとしての特権はすべて剥奪され、都市民の冷たい視線のもと、狂人カルト集団として葬り去られるのは目に見えておる。やがて統一インド軍隊ジャンタール方面軍が、砂漠に農業用水を敷くために五千匹のマングースとともに乗りこんでくる。

ヴィムラーは決断した。なおも砂漠にとどまろうとする約二千の一団を率い、彼らの共通の神である蛇、つまりバヌワリの妻ナギナの故郷カラーシュ渓谷をめざすことを。




カラーシュはパキスタンとアフガニスタン国境沿いの山岳地帯の渓谷じゃ。しかし目的地に至る途中好戦的なパシュトゥーン族との戦闘に敗れてとらわれの身となる。その土地には蛇が住んでおらず助けを得ることができなかったためである。しかし難民収容所に響き渡るサズの音は、パシュトゥン族の戦闘的精神を確実に奪って行った。それは音楽を知らない彼らにとって始めて耳にする空気の振動であり、不思議なリズムと声調であった。サペラーニー族が蛇の儀式と称して行っているもろもろの行為は、戦争の勝者に支配のみじめさを思い知らせる武力以上の武器であった。客人よ、このことを覚えておくがよい。

パシュトゥーンの族長はヴィムラーンに取引を申し出る。カイバル山のふもとで行う詩人対決に勝てば全員解放し、負ければヴィムラーンは族長の妻となり、他の捕虜は全員処刑するというものだ。族長は狡猾にも毒を仕込み、ヴィムラーの舌は麻痺して動かなくなった。だが歌を歌えなくなったヴィムラーはのど奥だけを振動させる特殊な歌唱法によりパシュトゥーン側のシャーマンを圧倒し、アフガンの山々はヴィムラーの勝利を告げた。かくてパシュトゥーンの領地を脱出した一行は再びカラーシュ渓谷を目指すが、おりからの地震で道は寸断され、ヌーリ一族の襲撃を受けてヴィムラーは捕らえられ焼き殺される。500人ほどの生き残りもほとんどの者が舌を抜かれ、ササン朝ペルシアに奴隷として売られてしまう。我らの祖先はサズだけを自らの守り神として耐え忍ぶが、1000キロの旅のさなか、さらに死者が続出。ササン朝の都エスファハンについた頃には50人ほどになっておった。

当時のペルシア王は、サペラーニーの特異な音楽の才能に注目し、宮廷の楽師や踊り子として奴隷とはいえ、厚い待遇を受けることができた。ムハンマドに率いられたアラブとの抗争に悩む王にとっては優秀なシャーマンの託宣が何よりも必要じゃった。この時代の音楽とは冥界に通ずる特殊なチャンネルであり、吟遊詩人の歌は霊魂が迷える子孫に与える教示そのものであり、中東では一般に政治は祖先の導きによって行われておった。優秀なシューマンを多く抱えた部族は武勇にすぐれた者よりも畏れられた。これには独特の蛇信仰も関係しておって、もともとインドから西アジアにかけての一帯では毒を持って人間を殺す蛇は逆らえぬ運命の力であった。蛇は独特の受信装置によって砂漠の生態系を乱す無法者とそうでない人間を識別して、無法者に対してのみ害を与える。いわば砂漠にひそむ神の化身と考えられた。今日でもヒンドゥーの神々が首に蛇を巻いておる像を見たことがあるじゃろう。あれはもともとインドで信仰されておった蛇神のナーガを侵略者の宗教であるヒンドゥーの神々が従えておるわけじゃ。つまり土着の蛇信仰はヒンドゥーの神に服属するというポーズをとって生き延びていった」

ここまで語ると老人はふうと大きな息をついた。テントにはいつのまにか入りきれないほどの男女があふれるほどに詰めかけており、シーメイカーンの一言も聞き漏らさぬよう息を凝らしている。その中にはやはり俺と同じように中東のマイノリティー集団に魅せられたらしい、フランス人とおぼしき若者の姿もあった。

「さて、ヴィムラー亡き後、ヴィムラーの娘ラジキに率いられたわれらにはぜひとも訪れねばならぬ土地があった。ザグロス山脈北方の街ニハーヴァンドは蛇の産地として名高い。相次ぐ戦乱で多くのサズを失ったわれらにとってサズの製作は急務であった。わずかに残ったサズも多くは皮が破れ、いくら弾いても蛇神が降臨しないこともあった。ところがエスファハンの北西へ500キロ、旅の荷を解いた我らを待っていたのは『コーランか、剣か、さもなくば税金か』という見慣れぬおふれであった。ササン朝ペルシアはすでに滅んでいた。

新しい支配者アラブはわれらにとってやっかいだった。彼らの信ずるイスラームは、預言者の啓示による宗教すなわちイスラーム、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教を啓典の民と呼び、イスラーム以外の三つの宗教の信仰の自由は保障された。もっとも相応の貢物を捧げねばならなかったが。しかしわしらのごとき蛇信仰者は奴らにとってもっともおぞましい偶像崇拝者であり、生き延びるには改宗のほかに選択肢はなかった。このとき改宗に応じてイスラム宮廷に使えるようになった一部の者が、のちにジプシーとなってヨーロッパをかけめぐることになる。残った者たちはアラブの追撃を逃れ、北の山岳地帯に向かう途中、粗末な羊毛の衣を引きずった行者に出会う。「この道の先、二つの湖を通り、アララットとカフカスの山に囲まれたあたりに行きなさい。そこに住む者たちはあなたがたに必要な光―言葉を持っており、あなたがたは彼らが必要とする闇―音楽を持っておる。二つの集団が結ばれ、そこに完璧な世界の環が生ずるだろう」この老人がイスラーム神秘主義教団のシャイフのハジ=ベクターシュであることを知ったのはずっと後のことである。




40年の間鹿と共に原野を旅をした

鹿は傷つき 山のふもとで眠り

小鹿になった夢を見る

灯篭に群がる蛾の羽ばたきに似て

ケレムは愛の炎にまみれ、アスリもまた灰燼と化す







蛇がその皮を脱ぎ捨てるように

わたしは自分という皮を脱ぎ捨てた

そしてわたしは、自分自身の中をのぞきこんでみた

どうだろう、わたしは彼だったのだ

            (バーヤズイ―ド=バスターミー)




「ハジベクターシュの導きによってわれらがカフカスとアララットのふもとに住む行者の集団と出会ったのは12世紀中ごろのことである。この行者たちはやはり羊毛の粗末な布一枚に身を包み、 頭に反逆者の象徴である赤いターバンを巻いていた。初めのうちわれらはイスラームへの警戒心から用心を怠りなかった。アラビア半島の一角から起こったアラブ帝国は、すでにペルシア、メソポタミア、北アフリカ、イベリアを支配し、カフカスもまたイスラーム帝国の重要な拠点であった。しかし行者たちと接しているうちに彼らの信仰がサペラーニーと似ていることを知る。この者たちはシーアアリーと称し、イスラーム帝国の正統派イスラームの支配を否定している。なぜかと言うと、うっ…くくく」

「おじいさん、おじいさんどうしたの!」

「長老、どうされました!」

「どうしたんだ、まさか、これは、このラクダのくそは何だ」

「それはチョコレートアラモードといって三ヶ月前にここに泊まったデンマークのヒッピーがくれたものよ」

「そいつだ、そいつが諜報機関の者だったんだ」男たちのあいだに不穏な空気が流れた。

「そんなことないわ、だって三ヶ月の間長老も私も食べてたわ、何ともなかったじゃない」

「つまり今日だれかが毒を盛ったということか、長老がデリスタン伝説を語りつくそうと言うこの日にあわせて」

シーメイカーンは苦しそうにあえぎながら俺に向かって行った。

「ジャポンよ、どうやら敵はわしらの記憶が外国人であるあんたによって外部に漏れるのを怖れておる。じゃがわしが語らずともフスヌが語るだろう。いずれ眠りから覚めたピールスルタンによってデリスタンは」







別離の苦しみを知らない心は

愛する人と結ばれる幸せに値しない

一つ一つの苦悩にはそれにあった違った癒しかたがある

だが、苦悩のない人の苦悩は

いやしようがない                (フズーリー)





                              つづく