第62回まひる野賞は、大内德子さん『メビウスの道』、浅井美也子さん『しまいゆく夏』に決定しました。掲載された30首からいくつかご紹介します。

 

 

『メビウスの道』   大内德子

 

鯖色の海のやうなるさびしさの夫の眼に目薬おとす

 

首の根にホットパックをしてやれば眠る他なき顔のさびしさ

 

目も耳も鼻も口はもある石を掌にとりて見る潮騒の海

 

はじめから位置の定まる雛飾り見つつ恨めし口にはせねど

 

車椅子押されて戻る下向きの夫にさくらの花ふぶきせよ

 

 

 

『しまいゆく夏』   浅井美也子

 

足たかく掲げ寝がえりする吾児のえがく半円きょうから夏だ

 

楽しいといわねばならぬ幼な児と公園に砂の山つくりゆき

 

柔らかきところ磨り減るわが体にああこんなにも低き声でる 

 

私が、あなたの母であることに大きく赤く×(ばってん)をうつ

 

大丈夫と問いあいながら過ごしいるまだ安定期に入らぬ家族

 

 

 

大内さん、浅井さん、おめでとうございます。

 

 

 

 

まあ所詮思い詰めても会社だし会社が会社に領収書切る   高木啓

 

 

春昼は時に淋しもあてもなく街の雑踏に紛れゆきつつ   松本いつ子

 

 

あと一分待てぬ脱水いらつきて父の血筋は随所に現る   山家節

 

 

見よがしにカールビンソン移動するおやき食みつつTVに見おり   菊池和子

 

 

ほんのりと桜色へと変化した子どもの頃のカラーの写真   杉本聡子

 

 

思い出をこのままにして手放すや外階段の錆を撫でいる   瀧澤美智子

 

 

「天皇賞キタサンブラック一着」と時間をかけて母は書きたり   おのめぐみ

 

 

お互いの言い訳ばかり聞いていたメロンソーダの泡消えるまで   棚橋まち子

 

 

新しき子供の自転車競ひ合ひ五月の光を放ちて走る   茂木久子

 

 

サルビアの紅き花びら零れても競り売り続く花市場かも   打田剛

 

 

とおくより見れば塊 掴んだら粘土みたいだろうなあの河馬   佐巻理奈子

 

 

窓口で詐欺ではないかと問はるるも老婆は怒りて目を剥きてをり   小嶋喜久代

 

 

もう少し褒めればよかった庭中の草をひいたと自慢する母を   黒澤玉枝

 

 

公園に雑布をもつ人に会ひ椅子拭く仕事あるを知りたり   谷蕗子

 

 

試着してくるりと回るワンピース想い出のなかのわたしに帰り  伏島佐恵子

 

 

鯛飯をうましとうから喜べば我もよろこぶまだ役に立つ   塙宣子

 

 

ろうそくの灯りちりちり乱れ燃ゆこれはあやしと目をこらし見る   荒岡恵子

 

 

玄関の靴がどんどん減ってゆく孫が履いては裸足で戻る   服部智

 

 

出がけには洋傘さして帰りには忘れて帰ることの度々   平澤照雄

 

 

父と次男些細なことに口論し止めに入りし長男巻き込む   小野喜美子

 

 

思い出の一つとなりき秋の陽にだいこん洗う母の背中は   野口民恵

 

 

母われがすべてであった頃の子の泣き顔今も目に浮かぶなり   野田珠子

 

 

しやうしやうと髪梳く音もいつか絶え桜の闇に山姥眠る   津幡昭康

 

 

ユニゾンのギターのように白球を追いかけていくレフトとセンター   山田ゆき

 

 

あざやかな羽をしづかに零しつつ孔雀おまへは誰を愛すか   塚田千束

 

 

普段より弾かぬくせしてもうピアノあきらめようと火傷を見やる   池田郁里

 

 

 

 

 

 

干し柿の一連猿に盗られしが伝はり村中ひと日明るし   松山久恵

 

 

在満の印象なりや酔ひ来ればアカシアのこと大連のこと   塚澤正

 

 

かじか鳴く白き岩間に澄む水の底ひの碧さ胸さはぐまで   秋元夏子

 

 

うっすらと埃を置きたる仁王像春来る鬼を千年待つや   宇佐美玲子

 

 

狼の序列厳しく傍らで水場空くまでビクターの犬   矢澤保

 

 

素直なる心にあれば降る雪の白さに何のとまどひもなし   松本ミエ

 

 

朝露に濡れし虎杖の葉の先に白蝶一つ翅たたみおり   大山祐子

 

 

花見客が浮かれておりぬその近く農老一人畦を塗りおり   木本あきら

 

 

終日を籠り夕べに聴くラジオ明日の強まる雨を言うなり   正木道子

 

 

幼き日の姪の面差し様々に並ぶ仏に見ゆる不思議さ   佐藤正光

 

 

若き日のメーデーの棘は消え去りて祭りのごとき五月祭(メーデー)今日は   大葉清隆

 

 

山藤の紫しだるる隧道の真闇の中に吸はれ入りたり   辻玲子

 

 

老い母の白き和毛(にこげ)を指に持ち鋏入れたり 光り落ちたり   青木春枝

 

 

年輪を今年も重ねて春山の松の新芽がつくつくと立つ   横川操

 

 

十五年前の梅干出で来たり風味風格うめぼし婆さま   重本圭子

 

 

白百合を柩に入れて友の鼻人指し指で一寸弾きぬ   苔野一郎

 

 

人生の練習かしら幼な児がバイバイをするこころよりする   貴志光代

(※「バイバイ」に傍点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完解は完治にあらず紫のアヤメは黙ってゆうらり揺れて   大谷宥秀

 

 

白熱灯のような肋骨真夜中のPC画面に浮かびあがりぬ   小原和

 

 

紫陽花の花毬ついて遊ぶ手をふいにつかめば雨の匂いぬ   浅井美也子

 

 

生成り色に明朝体で刷られてて読めた気がする古い歌たち   荒川梢

 

 

目玉焼き焼いたらちょうど真ん中に黄身くるような幸せ 破れる   伊藤いずみ

 

 

今日風呂に入るは私と母のみと思えば何やら心中めくなり   加藤陽平

 

 

さるの子の額に春の陽はとどく君には君の野生あるべし   北山あさひ

 

 

こもりうた歌わなくなっても少年のゆりかご揺れて夜映しだす   木部海帆

 

 

悲しみは涙ばかりが示すとは限らず時折液体の笑み   小瀬川喜井

 

 

はじまりはまず神が手を差し伸べてあおきスラヴもそらみつ大和も   後藤由紀恵

 

 

空にかえるころもはなけれウェス2枚に排水口の油をぬぐう   佐藤華保理

 

 

大宰府にわが祈るべき何もなくゆつくりと、ゆつくりと頭(かうべ)垂れたり   染野太朗

 

 

初冬の浴槽みがく 水が揉む私といういつか消えてしまう影   立花開

 

 

月光がつぶさにさらす床の瑕動線みじかき二脚の椅子の   田村ふみ乃

 

 

夏至という響き濁りてあかるきを四十代と思う 夕映え   富田睦子

 

 

矢澤さんも晴れ男だと知らされて気分も晴れだアクセルを踏む   広澤治子

 

 

木漏れ日が波の揺らぎのように君の後ろ姿を遠ざけている   宮田知子

 

 

出勤簿ファイルに押した山川が市川さんの来年につく   山川藍

 

 

 

言ひすぎし言葉のかへるゆふまぐれ引き算できぬ数に苦しむ   加藤孝男

 

 

わが娘(こ)に異形のものが宿りたるなによりもわれは娘が大事   島田裕子

 

 

思うだけで「一般人」ではなくなるか爪たて爪たて空豆をむく   市川正子

 

 

池の面に夕日が遊ぶひとときを祖父の言いいし水神を呼ぶ   滝田倫子

 

 

ベランダの柵を真白に塗りつぶす若者はシャツに風孕ませて   寺田陽子

 

 

春楡の影深まりて青年が病院行きのバスを待ちをり   小野昌子

 

 

行く人は現し世の頬尖らせてふはふは無職のわれを過ぎゆく   麻生由美

 

 

あの飴を取つて来いとふいぢめつ子の耳打ち聞こゆ祭の店に   升田隆雄

 

 

ゼミ生らと居酒屋にありて湯の味の勝れる酒を舐めて空しき   高橋啓介

 

 

一抱えの花束解けばクリスタルの花器に溢るる嵩は豊けき   齊藤貴美子

 

 

秒針のあるがよろしと買いたりし千円の時計故障を知らず   松浦美智子

 

 

若きらに占拠されたる渋谷の街明治の晶子は村とうたひき   庄野史子

 

 

北側の窓に机を移し終えこの夏もまた過ごさんとせり   中道善幸

 

 

何ものも身ぬちに入れぬかたくなさ頭蓋に己が靴音ひびく   久我久美子

 

 

吹かれきて休まる場所があるらしき狭庭の隅のビニール袋   柴田仁美

 

 

梵鐘に彫らるる徳川三代将軍の号を見つめつ身をのり出して   西川直子

 

 

さみどりに森はぐんぐん染まりゆきわが総身を血液めぐる   岡本弘子

 

 

柔らかに差し伸べくるる喜典先生の御手温かし握手を給う   小栗三江子

 

 

裏はなし表もなくてがむしゃらに原生林は空奪い合う   吾孫子隆

 

 

 

ご婦人がた笑つてゐるのに真ん中の男の真顔  つまんないの   橋本喜典

 

 

息子にはわが知らぬこと進みゐて冷えたる水を傍らに置く   篠 弘

 

 

学名をベロニカ・ペロシカやごとなき本名をもつオオイヌノフグリ   小林峯夫

 

 

新宮に詣で終りてもうで餅買いて熊野の空は晴れたり   大下一真

 

 

鉛筆を噛みつつ文章書きをりし三十五歳(さんじふご)までの指なつかしき   島田修三

 

 

ジャスミンのごときエロスか階段を肩抱かれゆくヒジャブのをみな   柳 宣弘

 

 

尖らせたユニーの二Bの鉛筆で桝目の上の宙(そら)をなぞりぬ   井野佐登

 

 

安来節の踊りを見ればあそこまで猫は化けても踊れはすまい   中根誠

 

 

つばくらめ狂(ふ)れたるやうに舞ひやまぬ小路に亡父(ちち)にも故人(とも)にも逢はず   柴田典昭

 

 

咲き満てるさくらさくらに花の芯千の目万の目樹下に仰げば   今井恵子

 

 

父も兄もずるい人ではなかったと思い返して残月あおぐ   圭木令子

 

 

抱き合ひて夢にわらひて別れけり寝覚めてなほも笑ひは続く   松坂かね子

 

 

歯みがきの蓋を落としし排水口男二人来て取れずに戻る   平田久美子

 

 

諍いて出で来し岸部の黄菖蒲にこの感情は笑われていん  曽我玲子

 

 

初音ミクが最後の歌を歌い終えアンコールもなく溶けて消えたり   三宅昭久

 

 

人のため生くるは愉し同じことくり返し訊く夫に応(いら)へて   鹿野美代子

 

 

残り世を開き直つて跨線橋ひとりで鬼の歩幅に渡る   大野景子

 

 

飛んでくるたんぽぽの絮むさし野の府中の苑に天使めきつつ   大林明彦

 

 

じゃらじゃらと百円玉を捜し出す母の残した貯金箱から   伊東恵美子

 

 

 

 

しだれ咲く桜にふれる歓びをにわかに醒ます花の冷たさ   上野昭男

 

 

わが内のすべて無になる麻酔時のただに気分の良きこと知りぬ   奈良英子

 

 

重き荷を負ひて道行く人生を説く掛軸を疎ましく覚ゆ   伊藤洋子

 

 

風の日の西陽の窓辺賑はひて笑ふ媼の白髪ひかる   阿美美代子

 

 

それぞれに痛いところを言ひ合ひてケアハウスでの日常会話   今井百合子

 

 

息絶えた馬の腹には血が流れ「ミュシャは流血を描かなかった」   山田ゆき

 

 

しんしんと散る桜樹の花ざかり明るすぎるをひとり怖るる   智月テレサ

 

 

もどりくる六百円の還付金三株のトマトに少し足りなし   菊池和子

 

 

なりたきを問はれ臆せず代議士と答えし幼き頃をほめたし   篠田充子

 

 

今日一日ことばの多き人といて相づちうつも少しくつかる   荒岡恵子

 

 

父の字の清水焼の表札を包みて今日は家を後にす   八木絹

 

 

屋上で一緒に泣いた友からの霞ヶ浦のわかさぎ届く   立石玲子

 

 

父宛ての仕事のファックス突然に届き思わず遺影に見せる   おのめぐみ

 

 

春雷にめざむるごとくつぎつぎと新芽立ちくる小さき庭にも   柴田恵子

 

 

老梅の一枝に力満ち満ちて崩れ土塀に影ゆらしおり   大橋龍有

 

 

畝に入りスマホを操って顔ほどのダリヤを写すダリヤの祭り   中野豊子

 

 

「食洗機スイッチ忘れてごめん」って電話の向こうにきみの労働   佐巻理奈子

 

 

長白衣袖を通してかさつきし手を今朝もまたさしだすのだらう   塚田千束

 

 

 

 

がんばつてひらくにあらず白梅はすこし力を緩めて咲きぬ   森暁香

 

 

マフラーを襟巻きと言いて笑われし友を慰め春を待つべし   矢澤保

 

 

わが顔の映る手鏡まん中に親指の指紋うず巻いており   熊谷郁子

 

 

母逝きし齢を疾うに越すわれかつましき生活(くらし)の昭和もはるか   住矢節子

 

 

寂しきまで自立してゆく孫思へば夜明けを遠く山鳩の鳴く   松山久恵

 

 

きらきらと春の光が満ちくれば猫が飛び出しわれも飛び出す   福井詳子

 

 

海岸の深夜作業は寒からむワイヤーを掛ける人々の手は   広野加奈子

 

 

おそろいのベストを着たる犬ひきて少女は走る菜の花の土手   袖山昌子

 

 

せせらぎの中に悲しみ融けゆけよ川辺に夫はハーモニカ吹く   門間徹子

 

 

菜の花と一輌列車ふるさとは時の止まりし春のまんなか   宇佐美玲子

 

 

ボランティアさえ自己ファーストで生きて来て何かさみしき黄の菜の花は   佐伯悦子

 

 

うたたねの淡きに見たる弘前城老いの祈りの花美しき   竹内類子

 

 

空を飛ぶ燕、地上を走る猫知恵くらべして仲よくしてね   村上らん子

 

 

人に会う事なき午後の坂道か切株二つを目指して歩く   小澤光子

 

 

腰弱り脚も弱りてまるまりし母の背中(そびら)を軽くなでたり   青木春枝

 

 

白鳥の舞ひたちゆきて飛影なくぽつかりあきし青空のぞく   阿部清

 

 

買ってまで食べたくないから植えようと西瓜の位置を夫は耕す   牧野和枝

 

 

風にふるふなづな花むら妹は衰えゆくを悲しといはず   秋元夏子

 

 

 

 

梅田ではしらふの若い男性がいきなり道路標識殴る   山川藍

 

 

反抗と素直が混ざりあう吾児の尻をたたけり 青糸の雨   浅井美也子

 

 

午前四時を流れる身にはなりたくない すしざんまいの看板あちこち   荒川梢

 

 

太古の虫が悪夢をじっとやり過ごすように身体を丸めて睡る   伊藤いずみ

 

 

君のためことこと煮たる肉じゃがを静かに見つめる夜も時にあれ   大谷宥秀

 

 

父去りしのちも隣室のハンガーはゆれておるなり久しぶりの雨   加藤陽平

 

 

亡父(とう)さんを「アレ」と呼ぶとき母さんの心の剣の閃きはある   北山あさひ

 

 

田子の浦静岡県の札なれば富士のふもとのあの部屋想う   木部海帆

 

 

棘のなき花いけたりし玄関に宗教勧誘する人長し   小瀬川喜井

 

 

永遠を待たず五月のそらまめの莢ふくらみてゆくを手に取る   後藤由紀恵

 

 

螳螂が螳螂をたべ はるさきにみどりあふれる子螳螂なり   佐藤華保理

 

 

総数は少ないけれどそのひとつひとつが濃くて父の感情   染野太朗

 

 

あの星に住もうと君の覗きいし望遠鏡の倍率を上ぐ   田村ふみ乃

 

 

契約のはざまに産みゆく女優らの生き物として勁きを愛す   富田睦子

 

 

春が来た さようなら咳 さようならお粥 おかえりカレーライスよ   広澤治子

 

 

窓からの光射しこむ君の頬に君の発する光も呼応す   宮田知子

 

 

 

 

あぢさゐは淡き青磁の壺なれば雨後の光を充たして静か   加藤孝男

 

 

あじさいの蒼きあたまに雨がふる六月に死んだ生徒はふたり   広坂早苗

 

 

白蓮の吐息は空に抜けてゆくやわれに来るべき瀬戸際の息   市川正子

 

 

春のひかり拾いゆくなり畦道の野あざみ風にすこし傾げて   滝田倫子

 

 

春日ざし注げる梨の花ばなに人口受粉さすと人ら勤しむ   寺田陽子

 

 

ミュシャへの想いに求む星空の青のかけらのこのペンダント   岡本弘子

 

 

のぼり来て天守より見る紺碧の相模の海に風波の立つ   齊藤貴美子

 

 

大川のほとりに古りし自転車をとめてくゆらす翁の紫煙   小野昌子

 

 

お焼香なんか来なくていいのですただ衆院を通過させんで   麻生由美

 

 

春の野の地蔵のこゑのかくありや昼の電車にをさな児笑ふ   久我久美子

 

 

碇泊の船が灯りて海上に街があるかと思う夜の更け   松浦美智子

 

 

花に浮かれ花に酔いたる島国に降る雨の昏き幻影やまず   高橋啓介

 

 

両側より萩しだれ咲くしろたへの階を一段一段のぼる   庄野史子

 

 

芽吹き待つ木々のはざまに淡紅の花をひらける杏まぶしき   西川直子

 

 

ちつぽけなくぼみによろけわが影の伸びちぢみする夜の舗道に   升田隆雄

 

 

重ね着に花見をしのぎ薄らなるあをの奥から春が見えくる   柴田仁美

 

 

早春の日差しあまねき奥出雲の仁多の田園明るみてくる   中道善幸

 

 

仰ぎ観る老樹の桜陶酔のわが額に散る花のひとひら   小栗三江子

 

 

闇を割る稲光あり唐突に妬みいっぽん浮きて掻き消ゆ   吾孫子隆