私の出会った「漫画家追悼抄」記 5幕
★加藤芳郎(かとうよしろう)  その1
   東京都渋谷区生 1925年6月25日~2006年1月6日 享年80歳
紫綬褒章、勲四等旭日章受章、文芸春秋漫画賞、
   日本漫画 家協会文部大臣賞、菊池寛賞  
代表作・『まっぴら君』『オンボロ人生』など多数
「連想ゲーム」「テレビ三面記事」などテレビの司会や
コマーシャルでも人気  
       1984年1月「漫画新聞75号」の対談より抜粋編集

木村・私が小学生時代の世間の漫画文化の評価は、「漫画なんて見ては馬鹿になる」とか「漫画は悪書、何にもできないやつが漫画を描くのだ」と耳にしていたが、それでも子供たちは押し入れの中で読んでいました。時代とともにテレビが普及し漫画家がテレビ番組に登場し、知識の深さを知らしめました。人気番組のNHKの「連想ゲーム」、「テレビ三面記事・ウィークエンダー」の司会者が加藤芳郎先生でした。その後もTV番組には、はらたいら「クイズダービー」、小島功「11PM」、富永一朗・鈴木義司「お笑い漫画道場」などの番組に登場し、「漫画家になるのには色々な知識を身につけなければ」とか「漫画家は頭がいい」という評価を高め、結果的に漫画文化の地位が高まるきっかけとなり認知されたのです。加藤芳郎先生が描く毎日新聞の四コマ漫画「まっぴら君」は、1954年から開始47年間、13615回空前の連載記録を樹立され)お茶の間を楽しませてくれました。(現在は読売新聞の朝刊2022年1月1日14098号の植田まさし先生の「コボちゃん」)。国民的人気漫画家の加藤先生と対談するなんて夢のようで、超緊張しましたが、笑顔で迎えてくれてお話もスムーズに出来ました。

・大人漫画を目指しましぐら……
 加藤・22歳でプロの漫画家になったんだけれども、小学時代に雑誌の「少年」に日本漫画養成講義録というのが掲載されていたんで、それを見ながらよく描いていたんです。漫画に興味を持ったのはその頃です。現在の新宿高校、当時は府中六中ですが、そこの夜間部に通って、昼間は駒込病院の給仕勤めをしていたのですが「給仕、夜学、漫画講義録」と忙しかったけれども燃えていましたね。苦学生でしたけれども漫画講義録で,デッサンやクロッキーをさかんに練習していましたよ。そのうちに漫画を描くことに興味が出てきたんです。人に見せると面白いよと言ってくれるんですね。その頃です"絶対に漫画家になるぞ"と決心したんです。……それと親父の影響もあったかなあ~~小さいころ、親父と一緒に銭湯に行った時、曇りガラスに「のらくろ」の絵を描くと、「坊やうまいね、もっと描いてよ」なんて言われ得意になったんです。親父も得意げに「将来は美術学校に行くんだな」とよく言ってくれたんです。でも結果的に入れてくれなかったけれどもね。しかし漫画は堂々と描くことは出来たんです。
 13歳の頃かなぁ、給仕をやっていたのは大病院でしたから、色々な種類の本がくるんです。そこで初めて大人雑誌もあることがわかり読んでいたら、大人の漫画の方が面白くなり、「朝日クラブ」に二駒漫画を投稿したら、一発で入選したんです。大人の中に自分の漫画が出ているなんて、最高にうれしかったね。掲載された作品をじっと見ていると、印刷の臭いがブ~ンと鼻に来てね……それで「よし本格的に大人漫画を目指そう」と決心したんです。それからはあらゆる出版社に投稿して、ほとんど採用されました。とにかく漫画の描き方を他人に教わる暇がないので、独学で漫画を描きまくっては投稿していました。正に賞金稼ぎです。お陰で沢山賞金が入ってくるので、御袋にもお小遣いをあげていましたからね。とても喜んでくれました。

*作品は漫画新聞に贈呈された色紙です
次回は、漫画家になる夢破れ、兵隊にとられ中国出兵です。

 

 

(2022年1月8日のFB投稿より)