作品特集(抄)




      手が荒れる     秋田 すずきいさむ 


つぶやけど戻らぬ過去をにれがみて暮れなんとする今日の夕焼け

一番に働き出すは洗濯機不平も言わずうんうん回る 

洗面も炊事も手袋してやれど冬は必ず手が荒れてくる

これ言えば話が長くなりそうで言葉を呑んで相手に合わす

語りたき人いなければ独りごつ今日の弔事に泣きたることを




     五本の鍵     愛媛 大野景子


二年前家庭裁判所(かさい)の前で別れたり他人の顔ですれ違う姉

約束を反故にしたのは姉のはう南瓜のようなる雲が流るる

人工の塩水のなか三日目の海鼠はそろそろ覚悟を決めたか

水銀(みずかね)の滓のやうなる残り世にHotto Mottoの弁当を買ふ

ドラマでは嘘もまことも小気味よし人間(ひと)はやすやす殺められたり




     春の雨     大分 麻生由美


朝狩りに行きて戻れる毛の物の小さき跡より溶くる淡雪

生き物の耐用年数を過ぎたればがんになるとよさはさなれども

朝な朝な厠の窓に見る馬酔木咲いてしまへり春がまた来る

これの世に居処なくて眉なくて髪なくわれも辺地(へち)を踏みにき

食ひしばり食ひしばりして何ひとつ成らざるとふも人の一生か





     路地     千葉 岡部克彦


盛り塩と打ち水終えし店々にあかり次つぎ灯りゆく路地

金魚すくいに出さるるは屑の金魚という覗けばその身を隅によせあう

ビー玉がいっせいに床に散るように人らスクランブル交差点ゆく

物忘れ日々ふえゆくに忘れたき事のひとつが裡にくすぶる

新聞が翌日しんぶん紙になる早さに殺人事件を忘る


 


     螺旋階段    名古屋 柴田仁美


「産後鬱」と検索すればヒットする四十万余の母のため息

わたくしも経緯(いきさつ)ありて児を抱き三か月検診へ向かふ姑なる

バックミラーに目差し見えず「不妊治療を諦めたんです」問ふてないのに

あれば苦しなければ哀し子や孫のミトコンドリアは母から母へ

おのづから眉の辺りにあらはれむDNAは呪文のごとし




     新しき雪    奈良 久我久美子


会ひたしと思ふひとりも遠く老い忘却よりも寂し現実(うつつ)は

三度目の離婚の噂ある人に声かけて過ぐやや小走りに

もつと赤くあかく咲けよと希まぬに白より遅れ開く紅梅

ファックスの音かたかたと響く夜見えざるものの揺らぐ気配す

疎まるる故も知らぬにわが噂段階踏みて決まりゆくらし




     若者に託す    福島 鈴木美佐子


春なれば春の賜物満ちあふる小女子の海竹の子の山

セシウムもストロンチウムも飛び超え兎となりて故郷へ来ぬ

伝来の土地を守ると復興のはざまとにゆれる地権者たちか

日本人ならではの除染丹念に一枚いちまいの瓦拭へり

将来は除染する人の健康を守る仕事に就きたしと児は





     大和を歩く    神奈川 西一村


道々に地元の古老と出会いたり農夫も手を止め笑みをくれたり

有難く歩けることのこの道に出会うは小林秀雄の標(しるべ)

山の辺の道の行基の大き碑に合掌したりしぐるる午後に

「わしらはね、学者とは意見違うよ」と農夫は笑う古墳を前に

バスの無き道を日暮れて困りたれば車の寄りて乗れと勧める





     雇用延長    旭川 矢澤保


冥界へ持って行く事多々ありて妻を聞き手に少し吐き出す

謀り合い他者を蹴落とし受注する何のためにと思うたまゆら

退職後釣り三昧の夢語る同僚乗せて海沿いの道

冬眠の邪魔をされたる熊のごと今更に問う働く意味を

もうたぶん銃を取れとは言われまい有事に私は白骨のはず





     早春の郷(さと)   仙台 鈴木理恵子


バス降りれば父の郷なりヒョロヒョロと鳶の輪をかく明るき春よ

美枝子の夫安夫さんに見せらるる庭に流れ来しガレキの映像

窓の下や庭一杯にガレキ溢れ人の着物もちらりと見えし

御浸しは庭の菜の花淡く優し小さき少女を思わせる味

心こもる食事終りて帰り際庭を見渡せば広々とせり





     春を数える    仙台 菊池理恵子


ま白なるハンカチの木の包葉にベクレルあれどま白きままで

福島がフクシマになりFUKUSHIMAにその福島に息子(こ)らは暮らせり

臨月の嫁の鞄の線量計それには触れず霜月の風

胎内の線量検査はせぬままに生まれくる日を静かに待てり

復興は幾万人の哀しみを埋め込みながら歴史にしていく





     房総早春     千葉 秋元夏子


水凍る朝の続きて節分も立春もただひらひら過ぎぬ

春早き海辺の畑をめぐりつつ蕾の多き金盞花剪る

競(せ)り終へて水乾きゆく魚市場のすみに菜花の束売られをり

寄せ波の砕けむとして透きとほるそのたまゆらの碧玉の色

日の高くなりゆくのべに光濃し今は半島のはづれ真近く



作品Ⅰ


わが書屋(しょおく)建てむ四隅(しぐう)に菊水の辛口そそぎ白米(はくまい)を撒く  /橋本喜典


やすやすとその先例に倣ひつつ撮られてをりぬ「歌人の朝餉」       /篠弘


人訪わぬ沢に育ちて倒れたる桜大樹がなお蕾持つ             /大下一真


胸ふかく鉛の塊(くわい)の沈む日もありき眼前(まさか)に芽吹くさくら樹  /島田修三 


流れつき浜にやすらふ冷蔵庫冷蔵庫だからなにも言はぬが         /柳宣宏


人質の処刑の時を「ああ、わたし玉ねぎ切つて笑つてたかも」       /中根誠


家にあればユニクロフリース草枕旅にはダウンの軽さをまとふ       /柴田典昭


あらためて読める葉書の行間に亡き後も人は表情をもつ           /今井恵子


春近し深まりてゆく夕闇に梅の香かぎて死者の声聞く           /今川篤子


人はみな見た目に人を値踏みする和服を着ればやさしくされぬ       /益子はつえ


ものうげにいづこを視てゐむ白鷺は細き脚たて冬の日をあぶ        /小出加津代





まひる野集


これやこの落魄の胸にしみてくる牡丹雪なればなか空に咲く        /加藤孝男


行政のオートマティックな用語から逃れて夕べ『赤光』を読む       /広阪早苗


みずからの重みに枝を揺らし落つ蕩児のような如月の雪          /市川正子


はげましの言葉はいえず卓上の水仙の香にふれて帰り来          /齋川陽子


スーパーの駐輪場のゆふぐれにここはどこかと老婦人問ふ         /小野昌子


受験生居らざる空席数見えて永久不在の間引きのごとし          /高橋啓介


たよりなき首にマフラー巻きながら白鳥の首の自在を思う         /岡本弘子


突拍子もなく襲いくる死の影が鴨居のそばにうろついている        /吾孫子隆

マチエール



かきいだく鞄の底に冷えてゆくしろがねのあり蛇かもしれず         /後藤由紀恵


僅かずつ傷つき蜜柑が黴びてゆく黴びた部分を切れば滴る        /富田睦子


水きりの豆腐みたいだ 網の目を少しはみ出すわれの自意識      /佐藤華保理


頬、睫毛、唇、額、鼻梁、耳朶(じだ)きもちわるいな見る者われは    /染野太朗


あのふたり帰りゾンビに喰われるなスタバの椅子は足が着かない   /山川藍


やけ酒をあおるに勇気が要るような四十五歳はつまらぬ大人     /宮田知子


AVの中エアコンが開きおりなぜか冷房とわれは思いぬ         /加藤陽平


半身に左右のあるをさびしみて人は抱きあふならひを得しか      /田口綾子


曇り窓を拭って街を見る、曇る、拭う 戦争になるのかな        /北山あさひ


消えぬ廃墟はあれども風が心地よく流れるを知る笛吹くときに    /立花開


新しき美容室に行き山の手のマダム風から何になろうか       /伊藤いずみ
 

人間は嘘を言うからずるいよね ありきたりだけど雪のつめたさ   /小瀬川喜井


顕微鏡を覗けば満月みどりいろに光るわたしの愛しい子らよ    /小原和


じんわりと受験生っぽくなるのでしょうカロリーメイトを鞄に忍ばせ  /倉田政美


乳白の袋に名前書き入れて二つ捨てたり棘ある秘密         /大谷宥秀

 




作品Ⅱ(人集)



過ちてか自殺企図かと警官らの老爺に訊き入る更けゆく夜を    /西一村


水鉄砲で落とせる距離か羽田への着陸態勢整ふる機は      /宇佐美玲子

 

女ならヴィヨンの妻にならねばと夫の気持ちをしずかに掬う    /伊藤恵美子
  

一休みしてもう一度雪を掻く今度は逝きにしあなたの分です    /藤森悦子


忙しげに点滴の針固定してゆつくり息せよと看護士は言ふ     /松本ミエ


冬至湯に柚子七つ八つ浮かばせて今年の明るき出来事おもふ   /山口真澄


生の花置けざる友の病室に布のスイートピーくれなゐに咲く     /庄野史子
 

電線に止まりてひたすら日の出まつ声も立てずに椋鳥(むく)の三羽は  /上野幸子


騒音を撒き散らしゆく広報車「火の用心」を言ってゐるらし      /相原ひろ子


子ら去りて常にもどれば犬の仔もわれにまつはり一日離れぬ    /稲村光子




作品Ⅲ(月集)



漁場へと白波切って走る船明け初むる海すでに賑わう        /奥寺正晴


雪・雪・雪・ひと冬雪に濯がれて無口無難な老とならんや      /上野昭男


お日柄もお天気も良く参道を花嫁がゆく師走のをはり        /谷蕗子


川霧を電車に渉れば突然に心に湧き来るロシア民謡        /中澤正夫


ミステリーに陰ある女優出演す今日の犯人このひとならむ     /伊藤宗弘


鍬ひとふり打つことも無く相続の田畑を売りし従兄の暮し     /香川芙紗子


昼おばけ出るのと言えばうなずいてそらそこに居る母は手を上ぐ /横山利子


なつかしき店主見つけて声かくに息子なりとう年月はるか     /牧野和枝

 

「父よ父あなたは何をして来たか」子の声強く遠くに聞ゆ      /中沢照美


こどもらの遊びし声が蘇るあの原っぱは波に消えても       /桑島有子


作品Ⅰ



地に額(ぬか)をつけて祈れるひとびとの悲(ひ)のかたまりの背中と思ふ   /橋本喜典


点眼をせむとし気づく修正液つかひてあきしままなる一字           /篠弘


雪積みて人形(かた)つくるも目鼻なす炭団(たどん)・切炭(きりずみ)家にはあらず /関とも


父の歳十二も超えてまだ生きるけはいを笑って見下ろす写真        /小林峯夫


折られたる椿が雪にくれないをあまた落として今朝は凍りぬ         /大下一真


犠牲者のカビュさへ雑誌に嗤はれてエスプリといふ性癖あはれ       /島田修三


大きくて柔らかなる手ただ一度中井英夫と握手を交はす           /柳宣宏


戦争は野暮にて主流となるテロルこのリアリズム果てもあらぬを      /中根誠


上空の寒さを地上に移すがに海鵜の放物線は崩れぬ           /柴田典昭


ほうと点る白き光の内部見えその上にまた人の点す灯           /今井恵子


雪の上にこぼれしごとき小鳥らの足跡消してたちまち吹雪く        /中里茉莉子


石ひとつ鳥居に上げて帰り来し庭に鈴生りの苔桃(こけもも)の紅     /松岡正富


まつすぐに生きむとするは難き世にいさぎよきかなこの冬木立       /橋本忠


国籍を力士に言ふはやめにせむ力士はひとりのはだかで闘ふ       /軍司良一


夕空に銀の光(かげ)引き伸びてゆく遥かな尖(さき)を目蔭(まかげ)して追ふ   /神塚正喜


なりふりはかまつてをれぬ山茶花はわらわらと散る惚ける前に       /大野景子

 




まひる野集



癖と個性ないまぜにして生きている草間彌生ほどではないが        /市川正子


老親を置いてゆくのかいつだって君の粗忽が苛立たしかった        /広阪早苗


冬枯れの庭にそよりと裏がえる一枚だけの傷みしもみじ          /滝田倫子


腕(かひな)なる子をあやしゐてホームよりこの女(ひと)はいま誰かに別る/竹谷ひろこ


見ゆるなく障(さや)ることなくまつはれる小春の風は人情めきて      /寺田陽子


性格の硬さを指摘されてゐるここは笑ひて過ごす他なし         /小野昌子


ストリートビューの校舎に我はまだ働く暗き灯りを点けて        /麻生由美


湯に躰沈めて指を拡げゆくついに消えざる凍えたる芯         /高橋啓介


それぞれが泣き顔となる雪達磨道端に子らが立たせしままに     /斎川陽子


風呂の湯を捨てつつ思う水汲むに一キロ歩くとうケニアの少女    /松浦美智子


大通りの緑地帯なかにひそとたつ旅芸人の被爆死者の碑       /中道善幸


退院の決まれば早し病む夫に介護福祉士なる人現わる        /齊藤貴美子


粘り強く生きてごらんと言ふやうに間を置きて散る銀杏の黄葉    /久我久美子


パレットに青と黒とを絞り出し海を描きたし爪木崎より         /升田隆雄


賞味期限八日を過ぎし有精卵(たまご)五個生き物のごと丁寧に捨つ  /岡本弘子


幾度かわれを傍らに呼び寄せり幼児のごとき夫に寄り添う       /小栗三江子


雪あかりの庭にさやかな影つくり今宵の月は宙にとどまる       /柴田仁美


農道にわれ見上げいし迷い猫おずおず夢の中に入りくる        /岡部克彦


訴ふるごとくに鳴きて夕ぐれの犬しづかなるこころを乱す        /加藤孝男

まひる野の東京歌会は、基本的に毎月第三日曜日に、新宿の家庭クラブ会館にて13時より行っています。

今年度は変則的に第三日曜以外の日程で行われることがあります。


以下、今年の歌会の日程を記載しますので、ご確認ください。

会場はいずれも家庭クラブ会館です。


ご入会を考えられている方で、会の雰囲気を知りたい方もぜひお越しください。

自作の短歌一首をお持ちくだされば、なお歌会が楽しめると思います。



入会を考えられている方で、トップページのメールアドレスに連絡をしても返信がない方がもしおられましたら、申し訳ありませんがコメント欄でお知らせください。




5月17日(日)


6月21日(日)


7月26日(日)


(8月は全国大会開催のため東京歌会はお休みです。)


9月20日(日)


10月18日(日)


11月15日(日)


12月6日(日)




東京歌会


日時  4月19日(日)13時~16時半

会場  全国高等学校家庭クラブ会館

会費  1000円

 ※ まひる野四月号をご持参ください。



名古屋歌会


日時  5月24日(日)13時~16時半

会場  愛知県芸術文化センターアートスペース

会費  1000円

 ※ まひる野四月号・五月号をご持参ください。


 ※ その次は7月19日(日)です。

マチエール


斜めから子の目を見ればゆうぐれを遠くなりゆく白いレガッタ    /佐藤華保理


もし煙草を吸えたなら今君から火を借りられたのに震える火を    /染野太朗


先端の折れしわが箸をためらいもなく捨つる母を恐ろしと見る    /加藤陽平


この夜を終わらせるため耳栓をふかく差し入れ塞ぐ穴あり      /後藤由紀恵


足先で押せば満ちゆく汐の音たてて眠れるわれの湯たんぽ      /富田睦子


もう赤き靴など履かぬ祖母が佇つ嵐が丘の向こう側なり       /木部海帆


去り際に皆ふれに来るMさんの腹部は羊水で張っている       /山川藍


ああ廊下 わが人生に初めての「クソババア」を放ちたる場所    /北山あさひ


見取図の不潔なる部屋を見にカラカラと行けばすぐ咎めらる     /宮田知子


父親をおじいちゃんとぞ呼びにけりわれも父よりママと呼ばれて   /小瀬川喜井


そうだよなほんの些細な決意から地球を一周するのだろうな     /倉田政美


看護師ほど患者のそばに寄り添えず詰所の隅でキーボードを叩く   /小原和


身を焦がす恋とふものがあるとやら 株価ボードの前立ち止まる   /伊藤いずみ



作品Ⅱ(十八人集)


木枯らしは一番がよくその後は淋しきひとの胸たたくのみ      /宇佐美玲子


露天湯に柚子を並々浮かべてるカピバラくらいに扱え派遣を     /菊地理恵子


笹薮は大き鳥かご笹鳴きに膨らんで見ゆあちらこちらが       /相原ひろ子


切り株に一休みする目の前を糸を引きつつ蜘蛛が飛びゆく      /齊藤愛子


かしゅかしゅと自転車の輪で踏みつける枯れし栃の葉音のかそけし  /井上成子


ゆく年を追ひかけるがに足早にスーパーへ行く老いも若きも     /横川操


こはごはと戸を繰りて見ぬま白なる雪のつぶてはガラス戸覆ふ    /竹内類子


ガヤガヤと喋り合ひつつ陽を受けて小さくなりゆく吊し柿たち    /平林加代子


声掛くるたびに一羽のヒタキ来る人のことばが解るらしいぞ     /西一村


ふわふわの雪で兎の耳かため南天つければ生きたる兎        /佐伯悦子


うす紅に富士の肌へのそまりゆく冬至の夜明けを鋭き栗鼠の声    /辻玲子



作品Ⅲ(三月集)


これよりは湯桶の街並につこりと笑ふばあばの案山子が迎ふ     /岡野哉子


若き医師「神経痛には温泉が良く効く様です」せつにやさしく    /香川芙紗子


安全な場所から怖づ怖づ声を出し励ましてゐる自分ばかりを     /窪田ミズエ


一切の落葉尽きてプラタナス師走の風に鈴鳴りやまず        /松本いつ子


年越の近づき来れば霜を踏む音さえさみしと思うこのごろ      /里見絹枝


後宮に一生終える女人らは狭き通路に空見上げしか         /鈴木智子


大津波に吞まれし稚魚の秋鮭とぞ味に足さるるものがたり持つ    /石井みつほ


棘を嫌うわれに逆らい子が植えし蔓バラひらく二つ三つと      /牧野和枝


冬近くうすずみ色の濃淡を見する海なりバイカル湖に似る      /栗原紀子


かき抱くきみの鎖骨のくぼみより夏零れでて恋ははじまる      /浅井美也子


ノートには走り書きした讒言がたっぷりつまりブンガク的に     /高木啓







作品Ⅰ



表札の古りしを洗ふ「まひる野会」ついでに「橋本喜典」も洗ふ   /橋本喜典


月下美人この世の花と咲ききそふその妻亡くす友の多かる      /篠弘


玄関は施錠してきた眠剤は半錠のむかのまずに寝るか        /小林峯夫


水打つと見えたる刹那首を上ぐ鷺は嘴に蛙銜えて          /大下一真


冬白く空はらばろと広き昼こころもつ身はこころに疲る       /島田修三


人間を私有し売り買ひする われら二十一世紀に生きてこれだぜ   /柳宣宏


この町の噂は恐い薄暗きカフェより旨いコンビニコーヒー      /中根誠


ゴミ袋提げつつ師走の路地をゆく同行二人の雨傘さして       /柴田典昭


ひよどりの喉に吞まれてゆきたるや朱き実あかるき朝の光に     /今井恵子


ひと在らぬ祠の前の日だまりに枝垂れつつ咲く冬のさくらは     /川原文子


人間のことば知りたる野兎の書き残しゆく冬の足跡         /中里茉莉子


煤払い犬と一緒に追ひ出され朔(ついたち)冬至のひかりに浴す    /縫明希子


ほつこりとそこだけ温んでゐるやうに蝋梅がさく師走の半ば     /樋川道子


大木戸に万のあんぽ柿吊されて四年ぶりなる空にかがよふ      /大槻弘


秋の日のフローリングに輝いて神さびているわが白髪が       /佐藤智子


死んだふりしてゐるやうな夫の耳別れ話はどこからにする      /大野景子




まひる野集



芽吹くものもたざるわれを囲み立つ冬の桜木、水木、榛の木     /広阪早苗


あいまいにほほえむようなやさしさの毒を見分くる齢とはなる    /市川正子


散りたまる山茶花の白わが鬱をごっそりさらえこの広き空      /滝田倫子


こけの生す水槽に魚ら眠りゐむうからに掛けし言葉つぶやく     /竹谷ひろこ


ゆるやかに羽化くり返しゆくわれに八つ手が花の拳かかぐる     /寺田陽子


ドッグランに吠ゆる声せず開きつ放しの扉のみ風に揺れてをり    /島田裕子


ひねもすを風はとよめり働きてありし日は知らず真昼鳴る風     /小野昌子


異人(ことひと)を蔑する言の多きかな自分はさうぢやないと言はむか /麻生由美


伏し目がちに書類受け取る女子事務員何がありしや泣き続けおり   /斎川陽子


目にしたる手術同意書の診断名質す術なく無事祈るのみ       /齊藤貴美子


自死したる若者の回忌にゆく夫に厚手のコート着す東京は雪     /松浦美智子


乾きゐる靴音とともに降りゆく冬至に近き地下鉄の階        /升田隆雄


ぽつぽつと欠礼葉書の届き来る終わりのあるは幸いならめ      /高橋啓介


土佐もずく並ぶるわれが旅立つは青く輝く土佐湾の海        /中道善幸


眠りつつ四肢冷えてゆく寂しさや閻魔こほろぎまだ鳴いてゐる    /久我久美子


沢山の柚子を安価に売る農家買い置きあれどまたしても買う     /小栗三江子


大いなる恵みはぐくむ川にして泥流もまた水の力だ         /吾孫子隆


ストーマを可愛いお尻と訪問の看護師居言えどわれは笑えず     /岡本弘子


けふが底か朔旦冬至は曇りたり南瓜の煮物みづつぽ過ぎた      /柴田仁美


マフラーに顔をうずめて夕まぐれ辻斬りの心地に家を後にす     /岡部克彦


饒舌はつひにさびしくしろがねの雨降るこの世を語り尽せず     /加藤孝男


マチエール


冬の陽を受ける背中の内側に冬のひかりはいまだ届かず       佐藤華保理


差し込みぬ 縦に折られた新聞の強姦って書けばいいのに夕陽    染野太朗


テトリスの長棒ゆるりと落ちてくる待たれている人だけが持つ影    富田睦子


熱の日は子の呼吸に寄りそって深い渓谷に降りてゆく鳥        木部海帆


まぎれなく極東の人わが顔を窓にうつして走る電車は          後藤由紀恵


席に着く前にタイトル出終わって映画が合っているか不安だ      山川藍


手の中であたためてから割るたまご命を産まぬ命もいとおし      宮田知子


永訣の音かもしれぬのに母が自転車を出す音は優しも         加藤陽平


夏の花火、冬の花火は打ち上がり過ぎ去るものは照らされてあり   田口綾子


手の中に「離婚するよ」とメール来て顔に受け続けるぼたん雪     北山あさひ


婆っちゃんは小さき茶碗で湯をすする寝ているだけの曾孫見つめて  大谷宥秀


行列のできるコピー機の隣にてわが軽やかに電卓を打つ        倉田政美


明らかに敵を作ってしまいたる会議終わりて気づくはつ雪        小瀬川喜井


仏陀のような頭のあの人は医療費払わずタクシーで去る        小原和


水泡にも壁の在ることしなやかに脆い けれども壁の在ること     荒川梢




作品Ⅱ


まもられて住む三階の居室にて十月台風の進路図を見る       川上則子


山ゆりは今年も咲けり検問を受けて立ち入る産土への道       鈴木美佐子


やわらかき黒土のうえに膝つきて草むしるときわれは無防備     宇佐美玲子


俺なんかまともに育った方だよな一面の黄なる稲穂を見て過ぐ    西一村


わが街から霧笛はたまた曳かれゆく筏も消えて霧たちこむる     前田紀子


露の世に生かされてゐる我なれど露のやうには無色になれず    田浦チサ子


膝の痛み少し和らぐ小春日の日溜りの中ほこほこと居る        岡田貴美子


今朝のからす追いつ追われつ電線に声を掛け合うごみ収集日    高尾明代


リヤカーを曳きて魚売る人去れば夕日に光る水跡ありぬ       稲村光子


不用意に愛こそ全てと口にして照れる間も無く冷笑される       矢澤保




作品Ⅲ


延命の処置はいらぬと妻に告ぐ茶飲み話のついでのように       上野昭男


かなへびを散歩させたら逃げちゃった そんな、見つかるまで探しなさい  松宮正子


神無月尽きしを電車の玻璃越しに秋の日差しの頬(ほ)に暖かし     高志真理子


秋に入りて十年日記の届きたり向かふ十年のいのち愛(を)しまむ    上野幸子


ハーネスを抜け野うさぎは跳ねに跳ね丘の向かうの月に入りたり    松山久恵


独り居に馴れたる夜を自販機のガチャンと音するあかり灯して     佐藤信子


米価格一俵三千円安くなる雷鳴くらいで妻よさわぐな           佐藤昌三


田から田へ雀の群れが飛びまはる稲穂の波を回遊魚のごと      杉山やす子


椅子ふたつ持ちだし庭に亡き母としみじみ今宵満月を見る       宝永冨美江


木製の歯車のように朝がきてとりあえずやっていこうと君は       浅井美也子





作品Ⅰ


喧嘩腰に歌を詠まむと起きがけにジーンズをはくわが誕生日    橋本喜典


羊雲のあひに残れるくれなゐを背(せな)にしながら会閉ぢむとす  篠 弘


三人目ぐらいで気付く「痩せたね」は「老けたね」ということだった  小林峯夫


境内を埋めし芙蓉の枝を切り払いて煩悩だけが明るし        大下一真


ジリオラ・チンクエッティの「雨」に濡れ昔男の見る冬しぐれ      島田修三


この道によく来るよなと日の差せる冬の林のくぬぎは言ふか     柳宣宏


移りゆく時間は思ひに先んじて黄蝶は三日目の庭に飛びこず    三浦槇子


今日走り敗けたる馬を思ふかなスカイツリーに見下ろす東京     中根誠


木漏れ日の此方の闇の照り出でてポニーテールの少女は過(よぎ)る 柴田典昭


花ならば如何なる花か嫋やかなりき壁に凭れてあなたを偲ぶ    今井恵子


パソコンの内部よりカサリと音聞こえ部屋益々に寂しきばかり    野村章子


その足に修繕されたる跡ありて合掌土偶は姿勢を保つ        松坂かね子


ある所までのうねりは白波に変り高まりて身に迫り来る        山本三芳


夕顔の花蕊に入りゆく蟻一匹 癌病む姉に言葉が探せず      小出加津代




まひる野集


顔のうへ蝸牛二匹を遊ばせて死後の景色もかざはなのなか     加藤孝男


選られざる矜(ほこ)りがありぬ売られいる霜降り飛騨牛厚みをみせて  市川正子


そのしくみ知るよしもなしスマホより鉱石ラヂオの遠き隔たり     升田隆雄


いわし雲空に広がる昼さがり葬りの間をしずかに佇てり        滝田倫子


桜島にけぶりたちたつ土地に生き土地に死にたし黒豚も人も     島田裕子


夕餉時狙ふ電話も来ずなりて干しつぱなしの漁網のやうか      竹谷ひろこ


行書より草書になりし起き臥しを嘗て咎めし夫でありしに        斎川陽子


きやらきやらと女子高生の過ぎしのち風にのり来る球児らの声    寺田陽子


壁一つ隔てて住めりベランダに小亀をらずやと問ひくる電話      小野昌子


月かげの窓を閉ざして思ふことみんなそんなに幸せぢゃない     麻生由美


みずからを失い施設に過ごす友ラフマニノフの曲を聴けるや     齊藤貴美子


ささやかな満足感が頭をよぎる並べし鯖は売り切れており      中道善幸


いつよりか頭蓋の内に蝉の棲み鳴く日鳴かぬ日鳴く日の多し    松浦美智子


ピンマイクのコード巻かれし本体のがんじがらめが転がっている   高橋啓介


成りゆきに決まりかゆかん身のめぐりレモン一滴紅茶にたらす    久我久美子


ベランダに番の雀とまりきて恐れ知らずや胸毛そよがす        柴田仁美


団栗に円ろく小さき穴をあけわが家に育ちし芋虫ふたつ       小栗三江子


グイグイと夫の引力強き日よどこまでも風に靡くコスモス       岡本弘子


あぶらぜみ動かずになり閉じられぬまなこに白き雲ながれおり   岡部克彦


この広き宙(そら)つづめたる物のごと水のほとりの蛍ひかりぬ   吾孫子隆