元就散歩⑱~非情の元就・吉川興経の無念 | 大根役者

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「有田中井出の戦い」で毛利元就と共に武田元繁を討ち取った吉川元経の妻は毛利弘元の娘であり、毛利元就の妻は吉川元経の娘だった。吉川家13代当主・吉川元経の祖父は応仁の乱で鬼吉川と呼ばれ、全国に名を馳せた名将・吉川経基で、父・国経は尼子、大内による中国地方制覇の動向に巧みな政治力を発揮した。吉川氏は藤原南家を祖とする名家でもあった。

吉川元経は、毛利元就にとっても盟友であり、頼りとする親戚だった。

元経が、父・国経に先立って死去した後、元就と吉川家の関係が微妙なものとなっていく。

嫡子・興経は、元経60歳の時の子で、父・元経が63歳で亡くなった後は、祖父が後見し、国経の死後、14代当主となった。興経は、祖父、父の血を受け継ぐ武勇に優れた武将だったのだが、政治力が劣っていた。天文11年(1542)月山富田城の戦いでは、大内氏に従い、尼子氏と対峙したが、大内氏を裏切り、大内氏大敗の因となった。この戦いで、大内方は、大内義隆の養嗣子・晴持を失い、沼田小早川家の小早川正平、毛利家家臣・渡辺通などの有力武将を失った。国人衆は、吉川興経への不満を募らせ、吉川家家臣団も興経へ不信感を抱くようになった。

JR 芸備線に上深川という駅がある。吉川興経の足跡をたどってみた。

 

 

 

 

吉川家の拠点は大朝だ。吉川興経がなぜ、この地に所縁があるかを記述してみよう。

興経の叔父、吉川経世をはじめとする家臣団は興経の叔母が毛利元就の妻である縁故から

元就の次男・元春を養子に迎え、吉川家の家督を相続させた。天文19年(1550)、興経は強制的に隠居させられ、妻子と共に安芸布川(深川)に幽閉された。

元就により、仕組まれた策略だったとも言われている。ともあれ、藤原南家を祖とする名門・吉川家の血筋は消滅し、毛利元就の戦術下に吉川家が組み込まれた。

 

幽閉後も、興経に対する不信感は家臣団に充満し、興経再起の噂が毛利領内に流れていた。元就の情報操作なのだろう。興経は元就に弁解の書状を出すが、元就は興経粛清の決意を固め、同年9月、隠居館を熊谷信直・天野隆重らに急襲させた。元就は興経側に内応者を存在させ、刀の刃をつぶし、弓矢の弦を切らせておいたという。興経は抵抗もできず、嫡子の千法師もろとも、殺害された。藤原南家・藤姓吉川氏は断絶したのである。

上深川駅から、三篠川方面に向かい、一つ目の角を右に曲がると興経が幽閉された屋敷跡がある。手前に腹切石と書かれた案内板がある。興経はこの場所で、自害した。

 

屋敷跡に興経の墓がある。

この場所に興経の胴体が埋められた。

首は吉川氏の菩提寺であった常仙寺の跡にある。伝承によると、興経の首は隠居所からはるばる愛犬によって運ばれてきたという。この首塚のそばには「犬塚」と呼ばれる小さな塚が残されている。この犬塚は、興経の首塚よりも上に作られている。首をくわえてきた犬はこの場所で息絶え、その時に首が転がり落ちてしまったために、犬塚が首塚の上にある。

嫡子・千法師は乳母と共に椎村山に逃れたところで、追っ手に討たれた。中郡古道を通り、大朝まで、逃れようとしたのかもしれない。

千法師と乳母の墓という案内板がある。

椎村山は、居館跡から東へ直線距離でおよそ400mの地にある。興経の妻については史料がないため居館襲撃後の詳細は不明だ。嫡男千法師の墓はこの山中に建立された。
襲撃を受けたとき、幾人かの家臣らが従ったが、この場所で囚われ、殺害された。
千法師と言う名前は、父興経も幼少期に名乗っているもので、殺害されたときは元服前の年齢だったのだろう。

椎村山の下に芸備線のトンネルがある。

椎村山を下山すると県道37号線の下を通る隧道がある。

隧道をくぐり、上深川駅方面に戻ると「豊島五兄弟の墓」がある。
吉川興経が攻撃された時、興経勢は、豊島5人兄弟(内蔵充興信、又四郎満武、又五郎弘光、又七郎頼達、又八郎重康)などが奮闘したがかなわず、ことごとく討死、または自害して果てた。
豊島5人兄弟の墓は、当時は、いまより少し左の方に一つ一つ散在していたが、明治18年5月、第十一世孫岩国豊島諒がここに5人墓として建碑した。

吉川元春は、吉川興経の養子となり、吉川家15代当主となった。

吉川元春。元長父子は、吉川興経と子の千法師、千法師の母・了意の霊を祀って森の木の地に鋒垂大明神を創建した。

県道37号線を広島方面に戻ったところに鎮座している。

元就は、深川の地で、吉川家の、命脈を断ち、毛利両川の吉川家を「一文字三星紋」の元に存在させるのである。この深川の地が、吉川広家による関ヶ原後の毛利家存続への必死の行動。ひいては、維新の道へつながっていくのである。Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)

 

 

 

 

 

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