一月の松
一月は松、二月は梅、三月桜……、日本の伝統的な遊びのひとつに花札がある。その絵柄で月名を表していた。
テレビゲームなどがまだこの世に存在していない子供の頃、兄弟で遊ぶといえばトランプや花札くらいだった。
ただ子供ながらに不思議だったのが、この月名。
一月は松、二月は梅…。
北海道では二月に梅は咲かない。三月に桜も咲かない。四月に藤の花も咲かい……。
青年になって、月名は旧暦なのだと知り、それならひと月のズレがある……と分かったが、それでも北海道ではあり得ない。
更に時が流れ、全国を旅するようになり、やっと腑に落ちた。北海道と違い、関東や関西などでは月名と季節がほぼ一致している。
あ~、これが日本なのか、そう実感したことを、今朝、ふと思い出しました。
東京の暖かい今日の陽射しに感謝しながら、これから東北福島へ移動します。
中村信仁
富士山は今日もやはりそこに居た。
西から東へ向かう新幹線が大好きなのは、そこに富士山で見れるから。
今日は見事に晴れ上がった青空を背景に美しくそして悠々と座す富士山が待っていてくれました。
最近よく思います。
世界遺産となった富士山に登ろうとする方が多く居るのですが、富士山は登るものではなく見るものなのだと。
見ることで力を頂けるものは、世間にそうそうありません。その最高峰が富士山であり、そのような偉大な存在である富士山を簡単に足下にしていいのだろうかと。
オーストラリアのエアーズロックを地元の方は登りません。神の住処、神の宿る山として敬っています。登るのは観光客だけ。そんな観光客を地元の方たちは疎んじます。
アジアからの観光客が日本の神社を訪れ、ガイドがいい加減な説明をするものだから、とんでもないマナーで手水舎(ちょうずや、またはてみずや)を乱しています。
日本人は富士山への尊敬を大切にしたいものです。
中村信仁
人にプレゼントしたい本のコーナー
今日の永業塾関西ステージは「本屋さん大解剖」でした。異業種の営業人の集まりの中で、全員で無責任に言いたいことを出し合うのです。
そんな中の一コマで、本屋さんの棚にあるジャンル分けの仕方で、作家別とか業種別の仕分けが多くあるが、「人にプレゼントしたい本のコーナー」というのがあると、とても便利だという意見が出ました。
この意見は、とても深い見込み客の発掘へとつながる意見だと盛り上がりました。なぜなら、本は自分で読むために買うことが圧倒的に多い中、誕生日プレゼントや、新築祝い、出産祝い、結婚祝い、就職……、進学……、栄転……など、様々なお祝いごとのブレゼントのアイテムに「本」という選択肢を増やし、新たな顧客を創造することに繋がるのではと。
福岡での生命保険の新営業プラン、名古屋のレンガ商売…、そして関西での本屋さん、と今年の永業塾は本当に面白いです。
中村信仁
家系図を書くと今が見えた
脈々と続く血の連続が先祖と子孫ならば、子孫のことを考えるのは先祖を考えることなのかもしれない。
今年の中村信仁プロデュース「営業の魔法ノート2014」には家系図を完成させるページを追加しました。
先日、数人でノートの記入事例を見せ合っていた時のこと、「家系図をまったく書けない」という一人の先輩がいました。
その先輩は普段「子供たちにツケを残すな」とか「自然は未来の子供達からの預かり物」などと叫んで「原発反対」という運動を補助金やら助成金やら寄付やらで賄い生計を立てています。
要はある意味私と真逆にら立っているような人。普段から、なんだか胡散臭い人だなとは思っていましたが、その時色々見えたことがありました。
聞いてみると、今まで墓参りなど行ったことがないというのです。親の命日も曖昧……。祖父母の名前もあやふや……、まして顔すら知らないと。
それでいて、「子供たち」と叫んでいる。子供たちの代には自分が先祖になっている。先祖を粗末にしている人が、自分が先祖になった時のことを今必死になって叫んでいる。
家系図を書いていて……、未来も大切かもしれないが、それより、自分が暮らす近所、地域、町を、そして今を考えることがまず一歩なのだと確信しました。
先祖に遡り思いをはせると、そんなことを現実的に思考する自分と出会ってしまったのです。
中村信仁
なぜか自信を持てないという人
自信のない人は、自分が手を抜いていることに気づいている人、とも言えます。手を抜いているから自信を持てない。
準備も仕事のうちといって、面倒なことに一生懸命になっていると、自然に自信は芽生えます。
手を抜かず、ラジオの準備をしっかり終えて本番に臨んでいるときと、バタバタと慌ただしい中で何の準備もせずに本番を迎えたときでは、緊張度合いがまったく違っています。
もちろんいつも緊張していますが、質の良い緊張を得られるのは自信のある時……、そう準備万端の時だけです。
中村信仁
未熟を受け入れる勇気と素直さ。
いつの間にか「できる」とか「わかっている」という思考が自分を支配しているものだから、人からの注意を素直に受け入れられない自分になってしまった。
日高晤郎さんが先日「未熟に素直になりなさい」といったのですが、相手によってなかなか素直になれない厚い壁が自分の前に立ち塞がります。
なぜなのだろう……と考えたとき、ただ単に、相手をどれだけ尊敬しているかという感情にありました。
ということは、自分も、少しでも尊敬されるように努力しなければいけないのだと、またまた反省した次第です。
中村信仁





