マチエール


斜めから子の目を見ればゆうぐれを遠くなりゆく白いレガッタ    /佐藤華保理


もし煙草を吸えたなら今君から火を借りられたのに震える火を    /染野太朗


先端の折れしわが箸をためらいもなく捨つる母を恐ろしと見る    /加藤陽平


この夜を終わらせるため耳栓をふかく差し入れ塞ぐ穴あり      /後藤由紀恵


足先で押せば満ちゆく汐の音たてて眠れるわれの湯たんぽ      /富田睦子


もう赤き靴など履かぬ祖母が佇つ嵐が丘の向こう側なり       /木部海帆


去り際に皆ふれに来るMさんの腹部は羊水で張っている       /山川藍


ああ廊下 わが人生に初めての「クソババア」を放ちたる場所    /北山あさひ


見取図の不潔なる部屋を見にカラカラと行けばすぐ咎めらる     /宮田知子


父親をおじいちゃんとぞ呼びにけりわれも父よりママと呼ばれて   /小瀬川喜井


そうだよなほんの些細な決意から地球を一周するのだろうな     /倉田政美


看護師ほど患者のそばに寄り添えず詰所の隅でキーボードを叩く   /小原和


身を焦がす恋とふものがあるとやら 株価ボードの前立ち止まる   /伊藤いずみ



作品Ⅱ(十八人集)


木枯らしは一番がよくその後は淋しきひとの胸たたくのみ      /宇佐美玲子


露天湯に柚子を並々浮かべてるカピバラくらいに扱え派遣を     /菊地理恵子


笹薮は大き鳥かご笹鳴きに膨らんで見ゆあちらこちらが       /相原ひろ子


切り株に一休みする目の前を糸を引きつつ蜘蛛が飛びゆく      /齊藤愛子


かしゅかしゅと自転車の輪で踏みつける枯れし栃の葉音のかそけし  /井上成子


ゆく年を追ひかけるがに足早にスーパーへ行く老いも若きも     /横川操


こはごはと戸を繰りて見ぬま白なる雪のつぶてはガラス戸覆ふ    /竹内類子


ガヤガヤと喋り合ひつつ陽を受けて小さくなりゆく吊し柿たち    /平林加代子


声掛くるたびに一羽のヒタキ来る人のことばが解るらしいぞ     /西一村


ふわふわの雪で兎の耳かため南天つければ生きたる兎        /佐伯悦子


うす紅に富士の肌へのそまりゆく冬至の夜明けを鋭き栗鼠の声    /辻玲子



作品Ⅲ(三月集)


これよりは湯桶の街並につこりと笑ふばあばの案山子が迎ふ     /岡野哉子


若き医師「神経痛には温泉が良く効く様です」せつにやさしく    /香川芙紗子


安全な場所から怖づ怖づ声を出し励ましてゐる自分ばかりを     /窪田ミズエ


一切の落葉尽きてプラタナス師走の風に鈴鳴りやまず        /松本いつ子


年越の近づき来れば霜を踏む音さえさみしと思うこのごろ      /里見絹枝


後宮に一生終える女人らは狭き通路に空見上げしか         /鈴木智子


大津波に吞まれし稚魚の秋鮭とぞ味に足さるるものがたり持つ    /石井みつほ


棘を嫌うわれに逆らい子が植えし蔓バラひらく二つ三つと      /牧野和枝


冬近くうすずみ色の濃淡を見する海なりバイカル湖に似る      /栗原紀子


かき抱くきみの鎖骨のくぼみより夏零れでて恋ははじまる      /浅井美也子


ノートには走り書きした讒言がたっぷりつまりブンガク的に     /高木啓