学びをつくる会世話人リレーブログ -11ページ目

学びをつくる会集会の講演集をおわけします!

 学びをつくる会は、もう6年目にはいって、集会も14回を数えています。毎回のメインの講演はあらためて、ふりかえってみると「学び」の基本を提示しています。今はやりの「習熟と鍛錬」ばかりでなく、判断力・問題解決能力などというのもおこってきています。

 都教委が今年は「問題解決能力」のテストを中学二年生を対象におこないました。この問題は都教委の責任でつくっています。業者丸投げではありません。それだけに文部科学省直属の「問題」が現れているようです。9題の問題を45分で解くものですが、そのうちの4題は旧来の問題です。残りの5題のうち、2題は「問題解決」といいながら、結論の決まったことがらへ導く「誘導」問題です。残り3題のうち、2題は「文章」を書かせる問題ですが、決まった状況の中で「正確に伝える」ことを求めるものです。この問題をみていると、漢字検定協会がやっている文章能力検定の練習問題とうりふたつです。この文章能力検定の問題は、知らない人に道を聞かれ、説明するなどという「所与の条件」で文章つくることが中心です。これはこれで大事なことではありますが、具体的な場面では、いろいろな人たちの「思い」がつまっています。「所与の条件」を考えることが「問題解決」につながるはずです。「都」の問題では、自然教室で集合体型を教師が班長に伝える、という場面が想定されていますが、「体型」を教師が決めてしまうこと自体、問題解決には役にたちません。どういう「体型」にするかを考えるところからすすみたいものです、 さらに最後(問題文では「第7問」ですが・・・)に極めつけは「環境問題」についてです。近所の買い物に行く時に車を使うかどうかの文章を読ませて「環境問題は人類社会において重要」ということを答えさせる問題です。この問題を読んで子どもたちは「一人ひとりが気をつける」というだけの結論が書かれているだけです。温暖化のために二酸化炭素の排出を大量におこなっているのは誰か、ということがまったく問われていません。国や企業の責任を免罪するための「学習」に役立つだけです。「判断力」というのはたくさんの材料の中から、まわりの人の思いや全体像を考えてつくものです。都教委の「判断力」はこの程度です。

 私たちは「学びをつくる会」で「学び」について、考えてきています。これまでの「集会」の講演集を冊子にしました。一冊300円でおわけします。大谷まで連絡ください。

大谷のメールtotani08@agate.plala.or.jpです。

映画『母べえ』を観る

山田洋治監督、吉永小百合主演の映画『母べえ』を観た。太平洋戦争下、母娘・庶民の生活の困難を描いている。父べえはドイツ文学者であるが、思想犯として治安維持法違反で捕らえられ、獄死する。残された母べえが二人の娘を抱えて苦しみ、育てていく。その周りに父べえの教え子や故郷広島の妹、母べえの奈良の叔父などが支援する。その日常を丁寧に描いている。自主製作の『日本の青い空』は日本国憲法の平和・人権・民主主義の基本を支えて学者を描いたわけだが、『母べえ』はまた違ったアプローチで、今日の日本の平和と民主主義はどんな犠牲によって支えられているのかを描いたといえる。どちらも今日的憲法論に一石を投じているのだ。
さて、わが亀有アリオの映画館には団塊の世代の女性がほとんどだった。反応もまちまちであるように見えた。共感している人、まあ、そんなことだったかという人。私は感動しつつ、これはずいぶん感想が分かれるだろうなと思った。それは、靖国参拝問題やアジアの人々の日本の戦争被害者への謝罪問題に見る通りだ。ドイツのように政府が先頭に立ってしっかりと謝罪し、教育で語り継ぎ、補償も犠牲がわかりしだい今日でも補っている。ナチスの責任はずっと問い続けている。(それでも繰り返しネオ・ナチズムなどの動きは起きる)。日本はそうではない。それは政府の問題だけではなく国民の意識に支えられている。戦争に反対した人への「非国民」問題も同じだ。今も職場における様々な差別・排除はある。差別する側・排除する側で行動した人は、こういう映画は観ないだろうが、観たとしての感想はどのようになるのだろうか。障害者の差別とのたたかいとなれば、だれもが共感するだろう。映画『アース』を観て地球環境の将来を憂うるのも共有されるだろう。しかし、こういうテーマになると、表面上は否定しなくても深い共感は生じないのではないだろうか。
あなたも、まずぜひ観てください。とくに若い人には観てほしい。そして、率直な感想を聞いてみたい。

年賀状

 正月になると卒業生から多くの年賀状がきます。退職してから、新しい卒業生はいません。34年前の卒業生はもうそろそろ50歳です。昨年の卒業生もいます。こちらは高校一年生です。古い卒業生からの近況はたいへん興味深いものです。アメリカに滞在して商社マンになっていたり、労働組合の専従の仕事をしていたり、警察官になっていたり、バスの運転手をしていたり、さまざまです。二十代の卒業生は、仕事をはじめたばかりです。いきいきしている様子が伝わってきます。昨年卒業の高校一年生は、高校生活の楽しさとがんばっていることが記されています。女子はお母さんになって、子どもといっしょに写っている写真が添えられていたりもいます。年賀状には「困っている」ことは書かないかもしれません。もちろん年賀状をくれる子は一部です。それぞれの「時」を思い出しながら、年賀状の文言をかみしめています。学校時代にたいへんだったことも今思えば「楽しい」思い出になるから不思議です。
 年賀状は、年に一度、ふだんのいききがない人も近況を知らせあい「無事を確認する」手段です。91歳になるおじは「これで年賀状はおしまい。来年からは失礼する」という年賀状が届きました。これもさびしいですが、現状を認識します。こんなふうに年賀状は年に一度の交友を結ぶ「良い日本の儀礼」だと思います。
 週刊金曜日で本多勝一さんが「年賀状は値下げを」という文を書いていました。大量にいっぺんに出されるのだから、仕訳も配達もコストは低い。一枚50円もかけるなんてことはない。郵政民営化になったのだから、もっと安くで配達できるはずだ、というわけです。その通りだと思います。数百枚も一度に配達されれば、確かに一枚あたりにかかる費用は少なくてすむはずです。要求運動にするといいかもしれません。


カレイなる人生

本多さんが長いメッセージを書いている。私は6月に65歳を迎える。正月に二男の兄を送った。70歳になるところだった。その夜、したたかに飲んだ。ところが、夜中にしんしんと頭がさえて眠れない。それが不思議な深い冴え方だった。田舎の柱時計の音だけを数えていた。朝起きてトイレに行こうとすると、体が右へ右へ引っ張られる。まっすぐに歩けない。部屋を壁伝いに一周するような感じで歩いた。布団に戻ってやっと眠れた。起きると激しい押しこむような頭痛がしたが、体は戻った。頭痛は最近になってやっと午後にはおさまるようになってきたが、まだちょうど頭蓋骨の下に鉛の帽子をかぶっているような感じで頭を押さえている。お酒は夕飯の一杯だけでもう飲みたいという気が起きない。これが不思議。特に日本酒がおいしく感じない。体の中で味が変わった。来月には人間ドッグに行こうと思う。 両親は63歳で亡くなった。私の村では60歳をこえる人は少なかった。特に、瓦職人は短命だった。天気の良い日は、かんかん日照りの屋根の上で熱い瓦を葺き、雨が降れば竈に瓦(日干し粘土)を入れて徹夜で火をたく。汗が激しいから塩加減の強いものが欲しくなる。付き合いで酒を飲む。これで長生きするわけがない。7人兄弟の長女の姉は戦時中、代用教員をしていた過労で戦後間もなく亡くなったが、残った兄弟は元気に両親の年をこえた。上の姉が82歳になる。下の私が65歳。もう20年ほど前から瓦は大規模工場から仕入れ家では焼かなくなったのだ。 歳を重ねるというのはむずかしい。介護で迷惑をかけたくないと、我々の年齢のだれもが思っている。しかし、これだけはむずかしいことだ。だが、元気な間に何ができるか、何をするかということは選択できる。 さて、本多さんはできる限りの活動はやって、それだけの発言をしてきた。「歯に衣着せない物言い」というのは、本多さんのことだ。しかし、これからは的を絞って、我々の学びをつくる会を支えてほしい。叱咤しつづけてほしい。 私はアニマシオンクラブと掛け持ちだ。学びの会は3年サイクルで活動してきたがこれは今日の状況に見合っていると思う。現在2サイクル目を進んでいるが、新学習指導要領批判をしっかり展開して、いまどういう学びが求められているのか、批判に終わらない論争を追究していきたいものだ。アニマシオンクラブも、今年から新しいサイクルに入るつもりで腹を据えていこうと思っている。アニマシオンは、私自身はそういう(「何を・どう」という)問題を提起する具体的な「たたかい方」なのだと考えている。今日のたたかいとは、旗色鮮明にして「ともにがんばりましょう!」ということではない。具体的な対置案をわかりやすい姿にして提示し、現場の人の納得を得て確かな輪(環)を広げていくことだ。それを鎖につなげていくことだ。アニマシオンクラブの役割と、学びの会の役割とは違う。学びの会はやはり今日的な論争にしっかりかみあいながら具体的な方向を切り開く論議をしていかなければいけない。だから、私は両方を大事にしている。 だいぶ長くなってしまったが、本多さんの叱咤に応え、「若いものは」それなりに受けとめていこう。歳を重ねるということはむずかしいが、ここまでくればじたばたするほどのものはなにもない。カレイなる人生=加齢・華麗・・・。希望とは期待と信頼でできているとすれば、絶望とは愚痴と言い訳でできている―と、『チョークで書く「希望」』のあとがきで書いたとおりだ。私の「希望の語り方」がある、それが学びをつくる会であり、アニマシオンクラブなのだ。そうそう、葛飾作文の会も大事なんだ!

近況

 めったなことを軽々しく書くものではないとつくづく思い知らされた。やはり気が立っていたということだろう。12.7ここに載せてからひと月、哀れなざまとなっている。
 暮に書くにはかいたが、正月早々になる遠慮からほっておいたものを、しばらく顔を出す
こともない近況報告を兼ねて、載せることにした。
 学びの会の人たちは若いから、まだ遠いだろうが、いずれ必ず身近に起こりうることでも
ある。


 今は、人間というものが精神と思考と体という3種から成り立っていて、それが別々に存
在しうるらしいといったことを感じている有様だ。また、こっちの岸と向こうの岸とは、離れているのか隙間もなしなのか、いったん渡ったのかこっちにずっといたのか、妙な心持で遊んでいる。
 なににせよ、前非を悔いて頭を丸め、心を入れ変えた積りでいる。


 ことは呆然とする急速進行のものだった。
 12.7のあと、発表されたPISAの問題で、論理的思考の手がかりになる分析を一つ
ほぼ仕上げて、添付してM氏に呼びかけのメールを送るとすぐ、13日から安曇野に行った
 14・15日は雪が降っては止みの天気で温泉にいったり呑気に過ごした。車の調子が悪
くて、やたらエンストした。と思っていたが、今思うと、どうもこれが初期症状だったらしい。踏力が、特に右が落ちていてアクセルを踏み込めていなかったらしい。食欲がなくて、喰うものが余りうまくない。せっかくの流星群も、流れ星の見える空模様ではない。眠ることだけは、憑き物が落ちたようによく眠った。
 16日、動きに違和感があった。食欲がなくなり一食分ぐらいを2回で食べた。雪が積も
って、野菜が隠れたのを掘り出さなかったから、食料が乏しくなった。買いにいく元気が出ない。薪を運び入れるのに苦労した。
 17日、立てなくて転んだ。足を手で修正して、位置を考えて姿勢を直して、やっと立っ
た。よろめくけど、何とか立てた。茶碗半分の残り飯を、ストーブで僅かにぬるくなった湯で流し込んで食べた。ぼんやり本を読んで過ごした。面白くはなかったが、読み進んだ。2階へ上がるのに段に足がつかえた。
 18日、もう帰る日だが、帰るなどということではなくなった。足が、そこにあるのに、
なんとも動かない。スキーで転んで動かせないもどかしさというようなことではない。他人の足。凍傷にやられたときの真っ直ぐで真っ白な指の、叩けば折れる蝋石のような、あの異物感を思い出した。動かないのは、足が踏めないのだ。動かした先のどこかの摩擦なり出っ張りなりを足の裏がとらえてそこで頑張るから動けるのだ。この状態は水の中でもがくようなものだ。水深30センチでも溺れるのだ。そう思っても、どうにもできない。手で足を動かすには姿勢が保てず、転がってどうしたら動けるか考えてはやってみた。車を動かすことはもうできない。いや、家の中の移動もろくにできない。俺の力・能力とは何か、切れ切れに考えていた。力がないのか、欲がないのか、意思がないのか。病気という落ち込みか、運動神経が切れたのか、これは一時的現象か。薪をうまく燃せない、燃す意欲が出ない、凍死の危険も考えた。本は数十ページ読んだが、全く中身が伝わってこなかった。寒気かららしい携帯の電池切れになったが、充電をどうするのかわからなくなった。
 息子が来て、明日朝車で送るという。久しぶりに全線高速だったが、切れ切れにしか覚え
ていない。SPで障害者用トイレに入って、つかまっていても立っていられなくて、苦労した。家に着いて玄関の段差がいざっても上がれず、そのまま車で病院にいった。ちょうど40日前に救急搬送されたところにデータがあるはずだから、そこに行った。診察券があることを言えなかった。病院で、名前も歳も、聞かれていることはわかっても、答えることはわかっていても、どこか無関係というか答える気が出てこない。ことばには内容などより、言葉にするというもう一つの何かが必要らしい。


 急に意識がはっきりした。目が覚めたようだった。何か頭をがりがりやられていたように感じた以外うとうとしていたようだが、意識がはっきりすると点滴の管以外にもあれこれくっつけられていて、どうやら集中治療室にいるらしいことがわかった。名前や日付を聞かれて、そんなの用のない暮らしだから、手帳を見なければ日付は覚えていないと冗談が口に出た。まだ今日のうちで、日も暮れていないようだった。何台か並んだベッドのほとんどで、しょっちゅう何かが行われていて、さっぱり眠れない。集中治療室というところが、こんなに安静にしていられないところだということに驚いた。
 看護士さんが、来るたびに名前や日付やここの場所やここにいる理由などをたずねる。意
識に変化がないか、要するに正気なのか確認しているわけだ。こっちは逆に、くっついている管の一つ一つについてとか、今の状態について聞いて見る。そうやってどうやらわかってきた。脳内出血で行動・意識の障害を起こし、その出血をパイプで吸い出しているところだった。もちろん食断ちで、点滴補給だ。


 何が原因かはわからない。しばらくの間、数ヶ月、やたら続く会合にやたら出続けて、しばしば何か書いたり提起などしていた。その間よく呑んだ。とくに呑みたくはなかったが、声がかかれば惰性で動いていた。違う場面では違う顔ぶれだから、めいめいは違っても、こちらは毎度ということになってしまう。ずっと熟してきていたことがまとまってやってきたようで、幾つかのことに手がつけられて、いくつか形になってきた。そのためか、眠りが浅く少なくなって、パソコンに取り付いていた。間を縫って2・3度行けた安曇野も、日数は短いし、冬支度で仕事は多いし、のんびりはできなかった。11月、意識を失って救急車で運ばれたことがあったが、入院もせずに回復して、それほどおおごとではなかったのだと思い込んだ。去年、目の調子が悪くて病院にいったら、眼底出血だと即日入院で、何日も閉じ込められたときほど、考えなかった。

 いろいろ考えた。とにかく、「自ら飛び込んだ仕事」から手を引くしかない。関係してきた幾つかは、何とかなりそうなものから順次引っ込む。そうやって引っ込んで、どこに人がいなくなるか、迷っている。東京教研国語分科会、東京民研4つ(運営、地域、平和、国語)、教科書シンポ、板橋の教科書。もう眼をつぶろう。
 さて、ここからだ、国語と平和、国語科の学力・評価(学テ・PISA分析)、論理的思
考、指導要領。こうしてみると、残るものの中で組織化されたのは、国語と平和だけだ。ほかはその時々の間に合わせを乗り越えられなかった。こうだから、いつになっても教研が基礎力を持てないのだ。あとどれだけできるのだろう。
 酒と煙草はどうなるかな。酒はもうひと月ばかり飲んでいない。2度ほど口にしてみたが
、うまくないのでやめた。煙草は相変わらず、日に2・3回吸いたくなれば吸っている。


 脳の出血とその影響について、分かった気になっていたようだが、本当のところはなってみなければわからないというのが情けない。体の急激な衰えや発作では、体力の調整や引き出し方とか、基礎体力の状態の分析とか、摂取栄養との関係とか、いろいろありそうだ。以前から山での体力問題というのは考えていた。ふつう贅肉なし派が褒められるのだろうが、どうも生きるか死ぬかといったところは太目の体力派が強いのではなかろうか。朝食なしでの2食の生活を30何年もやって来て、最近朝の寒さがこたえるようになり、喰う気がないものの空腹での餌バテが多くなっていた。
 あの時、無理やりにでも、食べておけばどうなったか、それが気になっている。それで何
かの力が保持できたとしたらそれは体力のうちの何だろう。足が動くとか動かないとかも、もっと細かく、どの部位が動かないのか、曲らないのか、力が入らないのか、力がなぜ入らないのか、と考えていくと何かつかめるのかもしれないと考えたりする。筋力と意思と、伝達する神経との関係、それが脳の中でどうなっているのか、そこをもっとも知りたい。
 体力・能力ということも、その瞬間の力だけが力なのか、これだけの力を出せる可能性と
いうことも考えるのか。スポーツの予想で、100M10秒で走ったから今度もというのは、もし走れなかったとしても、力がないとはならないだろう。運動というような、目で見えて、測定可能なもので、力の研究をできるといいのに、国際レベルは企業秘密で、多くは根性で隠されている。そしてそれは優れたほうだけで、基礎とか生きる上でのぎりぎりのということには、さらにもう一工夫ふた工夫必要なのだろう。
 人間というものは、面白くてわからないものだ。

今日やっと一息

 連続9日間よく続いたものだ。教科書関係4つ、東京民研関係2つ、国語と平和サークル、民教連、学び。全日が1つだけだったのが救いで、ほとんどパソコン暮らし。でも、おかげで、今年熱を入れてやった学テ分析を修正してずいぶんの人に渡せたし、教程審の国語の分析もできてそれを異なる領域の幾人にも渡せたし、またまた飛び込んだPISAの分析の①(「論理的思考力を育てるとはどういうことか」①)もつくって、めぼしい数人に渡せた。今日1日の暇で、明日からまた何日か続く。
 ぼくの関係するいくつもの分野で、このごろ良く、あいつも(失礼)焦っているなと思う。焦り過ぎでうまくいっていないと思うやつ(○さん実に失礼)もいれば、すごいとシャッポを脱ぐ(死語だね)のもいる。あいつとかやつとしか言いようがないほどの付き合いの人たちが、今、恐ろしくエネルギッシュに動いている。そう思うと、ぼくも焦っている一人かなとも思う。よくやったなと今は思うけど、客観的には(これは恐ろしい言葉だ)ごまめの歯軋りにしか過ぎない。とは思うけど、我々はこうしかできないし、そういうことなのだとも思う。
 

「元「慰安婦」の証言集会」と「南京虐殺70周年国際シンポジウム」

12月になると、8日はアジア太平洋戦争の開戦の日があります。今年は66周年です。8月と同様に「戦争」のことを考えるキャンペーンが少し始まります。8月は「負けた戦争」ということで、日本国民の被害について考えることが大きくなりますが、12月は「戦争をはじめた月」ということで、侵略していったアジア各地のことも考えるようになります。「慰安婦」の問題はアメリカ・フィリピン・オランダで議会決議があがり、日本政府への謝罪を求めています。戦争のことをふりかえり、しっかり次の世代に引き継いでいこうというとりくみが日本国内でもおこっています。8日もたくさんのイベントが予定されているようです。私も一つのとりくみに参画しています。毎年12月にアジアの戦争被害者の方を招いての証言集会を実行しているグループに参加しています。アジア・フォーラムと名付けられたこのNGOは、これまで韓国・フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシア・台湾・中国・東ティモール・グァムなどから戦争被害者を招いてきました。このグループは若者がたくさん集まっています。大学生も「これまで聞いたことがなかった」という人が多くいます。証言をきいた多くの若者は「何かしたい」と運動にたちあがってくる人もいます。
 今年は7日と8日にフィリピンの元「慰安婦」のおばあさんを呼んで、証言集会を開きます。シメオーナ・ラメールさんです。ラメールさん14歳の時、平和に暮らしていて日本軍に連行され、監禁されて強姦され続けました。命令があったかなかったかなどという問題ではありません。兵士が関与しています。軍のやったことです。
このことをしっかり日本の学校でも引き継いでいかなければならないと思います。7日は7時から、8日は2時から、原宿の「神宮前区民会館」でおこないます。戦争のことを考える日になれば、と思います。
そして13日は「南京大虐殺70周年」です。日本の軍隊が当時の中国の首都南京に侵入し、武器を持たない市民に対し、略奪・強姦・虐殺のかぎりをおこなったのです。「南京虐殺はなかった」という人まで今日の日本に出てきています。恥ずかしいことです。15・16日にはお茶の水の明治大学で「南京虐殺70周年国際シンポジウム」が開かれます。こちらにもかかわっています。

マレーシアに行って

 先月の末にマレーシアに行ってきました。今年は南京大虐殺70周年です。日本国内には「南京虐殺はなかった」という人が声高に叫んでいます。侵略戦争は「仕方がなかった」という人たちです。また「仕方がない」状況になったら戦争しようというのでしょうか。こんな状況をなんとかしようと思って国際的なシンポジウムが春からアメリカ・カナダ・イタリア・フランス・ドイツと行われてきてマレーシアでもやることになり、私もレポートをもって参加しました。「歴史の事実を継承する教育と運動」という報告をしました。世界的には、日本国内には歴史修正主義がはびこっていると思われていて、私たちのように歴史の事実をひきつごうという運動があることはあまり知られていません。そんなことをマレーシアでも感じました。マレーシアでは日本軍が占領した時、特に中国系の人たちを中心に虐殺がおこなわれました。マレーシアは今でもマレー人、中国人、インド人の多民族国家です。日本軍は兵隊に「マレーの中国人は商業に従事していて、町にいる。農村にいる中国人はゲリラに違いない」という間違った教育をうけて、ジャングルに住む中国系の人たちを皆殺しにするのです。「偏見」が悲劇を生んだのです。マレーシアにも「歴史の事実」を継承しようという人たちがいます。これらの人たちと交流を深めました。日本ではマレー半島で60年以上前におこったことは知られていません。マレーシアでは日本軍の残虐行為についても学校できちんと教えています。このギャップがまたおかしいです。
 ところで、私はマレーシア訪問は三回目ですが、来るたびに大きな変化があることにびっくりします。83年の時にはホテルの前にリキシャの車夫がたくさん客引きをしていました。94年にはリキシャは姿を消していました。高速道路が建設されていました。今回は「未来都市」のようなクアラルンプールです。国際空港はクアラルンプールから70キロのところに新設され、首都まで30分の高速鉄道が開通していました。町には「有名な」ツインタワーがそびえています。上海のような近代都市になっていました。LRTが縦横に走り、マハティール前首相が経済成長を誇るのも「さもありなん」という感じでした。他の東南アジア諸国とくらべて(たとえばフィリピン)「外観的な」イメージは発展しています。農村地帯の「豊かさ」も少し違うように感じました。
 世界はどんどん変わっています。

「ツッパリ」

ニュースで、ボクシングのあの若い二人の試合批評が繰り返し流れている。どうなんだろうねえ・・。亀田親子のあの“ツッパリ”姿を見ていると、現場にいたときの子どもと親を思い起こす。小学校では、児童であそこまでは珍しいけれど、ほとんどあの状態の子とあの状態の親には何度も巡り合ってきた。「自分の非を認めることができない」というのが共通だ。負けるまでの「順調に」きた間のあの空威張り、チャリチャリとガニ股で歩く姿、そして負けたらさあ、どうしよう??!!あやまることができない。人前で頭を下げられない。そして、個人としてのもろさ。「一人として立つ」(孤独・孤立・孤高の“孤”)ことができない。不安でならない。静か
さはさびしくてたまらない。泣かされたなあ!
 さて、世論の袋叩きだ。「せろん」というのもずるい!「未成年だから配慮を」なんて急に言い出したり・・。内藤チャンピオンも共に葛飾だ。亀田はいじめっ子側、内藤はいじめられっ子側。苦労が人間をつくるというのは、本当だね!
 さて、私の通うスポーツクラブのコーチの一人はボクシングに打ち込んでいる。クラブはそのアルバイトだ。試合が近くなると1~3か月休んで、そちらに打ち込む。体はすっくと大きいが、非常に誠実さのあふれる青年で私は大好き。先日も、夜、地下鉄で、ひげ面の青年から「こんばんは!」と声をかけられて「?」と見つめたら、「ぼくですよ」と言われた。今、休んで試合に備えているので、ひげもそっていないとのこと。28歳。若くはない年齢だろうが、自分の生き方を拓く姿はとてもさわやかだ。

韓国ソウルにて

暑い9月もなんとか終わり、ようやく秋になってきました。西日本はまだ暑そうですが・・・。先月半ば(14~17)、韓国ソウルで開かれた日中韓三国の「歴史認識問題と東アジアの平和」シンポジウムに参加してきました。ソウルは秋空でした。
 「教育問題」の分科会に参加し、レポートもしました。今年のはじめ、最後(?)の授業で日本の戦後史をとりあげた授業実践を報告しました。子どもの意見を大事にし、討論しながら、日韓条約に反対した日本の人たち、韓国の人たちの思いをそれぞれ考える授業をしました。日本の歴史教育では、戦後の歴史を「民主化がすすんだ」というこどてひとくくりにしてしまっている側面が強いです。それに対して、韓国では、「解放後」も大きな歴史の変転がありました。南北分断・朝鮮戦争・日韓条約・民主化闘争・光州事件・・・・これらのできごとが日本の若者に伝えられることは多くありません。同時に日韓条約に反対した日本国民がいたこともあまり韓国では伝えられていません。
 討論の中では、授業のようすについての質問もでました。韓国・中国では、子どもの意見をききながら、授業をすすめる方法は「慣れていない」ようです。日本の学校の教育課程についても質問がでました。お互いに「他国の教育事情」についての交流も研究も少ないようです。学ぶところはたくさんあるように思いました。韓国や中国で日本の侵略・植民地支配をどう教えているかというところもわかっていかなければならないと思います。さいきん、歴史教育における副教材の作成を日中韓・日韓などでやろうという動きが広がっています。歓迎すべきことです。
 ところで、今回韓国で「軍事境界線」近くにはじめていきました。何回も韓国を訪れていますが、ここははじめてです。今月にはいって韓国のノムヒョン大統領が歩いてこの境界線を渡ったことが報道されていました。私がいたのは、これより半月ほど前ですが、「統一展望台」はかなり平和ムードが漂っていました。しかし「希望の丘」村という朝鮮戦争時に北からやってき人たちの村は鉄条網で囲まれ、韓国軍兵士が銃で警戒する中での見学でした。休戦ラインは幅2キロの非武装地帯になっていて、誰もはいれません。「地雷注意」の看板があちこちにあります。「前線」という実感がありました。ここから北側をみると、広大な無人地帯のむこうに北がわの建物がところどころにみられます。この無人地帯は究極の自然保護地帯です。とにかく誰もはいれないのだから。
 また、朝鮮戦争時に、韓国軍が「北に内通した疑いがある」と住民を虐殺した事実がさいきんあきらかになりました。クムジョングルというところです。「クムジョングル事件」とよばれるこの事件は自国の住民を殺した軍隊のことが告発されています。韓国政府は調査にのりだしています。ここも訪れました。沖縄の日本軍とダブラセテ考えました。どこの国の軍隊も国民を守りません。