新世界68-運命の幸雲 4
しばらくの間、ニシキの前には何も起きる事がなかった。
そこには苛立ちさえあった。
『金も持っていない、ただの女に、俺が手を差し伸べているんだから、すぐに食いついてくるべきだろう!』という苛立ちがあった。
沙希は毎日、変わらない日々を送っていた。ニシキは沙希の後を付け、その行動の全てをずっと追っていたから知っている。
彼女には別にどんないい事があったわけでもない。毎日、学校へ行って、朝登校する生徒に挨拶をする。学校では夜遅くまで仕事して、いつものアパートに帰り、ビールを飲んで、一人愚痴を言って、お気に入りのアイドルグループに嵌って、電気つけっぱなしで眠り、また朝を向かえ、急いで支度をして学校へ行く。たまの休日はオシャレして、オシャレな繁華街を歩くけど、お金がないから何も買えずに、仕方なく家に帰る。一度だけ、友人と会って、話をしている姿を見たが、お金を貸してとせびられ、一万円を渡していた。沙希の生活は冴えていない。
彼女はどうしてこんなくだらない毎日をいつまでもいつまでも繰り返しているのだろう?ニシキは疑問しか感じなかった。
ついに連絡があったのは、さらに1ヶ月後の事だった。
「はい」と言って、ニシキは電話に出た。
「あ、すみません。わたし、前に公園のベンチで会いました、加野沙希というものです」
「ああ、あの時の」
ニシキはついにという想いを捨てて、素っ気ないふりをする。
「あ、すみません。覚えていてくれました?」
「ええ、もちろん」
「あのお」
「どうかなさいました?」
「ええ、その…」
そして、ニシキは沙希を空きビルの一室に招いた。そこはニシキが知るいくつかの空きビルの一室だった。そこにいくつかの家具を持ち込んで、カウンセラールームとして擬似的な部屋を作って準備をしていた。
ニシキはしばらくの間、カウンセラーの簡単な本を読んで、いくつかの勉強をしていた。だから自分が彼女に対して、何をどうすればいいか、真似事ができる自信があった。
数日後、その部屋に沙希はやってきた。
ニシキは沙希をソファーに座らせ、緊張を解いた。そしてそっと過去の事を聞いていった。
子供の頃は病弱だったとか、親が喧嘩をよくしていたとか、そんな事だ。
そしてそれに対して、だから今あなたはそうなんですよと、いかにもそれらしい事を伝えた。そしてそれに対して、十分な心のフォローをした。
「ありがとうございます。何だか、すっきりしました」
と、沙希はニシキに礼を言った。
それは本当に明るい満面の笑みだった。
『騙されているのも知らずに馬鹿だなあ』と、ニシキは感じながらも、「いや、それは何よりだね」と答えた。
「おいくらですか?」と、沙希はニシキに尋ねた。
「いや、今日はいいよ」
これからもっと金を騙し取るつもりだから、この日は要らなかったのだ。
「いえ、困ります。そういうのは困ります」
沙希はそう言って、慌てて、財布から1万円を取り出した。
「これで、足ります?あ、もうちょっとしますよね」
「いや、ほんとにいいんだよ」
今日のところは本当に要らなかったのだ。
沙希はさらにもう一枚、1万円札を出して、テーブルの上に置いた。
そして大きく頭を下げた。
「ありがとうございました」
沙希はそう言い残すと、すたすたとその空き部屋を出て行った。
『本当に、どこから、どこまで、バカな女の子だな』
そう頭の中で思いながら、2万円を取り、自分の胸ポケットの内に入れた。
騙すことは簡単だった。騙すことは楽に出来た。でもニシキは感じていた。こんな風に沙希という女の子を騙して、いったい何になるのか?
何一つすっきりしない。昔見た目の似た女の子に嫌われた事に対する腹いせのつもりだったけど、ニシキは何の優越感も感じない。ただの暇つぶしの遊びであるかのようでもある。
本当はそうじゃない。ニシキはどこかで沙希に会いたいと感じるようになっていたのかもしれない。
心はいつだって寂しいのだから。
騙し、むしろ心は少しずつ傷つき出していた。こんなはずではなかったのに。
新世界67-夢世界 20
ブラジリアンキックを浴びせて、その日の戦いにも勝利した。
2021年10月、僕は変わらない盗人稼業を続けている。
ブラジリアンキック?そもそも僕は柔術を習っていたはずなのに、どうしてこうも立ち技までできるようになったのだろう?夢とはいいかげんなものだ。
僕は柔術の先生に、空手も習っている。
自由だ。
半年は経つが、僕はこの仕事を抜け出せていない。
何もない日は、たいてい家のソファーに寝転がっている。
コウキ君はソファーに寝ている僕に笑顔を浮かべる。もう2年近く、僕はコウキ君と暮らしている。背も伸びたし、どことなく顔を大人っぽくなった気がする。本当に子供成長は早いものだ。
「何だよ。何か、用かよ!」
本当はコウキ君の笑顔が嬉しいのだが、僕は素っ気ないふりをしてみせる。
「あのさ、昨日、ニシキ君がやってきたよ」
「えええええ、まじでええ、元気だったかよ。あいつ」
「そうだね。いつもながらニコニコしてた。
『足を洗ったんで、おじさんに言いたかった』とか言ってた。
そんなに足臭かったのかなあ、ニシキ君」
子供らしい間違いだ。
「まあ、臭くはなかったが、綺麗にしたって事だよ。よかったじゃねえか」
と、僕はコウキ君に答える。
足を洗ったのはいいが、ボスはその事を知っているのだろうか?確かもう半年近く、彼には会っていない。どこでどう過ごしているのか、僕は全く知らない。
基はといえば、ニシキ君に誘われたから、この仕事をしているのだが、気がつけば自分の方がどっぷり嵌ってしまっている。
ニシキ君は意志を持って、詐欺を始め、意志を持って辞めたのだろう。それを思うと、僕はなんて意志のない人間なんだろう。誘われるままに誘われて、付き合いが続いて辞められない。
コウキ君に対しても、何も言えないな。
最近の僕には善も悪もわからなくなっている。
いつか僕は酷い目に遭うだろう。
せめて、コウキ君だけは無事でいてほしい。
「どうかした?おじさん」
「いや、何でもないさ」
僕は考えさせられる。きっと僕も意志を持って答えを出さなくてはいけない日が近づいているのだろうと。
2021年の夢は続く。
新世界66-無職の暇人 16
何気なく、気になっていた薬局を訪れた。
看板には疲れに効く、赤唐辛子と書いてある。
ガラガラっと店のガラス戸を開ける。
目の前にはしょぼくれて、やせ細っている眼鏡を掛けた駄目そうなオヤジが白衣を着て、ガラスカウンターの向こう側に立っている。
僕は声を掛ける。
「疲れた心を癒す魔法の薬をください」
「あ、覚せい剤ですね!」
「違いますよ!そんなもの!
赤唐辛子に決まってるじゃないですか!」
「あなた!韓国人ですか!」
「日本人ですよ」
「普通に赤唐辛子でいいんですよねえ」
「ええ、表に書いてあったやつです」
「だいたい世の中は薬に頼りすぎなんですよ!
くすり、くすりに、ワクチンだのなんだのって!」
わけもわからず切れだすオヤジはさらに僕に向って、
「あれ、風邪引いているんでしたっけ?」
「いえ、体は健康ですよ。
インフルエンザなんてかかりもしませんし」
「では、どうしました?」
「心の病なんです。心が疲れているんです!」
「じゃあ、ダラダラ生きればいい。今、日本人は元気がなくなっているんですよ。
毎日、不況だの、リストラだの、予算削減だの、騒いでいるから、鬱にもなりますわ」
「大変ですよねえ」と、合わせる。
「ホントですよ。変な客はいっぱいくるし、給料は減らされるし、それでこずかいも減らされるし、
もう薬剤師なんてやってらんないっすよ」
「いやあ、でも仕事がなくなったら、大変でしょう。
僕なんて、もうすぐ就職難民ですよ。そろそろ金も尽きちゃいますから」
と、話を合わせる。
「そりゃ、大変だねえ。まあ、焼肉でも食べて元気だしなせえ」
なぜ、焼肉?
でも話を合わせる。
「そうですねえ。たまにはぱああっと焼肉食っちゃうのもいいですねえ。赤唐辛子で」
と、持っていく。
「じゃあ、赤唐辛子ですね」
「ええ、赤唐辛子で」
赤唐辛子を買った。いったい何になるのかはわからない。
でも心は元気になれるだろうか?
2012年ももうすぐ終わる。世の中が噂をしたほど、何も起きやしなかった。
毎年同じようにイルミネーションが輝いている。
もうすぐ2013年がやってくる。
新世界65-運命の幸運 3-2
(つづき)
公園で遊んでいた少年の蹴ったサッカーボールがニシキと沙希の間を転がり、まだ葉の付いていない木にぶつかった。
ニシキは何となく、そのボールに近づき、そいつを拾い上げた。ボールを蹴った少年は少し困った顔でニシキの方を見つめていた。ニシキは笑顔を見せて、サッカーボールを少年に投げ渡した。
少年はボールを足で受け取ると、何も言わずに去っていった。
「子供、お好きなんですね」と、沙希はニシキに向っていった。
ニシキはどちらかというと嫌いであった。というより人間嫌いであった。
でも、「ええ、子供は可愛いですよね」と答えた。
沙希は悩んだ表情を浮かべた。
「どうかしました?」と、ニシキは声を掛け、沙希の座るベンチに近づいた。
「あ、いえ、特に」と、沙希はニシキの質問を避けた。
でも、こういう時の女をニシキは知っている。きっと何かあって、慰められたい。そういう態度を女は時々見せる。
「何か、あるようだけど?」
と、ニシキは気さくな声で沙希に話しかける。
「大したことじゃないんですけど、わたし、小学校の教師をやってまして、最近少し子供たちとうまくいかなくて、なんていうか、子供好きだと思っていたんですけど、そうでもないのかな?なんて思ってまして」
ニシキはにこりと微笑んだ。
「ああ、そうなんですか?僕、子供相手のカウンセラーをやっているんですよ。いろいろと最近の子供は問題がありますからね」
もちろん全くの嘘である。でもニシキには理由のない自信に溢れている。自分はカウンセラーの気持ちになれる。詐欺師は現実でいかにうまくその役を演じられるかが勝負のポイントとなる。
「え、そうなんですか?」と、沙希は言う。
「なんだったら、話してみて」
「ああ、でも、プライベートで、申し訳ないですし」
沙希は少し遠慮する。
「いや、かまわないよ。お金を取るために、仕事を始めたわけじゃない。子供たちの未来を思って仕事を始めたんだ。困った話があったら、相談に乗るよ」
そして、沙希は学校の話を始めた。学級崩壊したクラスの話を永遠と二時間近く、語り続けた。
「ごめんなさい。こんな時間まで」と、沙希はニシキに謝った。
「いや、今日は休みだったし、ちょうど空いていたから」
「ほんとにごめんなさい」
「いえ、むしろありがとうと言いたいくらいだよ。どこかのだらしない主婦の、子供の話は聞きたくないけど、君のような可愛い女性の悩みを聞けるのは、むしろ嬉しいかぎりだよ」
なんてニシキは言ってみる。
沙希は嬉しそうに笑みを浮かべる。
ニシキはいつもの優しい微笑を浮かべている。
そしてニシキは沙希に携帯電話の番号を教えた。何かあったら相談においで、と言って。
ただ、騙すだけのはずだった。それが全てのはずだった。
でも、ニシキは少しずつ沙希に引かれていった。何もない地味な女性なはずなのに、何かがニシキの胸に残り続けた。
やがてニシキは感付いた。
人の恋をするとは、こういう事なのか、と。
新世界64-運命の幸雲 3
公園の隅で、沙希を見つめていた。
もし、彼女が君の存在に気づかなければ、もしくは、君を避ける素振りを見せたら、君は彼女に話しかける事はなかったろう。
ニシキは掛ける言葉が見つからなかった。
紹介された女ならうまく騙せる自信があった。
何かの会で出会った女性なら、気さくに話しかける術を持っていた。
でも公園に座って、物思いに耽っている女性にどう話しかければいいのか、ニシキは知らなかった。
自分への苛立ちはあったが、その日、ニシキはもう止めようと考えていた。
沙希はニシキに気づいた。
ニシキは沙希の視線を感じ、小さく会釈をした。
沙希もそれに対して軽くお辞儀を返した。
「あ、いえ、このあたりで」と、ニシキは言って、先に少し近づいた。
「あ、ええ」と、沙希は何だかわからず答えた。
「いや、この間もここにいたなあなんて思って」と、ニシキは沙希に言った。
「時間が戻ったのかなあ、なんて」
沙希は笑みを浮かべた。
「ええ、ここにいました」
でも、話はそこまでだった。話はそれで終わってしまいそうだった。
そこへ、サッカーボールが転がってこなければ。
(つづく)