こころもりょうちのJFJ-はじめに
たとえば、一生が80年だとして、どんな人生設計を立てたらいいだろう?
幼少時代は家庭の環境によってなんとなく流されてしまう。
人それぞれ、若干の差はあるけど、人生の選択はせいぜい18歳くらいからになるのかな?大学までなんとなく流されれば22歳、それから社会人になってそれでもなんとなく流されれば、人生はどこまでも他人任せに流されてしまうのかもしれない。
それでも22歳になって、自分の人生を選択し始めよう。
何が正しく、何が間違っているかなんて選択じゃない。自分が何をしたいか、どうしたいか、っていう選択。
80-22をして、残り58年。22歳で結婚して、80まで生きて、パートナーも健在だったら、58年も一緒に過ごす事になる。それがいい!って相手なら、それはそれでいいなあ。でも現実、58年はとても長い!だから10年くらいは結婚しなくても、それでも48年一緒にいる事になる。
80年は長い。40で老けたなあ、なんて言っていたら、あと40年もある。もう老けたなあっていうのはせいぜい70過ぎにしとこう!60でもまだ20年も残っているから、老いたなあって思って何もしないのは早すぎる。40はまだ中間点。30はまだ序の口でしょ?
30でもう齢だなって思ったら、人生が長すぎる。あとは老いてゆくだけかあなんて考えたら、あと50年もその事ばっかし考えて生きなくちゃならないんだ。やれやれ。せめて70歳までは成長だ!体の成長はなくても、頭や心は成長させてゆきたい。体は健康を保ちたい。
22歳で就職して、60まで同じ会社に勤める。って事は、38年間も同じ場所にいなくてはならない。転勤やなんやらがある大きな会社ならまだいいけど、小さな会社ならなおさらだ。そのうち飽きてしまうよ。
人生は長い!30年も40年も同じ生活を繰り返す日々を思うと長すぎる。なんて退屈なんだ。
時代の流れを感じながら、変わり行く世の中を傍観する者のようにただ生きて行くのが望みならそれはそれでいいだろう。けど、そうでないなら、人生は実に長い。
ただ疲れてゆくだけの人生を送るようになったら、その先の未来はなんて暗いんだろう。時には新鮮な事を感じられる世界に飛び込まなくてもいいなんて考えていたら、ただ磨り減る歯車のようにダメになってゆくだけだ。
人それぞれ時間軸は違うかもしれない。でもただ磨り減ってゆくだけの生活なら、どこかでその生活を辞め、切り替えてみるのが人生だろう?
5年、10年、15年、ぴったしでなくてもいいけど、そういった期間で新鮮な事を求めないと、ただ何となくの人生に終ってしまう気がする。毎日毎日が成長じゃない。きっと耐えて変化、耐えて変化、それがあって人生は80に到達する。それならなんとか到達できるんじゃないか?
と長い前書きである。つまり、33歳で、僕は仕事を辞め、旅に出ることとなった。
実際にまだ仕事は辞めていない。辞める契約には至っているけど、まだ会社にはいかなくてはならない。けど辞める準備と旅に出る準備はすでに整っている。
本物語は3章からなる旅小説だ。小説というかなんだかはよくわからないけど、あまり定義にこだわるつもりはない。なんにしても、これは旅をしながらのなんかうだうだ語ってゆくっていう話である。
予定は下記のとおり。
第1章 ゴールデンウィーク期間 東京~静岡
第2章 有給休暇期間 静岡~和歌山
第3章 退職後期間 和歌山~沖縄
実行可能かはまだスタートしてみないとわからない。でも人生はできるかどうか、何事も試してみる。ダメかどうかはやってみて判断しよう!頭の悪い考え方だね。でも頭の良い考え方で成功する事だけやっていてもつまらないだろう?最初からうまくいく事をわかっているのなら、それはそれでつまらない。うまくいくかどうかわからず、うまくいったらおもしろい。失敗してもまあ、おもしろいかもしれない。最悪の場合もありえるがそれはそれでまあ仕方ない。
小説は書き始めたら何らかの形で終りにしなくてはならない。旅も始めたら何らかの形で終りにしたい。生まれてしまったら何らかの形でいつか死ななくてはならない。いつもそう。始まりがあって終りがある。それを繰り返す中で何かが生まれるからいろいろと楽しいわけじゃなかろうか。
ええと、この旅に関して、ただ東京から沖縄に行くのなら、お金があればできるわけで、今回、作者はチャリで行こうと考えている。ここがこの旅のポイントである。だからうまくいくかいかないかわかんないってところで、とにもかくにも第1章をスタートさせる。
表題は「こころもりょうちのジャパニーズフリージャーニー」
正しい言葉かもわからず、訳して「日本人の自由な旅行」ってわけで、いまいち何だかよくわかないが、日本をテーマにしたいという主旨は若干込めている。
まあ、こんな時代なのでそんな事をしてみてしまうわけである。
ええと、それからチャリで行くには若干嘘があるので、最初に申しておきますが、チャリを持ってゆく旅って部分も所々あります。目的は、こっち(小説もしくは日本を考える)であり、チャリでの達成感を目的にしないところを念頭におきたいなとは思う。だから無理せず、チャリ持ちも多々考えてます。
お会いする事はないかと思いますが、万が一、近場を通りかかり見かけた方がいたら、ご自由に扱ってください(なんのことやら?)。
そんなわけで、明日より、いや、すでの本日。より、「こころもりょうちのジャパニーズフリージャーニー」、略して「JFJ」をスタートさせます。
まずは寝ます。