mixiとブログを切り離しました。さらにマイペースで書いていきます~
一本道。
人生は一本道。
よそ見して歩かなければ
必ず光り輝く丘にたどり着ける。
ただまっすぐ、前だけ見てれば
必ず光り輝く丘にたどり着ける。
紆余曲折でも、上りと下りの繰り返しでも
どんな時でも前をみて、歩きなさい。
いつか、あの丘にたどり着くから。
カオリ ナラ ターナーの勲章受賞記念パーティ。
昨日はスペシャルデーだった♡
有名デザイナー(って当日までウチは知らんかったけど)Tadashi Shojiさんのお城のような家で、
あの有名なメイクアップアーティストの(って当日までウチは知らんかたけど)
カオリ ナラ ターナーさんの勲章受賞パーチーへ行ってきました。
もともと芸能界に疎い私ですが、今日ほどこんな自分を呪ったコトはないッッッ(>_<)
だって、ゲストの大半がギョーカイ人…。って当たり前だわな。
ハリウッドの俳優さん、モデルさん、歌手、スタイリストさんとか…。
みんな独特のキラキラオーラ放ちまくりで華やか。足長すぎます。
さすが見られる仕事。という事だけあって、日々磨いてマスって感じの美しさ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
でもみんな(オフって事もあってか)ゼンゼン気取っていなくて、
ほんとにギョーカイの人??ってくらいフレンドリーだった。
あまりにも自然体なので、別世界の人である事を忘れてしまうほど。
たとえば・・・。
話しててめっちゃ面白いヒトがいたんです。アメリカンジョークやのにめっちゃ笑える。
「このコメディアンみたいな人、めっちゃ面白い。」と思いながら話してて、しかもその人に
「自分おもしろすぎやで、頭の中が相当クレイジーなんやろうな」ぐらいの事をウチは
言ってたんですよね。んで、彼が去った後に小森のおばちゃま風のオバサマが近づいてきて
「彼、最高に面白いでしょ。さすがこっちでトップのコメディアンなだけあるわよね。」
と言ったんです。
…( ̄∇ ̄;) え。そんな彼をクレイジーだと言ったワタクシ…。一瞬頭の中が真っ白になった。
さすがに知らないとは言えず、そうだよねぇとは言っておきましたが…。
で、その小森のおばちゃま風の人はハリウッドスターにヨガを教えているスペシャリストだった。
…もうね、Tadashi Shojiの家の中はあの日、LAで一番眩しかったに違いないw。
で、カオリさんはものすごくあったかくて、オチャメで気が利いて前向きでハツラツとしてて
とても74歳とは思えない美しさ&女らしさ!!あんな風に前向きに明るく年齢を重ねていきたい。
って何度思った事か。
そしてカオリさんの周りには、彼女と同様、とても素敵なハートを持った人ばっかり=*^-^*=
類友ってこの事だよね、ホントに。このパーティは本当に明るい気持ちで溢れていました。
自分を取り巻く友人や仲間が、今の自分を映し出す鏡そのものなんだなぁ。
と、ゲストと話すカオリさんを見て思った。
こんな人とめぐりあいたい、こんな人と仕事をしたいというなら
そのレベルにまで自分の心と実力を持っていかないと叶う訳がナイんだよなぁ。
んだ。道のりはまだまだ遠いがウチも頑張る♡
あとは、何があってもダイエットしよぅと心に決めたw。みんなスタイル良すぎやねんもん(>_<)
毎日トーランス村で、地味~に暮らしてるウチにとってはカナリイイ刺激になったし、学ぶコトもイッパイだったっす(o・ω・o)
写真は、Tadashi Shojiさんとカオリさん。この後、サプライズで大きなケーキが出てきてね、
カオリさんはそのケーキにキスをして、口の周りをクリームだらけにして満面の笑みをうかべて
ました。ホントおちゃめ(*'-'*)
根本的にごっそり!!
自分が23年間生きてきた中で積み重ねられてきた
価値観、常識、人生観。
この全てがぐらつきはじめた今日この頃…。
しかも根本的にごっそりと。今までにもいろんな気づきがあって、その度に軌道修正してた。
ってか今思えば、出来る範囲内での気付きだったんだなぁ。
例えたら、虫歯を時間をかけて治療する。ような感じ。
でも今回は、その虫歯をいきなり抜かれた。くらいの大きな衝撃。
アイデンティティが揺らいだ。それぐらい心に大きく響いた(>_<)
自分の短所や長所って、自分なりに分かってるつもりだった。でも、長所だと踏んでいた部分も、
実は短所だったという気付きがあった。
その気付きを与えてくれたのは、ある人達との出逢いがきっかけ。
1人はこっちで会社を経営していて、さらに事業拡大を計画している人。
もう1人は、こっちで有名な医療セラピスト。
前者は少し前から知ってた人。後者は今家に居る日本人夫婦のだんなさん。
初めに言っておきますが、宗教は一切からんでいません。
2人の話は全く同じ内容ではない。
むしろ着眼点がちがうから、正反対の理論を持っていたりもする。
影響を受けた人、働く世界が違うからそれは当たり前。 でも確実に共通している点がある。それは
私利私欲がナイ。と言う事。
常に感謝の気持ちで生きていると言う事。
そして利己的ではないと言う事。
宮沢賢治の「世界平和なくして個人の平和はありえない」という言葉がある。
人間は成長の段階で、自分さえよければいい。→家族が幸せであればよい。
→友人や知り合いが幸せであればよい。
と視野が広まる。でもたいていの人が願うのはここまで。
でも彼らは国規模、さらには宇宙規模で物事を考える事ができる人だった。
宮沢賢治はまさにそれの象徴といえる言葉を残したと思う。
人は、誰かの人生を「会社を経営してるから成功者だ」「倒産したから敗者だ」
「地位や名誉があるから勝ち組だ」などと評価する。
でもその人の人生なんて、周りが評価できるものじゃない。 そしてさらに、
長い人生の中で「点」を取り上げて評価するのは失礼だと思った。
人を判断するときに、どこに重点を置くか。どこに価値を置くか。私は「人間性」に重点を置いてた。
分かりやすく言えば、性格だよね。でも彼らはもっと深かった。
前者は「情」、後者は「心」と言ってた。
どんなに優柔不断でも、組織に馴染めなくても、何度騙されてても懲りない人でも、
金にならない仕事ばかりする人でも、ボランティアばかりして自分に構わない人でも、
心が高い人は立派な人生の成功者なんだと言ってた。
そして、誰かと誰かを比較するなんてしてはならない事だ。とも言ってた。
また、比較されても気にするな。よくも悪くも、レッテルを貼られても、それにとらわれるな。って。
傲慢・強欲・冷酷・利己。これをすると全て自分に「恨み」として跳ね返ってくる。
また、これを平気でしてる人は許されない人。とも言ってたなぁ。
生まれてから死ぬまでに、少しでも心が高くなっていればもうそれは、
人生が成功だったって言えるんだなって思った。
グループワークでいつも仕事が遅い友達にイライラしたり、
優柔不断でオトコのクセに頼りがいがナイと思ったり…。私は「性格」に重点を置いていたから
こういう点でいつも腹が立ってたんだなぁって思った。
私は今まで、気付かぬうちにどれだけの人を傷つけてきたんだろう…。
って思ったらなんだかとっても泣けてきた。
これからは、もっともっと人の本質を見ようと思った。
そして、何者でもない自分を知ろうと思った。
2人の話はこんなモンでは終わらない…。もっともっと衝撃的な話があった。
でもここでは書ききれないんよね。
2人の話を聞いて(2人と同時に逢ったわけじゃないけど)
あまりにも情報や考える事が多すぎて、パンクしちゃったんだろうと思うw
だってね、情けない事に、熱がでたのだーーーw
知恵熱??あ、違うかなw
確実に揺らいだアイデンティティだけど、きっといい方向に立て直せると思う。
ってかこれが最後のチャンスのような気がする。
長くなってしまったけど…読んでくれてありがとうございました。
舞い込む幸運。
今ステイしてる家に、2ヶ月の間貸し契約でリタイアした日本人夫婦がやってきた。
24年住んだ家を売り払い、この家に住んで思い出作りして日本に完全帰国するのだという。
この出逢いが私のターニングポイントになった。
なんと奥さんが、私の行きたい大学院出身だった。という事。
そしてなんと、私が行く予定にしてる通訳養成学校で最近まで講師をしていたんだとか。
運命としか言いようのない出逢いだよね。
毎晩毎晩大学院の話や通訳のお話を聞くたびに、通訳者になりたいと思い始めた頃の気持ちがよみがえる^^奥さんは自分の肩書きを鼻にかけることなく、一緒に笑い、泣き、助言をしてくれる。素敵な女性だなぁ♪
この出逢いのおかげで、私は語学学校のクラスを思い切ってTOEFLに移すことができたん。
そして先日またいっぱい話して、通訳養成学校にも毎週土曜日通うことを決めた。
語学学校も、TOEFL以外にプライベートを取る事も本決まり。
しかしもっとすごい事が決まった。
奥さんの知り合いに、同時通訳者がいる。
その人が週に2度、個人授業してくれるというのだ。奥さんはなぜか私を気に入ってくれてるん。
逢うたびに「娘のようだ」と言ってくれる。私にとって彼女は母親というより先生って感じだけどw
「環境は飛び込むものではなく、自分で作るもの」
こう悟ってから、孤独だなぁって感じても我慢できてた。
いつか同じような人たちが集まってきてくれるだろうと、信じてたん。ってか信じないと潰されそうだったからだけど。
4ヶ月。4ヶ月経ってようやく。
少しずつ少しずつ、自分の理想とする環境に動き出してる。
こっちへ来て分かった事。
物事を早く進めようとしないこと。勉強でも友情でも恋愛でも、結論や結果を早くに求めてはいけない。
日本にいるときの自分は、いつも急いでたような気がする。
特に恋愛w ははは( ̄∇ ̄;)
さて、学校行きます!!じゃ。
ふと立ち止まってみた。
ブログを書く暇がなかった。
と言うのは嘘。
ブログをしてることすら、すっかり忘れてた( ̄∇ ̄;)
もうすぐ5ヶ月になる、こっちへ来て。
相変わらず語学力は現状維持状態で上達しない。
その代わり。と言っては何だけど、神経がどんどん図太くなっていくのを感じる( ̄∇ ̄;)
うーーん、鈍くなってきたのかも。周りの視線を気にしなくなってきた。
スーパーで買い物しながら、大きい声で鼻歌を歌ってたり
毎朝のラッシュで無謀な運転をするドライバーが追突しそうになってきても、動じる事無く冷静にクラクションを鳴らして睨んだり
今日なんかハロウィンで、仮装したまま売店寄ったりin-n-outでバーガー堂々と食べたり。
っていうか、ウチが仮装すること自体奇跡だよね。
留学して、親にも知り合いにも「さらに明るくなったね」と言われる。
自分でもそれは感じる。性格が、じゃなくてきっと精神面が。しがらみがなくなったような、開放的な感覚。等身大でいいんだって思えるからな。それに図太くなったしポジティブになった。ってか、取り越し苦労をする癖が抜けてきた。
あとは、人に合わせたりする事もなくなったし、ハッキリとNOと言うことにすっかり慣れた。
アメリカって、とっても生きやすい。
って感じる今日この頃。もちろん、日本が1番大好きだけど。
「アメリカに慣れてきた」って何度か感じた時期はあったけど、やっぱり日本にいる時と同様にリラックスできてるかっていうと違った。まず物欲がなかったし、何が食べたいっていうのもなかった。なんやかんやでそこまで余裕がなかったんだろうなぁ。
でも今さっき、ふと「今」を見つめてみた。
こんな服がほしい、あのドラマが見たい、あれが食べたい、あの化粧品が欲しい、あれがしたいこれがしたいetc...
大阪にいる時と同じ状態に戻ってる事に気づく^^ 何でも話せる友達もできてるし、恋愛もしてる。
このスーパーはフルーツが新鮮だとか、どこが安いとか高いとか
どのエリアが治安いいかとか、このストリートを越えると夜は危ないとか
あの店には裏メニューがあるとか
ガスステーションはあそこが一番安いとか。。。
一番自分でもビックリしたのがお金。
来た当初はドルを見ても紙切れだとか、価値のあるものには見えなかった。
だけど、今は日本円を見てもピンと来ない。逆になった。
10セントがポケットから出てくると「ラッキー」って思うけど、カバンから出てきた50円玉を見てもなんだか単なる「モノ」でしかないような感じになってた。不思議だよね。
適応・順応していくというのはこういうことか。と思った。
年明けに日本に一時帰国が決まったんだけど、ちゃんと人にぶつからずに歩けるか不安…。
こっちじゃ人ごみってのが存在しないし(交通渋滞は日常茶飯事だけど)道が広いから
誰かとぶつかるって事がほとんどない。よそ見してたとかは別だけどねw
あーーー眠いっっ!!
寝ます^^
ある物語。
ある日、大変なお金持ちが、息子を連れて田舎へ行きました。
息子に、世の中の人々が実際にどれほど貧しいのかを見せようと思ったのです。
そしてその父親と息子は、田舎の大変に貧しい農家で数日を過ごしました。
田舎での滞在を終えて帰る道中、父親は息子に「どうだ?」と尋ねました。
「とってもよかったよ、お父さん」
「どんなに貧しいか、わかったかい?」と父親が聞きました。
「そうだね。よくわかったよ」と息子は答えました。
「おまえはこの旅で何がわかったんだい?」
息子はこう答えました。
「僕たちの家には犬が1匹しかいないけど、あの農家には4匹いたよ」
「僕たちの家には、庭の真ん中までのプールがあるけど、あの人たちのところには、どこまでも続く川があるんだね」
「僕たちは輸入したランタンを庭に下げているけど、あの人たちのところには夜、満天の星空があるんだね」
「僕たちは、小さな地面に住んでるけど、あの人たちの住んでいるところは、見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」
「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、あの人たちは、他の人たちに奉仕しているんだね」
「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、あの人たちは自分たちの食べ物を育てているんだね」
「僕たちの家の周りには、僕たちを守るための壁があるけど、あの人たちには守ってくれる友だちがいるんだね」
息子の返事に、父親は言葉を失いました。
そして、息子はこう言いました。
「お父さん、僕たちがどんなに貧しいかを見せてくれてありがとう」
物質的な価値観にとらわれた父親が気づいたことは、まったく新しいことではありません。
ただ「忘れていた」ことだったのです。
9月1日~9月17日までの出来事。⑥
実は日が経つにつれて行く気が激減してたのですが、
紹介してもらった以上は行っとかんとイカンなぁーって事で。
結論。
日本とは比べ物にならないくらいに安い。
知り合いの紹介って事で、さらにお安く&オマケしてもらった。
手は本日スカルプ。キャルジェルっていう、日本ではまだ出てないヤツをしたかったんだけど、自爪が短すぎて断念。
んで、ペディキュア。アートはオマケ。なのに死ぬほど上手。
手も足も、チョイスした色はもちろん紫。
そしてアートはもちろん、蝶!!です。
聞くまでも言うまでもない、奥村氏の基本中の基本。
トータルいくらだと思います?
カンナさんは白目をむくに違いない。
はい、40ドル。じらさずに普通に言ってみましたw
しかもそこから紹介割引。紹介者が裏ボスTinaだからこその割引です。
Rock bottom priceにも程があるくらいチーーープ。でしょ^^
足はマッサージと角質除去までインクルードされとります。夢見心地の2時間半。
終わった時間が帰宅ラッシュの時間。普段ならダレダレのウダウダで帰るんですが今日は別。
夕日が当たってキラキラ輝くネイルにウキウキしながら、馬力の全くないレンタカーのアクセルを全開に踏んで帰宅(山道なので)。
コレでマニキュアを塗る手間がはぶける。
ジーンがウチの爪を見て感激。んで恒例の記念撮影w
これは想定の範囲内です。
部屋に戻ると、ケータイがブーンブーンと言うとった。
出たらホンダのディーラーじゃないか!!
「修理、もうすぐ出来上がりますー。」って軽い感じでブライアンが。
何もかも、やり始めたのが遅すぎるではないか。だからこんなに長引いたんじゃないか。と一喝。凹むブライアン。
文句ばっかり英語で言えるようになってきた。非実用的。
9月1日~9月17日までの出来事。⑤
9月11日は、タイ人のPloyの誕生日パーチー。
ぴちぴちの19歳になったプロイ。ノリもぴちぴち、肌もぴちぴち、全てがぴちぴち。
すっかりヨボヨボのウチは、少し遠巻きにみんなを見てた。
みんな笑っとった。
みんな誰かの存在に助けられて、あるいは支えられて、今この瞬間を笑って過ごせているんだ。
と漠然と思った。
人ってビーズみたいだなって思った。
1粒1粒じゃ、目立たないし光らない。映えないし見落としてしまう。かもしれない。
でも糸を通していっぱい集めることで、1つのモノが出来上がって
1つの特徴が生まれて、形ができる。ね。
でも良く見たら、全部それぞれ色や大きさがまばらだったり。
それがまた完璧じゃないから逆に素敵だったり。
そして、糸は心だなーと。
誰かと誰かの心が通じたら、糸が通っていくのかもしれない。
みんなそれぞれいろんな糸が通ってるから、またとして同じ光方をする人がいなくて。またそれが素敵。
今、この瞬間を皆と過ごせている事に幸せを感じる。と思った。1つの事を、みんなで分け合える喜びと幸せ。
みなの存在が私を強くしてくれるんだなって思ったさ。
そしてさらに、最近思う。
留学前は、自分はできるんだっていうゆるぎない確固たる自信が欲しかった。
自信のなさから来る「ないものねだり」。
でも、そんなものよりももっと素敵なモノがあるんだと
分かった気がする。
「仲間」
助け合ったり励ましあったりできる、心からの仲間。
「私には信頼できる仲間が居るから、信頼できるあの人がいるから大丈夫だ」っていう自信。これって、すごいことやと思う。
人間関係って相手があってこそ成り立つものやん。
相手も自分を信頼してるって確信できるほどの絆やで。
1人よがりな自信より何倍もこっちの自信のほうが欲しい。
パーチーでは、ウォッカを飲みながら合間合間にそんな事を熟考した。8割以上はみんなといっぱい笑っとったけど。
家に帰ると、ジーンがTVを見てた。なぜか「ありがとう」と言いたくなった。
自分を受け入れてくれるっていう心と気持ち。
ジーンだけじゃなくって、私の周りの人達みんなに「ありがとう」って言いたくてしょうがなくなった。
きっと私の笑顔はみんながいてくれるから絶えることがないんだと思った。涙も、怒りも、全部全部、誰かが居てくれるから湧いてくるんだって思った。
部屋の片づけをしながら、日本で待ってくれてる大切な人達を想った。
逢いたくてしょうがなくて悲しくなったり、逆に待っていてくれてるんだからって励みになったり。
そして逆に、想ってくれたり願ってくれたり、見守ってくれたり。
こんな私が大きな事を言える立場じゃないけど、
人は、人によって生かされてるんだなー。って思わざるをえないよね。考えるたびその答えに行き着くから。
人とつながってるってなんて素敵なんだろう。ね。
そして、不思議だなー。と。
ヨセミテまでは心細い日が続いたから、余計にそう思う。のかも。
9月1日~9月17日までの出来事。④
さてさて6日は、昼は知り合いが誕生日ランチに誘ってくれておそば食べて、
マルカイに行って、夕方からタイ人Canの家でする持ち寄りパーティの準備。
1時間で鍋いっぱいにカレー作ったんって人生初や。
CANの家は、Redondo Beachっていう高級住宅地にある。Palos Verdesが山の中にある高級住宅地なら、Redondoは海が見渡せる高級住宅地。リビングから海が丸見え!!ホテルみたいな家だった。マジスゲェ。
さて、なんのpartyかというと。次の日の早朝にジャーマンの女の子が完全帰国、年下やのに保護者並にめっちゃ頼りになる日本人の子が一時帰国するのでみんなで集まりました(*´▽`*)
持っていったカレーをみんなおいしーって言って食べてくれた。ありがとう。
学校の先生3人も来てて、合計15人くらいだったかな。空腹で久々のコロナビールと、ラムのコーラ割を10ショット近く行ってしまったので、初めて顔が赤くなった!! 先生たちは次の日も仕事だからって事で12時過ぎには帰宅。そして徐々にみなさん酔いと睡魔に負けてダウン。
残り組でまたいっぱいお話した。んで、なんやかんやで明け方4時やーん( ̄∇ ̄;)
見送りに行く人…起きてて大丈夫なんやろか( ̄∇ ̄;)
結局4時過ぎに帰宅。
あと3時間で起きる時間やんw あと5時間で学校始まるやんw
休もうかなと思ったけど…でも遊びが原因で学校休むのってシャクに障るし、なんか目的からは大幅にそれる行為だから、後々自己嫌悪になると思い、完全徹夜&a little bit still drankの状態で学校へ( ̄∇ ̄;)
予想通りめっちゃsmall class!!先生たちも昨日帰ったのが遅かったからしんどそうだった。休憩時間、スティーブンが死に顔のようなうちを心配してくれて、めっっっっちゃ濃いコーヒーを作ってくれたんやけど、刺激が強すぎて腹痛&胸焼け( ̄∇ ̄;)変に目が覚めたからいっか。
9月1日~9月17日までの出来事。③
さて、9月4日はmy birthday eveでした。
9月5日になった瞬間、スタバで友達たちとコーヒーで乾杯した。なんて健全。
でも家に帰ったのは夜中の2時。悪っ。
9月5日は学校の帰りにタイ人の友達たちと近くの韓国料理屋さんへ^^
まゆ姉に紫の蝶のピアスをもらった゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
and one of my friends CAN who came from Thailand gave me a sweet letter.
そして解散後は、ランチメンバーと一緒にRolling hillsのスタバへ。
そこでsurprise!! They gave me lots of presents!!
私が大好きなパイ屋さんの、大きなアップルパイまで買ってくれてた(´_`。)
おなかいっぱいやのに、またいっぱい食べてしまった( ̄∇ ̄;)
ほいでから、夜の遅くまですっかり話し込んで頭痛w帰宅はまた夜中…。
せやけど、マジ感動。
この2文字に尽きる。渡米直後の状況からは想像もつかないくらい幸せ♪
ってか、日本から手紙とかプレゼントもいっぱい頂きました(T_T)
本当にありがとうございました(´_`。)ウチは幸せや。
