作品Ⅰ
地に額(ぬか)をつけて祈れるひとびとの悲(ひ)のかたまりの背中と思ふ   /橋本喜典
点眼をせむとし気づく修正液つかひてあきしままなる一字           /篠弘
雪積みて人形(かた)つくるも目鼻なす炭団(たどん)・切炭(きりずみ)家にはあらず /関とも
父の歳十二も超えてまだ生きるけはいを笑って見下ろす写真        /小林峯夫
折られたる椿が雪にくれないをあまた落として今朝は凍りぬ         /大下一真
犠牲者のカビュさへ雑誌に嗤はれてエスプリといふ性癖あはれ /島田修三
大きくて柔らかなる手ただ一度中井英夫と握手を交はす           /柳宣宏
戦争は野暮にて主流となるテロルこのリアリズム果てもあらぬを      /中根誠
上空の寒さを地上に移すがに海鵜の放物線は崩れぬ           /柴田典昭
ほうと点る白き光の内部見えその上にまた人の点す灯           /今井恵子
雪の上にこぼれしごとき小鳥らの足跡消してたちまち吹雪く        /中里茉莉子
石ひとつ鳥居に上げて帰り来し庭に鈴生りの苔桃(こけもも)の紅     /松岡正富
まつすぐに生きむとするは難き世にいさぎよきかなこの冬木立       /橋本忠
国籍を力士に言ふはやめにせむ力士はひとりのはだかで闘ふ       /軍司良一
夕空に銀の光(かげ)引き伸びてゆく遥かな尖(さき)を目蔭(まかげ)して追ふ   /神塚正喜
なりふりはかまつてをれぬ山茶花はわらわらと散る惚ける前に /大野景子
 
まひる野集
癖と個性ないまぜにして生きている草間彌生ほどではないが        /市川正子
老親を置いてゆくのかいつだって君の粗忽が苛立たしかった        /広阪早苗
冬枯れの庭にそよりと裏がえる一枚だけの傷みしもみじ          /滝田倫子
腕(かひな)なる子をあやしゐてホームよりこの女(ひと)はいま誰かに別る/竹谷ひろこ
見ゆるなく障(さや)ることなくまつはれる小春の風は人情めきて      /寺田陽子
性格の硬さを指摘されてゐるここは笑ひて過ごす他なし         /小野昌子
ストリートビューの校舎に我はまだ働く暗き灯りを点けて        /麻生由美
湯に躰沈めて指を拡げゆくついに消えざる凍えたる芯         /高橋啓介
それぞれが泣き顔となる雪達磨道端に子らが立たせしままに     /斎川陽子
風呂の湯を捨てつつ思う水汲むに一キロ歩くとうケニアの少女    /松浦美智子
大通りの緑地帯なかにひそとたつ旅芸人の被爆死者の碑       /中道善幸
退院の決まれば早し病む夫に介護福祉士なる人現わる        /齊藤貴美子
粘り強く生きてごらんと言ふやうに間を置きて散る銀杏の黄葉    /久我久美子
パレットに青と黒とを絞り出し海を描きたし爪木崎より         /升田隆雄
賞味期限八日を過ぎし有精卵(たまご)五個生き物のごと丁寧に捨つ  /岡本弘子
幾度かわれを傍らに呼び寄せり幼児のごとき夫に寄り添う /小栗三江子
雪あかりの庭にさやかな影つくり今宵の月は宙にとどまる       /柴田仁美
農道にわれ見上げいし迷い猫おずおず夢の中に入りくる        /岡部克彦
訴ふるごとくに鳴きて夕ぐれの犬しづかなるこころを乱す        /加藤孝男