根本的にごっそり!!
自分が23年間生きてきた中で積み重ねられてきた
価値観、常識、人生観。
この全てがぐらつきはじめた今日この頃…。
しかも根本的にごっそりと。今までにもいろんな気づきがあって、その度に軌道修正してた。
ってか今思えば、出来る範囲内での気付きだったんだなぁ。
例えたら、虫歯を時間をかけて治療する。ような感じ。
でも今回は、その虫歯をいきなり抜かれた。くらいの大きな衝撃。
アイデンティティが揺らいだ。それぐらい心に大きく響いた(>_<)
自分の短所や長所って、自分なりに分かってるつもりだった。でも、長所だと踏んでいた部分も、
実は短所だったという気付きがあった。
その気付きを与えてくれたのは、ある人達との出逢いがきっかけ。
1人はこっちで会社を経営していて、さらに事業拡大を計画している人。
もう1人は、こっちで有名な医療セラピスト。
前者は少し前から知ってた人。後者は今家に居る日本人夫婦のだんなさん。
初めに言っておきますが、宗教は一切からんでいません。
2人の話は全く同じ内容ではない。
むしろ着眼点がちがうから、正反対の理論を持っていたりもする。
影響を受けた人、働く世界が違うからそれは当たり前。 でも確実に共通している点がある。それは
私利私欲がナイ。と言う事。
常に感謝の気持ちで生きていると言う事。
そして利己的ではないと言う事。
宮沢賢治の「世界平和なくして個人の平和はありえない」という言葉がある。
人間は成長の段階で、自分さえよければいい。→家族が幸せであればよい。
→友人や知り合いが幸せであればよい。
と視野が広まる。でもたいていの人が願うのはここまで。
でも彼らは国規模、さらには宇宙規模で物事を考える事ができる人だった。
宮沢賢治はまさにそれの象徴といえる言葉を残したと思う。
人は、誰かの人生を「会社を経営してるから成功者だ」「倒産したから敗者だ」
「地位や名誉があるから勝ち組だ」などと評価する。
でもその人の人生なんて、周りが評価できるものじゃない。 そしてさらに、
長い人生の中で「点」を取り上げて評価するのは失礼だと思った。
人を判断するときに、どこに重点を置くか。どこに価値を置くか。私は「人間性」に重点を置いてた。
分かりやすく言えば、性格だよね。でも彼らはもっと深かった。
前者は「情」、後者は「心」と言ってた。
どんなに優柔不断でも、組織に馴染めなくても、何度騙されてても懲りない人でも、
金にならない仕事ばかりする人でも、ボランティアばかりして自分に構わない人でも、
心が高い人は立派な人生の成功者なんだと言ってた。
そして、誰かと誰かを比較するなんてしてはならない事だ。とも言ってた。
また、比較されても気にするな。よくも悪くも、レッテルを貼られても、それにとらわれるな。って。
傲慢・強欲・冷酷・利己。これをすると全て自分に「恨み」として跳ね返ってくる。
また、これを平気でしてる人は許されない人。とも言ってたなぁ。
生まれてから死ぬまでに、少しでも心が高くなっていればもうそれは、
人生が成功だったって言えるんだなって思った。
グループワークでいつも仕事が遅い友達にイライラしたり、
優柔不断でオトコのクセに頼りがいがナイと思ったり…。私は「性格」に重点を置いていたから
こういう点でいつも腹が立ってたんだなぁって思った。
私は今まで、気付かぬうちにどれだけの人を傷つけてきたんだろう…。
って思ったらなんだかとっても泣けてきた。
これからは、もっともっと人の本質を見ようと思った。
そして、何者でもない自分を知ろうと思った。
2人の話はこんなモンでは終わらない…。もっともっと衝撃的な話があった。
でもここでは書ききれないんよね。
2人の話を聞いて(2人と同時に逢ったわけじゃないけど)
あまりにも情報や考える事が多すぎて、パンクしちゃったんだろうと思うw
だってね、情けない事に、熱がでたのだーーーw
知恵熱??あ、違うかなw
確実に揺らいだアイデンティティだけど、きっといい方向に立て直せると思う。
ってかこれが最後のチャンスのような気がする。
長くなってしまったけど…読んでくれてありがとうございました。