学びをつくる会世話人リレーブログ -10ページ目

土地の値段

 金をめぐる疑問の中に、ぼく自身が関わって、調べたり、現地に行ったりした土地をめぐる話を挟み込む。
 東京近県のあるところに200坪ばかりの別荘地があって、友人が400万円余りで買い入れた。バブルの始まる頃だった。長らく積んだ生命保険が満期になって金が入ったので、貯金の積もりだった。数年前、持っていても仕様がない上、余分な煩わしさを減らしたいと、手放す相談に乗らされた。ぼくの身近な者がその地域にいてその地に詳しいことを、友人は僕を通して昔から知ってもいたのだった。その友人の役にも立ちたかったし、そういう調べごとで土地の価格などを知ることに興味もあって、調べ出した。税金から評価額を推定することや、路線価の動きや、地元の人の話や、現地の周りの様子などなど。結局のところは、その下落した価値にあきれて気力を失い、友人が身内にぼくの調べたことを基に始末を頼むということで終わった。
 100mとかそれ以上に離れたところどころに物好きにも住み着いているらしい家があることはあるその分譲別荘地は、開発以前の山林に戻った感じのする状態で、わずかに簡易舗装の道路と電柱と境界標石と草に埋もれた道路縁石が認められる。友人が煩わしいと感じたことの一つは、時々かかってくる土地会社からの電話で、土地を高く買いそうな話をよくよく聞いていくと、草だらけでは売れないから土地の管理、つまり草刈費用を出せと、数百万で始まって月千円となる話のことだった。現地で見ると、それがよくわかる。ところどころに数年おきに下刈りしているらしいところがあり、いたるところに何々社管理地と土地会社の宣伝をかねた看板がある。ただみすぼらしくも、みな古ぼけている。見にも来ないことを目論んでの管理費のただ取りもありそうだ。
 わかったことは、呆れたことだった。もともとこの不毛の、農地にもならない荒地は、1町歩数千とか数万とか言われる価値だったようだ。それが地価高騰でいくらか高くなって買われて、造成区画整理され道路と電柱が入って、10倍もの実勢価格となり、それがさらに数十倍とか百倍とかで大々宣伝で売られた。東京から見れば近くに有名な温泉があり、そこには温泉つき別荘地も分譲されていた。現地からは車で何十分も離れているのだが、名前は恐ろしい。友人は運悪くそれに乗ったということだ。バブルが弾けて、今評価額は、たった200坪では当該自治体が不動産税を掛けられないほどの、つまり元々の荒地よりはましな整地した段階ぐらいの価値に戻った。はっきりとはしないが、どうも全部で10万にはならないらしい。
 この話のとき、あの土地と頭に浮かぶ別の土地のことがあった。目で見ているのでなく話だけだったのだが、今にしてみれば、惜しいことをしたとも思う。かつて、全国のスキー場というスキー場を全部滑ってやろうとしていた時期があって、家族5人でずいぶん回った。福島の小さなスキー場の民宿に泊まったとき、話し好きの主人から夕飯で1杯飲みながら、1町歩1万円足らずでどうだという話があった。もちろんほかに泊り客はいない。たぶんずっといないようだった。数町歩だった。買えない金額ではなかった。問題は行く道がないのだった。近くまでは林道があって、あとは小型のジープでこすりながら近づくか、キャタピラの農林用運搬車で行くかという。名にし負う豪雪地帯、冬はスキーどころじゃない。これはだめだ。ところが、ずっとしばらくしてそこを通りかかって、民宿はなくなっていたが、奥に入るといい道が続いていて、なにやら開けていた。えらく惜しい気がした。その後、今の安曇野に通うことになったのだが、ここも、今のところに決めるまでに、何箇所もの候補のやり取りがあった。その一つが有名な博物館の近くで、今は上の沢に巨大な堰堤が築かれ、整地された公園風になっているところだ。ここも安かったが、道が近すぎるのでやめた。あれを買っていれば、補償金ががっぽり入ってと、逃がした魚は大きいものだ。
 東京が膨れ上がって、農家が土地成金になった時期があった。風情のある藁葺の家が、近代的豪邸に変わっていったりした。そのあと、宅地並み課税で遺産相続税が払えず切り売りするしかない、ということも起きた。美術品でも宝石などでも同じように考えてしまうのだが、あるものの値段が例えば100倍になったというとき、その上がった差額とは、なんなのだろう。評価額が上がったまま持っているなら全体の金の量に影響しないだろうが、売り買いすると無から有が生まれたわけだから、その額・数値に対応する金・貨幣分だけ全体の金の量が増えたのか減ったのか。美術品などでは世界経済に響かないが、土地などが一斉にとなると大問題となる。そのとき、貨幣を増やさなければ、値が下がったとき、誰かが得をして誰かが損をしたということで、全体は収まりそうだ。もちろんその影響で悲劇は生まれるだろうが、それは捨象しておく。現実の経済は、そうなっているのではないように思うのだが、誰かそのあたりを解説してくれないだろうか。失敗して破産というとき、税金を投入して金融資本を助けるということがあったが、それらの裏に通貨量のことがあるのではなかろうか。それのやり方で儲けを吐き出さずに吸い込み続ける仕組みがあるのではなかろうかと思えてならない。上昇時期に投入された膨大な金のことが、さっぱりわからないからだ。失敗で大損だけが問題になり失敗を埋めるのに税金を使うとは、それは聞こえない話ではないか。儲かった分を問題にしなければならない。日銀の発行額の推移や連動性を気にしてみたが、どうもわからない。日本中のかなりの%の土地が値上がりする、それも何十とか百倍とかとなると、日本中の財産が見た目で何倍もになった形だが、金はどこから来るのだろう。
 今アメリカでサブプライム借金とかいうかつての日本バブルに似た風邪が流行って、そのために世界経済が揺れて困っている、ということにはなっている。今回の金融企業破産で、アメリカ政府は公金での援助をしないらしい。日本では、えらい額の負担を国民に押し付けたのに、すごい違いだ。それがどんなところの計算から来るものか、選挙が絡むのか、自称テロ対策問題に絡むのか、財政的にどうしようもないだけなのか。やがてそれがわかるのが楽しみだ。と、昨日は思っていたら、今日はころりと変わって、税金投入だとなったそうだ。いやはや、としか言いようがない。
 安曇野のぼくの畑の、すぐ向こうの畑に土が大量に運び込まれた。様子を見に来た畑の主に聞くと、工場を建てるというので別の田と交換で移ったが、せっかく丹精した田の土は工場に不要だし、この瘠せた畑に入れることにしたのだと言う。少し前に、この人が家の建て替えをやったわけがわかった。だが、この人は、家は新しくしたが、普段の様子は余り変えないようだ。信州人の堅実さなのかと思う。最もそんなによく知っているわけではないから、憶測の域を出ない。うちから見下ろす水田は、工場や団地に変わってしまった。そこの一部の土が、裏の畑に来たのだ。田植え前のいっぱいに張られた水が反射する夕刻前の輝きは、もう見られない。田んぼだったとき、何の変哲もないのに実に格好のいい農具小屋がそこにはあった。それも裏に引っ越してきているのだが、どうもよくない。格好が付かないと言うことばそのもので、納まるべきところに納まりたいと、小屋が嘆いているようだ。
 今、全国の美田が、急速に工場に変わったり団地・マンションになったりしている。農地は、農地法で売り買いも使用目的変更も難しいことになっている。ぼくが土地を求めた条件は人家と100m以上は離れているということだったが、そうすると必然的に農地法に引っかかった。山林は、大規模所有が多く、話を聞きに行った家では、ヘクタール以下の話は聞かないといった。だが、今は、農地については全くの逆で、何haという広い土地なら、売り買いも目的変更も自由自在になっているのだ。大金を動かせるものだけが満喫できる仕組み。どうやらそういう場合取り付け道路まで自治体が国庫補助を取って作ってやるらしい。その周囲で、大小の金をめぐる劇が進行している。
 住宅を買うことを盛り上げる前には、売るための住宅地を持っていなければならない。高度経済成長期には、近郊の雑木林が狙われたが、今はそんなものはなくなって、農地法で守られた田畑が残っている。住宅地にするには、広々した田畑は最適だ。開発の美名を立て、法を変え、援助まで仕組んで、食糧自給率にはほっかむりして、お膳立てした役人とそうさせたものがいる。その上で、宅地・住宅販売競争がうまく行くように、金貸しが立ち回る。(おそらく、アメリカでも似た経過をたどったのではなかろうか。ブームに乗ったのが、どういう場所の宅地・住宅なのかが報道されないからわからないが。)
 不思議なのは、まとめて言うと前段のようであることは、多くの人が知っていることなのだ。特に農民はいろいろなことをよく知っているようだ。だが都会のサラリーマンだけは違うのだろうとも思う。だからそこが狙われるのだろう。人口比でいっても、大儲けできるのはそこが狙いどころだ。友人と、わかってくるごとにそんな話をしたが、もう終わったことと達観してしまったのか面白くもなさそうだったのが、残念だった。

過労死をとめろ!

 今から8年前に、私の友人である早乙女裕さんが、現職の教頭の時、学校の周年行事の司会をしていて倒れ、くも膜下出血で、2日後に亡くなりました。地方公務員災害補償基金は、早乙女さんの死を公務災害と認定しませんでした。

 早乙女さんは、足立の中学教師で「同期の仲間」として、70年代後半から、足立の子どもたちとともにあゆんできました。非行克服のとりくみでがんばってきました。豊島区に移り、教頭になっても激務が続いていました。8年前、豊島区の真和中学校の50周年記念式典があり、その準備に奔走し、時間外労働が続いていました。

 地公災の公務災害否認定に対して、早乙女さんの奥さんは東京地裁に提訴し、裁判が続いていましたが、地裁・高裁と「原告の請求を棄却」ということになりました。職場の方々が法廷で証人に立ち、長時間労働の実態を証言しましたが「最終退勤者に毎日名前がないので、明かではない」「一ヶ月79時間の超過勤務はあったが、教頭の仕事の範囲を超えていない」「高血圧があった・酒を飲んでいた・タバコを吸っていた」などと「過労死」を認めませんでした。地公災の過労死基準は「月80時間の超過勤務」です。早乙女さんの「79時間認定」はいかにも恣意的です。今、学校現場で、時間を計って、超勤をカウントしていれば、多くの教師が「過労死基準」を越えていると思います。早乙女さんもそうでした。こんな「行政」の姿勢に対し、早乙女さんの奥さんは、最高裁に上告して闘っています。私も支援の一翼を担わせてもらっています。

 多くの教師が、身も心もボロボロになっている状況があります。学びをつくる会でも紹介されましたが、静岡県の新任教師・木村百合子さんの自殺についても、地公災は公務災害とは認定しませんでした。こちらも裁判がはじまりました。教師が健康で、いきいき働けるようにしなければならないと思います。

唐鍬

 使った平鍬を壁に掛けようとして、ふと唐鍬=とうぐわが目に付いた。このところの湿気で錆が出ているのだ。使うことはもうほとんどないのだが、時には洗って干したりしているのを少しサボっていた。雨に追われて早仕舞だったので余裕があった所為か、錆落としをして掛け直した。唐鍬というのは、やや小型の平らな、肉厚だから重めの鍬だ。畑作りをはじめた時に、鍬はこれ1本だけ買い込んだ。草ぼうぼうの上に石だらけのところだから、ぼくがかつて使って知っている3本鍬では、石がはさまってだめだろうと思ったのだった。木の根を叩き切ることもありそうだとも計算した。それにこの地方の三本鍬は、やや長く、使いづらそうでもあった。
 掛け直しておやっと思った。刃先の線が傾いて見えた。掛け方なのかと思って掛け直しても変わらない。右利きのぼくの使い方で、右が減っているのだ、と発見した。極端に刃先の片減りした鍬を見たことは何度かあって、すごいものだと思った記憶がある。そんなにひどくないどころか、よくよく見なければ気づかないほどの片減りなのだが、ぼくの鍬が少しでもそうなっていたということを見つけて、つくづくよくやったとしみじみ思い返して眺めた。
 10年間、この鍬1本で放置された桑畑1反の掘り起こし(まちがいなく荒地の開墾といってよかった)をやったのだ。たぶん20年以上30年がところ放って置かれた桑の、伸びたのは5メートルもあり、10cmもの直径で、梯子をかけられる強さだった。普通の畑にならないから桑を植えていたに違いない石ころだらけの地面に、1鍬ひとくわ打ち込んで、何十cmも掘り下げたりしながら、ときには1株に2日もかかりながら、何十というこれらの株を掘り上げて畑にしていったのだった。桑の根のすごさを話してわかってくれた人に、今までで一人だけ出会ったことがある。絡み合ってやたらめったらに伸びて、適当に叩き切って先を放置するとそこからしっかり芽を吹いてくる、しかも何年も経ってからまでも。
 鍬1本といったのは、もちろん厳密な意味でではない。スコップと鶴嘴とを買った。鋸と鉈は、山用のを使った。深く掘るとかこじ上げるには、短い唐鍬では長さが足りない。平鍬では弱い。ツルとスコはさすがすごい道具だ。一抱えの大石でも、ツルの梃子作用だと、少しずつずらすことができる。邪魔な長すぎる根は切って1本ずつ掘り上げるしかない。ノコやナタだ。こんなわけだから、鍬1本ではないが、この唐鍬が最大の頼り・相棒だったのだ。柄の付け根が減って楔を入れさらに楔を大きなのに変えた。今はそれも根元まで打ち込んである。
 やり始めるとやり切りたくなるものだ。その痩せ我慢だったと思う。50歳にはまだまだという時からで、まだ体力があった。初めての開墾経験での興味もあった。興味という精神力と体力と、2つが揃わなければ、やれなかった。その一つひとつがこの鍬を見ているとはっきり思い出される。株だけでなく、一抱えの大石も出た。高瀬川の何世紀も前の氾濫原だった河岸段丘なのだ。100年とか200年とか前に正にここを高瀬の大氾濫が襲って、数百の家と田地を流し、地形をすっかり変えたのだそうだ。一抱えの石なんぞ、よほどの水流でなければ動かせない。
 「開墾」がほぼ終わったラストの年、やり切れなくなって、次の年には耕運機を買い入れた。耕すことがこんなに楽になるのだということは、正に驚きだった。一応畑になっていたところは、あっという間に綺麗な畑になった。区切りという名目をつけて手抜きに残していた草のままの部分も、耕運機で強引に耕してみたら多少の苦労はあったが、1鍬ひとくわに比べれば遊びのように楽で、しかもさっさと区別のつかない畑になってしまった。
 安曇野のわが畑まで250km、往復時間を縮める工夫をして、板橋を朝出れば午後は鍬を振るうとやっても、そんなにはかはいかない。だが、月に1度1日しかできなくても、広げるということは、目に見えて広がる。だからやれた。少しずつ広がるごとに種を蒔き、苗を植え、収穫も増えていた。広がることと増えること、イコールで重なって喜びだった。広げ切って、全部畑になって、全ての労力が耕作に注げることとなった。そして?、だが?、そこに思いもかけない問題が待っていたのだった。そのことについては、板橋の退教の便りに載せたことがあったから、ここでは触れない。野菜畑を縮小して山菜に切り替えたのだ。
 ここで触れるのは、鍬を見たぐらいで、何でこんなノスタルジーに耽るのかということの方だ。先冬ぼくがぶっ倒れて、そのときの様子を、いつか誰か遭うかもしれない危険として、ここに載せたら、早速岩辺さんが弔辞?を書いてくれた。絞って何ができるか集中しろという忠告もあった。傍から見ると、本人が思うより、長くないなと思った。ぶっ倒れをめぐるあれこれのあと、自分が少し変わったようだと思う。何をしたかと考えて、それで何ができるのか、と考えていく傾向が強くなった。何をしたか、してきたか、これは捨てられない、捨てたくもない。この先と考えるときに、10年先といったイメージが湧かないように思える。どうもそうなっているようだ。新任のころ、一番最初に言われたことの中に、30年先を見てというのがあった。誰に何を言われようと賛成しない限り頭から追い払うという主義の鼻っ柱だけ強いころだったが、これはずっと残った。残ったではなく、ずっとそう考えてきた。だから、かなりの先を考えないということは、大変化といえる。
 さて、畑だが、今年は猿害が少ないと思っていたら、茄子をやられた。それで草に埋もれさせていた南瓜を、早めに収穫した。これであとのものは猿の手出ししないものばかりのはずだ。来年の作付けをもう一工夫しなければならない。呼び寄せるようなものを作ることは、近所にも迷惑なのだ。その目で周りを見ると、よく気をつけているようで、今年猿が現れなかったのも、そういう配慮のおかげなのかもしれない。新雪のアルプスにはえるたわわな柿も、伐り払われてさびしくなった。もっとも、雪になる頃が最も危ない季節だから、これからだ。
 一番気になっているのは、屋根だ。近くの木から屋根の天辺に飛び移って、うちの急傾斜のトタン屋根を滑り台にして遊ぶやつがいる。若くて大きくて強そうな、先遣部隊の、いわゆる見張り猿だ。トタンの塗装を傷つけられそうで、気が気ではない。烏が止まるより大きな物音に外に出て上を見ると、ちょこんと座って見下ろしている。腕を振ろうが、声を出そうが、棒など持ち出そうが、ちっとも驚かない。ロケット花火の発射筒を構えても、だめ。火をつけて花火が音を立てて飛び出すと、仕方がないから離れてやるというゆっくりさで、少しは離れる。花火で続けて追えば、やっと逃げる。子猿どもを狙うのが、最も効果的で、ちびは慌てて逃げるから、集団の中心部が動く。そうするとずっと後ろで頑張る見張りもやがて動く。だが、うっかりすると、隠れてとんでもないところに離れている見張りが、安全と見ると群れを呼び戻したりもする。集団が、山肌を登って遠ざかったところまで付き合うのは、大変だ。花火も、冬は売っている所も少ないし、高いから、夏の安いときに多めに買っておくことになる。

母語と国家語


 母語と国家語

 今、われわれの「国語・平和教育研究会」で、森本さんが提起し続ける形で、母語という柱を立てて追究している。母国語ではない。人が考えるのは、言葉に依る。その思考するためのことばとは、何か。多くの人は、単に日本語などといって済ませてしまう。国語科と数学科をまとめて記号科にするといった論は論外として、国語科か日本語科かといった論でも、このこと(認識とことば)は問題にされていない。むしろ言語論として正面から取り上げると浮上するのかもしれない。
 仲間だった岩田さんは亡くなってしまったが、個人の言葉と社会の言葉という2側面から追究した。森本さんは、ぼくもそこに賛成しているのだが、その言葉・日本語はどこから来た言葉か、ひょっとすると国家語を自分の言葉と思わされて・刷り込まれていないかという視点を立てる。このことは、会でもまだ深く論議されていないのだが、業界用語・仲間内方言にも及ぶことにもなりそうだ。俺は教師語や組合語でしゃべっているのではないか、と。
 ことばを問題にするということは、認識主体の認識のあり方の問題だから、当然立論は厄介だ。認識するのは個人で、だから自分にしかわからない言葉でもかまわないのだが、それはいわゆる内言の段階で、話す・書く外言となると通用しなければならないから、共通性を持たなければならなくなる。二つを断固として併用できればどんなにかいいのにとも思うが、幼児期から覚える・獲得するのは通用する言葉だから、それらを区別できなくなるのもまた当然だ。そこで、個人の認識に、ある集団・組織の認識がかぶさることになる。方言という地域で共通する言語は、かなり問題にされてきた。だが、一般民衆と国家とでは、共通語・標準語と俗語といった形以外には、ほとんど取り上げられてこなかった。
 退却は転進と大本営用語で規制され、終戦が敗戦にすり替えらた。それは戦後すぐにも新造され、軍隊・軍艦・戦車は自衛隊・自衛艦・特車と呼ぶことで現在に至っている。今も、骨太だとか構造改革だとか、新造語は次々に生まれる。それらは、情報操作の問題として論議され、文法的には言葉の魔術などとも呼ばれ、読み領域では論法といったことで時に議論される。日本には修辞論がない状態だということも関わって、この辺がとてもやりにくい。

再度 金の総額

前回まちがえて、行を切らなかったために、読めないという苦情が来て、、慌てて渡辺さんに相談したり、いろいろやってみましたが、結局直せません。それで、もう一度入れ直すことにしました。折角開いてみてくださった方には、申し訳ないことでした。ごめんなさい。

 
 金の総額

 知りたいこと、わかりたいことの一つに、金・貨幣の総額というか全体というか、金というものはいったいどこにあるのかと

いうことがある。流通している金としまわれている金を合わせて全体になるはずだが、そうなるのだろうか。銀行預金などは個

人としてはしまってある金だが、銀行は回しているのだから流通中だ。だが、食べ物や家屋が金で買われて、体力や安心安全と

して動いて給料として再生産になるには、剰余価値や目減りは別としても、ずれがある。消化も成長も含めた時間のずれの中で

物価と給与のずれなどもあって、収奪も絡む。また、個人としてでは収支がまとめられなくて、一家とか一社とかなら一つのま

とまりとして計算できたとしても、国はそういう意味の一まとまりのものであるのだろうか。外貨の流通中とか、貿易黒字分と

かは、金の総額とどう関わるのか。問題にされる膨大な国家赤字などもそれらのずれや総額とどう関わるのだろうか。
 日銀券の発行高というのがどうもよくわからない。江戸時代など、何度も悪貨への改鋳や大量放出で物価調整などしたという

が、同じことを今もやっているという単純なことだろうか。へそくりをごみに出して燃えてしまったのは、国中足しても大問題

にはならない。擦り切れた札の代わりは紙が新しくなるだけで、額に変化はない。インフレ対策で増やしたのはいつ引っ込めて

いるのだろうか。今までのその足し引きは釣り合っているのだろうか。金余りなどと簡単に言うには大きすぎる金額が、世界中

を引きずり回しているが、いくつもの国を丸ごと買えるようなその金はどんな形でどこにあるのか。
 現在の貨幣経済は、財布ケータイやカードに現れるように、貨幣というものが金の総体の首座を失いつつあるようだ。現金を

持ち歩かず小切手にサインするだけというアメリカの富裕層の姿は、1940年代に聞いた覚えがあるが、今は符号(変換ミス

ではない)の時代かもしれない。企業などの収支や決算は数字でしかない。保有する現金額といっても、文字通りの現金ではな

い。まさか札束を決算総会に持ち込んで見せることはなかろう。商取引といっても、札束が行きかうわけではない。単に数字が

動いているだけだ。そういった意味で、現代はバーチャルなのだ。そこに、広義の、道義的意味での詐欺的行為が次々出てくる

のだろう。法律が後追いしていくのを、ぼくは呆然と見ているだけだが、見方を変えれば、法律を作るまで行為を止めて置けな

いところが計算された抜け穴であるのかもしれない。
 ちょうどこれを書き直しているとき、手当たり次第に読んでいる本の、これまたちょうど読み終わった本の、中身も面白かっ

たが、あとがきに気をひかれた。

あとがき (黒須紀一郎『天保蘇民伝』1994作品社)
 この「天保蘇民伝」の構想を考えている時、突然バブル経済が崩壊して、不景気がやってきた。
 金銭にあまり縁のない私も、バブルが弾ける前までは、テレビや新聞紙上を賑わす何百、何千億円という途方もない数字を、

ゲームでも見ているように、面白く眺めていた。
 ところが、バブルが弾けると、途端にどん底の不景気となった。どこにも、金がないという。不思議であった。あれほどの札

束が、消え失せてしまったというのだ。
 あの戯れに踊った札束は、どこへ行ってしまったのだろう?
 そんなことを考えている内に、今度は百年ぶりの米の不作となった。これが江戸時代であれば、間違いなく大飢饉になってい

る。米を買い漁る人々の姿を見て、天明や天保の飢饉の話を想起した。
 と、思っていたら、今度は聖域であった米輸入禁止の撤廃である。これは大変なことになるな、と思った。日本全国に筵旗が

立ち、国会は農民デモに席巻される。そんな映像が頭に浮かんだ。しかし、実際は小ぜりあい程度で、何も起こらなかった。
 あの何百年も続いてきた農民の怒りは、どこへ行ってしまったのだろう?
 この二つの疑問が、「天保蘇民伝」のモチーフとなった。(後略)

 さすがに作家というものは、現実から考えることを、別の素材に乗せて、ある世界を創るのだ、と思った。作家総てではもち

ろんないが、そういう作家もいるということが嬉しい。
 給料が計算書だけになることに最後まで、といっても数年だったが、抵抗したものだった。今、税金や健康保険や、振込みで

なくてもいいものは窓口払いに通っているが、バーチャル化への抵抗は果敢無い。天引きのものも、窓口払いにできるらしいが

、ちょっと面倒で手が出せない。
 ある、われわれに身近な元教師が、何年も税金を払う必要がないと悠々しているという、知っているものは知っている話があ

る。朝日で公貧社会というシリーズが始まった。第一回に税金を払わないサラリーマンの知恵のことが出ていた。なるほどとわ

かる。これを読んで何パーセントの人が同じようにやるだろうか。だが、これをやるには、かなり神経を配ることと、数字の扱

いにめげないこととが必要だろう。どちらもぼくには無理そうだから手は出さない。その意味でも、算数・数学の意味は大きい

。少なくとも、数字嫌い・苦手の意識は、小中の学校教育に大半の責任がある。ということに、やや自己弁護の響きが伴ってし

まうが、筋からは、確かだ。数字大好き人間が大半になったら、どんな社会になるだろう。
 金の総額などとこんなことを考える先にあるのは、経済の現状、富の偏在といわれている富はどこに行っているのかというこ

となのだ。金が全体でいくらあって、そのうちのどれだけがどこにあるのか、一番大きい部分を持つのはどんな人物たちなのか

。ワーキングプアや浮浪生活者を頂点に、お天道様と米の飯のうち、米の飯がついてこなくなっている現状、格差といわれる中

で貧者・負者の手に入るはずの金がどこに行っているのか。一部資本家だなどという一般的、半ばごまかし的でなく、個人名と

までいわなくとも、搾り取る終点にいるものが誰なのか。ぜひ知りたいものだ。


金の総額

  知りたいこと、わかりたいことの一つに、金・貨幣の総額というか全体というか、金というものはいったいどこにあるのかということがある。流通している金としまわれている金を合わせて全体になるはずだが、そうなるのだろうか。銀行預金などは個人としてはしまってある金だが、銀行は回しているのだから流通中だ。だが、食べ物や家屋が金で買われて、体力や安心安全として動いて給料として再生産になるには、剰余価値や目減りは別としても、ずれがある。消化も成長も含めた時間のずれの中で物価と給与のずれなどもあって、収奪も絡む。また、個人としてでは収支がまとめられなくて、一家とか一社とかなら一つのまとまりとして計算できたとしても、国はそういう意味の一まとまりのものであるのだろうか。外貨の流通中とか、貿易黒字分とかは、金の総額とどう関わるのか。問題にされる膨大な国家赤字などもそれらのずれや総額とどう関わるのだろうか。
 日銀券の発行高というのがどうもよくわからない。江戸時代など、何度も悪貨への改鋳や大量放出で物価調整などしたというが、同じことを今もやっているという単純なことだろうか。へそくりをごみに出して燃えてしまったのは、国中足しても大問題にはならない。擦り切れた札の代わりは紙が新しくなるだけで、額に変化はない。インフレ対策で増やしたのはいつ引っ込めているのだろうか。今までのその足し引きは釣り合っているのだろうか。金余りなどと簡単に言うには大きすぎる金額が、世界中を引きずり回しているが、いくつもの国を丸ごと買えるようなその金はどんな形でどこにあるのか。
 現在の貨幣経済は、財布ケータイやカードに現れるように、貨幣というものが金の総体の首座を失いつつあるようだ。現金を持ち歩かず小切手にサインするだけというアメリカの富裕層の姿は、1940年代に聞いた覚えがあるが、今は符号(変換ミスではない)の時代かもしれない。企業などの収支や決算は数字でしかない。保有する現金額といっても、文字通りの現金ではない。まさか札束を決算総会に持ち込んで見せることはなかろう。商取引といっても、札束が行きかうわけではない。単に数字が動いているだけだ。そういった意味で、現代はバーチャルなのだ。そこに、広義の、道義的意味での詐欺的行為が次々出てくるのだろう。法律が後追いしていくのを、ぼくは呆然と見ているだけだが、見方を変えれば、法律を作るまで行為を止めて置けないところが計算された抜け穴であるのかもしれない。
 ちょうどこれを書き直しているとき、手当たり次第に読んでいる本の、これまたちょうど読み終わった本の、中身も面白かったが、あとがきに気をひかれた。

あとがき  (黒須紀一郎『天保蘇民伝』1994作品社)
 この「天保蘇民伝」の構想を考えている時、突然バブル経済が崩壊して、不景気がやってきた。
 金銭にあまり縁のない私も、バブルが弾ける前までは、テレビや新聞紙上を賑わす何百、何千億円という途方もない数字を、ゲームでも見ているように、面白く眺めていた。
 ところが、バブルが弾けると、途端にどん底の不景気となった。どこにも、金がないという。不思議であった。あれほどの札束が、消え失せてしまったというのだ。
 あの戯れに踊った札束は、どこへ行ってしまったのだろう?
 そんなことを考えている内に、今度は百年ぶりの米の不作となった。これが江戸時代であれば、間違いなく大飢饉になっている。米を買い漁る人々の姿を見て、天明や天保の飢饉の話を想起した。
 と、思っていたら、今度は聖域であった米輸入禁止の撤廃である。これは大変なことになるな、と思った。日本全国に筵旗が立ち、国会は農民デモに席巻される。そんな映像が頭に浮かんだ。しかし、実際は小ぜりあい程度で、何も起こらなかった。
 あの何百年も続いてきた農民の怒りは、どこへ行ってしまったのだろう?
 この二つの疑問が、「天保蘇民伝」のモチーフとなった。(後略)

 さすがに作家というものは、現実から考えることを、別の素材に乗せて、ある世界を創るのだ、と思った。作家総てではもちろんないが、そういう作家もいるということが嬉しい。
 給料が計算書だけになることに最後まで、といっても数年だったが、抵抗したものだった。今、税金や健康保険や、振込みでなくてもいいものは窓口払いに通っているが、バーチャル化への抵抗は果敢無い。天引きのものも、窓口払いにできるらしいが、ちょっと面倒で手が出せない。
 ある、われわれに身近な元教師が、何年も税金を払う必要がないと悠々しているという、知っているものは知っている話がある。朝日で公貧社会というシリーズが始まった。第一回に税金を払わないサラリーマンの知恵のことが出ていた。なるほどとわかる。これを読んで何パーセントの人が同じようにやるだろうか。だが、これをやるには、かなり神経を配ることと、数字の扱いにめげないこととが必要だろう。どちらもぼくには無理そうだから手は出さない。その意味でも、算数・数学の意味は大きい。少なくとも、数字嫌い・苦手の意識は、小中の学校教育に大半の責任がある。ということに、やや自己弁護の響きが伴ってしまうが、筋からは、確かだ。数字大好き人間が大半になったら、どんな社会になるだろう。
 金の総額などとこんなことを考える先にあるのは、経済の現状、富の偏在といわれている富はどこに行っているのかということなのだ。金が全体でいくらあって、そのうちのどれだけがどこにあるのか、一番大きい部分を持つのはどんな人物たちなのか。ワーキングプアや浮浪生活者を頂点に、お天道様と米の飯のうち、米の飯がついてこなくなっている現状、格差といわれる中で貧者・負者の手に入るはずの金がどこに行っているのか。一部資本家だなどという一般的、半ばごまかし的でなく、個人名とまでいわなくとも、搾り取る終点にいるものが誰なのか。ぜひ知りたいものだ。

今年の夏は――安曇野の畑で


  今年の夏には、参った。こちらの、つまり人間の都合の不具合もあったが、天候のというか気候の不順ということにつくづく参った。といっても、いつもより少なく、合計で10日しかいなかったのだが。やっと暇ができたのに、9月になっても、まだだめだ。
 確か7月の末に何日か畑がからからに乾いて、種蒔きを諦めたと覚えている。その後おかしくなって、表面の2・3センチ下まで乾くことがあったかどうか。日も照らない、湿気は充満、黴と腐敗菌の天下となった。白菜系の葉は緑にならず、白っぽい、斑点のように染みができる。葉物はやたらに脊ばかり伸びて、そこを強い雨に叩かれ、突風も吹いて、倒れた。その上、外側から腐り、黴が生え、間引いて食っても、まるで味がない。軟らかいだろうと思ったが、変に筋張って、歯ざわりもよくない。根腐れということは、今までも時には何本かがやられるといった形で現れたが、今年は半分以上やられた。大根から芥子菜まで、葉物は根が溶けてしまう。生り物は、ピーマンも獅子唐も茄子も、染み状に腐れが入って広がっていく。土に接触していないだけにそれほど多くないのが救いだ。
 これだけ濡れきった畑は、踏み込むと、数センチはもぐりこむ。広めの長い板を敷いてそれに乗るという方法もあるが面倒なので、雑草を取ってあちこちに固めて置いて、それを足場に生り物をとったり根腐れの除去をしたりする。この雑草はいってみればしっかり植え付けたようなことにもなるわけで、やがて元気に茂り出してしまう恐れもある。だが、本数が減るから、まあいいかということにしている。
 雑草だけがとてつもなく元気なのは、どうしたことだろう。栽培種が合理的に抽出されてきた、その合理性に問題があるとしか思えない。手を懸けなければ、育たないのだ。子育て・教育問題にも同じことが言えそうだ。最近は、トマトに屋根を架けることは当たり前になったようだが、菜っ葉よお前もか。野菜で唯一元気なのは、蔓菜だ。栽培種ともいえないほどの、野草といってもいいものなのだろう。種もまかずに生えてきて、やたら伸び広がって、晴れても降っても、雑草に負けずに一面を占領していく。
 雨も違った。スコールというものの実体験はないが、こういう降り方に違いないと思った。たぶん違うのは、定期的でなく、のべつやたらというほど多いことだ。夏は夕立・台風と決まってはいたが、集中豪雨とかゲリラ豪雨という言葉そのものの降り方に何度も出会った。畝間が池になったり、平らな畑の土が流れ出したり。R254の上り坂のとき出会って、四駆に切り替えてスリップを防いだことがあった。後ろのトラックが、斜めの池の中で苦労しているらしく、空荷ではないのについてこなかった。
 もう一つ、突風が吹く。数回、どばっと吹いていくのは、どこかの豪雨の降り出しの、いわゆるダウンバーストなのだろうか。やがてこっちにも雨が来る。降っているときに来ると、ちょっとの間に、屋根の下もずぶ濡れになる。野菜が倒れ、軽い何かが飛んでいってしまう。そしてその代わりにビニルごみがやってくる。枯れたまま倒すのも面倒でほっておいた桐の木が隣に倒れこんだ。雑草に気をとられて、倒木の可能性には気が回らなかった。高さ4mほど径30cm、一人では、どうしようもない重さなのだ、特に濡れていると。周りの土地からは、枝が伸びてきて陽が遮られたり、根が侵入して耕耘機に引っかかったり、被害をき気して加害に注意していなかった。自己中なのだ、目が。
 人間というものは、ぼくだけかもしれないが、ぼくだけであるはずがないと確かに思えるけど、過去より現在をマイナス評価したがる傾向はありそうだ。今年でいえば、何回もあった日照りの、雑草まで全面しおれた畑を懐かしく思い出していた。今年限りならいいのだがと、何度も思った。
 北海道に稲作地帯は移ったという説がある。北海道米が高くなったという数字もある。日本は既に亜熱帯だといわれると、納得してしまう。それでは熱帯は何帯と呼ぶことになるのかと思ったりする。日差しが続かなかったから最高気温は更新しなかったのだろうが、来年か再来年か、降らずに照りつけたら、どういうことになるのだろうと、本気で心配している。高瀬川の向こう側に夏だけ住む仲間が、もうここは売り払ってと言っていたのに、急転して、こっちを本拠にすると言い出した。もう先は長くなくても、先を心配してしまうのは、まだ生きてるよさなのか、それとも人間の業なのだろうか。よくしたもの?で、先の長い人は、今を謳歌するのに熱心なのだ。

三題噺 にならない話

 08.8.26の朝日夕刊は、おもしろかった。ラストの1ページ前、つまりいわゆる社会面、トップに「『夜スペ』塾も揺れる」というれいの和田中関連の記事。大小見出しを見て、最新状況を知っておく必要があるなと感じながら、右隣(右ページ左端)「新ボス3カ月で失脚」という見出しに目がいった。そしてすぐ、その右隣に1小段下がって「ウシやシカ、方位磁石と同じ向き」という囲み小ニュースに目が移った。そこで目にはもうこの見開き2ページの中では移る対象がなかった。
 新聞というものには、波というか、偶然の合致というか、面白い記事がいくつもあってぼろぼろになるまでも切り抜いてしまう日と数分かからずに見終えてしまう日とがある。残念ながら、鋏やカッターナイフの動く日は日はとても少なくなってきている。
 あるいは、と時に悩むのだが、ぼくの日常性というものはずいぶんと怠惰で無感動で無神経であるようで、旅から帰ったりして久しぶりに新聞を読むと何かやたらと切り抜きたくなる記事が目に付いたりする、のではないか。これは躁鬱症という病名がつけられるのかもしれないが、病まではいっていない気質のうちだと勝手診断。
 和田中は、その話題の一切を切り捨てる人もいるが、考えさせる種を多く提供してくれる。その点で存在感がある。今回のは署名記事だが、新聞記者らしい客観的で目配りの効いた記事であるとみた、とたんに、当事者感覚がないという感じが入れ替わった。公・私の中・高と塾と保護者のそれぞれの声を拾ったりしていても、それぞれの立場に立っての追求をしない傍観的観察者の目だ。これが絶対中立なのか。未成年者から直接の取材は難しいだろうが、主人公は生徒だ。取り巻く3者4者が生徒をどう見ているかから生徒そのものを読者の心裡にあぶりだすことはできるはずだ。そんなことを考えるには、リテラシー教材として、というより読み教材として、今だったら大きな価値がある。中高生には素材としてもぴったりだ。
 淡路島モンキーセンターでのボスザルの交代劇は、2~4位が集団でトップを襲撃するという点、40年の観察で初めての首位交代抗争である点、その決定的瞬間の目撃者が9歳女児という点、また前代前々代のボスが楽しく共同生活している点、そして最も大きくは弱者に優しいかどうかが首座決定や退位以後の位置の要因だという点、このニュースもずいぶんと面白い。サル社会には人間社会のすべてがあるといった意見があって、それについては観察者や伝達者の客観性の傍証がほしい、と常ずね思っているが、それでも人間世界を思わずにいられなくなる。
 渡り鳥やサケで知られる地磁気感知能力を哺乳類も持っているという新発見の話も、わくわくさせられる。磁気・磁力というものは、まったく不可解で、それだからとてもわかりたいことの一つなのだが、哺乳類も、人間も、生活や脳にまで地磁気が関係するとなると、今後どういう解明がされていくのか、たぶん十数年先(そんなにまでぼくはいないよ)だろうなと思いながら、期待してしまう。だからどうなのだ、というレベルまで進むのは、大変だろうが、とにかく面白い。北枕とか、南面するということが意味を持つこととして吟味されるのかななどと思った。最近、風水が変にもてはやされているが、現代に対する疑問から来る迷走のひとつか、呪いや占いとは違って自然の見方として探るべきかという前からの疑問も、頭に浮かんだ。
 初め、この3っつの記事にひかれながら、頭をかすめたのは、意図的に並べた編集だろうか、という疑問だった。それぞれを読んでみると、そんなことはないと、まあ素直に思う。そうすると、今度は、何でこの3つが順に気になったのだろうと、自分の動きが考えられる。順序は、左から右への習慣的な目の移動だ。問題は目が止まること、気がひかれる内容にある。この3つは相互に何か関係があるのだろうか。特にはなさそうに思えるのに、並べた編集かなどとなんで一時でも思うのか。何か我流認識論に新発見を一つ加えられるところだったのかな。
 このブログ、みんなは書きもしない見もしない状態らしい。それでいいのか、何度か問題提起をしたのに、変わらない。それで遠慮していたけど、この先、少し勝手にのさばってみることにした。今まで書き溜めた多くのものを見直して、いいたい放題をやってみる。
 

日暮里舎人ライナー

 東京の下町、足立区の西部は交通の過疎地でした。私の家はそこにあります。区役所に行くのも、小1時間、バスに乗らなければ鉄道の駅に届きません。ここに日暮里からのモノレールが開通しました。「日暮里舎人ライナー」です。私の家からは日暮里まで、これまで1時間近くかかっていたのが、25分で行けるようになりました。都心が間近になりました。東京駅まで40分です。このモノレールの計画は20年以上も前からあったのです。「やっと」という思いです。

 足立区はまん中に南北の東武線があるだけで、そこからはずれると「交通僻地」でした。一昨年に足立東部に「つくばエクスプレス」が開通しました。私が最後に在籍していた中学校の学区域に「つくばエクスプレス」の駅があります。卒業後の進学できる高校が一機に増えました。遠くまで通えるようになったのです。

 足立西部に「待ちに待った」鉄道(モノレール)ができました。このモノレール、コストを下げるため、無人運転です。一番前に乗ると誰も運転していないのに、ちゃんと動いて、ちゃんと止まります。ちょっと「こわい」です。このモノレールは都営です。「都」の意向をちゃんと繁栄しています。開通当初、駅やホーム、車内の「広告」は「このモノレールは道路特定財源でつくられています」という宣伝一本でした。今は、これに変わって「2016年に東京オリンピックを」というポスターが張りめぐらされています。これを見ながら毎日、乗っています。でも私にとっては、とても便利になりました。

デンマークに行ってきました

 世界一幸福を感じる国民が多い国、としてデンマークは知られています。25%の付加価値税(消費税)にも国民は不満をもらしません。教育は無償だし、病気になっても安心だからです。教育は、子どもの自主性を尊重しておこなわれ、子どもが自立して、自分の生き方を決められるように教育していくことを基本している、と聞いていました。いろろいな本にもそう書いてありました。
 デンマークに行って、学校や学童保育、青少年センター、産業訓練施設、老人ホームなどをたくさんみてきました。デンマークは9年間の義務教育で6歳から15歳まで1年生から9年生まで同じ学校同じクラスで学びます。ゼロ学年というのもほとんどの学校に設置されていて、来年からこのゼロ学年も義務教育にくみこまれるということでした。国民学校と呼ばれています。学校はふたつ行きました。ひとつは「普通」の学校、もうひとつは移民の人たちが多くすむ地域の学校(足立区に似ています。親近感がありました)でした。デンマークは福祉社会で格差の少ない社会ですが、それでも外国からの移民も増えて、格差の拡大がみられるようです。
 ふたつの学校とも、授業は子どもの自主性を大事にしていることがよくわかりました。2年生の読書の授業では思い思いの場所でかってに子どもたちが本を読んでいます。ソファにころがって読んでる子、椅子ではなくて床で読んでいる子もいました。9年生の地理の授業では、各自がテーマにしたがって、コンピューターや図書室、教室でバラバラに調べていました。先生はほとんどみているだけです。何もしない子がいました。まわりの子が「あの子は課題をおわったので、もう何もしなくていい」と言っていました。コンピューター室でゲームをしている子もいます。先生は「気にしない。きっといつかやるさ」と言っていました。こんな具合です。
 でも去年から、PISAの影響で、全国統一学力テストが導入されたそうです。「普通」の地域の学校の校長は「全国1600の国民学校のうち58位だ」と“自慢”していました。競争教育がもちこまれようとしています。「学力テスト」については国論が二分されているようです。
 福祉施設もヘルパーさんの待遇が悪くなっているともいいました。ペーパーワークが増えてたいへんだ、という人もいました。
 デンマークは九州ほどの面積の小さな国です。14の県にわかれていましたが、昨年、行政改革で5つの「州」(レジオンといいます)に統合されたそうです。行政改革です。新自由主義がはいりこんでいそうです。
福祉の国の現実でした。