新世界58-運命の幸雲1
人を恋する気持ちは、嘘じゃない。
これはニシキ君の恋物語。彼は一人の女性に恋をした。
26年間、彼は恋などした事はなかった。ずっと心から人を好きになることなんてなかった。
そしてこれからもそうあるはずだった。でもそうはいかなかった。
人は恋をする。それはきっとどうしようもない事なのだろう。
「人を信用するな!」というのが、ニシキの父親の口癖だった。
「信用してもろくな事はない」
父親はいつもそう言っていた。
核家族化が進み、少子化が進み、近隣との付き合いがない時代の中で、ニシキとニシキの両親は2DKのマンションで生活をしていた。近隣との付き合いは全くなく、ニシキは家族以外の付き合い方を知らずに育った。
学校ではいつも一人だった。そんな奴は一教室に一人や二人はいるものだった。ニシキもまたそんな少年の一人だった。
ニシキはただ周りを見て育った。
彼をからかってくるものもいたが、彼はそれに全く動じなかった。だからいじめの対象にもならなかった。誰にも相手にされない。無視されているだけかもしれないが、それはニシキにとってはむしろ都合のよいいじめられ方だった。
最初から誰とも話す気などないのだから。
ニシキはいつも学校を猿山のような場所だと感じていた。
ボスがいて、いろいろな奴らがいて、自分のポジションを作っている。いい女がいて、おとなしい女がいて、それぞれがそれぞれのポジションで生活をしている。
教師は飼育係、ここは猿山だ。
自分も猿山の中にいるが、猿ではないと自分にいい聞かせていた。猿とは関わらない。ニシキはそう思って、毎日を過ごしていた。
でもやがて、教室を出た世界、または世の中と云われる社会の全てを知るようになると、重大な事にニシキは気づかされた。
それは教室だけでなく、この世界の全てが猿の世界であるという事に。
人間はみな、自分の地位を築くため、強がったり、かっこつけたり、可愛い素振りを見せたり、人を罵ったり、人を蹴落としたりしている。
そして世の中は何一つ平等じゃない。人は能力や性格、環境に左右され、自分の地位や身分を築いてゆく。
ニシキは自分がいつも教室の中でおとなしくしているのは猿山の猿にならないためという信念を持っているためだった。
でもそれは信念でもなんでもない。ただ親から受け継いだ性格でしかないという事に気づかされた。
だからニシキは同じように人と関わらずに生きてゆくしかないだろうと感じていた。
でもできることならできる限り、世の中から外れたところで生きていたかった。
高校を卒業し、家を飛び出し、路上生活を始めた。
世の中には能力のない人間、金を失ってどうしようもなくなった人間がたくさん路上生活を始めていたが、ニシキは自ら望んで路上生活を始めた。
ニシキは自分の居場所を持ちたくはなかった。でもどんな場所でも自分の居場所を求められた。ゴミ箱の一つ一つや自動販売機の一つ一つに浮浪者は自分の縄張りを持っていた。
それもまあ、今までの社会の争いを思えば、疲れもしない小さな争いだった。浮浪者はみんなおとなしい。妬みや僻みを持っても、争うほどの力を持っていない。
いつからか、ゴミの山で生計を立てるようになった。
その生活が嫌いなわけではなかった。余分な争いはなかった。見栄を張る必要もかっこうつける必要もなかった。
でも時々、どこかのいけ好かない女に冷たい視線を浴びせられると腹が立った。どこかの着飾った男とデートをしている女を見ると腹が立った。
世の中の女はみな、金や地位に目が眩んでいる。その色気づいた目がニシキにはどうしても許すことができなかった。
そしてニシキは結婚詐欺師となった。世の中の悪女を懲らしめる。結婚詐欺はニシキにとっての正義だった。
それが全ての過ちだった。
ニシキは恋をした。
全く予期せず起こった出来事だった。
新世界57-夢世界 17
夜もすっかり更けてしまっていた。
僕は壁の高い豪邸の前に立っていた。
2021年3月、春になった。
「おい、こっちだ!」
と、左の男は僕を呼んだ。
頬のこけた方の男だ。右の男は顔が角で、ごつく、声が太い。左の男は声が若干高い。
左の男は豪邸の門の脇にある小口から僕の方を見つめている。
僕はその声に気づいて、小走りにその声の方へ向かう。
「ここにいろ!」と、左の男は僕に言う。
言われたとおり、僕はその場に居座る。
左の男は豪邸の中へと消えていった。
僕は小口の内側でぼおっと時を過ごす。
「おっかしいなあ」
5分後だった。僕は貰った腕時計をじっと見つめていたから、それから5分経ったことは確かだ。
小口から正面の大門を覗くとそこには警備の格好をした男が立っている。
男は何度か玄関のイヤホンを押すが、全く反応がない事に首を捻る。
そして小口に気づき、僕の方へと近づいてくる。
「すみませーん!」
男は大きな声を上げる。
僕はパッと飛び出した。警備の男はあっけにとられた表情で、グラサンを掛け、マスクをしている僕の顔を見つめている。
とっさに男の胸元に飛び込んだ。そして警備の男を背負い投げで投げ飛ばした。警備の男は簡単に投げられ、僕はけさ固めの格好で男の上に体を乗っけた。
警備の男はビクついていた。僕はとっさに腹脇に入っていたハンカチを取り出し、それで警備の男の口を封じ込める。すぐに男は意識を失った。ハンカチには液体の睡眠剤が染み込んでいた。よく効く薬だ。
いつの間にか、左の男は僕のすぐ後ろにいた。
「やるね」と、左の男は言った。
そして、気を失った男を引き摺って豪邸の壁の内側に引き込んだ。
「君にはまだやるべき事がある。門の前を通りすぎて、左に曲がったところに一台の車が停まっている。この男(気を失っている警備の男)の仲間だ。とっととそいつも同じ目にあわせてやってほしい」
僕は素直に頷いた。
「こいつを持っていきな」
そう言って、左の男は僕に小さなりんごくらいの煙だまを渡してくれた。
僕は言われたとおり角に停まっている車に向った。
男は僕がそこにいる事にさえ気づいていない。どうやらのん気にラジオを聴いて過ごしているようだ。
ゆっくりと車の袖に近づく。
そして窓の下に隠れ、煙だまにライターで火をつける。
ガチャッと運転席のドアを開ける。ドアは素直に開き、また間抜けな顔をした警備員の男が僕を驚いた表情で見つめている。僕は煙だまを男の口に突っ込んだ。
「あがっ、ぐへ」
ボーーーン
小さな火薬が爆発し、男の顎が外れる。男はすぐに意識を失った。
僕はそのままそいつを口に突っ込ませたまま、手を離し、車のキーを抜いた。そして運転席のドアを閉め、そのキーを豪邸の壁を越えた向こうへと投げ込んだ。
「オッケー、予定通り、行こうか」
また近くに左の男がいた。
でも今度は右の男も一緒だった。右の男は大きなケースを右手に持っていた。
「仕事は済んだ」と、右の男は言った。
2021年少し暖かくなり始めた春だった。
僕は豪邸で何かをしていた。
何か?
いや、僕は知っている。これはれっきとした犯罪だ。窃盗という犯罪だ。
そして僕は泥棒という窃盗犯になったことに気づいている。
夢の未来の人生は僕を確実に悪の道へと進ませている。
新世界56-無職の暇人 14
僕は冷蔵庫を開けて、そいつがガァ~っていう音をずっと聞いていた。
別に涼しくなりたいわけじゃない。季節はもう冬だ。
じゃあ何をしている?
無駄な事をしている。
よくそんな事をしたって無駄だよって言われる事はある。でもそこには努力や行動というものが付随されている。
僕のやっている事は最初から最後まで無駄だ。何の役にも立たない。ただエコ社会に逆らっている。恐ろしいまでに無駄な行為だ。そのうち冷蔵庫も自らの無駄な行為を諦めて、冷やすのをやめてしまうのではないか、というくらい僕は無駄な事をしている。
僕は酷く無駄な事がしたい気分だった。
この世に対して何の価値もない行為。
僕は無駄だ。無駄をして生きている。
そうとでもしないと、僕は何かいやだ!
理由はない。何が僕をこうさせるのか?
誰かに止めてほしいのか?
僕も僕がわからなかった。ただこうしていたかった。しばらくこうしていれば、やがて目が覚めるだろうか?
目覚めぬまま、僕は冷蔵庫に顔を突っ込んでいる。
2012年冬のグロッキー。