こころもりょうちのJFJ 静岡の海
今日も一日の始まりはチャリ屋で始まる。
これで何件目のチャリ屋になるだろう?
今度はインターネットで調べて、タイヤやチューブが揃っていそうな店を探しておいたんだ。
朝9時、沼津の「マイリン」さんというチャリ屋でタイヤごと全てをチェンジ。
タイヤも今までのロード用に近いタイヤからマウンテンバイクに近い厚めのタイヤに変更。「マイリン」の店主は淡々とチューブとタイヤを交換した。ここまで苦労が何だったのか、実に簡単であった。
江戸時代の馬。きっと馬が病気になったらこんな気分なんだろう。足の悪くなった馬はただのお荷物にしか過ぎない。しかし走れる馬は何よりも救いだ。乗り手の事なんて二の次、馬にはちゃんと栄養を与える事が大切だ。
この日、僕は静岡の海沿いを走った。様々な海があった。
神奈川の海とはまた違う。
神奈川はオシャレな海だ。砂浜も多く、多くのサーファーがいる。
静岡の海は、ただの海だ。砂浜はどちらかというと石っぽく、サーファーはいない。海辺で釣りをしている人しか見られない。
沼津から富士に続く千本松街道海側の自転車道。なぜか一輪車をやっている人がいっぱいいた。
どこまでも海が続く。
風が逆風だったので、道はいいがとてもきつかった。
田舎ではないが、神奈川の海とは違う。
神奈川の海は作られた海のようで、静岡の海は自然のように海の感じる。
こうして一人、静岡まで辿り着き、第一章を完了した。
と言いたいが、この日、たまたま愛知の方まで遊びに来ていた友人と、僕は静岡で会う事ができた。彼は車で来ていたので、運よく車に自転車を積み込んでもらう事ができた。
夜は静岡で飲み、楽しい一夜を過ごした。
〈一日ずれましたが、第一章完了の総括もあり、明日へ続く〉
こころもりょうちのJFJ 小田原災難
5月1日 本日は大変長い一日になった。
物語の発端は、小田原から熱海に向かう途中でした。
朝8時、僕は箱根越えを止め、熱海に向かっていた。箱根越えをやめたのはきついのもあるが、やはり海に引かれたからだ。山には興味がない。
熱海渋滞を掻い潜り、車の脇をすいすい抜けていたときに問題は根府川で起きた。パンクだ。
最初は何とかなるだろうとしていた。レストランのオーナーにも助けられ、水を借りてパンク修理。チャリの先生KH君とも連絡。
格闘すること、1~2時間、無事に完了かと思ったらまた空気が抜ける。2箇所を修理したのにもはや直りそうにない。とてもピンチ、レストランのお兄さんに助けを得て、根府川の駅へと坂道を上る。
忙しそうで、おまえなんぞにかまってられないって感じだったけど、助かりました。
湯河原、熱海方面に向かう際はぜひ、レストラン ペッシェグロッソ(イタリアンレストラン)にお立ち寄りください。僕も今度は食べに行きたいです。
みかんを売っている女性の方がいたので、パンク修理できるところはないか、一応聞いてみる。親切な事に近くの車屋に連絡を取ってくれている。
「えええええ!」
と僕が驚いたのは、置いた自転車に目をやると後ろにつけていたバックがない!
災難連続!悪いときは悪いことが続く。
慌てて上ってきた坂道を駆け下りバックを探す。
レストランのオーナーにも聞いたが、やはりない。
再び坂道を駆け上がる。
そして交番へ。バックを落としました。自転車の後ろにつけるやつ。
踏んだり蹴ったり。でも救う方もおります。
みかんやさんにはお世話になりました。輪行バックもなく、電車に乗れず、シートを用意していただき、それで自転車を包みました。根府川駅前で、ぜひみかんを買っていってください。何種類かのオレンジがあります。試食できるのでお好みに合わせてお買い求めください。
断念。
人生とはこんなものだ。ここであったおじさんも言っていた。
「まあこれ以上行ったら悪いことがあるから、ここで帰れっていうことだよ」と。
自転車をしまい、駅の改札に向かうと、電話が。
早川の交番に荷物が届いた。親切な方が拾って届けてくれた。
そして早川へ。交番の定年を迎えたおまわりさんにも親切にしていただき、荷物は無事戻った。そのまま交番で自転車屋を聞いて、移動。
ここで、自転車屋の気さくなおばさんに助けられた。
それは2人の自転車屋に修理へ来た人の話。
1.鹿児島まで自分を見つめ直す旅に出た人。その人は箱根で自転車が故障。早川までトラックに載せてもらい戻ったとの事。最終、鹿児島まで行き、フェリーを使って、神戸に戻って、早川に再び戻ってきたそうだ。しかも3週間くらいで。いろいろ野宿とか自炊とか使用としてうまくいかなかった点も多々あったとか。
2.恋人に振られ、関西から折りたたみ自転車で移動していた人。早川で修理し、北海道まで行って、連絡があり、その後、沖縄を目指したそうだが、連絡がないので、おばさんいわく、金沢で恋人を見つけ、職である板前に戻ったんじゃない?との事だ。
要するに旅は、トラブルあって、いろいろあって、それを乗り越えてこそ旅だ。
あきらめようとしていたが、ここであきらめたら早い。荷物も戻り、パンクも直った。パンクを直してくれた自転車屋のお兄さんもありがとう。
野地サイクル。気さくなおばちゃんがいろいろと話してくれる。
場所を移動した別店でパンクを修理してくれた。そこではチャリの事をいろいろ教えてくれる。
小田原の人は親切だ。
時間が14時過ぎになってしまったので、早川から輪行。最悪な事に、熱海からの東海道線は超混雑。あたりの人はチャリもって電車に乗るなよって感じじゃなかったかな。
もみくちゃになって、満員の輪行はやるもんじゃない!と悟って、へとへとになって、三島につくが、再びパンク状態。今度は三島のチャリ屋に助けられる。
パンクはしていない。
チューブが緩んだだけじゃないか?という。
見てくれたけど、東京から来た事を告げると、御代はいいよ。と言ってくれた。
日本人はいい人だらけだ。きっと普段は冷たいが、心の中みんな優しい。
そんな事を感じる一日だった。
無事に沼津まで着いた。
ただどうもチューブはだめなようだ。明日は大きな自転車屋に行こう。なんとか明日、静岡までたどり着きたい。
(明日に続く)
こころもりょうちのJFJ 神奈川の海
4月30日 平日
昨日とは若干違う朝を迎えた。
昨日との違い、それは平日であること。
昨日より早く、朝6時スタートとなったが、世間はすでに動き出している。通勤する人もいる。場所は横須賀だが、東京も横須賀も変わらない。朝になると通勤する人たちに溢れる。そこには笑顔も笑い声もない。みんな孤独に見える。気がする感じ。
横須賀には米軍基地がある。
だからやたらとアメリカ人が多い。人々が通勤する方向を見ていたら、みんな米軍基地もしくはそれに付随する施設に向かっているようだった。
きっと街はそれで潤っているのだろう。ほかにもいろいろな仕事があるのかもしれないけど、朝の通勤を見ていて感じたのはそこ。夜の街を見ていても、たくさんのアメリカ人が遊び歩いている(ように見えた)。今、いろいろ沖縄の基地問題が騒がれているけど、ここもまたどうなのかな?
たとえば戦争が絶対にないからとなって、米軍基地がなくなったら、横須賀は廃れてしまうんじゃないかな。造船技術なんてところもあるから一概には言えない。新しいアメリカとの関係を気づければそれはそれで産業になるかもしれないけど。でも現状多くは、アメリカ国家、それから日本政府のお金がこのあたりに回っているような気がする。めぐりめぐってのお金?それが悪いとは言えないが、「街があるために」とは考えさせられる。
7:30に逗子に着いた。
今日は平日、多くの人が通勤・通学する。
どことなく雰囲気は暗い。きっと逗子が暗いのではなく、会社や学校へ行くのが気重だからかな。
カラスはゴミ箱を漁っているし、世の中はやはりいつかカラスに支配されてしまいそうだ(新世界の話)。
そして太平洋 逗子海岸に出た。
本旅行は、太平洋を南下する旅だ。なぜそうなったか、特別なわけがあるわけじゃないけど、僕は昔から太平洋の海沿いに住みたいな、と考えていた。未来は太平洋の海沿いで暮らす、なんて理由もなくそんな事を考えていた。でも現実そうなることなく、今は東京で暮らしているわけです。この旅の結論で、太平洋に引越してしまったら、おもしろいけどね。
人は住みたいところに住めばいい。どこに住むかは人の自由でしょ。
鎌倉では、過去を思い出していた。鎌倉に来たのは小学校の修学旅行以来、でも僕の思い出とつながるだろうか?記憶はどこにあるのだろう?
鶴岡八幡宮を見て、ここへ来たのか覚えていない。たしかなんとなく記憶があるような無いような。20数年前の記憶とは一致しない。過去の思い出というより、過去の来たことを知っている思い出を思い出しているみたいな間違いだらけの連想ゲームをやっているみたいだった。
江ノ島ならわかった。4年くらい前に来た。そのときの記憶にはつながる。
過去の記憶とはどこまであるのだろう?過去が変わると自分が自分でなくなってしまったように感じる。
それで、ずっと藤沢やら、茅ヶ崎やら、平塚やら走った。
ゴールデンウィークでもあるから、道が込んでいた。でも1000円割引だから、高速の方が混んでいたのかな?高速の事はわからないけど。僕は車の脇をかいくぐり、気持ちよく走っていった。
小田原にたどり着いた。
そして僕は本旅行の大きなポイントにぶち当たった。お金の話だ。
今回の旅はいかにお金を掛けないかも考えている。昨日はインターネットカフェで寝た。
だいたい目的地までたどり着くとあんまりやることがない。仕事のない暇人生活のようだ。家もなくなってしまったら?ちょっと浮浪者っぽい感じになる。お風呂も入れず、飯にも金が掛けられない。一文無しでなくても、未来に稼ぎがなかったらこうなる。そんな状態で小田原の町をふらふら。
そして欲求。今はお金を持っているから、使ってしまえばいい。ホテルにだって泊まれる。何だって食える。泊まるほうは諦め、食うほうにだけするか?すしがうまそう。うなぎのにおいが食欲をそそる
「ああ、きっとホームレスってこんな気持ちなのかも」と思う。
そう、きっとこれでいいのかもね。やっぱし貧乏は嫌だ。
今も貧乏だけど、まだ仕事を続けていれば、まだそれなりの生活。それなりの生活の大切さ。でも望む未来。気持ちは揺らぐ。揺らいでいても仕方ありませんね。
人はやっぱり仕事をしないわけにはいかないのだ。楽しい休日にありつくため。だから休日だって必要だ。楽しみあって、仕事をする。お金を稼ぐ。それが生活。それが生きる楽しみ。当たり前だけど、なかなかうまく出来ないなあ。それが人生?
(明日へ続く)
こころもりょうちのJFJ 東京出発
穏やかな休日だ。
朝7時半、家を出る。北千住で、友人が僕の出発を見送ってくれた。
彼は僕のチャリの先生である。もし彼がいなければ、僕は今回の旅に出ることはなかった。
4年前の話。
東京に来てちょっとした近場の買い物用にチャリを買おうと考えていていた。普通のチャリでよかったんだけど、チャリの先生ことKH君に、クロスバイクを薦められた。そんな5万もするチャリいらないよって言いたかったが、なんとなくの流れで買ってしまいました。
通勤とか、東京都ツーリングとか、いろいろ使って、まあ便利でした。
今はエコの観点もあり、都内ではチャリブームのようで、チャリ屋さんには人が溢れている。
きっと都会では少しずつチャリが増えていって、そのうち一時期の中国みたいに大量のチャリが国道を走ったりしていたりするのかも。2車線道の片側は全部チャリ用とか。しかもその車線が通行車線と追い越し車線に別れている。一番左には遅い自転車が走るとか、そんな風になっている世の中にしてしまえばいい。
ちなみに僕の知る限り、オランダのアムステルダムはすでに10年前からチャリの交通整備が進んでいた。
1999年、そのときアムステルダムではチャリ専用道があった。車道とも歩道とも違うきっちり区分されたチャリ道があり、アムスのチャリ運転手はそこを駆け抜けている。下手に赤信号を渡ろうとするとチャリに轢かれることになる。僕は慣れないその道を走るチャリンコに実際2度くらい轢かれそうになった。
これはチャリの旅である。
僕はKH君に見送られ、旅に出発した。
東京の祝日の朝は眠ったように静かだ。
と言いたいが、やっぱし東京は人が多い。ただ休日だけあって、普段の通勤時間に比べて極端に人が少ない。世の中みんな寝てしまったっているんだなと感じる。
休日になると、平和な日本を感じる。金持ちであっても、貧乏人であっても、人はみんな穏やかに過ごしている。
僕はそんな人の多い公園に立ち寄った。
11:30
品川水族館入口 休暇の家族ずれが多く見られた。
桜ではないが、紅色の花が舞っていた。本当に暖かい季節はもうすぐそこまで近づいている。
通り雨が過ぎていった。一日中ざあざあ降る雨は気持ちをブルーにさせるけど、わずかな通り雨は熱くほてった体を冷やすのに心地よいくらいだった。
14:00
横浜に着いた。写真は横浜スタジアム。ではないとこの大通り公園ではバザーが開かれていた。
青空の下で商売をしているというのは、売れようが売れまいがどうでもいいような感じがした。毎日空の下で仕事をしているのは心地よいかもしれない。ただこの季節だがらそう感じたのかもしれないけど。
金沢八景、海の公園にいた。
芝生にごろんとなると気持ちいい。そのままそこで寝られる気がした。
遊びに来た人々はウィンドサーフィンや潮干狩りを楽しんでいる。そうでなくても芝生にビニールシートを敷いて集まり、ビールを飲みながらだらだらして楽しんでいる。すでに日が沈んでしまいそうな頃だったので、日が木々の向こうに隠れ、寒くなってきてしまったので長くはいられなかった。
八景島シーパラダイスではフリーフォールみたいなやつが上っては落ち、上っては落ちていた。
このあたりに住めたら、僕もここで休日をのんびり過ごしていたい。
寝床が見つからず、横須賀までやってきた。
立ち寄った公園にほとんど人はいなかったけど、いる人は友人や恋人同士で楽しんでいる。休日はやはり誰かと過ごすのがお勧めだ。
日本は平和に見える。
不況だのなんだのいうが、それと関係なく世間は平和を見せている。
東京から横須賀まで、僕が見てきた街の風景は幸せ一色のようだった。みんなそれぞれ何かを楽しんでいる。でもそれは表に出て、楽しむ事のできる人ばかりを見ていたせいかもしれない。
本当はたくさんの人が疲れた顔して家にこもって寝てるのかも。だって僕だってきっとこの計画がなかったら、家で寝てたんだ。せいぜい日比谷公園までしかいかない。
公園は幸せに溢れている。
公園は多いほうがいい。
国全体を公園にしてしまおう。そうすればなんとなく幸せな雰囲気に溢れる。緑のない、子供のいないビジネス街はせわしくて仕方ない。ふと心を安らがせてくれるものが何一つない。だから公園の中にビジネス街を作ればいい。それってどんな世界だろう?まあ想像できればきっと未来には作られる。人間社会はいつも人の想像の上に成り立っている。
裏にはどこかで殺伐とした社会がある。公園の平和は殺伐としたビジネスで得た富によって守られているかな?それとも平和な公園はどうあっても平和な公園で、ただそれを求めない金欲人間が殺伐としたビジネスを牛耳っているかな?前者なら世の中の忙しさも仕方ないけど、後者なら実に嫌な世の中だ。
平和な公園を作るため、そのためなら、忙しいのも悪くはない。きっと。
(明日につづく)
こころもりょうちのJFJ-はじめに
たとえば、一生が80年だとして、どんな人生設計を立てたらいいだろう?
幼少時代は家庭の環境によってなんとなく流されてしまう。
人それぞれ、若干の差はあるけど、人生の選択はせいぜい18歳くらいからになるのかな?大学までなんとなく流されれば22歳、それから社会人になってそれでもなんとなく流されれば、人生はどこまでも他人任せに流されてしまうのかもしれない。
それでも22歳になって、自分の人生を選択し始めよう。
何が正しく、何が間違っているかなんて選択じゃない。自分が何をしたいか、どうしたいか、っていう選択。
80-22をして、残り58年。22歳で結婚して、80まで生きて、パートナーも健在だったら、58年も一緒に過ごす事になる。それがいい!って相手なら、それはそれでいいなあ。でも現実、58年はとても長い!だから10年くらいは結婚しなくても、それでも48年一緒にいる事になる。
80年は長い。40で老けたなあ、なんて言っていたら、あと40年もある。もう老けたなあっていうのはせいぜい70過ぎにしとこう!60でもまだ20年も残っているから、老いたなあって思って何もしないのは早すぎる。40はまだ中間点。30はまだ序の口でしょ?
30でもう齢だなって思ったら、人生が長すぎる。あとは老いてゆくだけかあなんて考えたら、あと50年もその事ばっかし考えて生きなくちゃならないんだ。やれやれ。せめて70歳までは成長だ!体の成長はなくても、頭や心は成長させてゆきたい。体は健康を保ちたい。
22歳で就職して、60まで同じ会社に勤める。って事は、38年間も同じ場所にいなくてはならない。転勤やなんやらがある大きな会社ならまだいいけど、小さな会社ならなおさらだ。そのうち飽きてしまうよ。
人生は長い!30年も40年も同じ生活を繰り返す日々を思うと長すぎる。なんて退屈なんだ。
時代の流れを感じながら、変わり行く世の中を傍観する者のようにただ生きて行くのが望みならそれはそれでいいだろう。けど、そうでないなら、人生は実に長い。
ただ疲れてゆくだけの人生を送るようになったら、その先の未来はなんて暗いんだろう。時には新鮮な事を感じられる世界に飛び込まなくてもいいなんて考えていたら、ただ磨り減る歯車のようにダメになってゆくだけだ。
人それぞれ時間軸は違うかもしれない。でもただ磨り減ってゆくだけの生活なら、どこかでその生活を辞め、切り替えてみるのが人生だろう?
5年、10年、15年、ぴったしでなくてもいいけど、そういった期間で新鮮な事を求めないと、ただ何となくの人生に終ってしまう気がする。毎日毎日が成長じゃない。きっと耐えて変化、耐えて変化、それがあって人生は80に到達する。それならなんとか到達できるんじゃないか?
と長い前書きである。つまり、33歳で、僕は仕事を辞め、旅に出ることとなった。
実際にまだ仕事は辞めていない。辞める契約には至っているけど、まだ会社にはいかなくてはならない。けど辞める準備と旅に出る準備はすでに整っている。
本物語は3章からなる旅小説だ。小説というかなんだかはよくわからないけど、あまり定義にこだわるつもりはない。なんにしても、これは旅をしながらのなんかうだうだ語ってゆくっていう話である。
予定は下記のとおり。
第1章 ゴールデンウィーク期間 東京~静岡
第2章 有給休暇期間 静岡~和歌山
第3章 退職後期間 和歌山~沖縄
実行可能かはまだスタートしてみないとわからない。でも人生はできるかどうか、何事も試してみる。ダメかどうかはやってみて判断しよう!頭の悪い考え方だね。でも頭の良い考え方で成功する事だけやっていてもつまらないだろう?最初からうまくいく事をわかっているのなら、それはそれでつまらない。うまくいくかどうかわからず、うまくいったらおもしろい。失敗してもまあ、おもしろいかもしれない。最悪の場合もありえるがそれはそれでまあ仕方ない。
小説は書き始めたら何らかの形で終りにしなくてはならない。旅も始めたら何らかの形で終りにしたい。生まれてしまったら何らかの形でいつか死ななくてはならない。いつもそう。始まりがあって終りがある。それを繰り返す中で何かが生まれるからいろいろと楽しいわけじゃなかろうか。
ええと、この旅に関して、ただ東京から沖縄に行くのなら、お金があればできるわけで、今回、作者はチャリで行こうと考えている。ここがこの旅のポイントである。だからうまくいくかいかないかわかんないってところで、とにもかくにも第1章をスタートさせる。
表題は「こころもりょうちのジャパニーズフリージャーニー」
正しい言葉かもわからず、訳して「日本人の自由な旅行」ってわけで、いまいち何だかよくわかないが、日本をテーマにしたいという主旨は若干込めている。
まあ、こんな時代なのでそんな事をしてみてしまうわけである。
ええと、それからチャリで行くには若干嘘があるので、最初に申しておきますが、チャリを持ってゆく旅って部分も所々あります。目的は、こっち(小説もしくは日本を考える)であり、チャリでの達成感を目的にしないところを念頭におきたいなとは思う。だから無理せず、チャリ持ちも多々考えてます。
お会いする事はないかと思いますが、万が一、近場を通りかかり見かけた方がいたら、ご自由に扱ってください(なんのことやら?)。
そんなわけで、明日より、いや、すでの本日。より、「こころもりょうちのジャパニーズフリージャーニー」、略して「JFJ」をスタートさせます。
まずは寝ます。















