作品特集(抄)




      手が荒れる     秋田 すずきいさむ 


つぶやけど戻らぬ過去をにれがみて暮れなんとする今日の夕焼け

一番に働き出すは洗濯機不平も言わずうんうん回る 

洗面も炊事も手袋してやれど冬は必ず手が荒れてくる

これ言えば話が長くなりそうで言葉を呑んで相手に合わす

語りたき人いなければ独りごつ今日の弔事に泣きたることを




     五本の鍵     愛媛 大野景子


二年前家庭裁判所(かさい)の前で別れたり他人の顔ですれ違う姉

約束を反故にしたのは姉のはう南瓜のようなる雲が流るる

人工の塩水のなか三日目の海鼠はそろそろ覚悟を決めたか

水銀(みずかね)の滓のやうなる残り世にHotto Mottoの弁当を買ふ

ドラマでは嘘もまことも小気味よし人間(ひと)はやすやす殺められたり




     春の雨     大分 麻生由美


朝狩りに行きて戻れる毛の物の小さき跡より溶くる淡雪

生き物の耐用年数を過ぎたればがんになるとよさはさなれども

朝な朝な厠の窓に見る馬酔木咲いてしまへり春がまた来る

これの世に居処なくて眉なくて髪なくわれも辺地(へち)を踏みにき

食ひしばり食ひしばりして何ひとつ成らざるとふも人の一生か





     路地     千葉 岡部克彦


盛り塩と打ち水終えし店々にあかり次つぎ灯りゆく路地

金魚すくいに出さるるは屑の金魚という覗けばその身を隅によせあう

ビー玉がいっせいに床に散るように人らスクランブル交差点ゆく

物忘れ日々ふえゆくに忘れたき事のひとつが裡にくすぶる

新聞が翌日しんぶん紙になる早さに殺人事件を忘る


 


     螺旋階段    名古屋 柴田仁美


「産後鬱」と検索すればヒットする四十万余の母のため息

わたくしも経緯(いきさつ)ありて児を抱き三か月検診へ向かふ姑なる

バックミラーに目差し見えず「不妊治療を諦めたんです」問ふてないのに

あれば苦しなければ哀し子や孫のミトコンドリアは母から母へ

おのづから眉の辺りにあらはれむDNAは呪文のごとし




     新しき雪    奈良 久我久美子


会ひたしと思ふひとりも遠く老い忘却よりも寂し現実(うつつ)は

三度目の離婚の噂ある人に声かけて過ぐやや小走りに

もつと赤くあかく咲けよと希まぬに白より遅れ開く紅梅

ファックスの音かたかたと響く夜見えざるものの揺らぐ気配す

疎まるる故も知らぬにわが噂段階踏みて決まりゆくらし




     若者に託す    福島 鈴木美佐子


春なれば春の賜物満ちあふる小女子の海竹の子の山

セシウムもストロンチウムも飛び超え兎となりて故郷へ来ぬ

伝来の土地を守ると復興のはざまとにゆれる地権者たちか

日本人ならではの除染丹念に一枚いちまいの瓦拭へり

将来は除染する人の健康を守る仕事に就きたしと児は





     大和を歩く    神奈川 西一村


道々に地元の古老と出会いたり農夫も手を止め笑みをくれたり

有難く歩けることのこの道に出会うは小林秀雄の標(しるべ)

山の辺の道の行基の大き碑に合掌したりしぐるる午後に

「わしらはね、学者とは意見違うよ」と農夫は笑う古墳を前に

バスの無き道を日暮れて困りたれば車の寄りて乗れと勧める





     雇用延長    旭川 矢澤保


冥界へ持って行く事多々ありて妻を聞き手に少し吐き出す

謀り合い他者を蹴落とし受注する何のためにと思うたまゆら

退職後釣り三昧の夢語る同僚乗せて海沿いの道

冬眠の邪魔をされたる熊のごと今更に問う働く意味を

もうたぶん銃を取れとは言われまい有事に私は白骨のはず





     早春の郷(さと)   仙台 鈴木理恵子


バス降りれば父の郷なりヒョロヒョロと鳶の輪をかく明るき春よ

美枝子の夫安夫さんに見せらるる庭に流れ来しガレキの映像

窓の下や庭一杯にガレキ溢れ人の着物もちらりと見えし

御浸しは庭の菜の花淡く優し小さき少女を思わせる味

心こもる食事終りて帰り際庭を見渡せば広々とせり





     春を数える    仙台 菊池理恵子


ま白なるハンカチの木の包葉にベクレルあれどま白きままで

福島がフクシマになりFUKUSHIMAにその福島に息子(こ)らは暮らせり

臨月の嫁の鞄の線量計それには触れず霜月の風

胎内の線量検査はせぬままに生まれくる日を静かに待てり

復興は幾万人の哀しみを埋め込みながら歴史にしていく





     房総早春     千葉 秋元夏子


水凍る朝の続きて節分も立春もただひらひら過ぎぬ

春早き海辺の畑をめぐりつつ蕾の多き金盞花剪る

競(せ)り終へて水乾きゆく魚市場のすみに菜花の束売られをり

寄せ波の砕けむとして透きとほるそのたまゆらの碧玉の色

日の高くなりゆくのべに光濃し今は半島のはづれ真近く