ずっと西にある島 9.解笑
キウはオーカッと仲直りした。
彼女は領事館内にある中庭で、木漏れ日の下にあるベンチに座っていた。
ゆっくりと近づく、キウにオーカッは気づき、少し気まずい表情を見せた。
キウはオーカッの隣に座った。
そしてゆっくりと口を開いた。
「心を上手にこめて話せないけど、君が僕のためであるとしている事に、僕は感謝しているよ」
そんな風に、キウはフアーナ島の言葉で伝えた。
時々、僕は孤独を強く感じる。
僕の気持ちなんて、誰もわからないと言いたくなる。
そして我がままに今ある大切な毎日を壊してしまう。
僕は僕の気持ちを君へ上手に伝えられているだろうか。
オーカッもキウに謝った。
「わたしはあなたが特別な人間だからって思ってた。
だからあなたの態度に対して特別な人間なんだとなって感じてた。
言葉がうまく通じないだけで、あなたの心の声を聞こうとしなかった。
言葉が通じないだけで、心もまるでわからないって勝手に思ってた。
でもあなたも人で、わたしも人。
もう少し分かり合えるように、わたしがあなたに教えないといけないのにね」
彼女のその言葉をキウは自分でもびっくりするくらい理解できた。
その国の言葉はキウの中で十分育っていた。
ただ、過ぎてゆく時間の中にあるということ。
何気ない笑みがオーカッに浮かぶと、キウも微笑んだ。
そしてオーカッがパンを持ってやってきた翌日には、いつもの日々に戻った。
いつもより優しい朝だった。薄暗い部屋に差し込む朝日がオーカッの後ろで輝いていた。
何気ない事でなんとなく笑みがこぼれ、何気ない楽しみを感じて、二人は何気ない日を、何気に送れるようになった。
『君の笑みも悪くない』
キウはそう感じ、つまらない孤独感や不穏な感情を捨てた。
痛みや苦しみなんて忘れ、今ここにある毎日を好む事にした。
人の笑い声、人の喜び、時に悲しみや寂しさを感じるけれど、笑顔はまた笑顔を作り出す。
何気ない毎日は僕と君の笑顔、そんな単純なもので楽しい毎日に変わる。
ぼくらは互いを責める事を止めた。
分かり合い、もしくは理解しようとする気持ちを持つ事で、
幸せな毎日を送れるようになった気がする。
とても単純で、優しい毎日だ。
ずっと西にある島 8.憶替
出来るだけ、長い、浅い眠りを続けていたかった。
夢が僕を、また秋の森へと誘い込んでくれるんじゃないかと望んだんだ。
過去を振り返らないと、過去はどんどんあやふやになって行く。
日記も、思い出の品もなくなり、キウの過去はどんどん曖昧な記憶になってゆく。
あるのは、今日今この時だけ。ここにある自分の存在だけ。
オーカッは最近、キウを町へと連れ出す。
引きこもりのキウを気にしているのかと、キウ自身は思ったが、実際はただいろいろな物を実際に見せて、いろいろな物を覚えさせようとしているだけのようだ。新しい言葉、新しい記憶が増し、そっちに集中する。過去の言葉、過去の記憶があやふやになってゆく。
キウは頭がいっぱいいっぱい。いや、ただ、過去が消えてゆく寂しさを感じていただけかもしれない。どことなくやる気のない態度で、キウはオーカッの説明にただ頷いていた。
オーカッはそんなやる気のない態度を見せるキウに腹を立てている。人前では大声を出して怒鳴ったりはしないが、長く親しんだだけあって、キウにはオーカッの気持ちがすぐにわかってしまう。
どんな人と話をするのも面倒だ。
いろいろな新しい習慣も面倒だ。
キウは素っ気ない態度を続ける。
そんな日々がまた十数日続いた。
ある朝、彼女は姿を見せなかった。たまに休む日もあったが、そういう日は事前にキウに告げていた。
その日はキウに何も言ってはいなかった。
キウは気にせず、昼まで何もせずボーっと布団に寝転んでいた。
でも昼過ぎになって、ついに飽きた。目も覚めたし、お腹も空いていた。いつもならオーカッが朝食のパンを持ってきてくれるのだが、今日は朝食もない。
このまま昼食も夕食もないだろう。キウはペットのように何も出来ない自分を感じる。
でも、僕は人間だ。
だからキウは歩いて領事館へ行った。
国の統領サパジは図書室で本を読んでいた。キウは衛兵の断りを得て、図書室までやってきた。
そして尋ねた。
「オーカッが来なくなってしまいました。サパジさんは何かご存知ですか?」
サパジはしばらく黙っていた。キウが自分の発音が悪く、意味が聞き取れていなかったのかと心配するくらいの嫌な沈黙だった。
でもサパジは口を開いた。
「君にとって彼女は必要か?」
少し間を置いて、「はい」と、キウは答えた。
「彼女は自分が役不足だと言っていた。君もそう思うか?」
キウはそんな事を考えた事もなかった。オーカッの存在について、そこまで考えた事はなかった。
だからキウはハッとした。オーカッはキウが思うより遥かにキウの事を考え、言葉を教える事に一生懸命だった。キウはそんな事をふと記憶の中から感じ取った。
サパジは言葉を続けた。
「もし君が、オーカッを必要としているのなら、君の言葉で彼女に、君が必要だと言ってほしい。それは君にしか出来ないことだからね」
キウはオーカッを必要としていた。でも不安でいっぱいだった。
僕の足りない言葉で、僕は君に伝えきれるだろうか?
僕には君が必要だと。
ずっと西にある島 7.傍恋
いつも一緒にいると、何気に気になる。
最近、キウはオーカッが気になる。
オーカッの外見。
髪はパサパサしていて、天パで膨らんでいる。
鼻は妙に大きく、目は細い。
キウは彼女の事を美人とはとても言えないと感じている。
人の事は言えないが、オーカッと自分はつりあわないだろうと勝手に考える。
それでも毎日一緒にいるとキウはオーカッが気になる。
とても近い範囲で、薄暗い家の中、二人でいる。
オーカッはすぐに怒るから、それをなだめようと優しい顔になるキウがいる。
傍にいると、なんとなく、愛らしくなってしまう。
キウはそんなふうにオーカッを気にしてしまう部分から気持ちを逸らす。
あれやこれやと宿題は残してゆくし、間違えれば異常に怒る。
そんなに怒んなくてもいいじゃないかってくらい怒る。
だからとても疲れる。
君といるのはこりごりだ。
でも傍で話していて、君の視線を感じて、君の肌が少し見えて、少しだけ手が触れたりして、そんな小さな一つ一つが毎日続いて、ふと君を求めてしまいたくなる衝動に駆られる。
やれやれ。
一人ぼっちの生活は続いている。テレビもないから、ビデオもない。エロい画像も写真も見れないし、ムラムラな気持ちになって、悶々となって、オーカッが浮かぶ。
そんな脳裏から気を紛らわそうと、過去の思い出に浸る。カミの顔や香りが今ひとつ思い出せない。あれだけ愛したはずの女性の事をキウはかなりの部分で忘れている。
不思議と如月葉月の事を思い出す。
『彼女は僕の事を好きだったのだろうか?』
キウは意味なくそんな事を思い出す。
夜の暗い家の中ではオーカッの香りが残っている。
今日もまた、キウは上手に眠れない。
家に閉じこもりすぎかもしれない。
悶々となって、昔見たエッチな映像を思い浮かべる。
今夜もまた切ない夜が過ぎてゆく。
朝になっても、掘っ立て小屋の中で一人きりだ。
やがてオーカッがパンを持ってやってくる。
まともに話をする相手は他にいない。
望んではいない。
望んではいないけど、この一人きりの生活で、僕は頭がおかしくなりそうだ。
何を思えばいい?誰を思えばいい?
きっと君がいるだけ、僕は救われているのだろう。
その感触に僕は結局甘んじてしまう。
いつまでも続く日常はここにしかない。
キウとオーカッの日々が続く。
ずっと西にある島 6.薄繋
キウとオーカッが言葉を通じ合わすにはまだまだ時間が掛かる。
キウはまだまだ言葉を覚えていない。
だからオーカッはすぐにイライラし出す。
いくつかの自己紹介は理解できた。
オーカッは年齢17歳で、学校の先生になるために修行中の身であるという事。普通なら学校で研修を行うのだが、キウのようなわけのわからない人が突如現れたため、特例としてオーカッはキウの先生となった。
町の人はキウの知る限り、穏やかな人が多かったのだが、オーカッは違った。
オーカッはすぐにヒステリックになる。ちょっとキウがわからずボーっとしている時、わかったふりをした時、オーカッはすぐに怒り出す。
『そんなに怒んなくたっていいだろう?』ってくらいキウに怒ってくる。手を出すわけではないが、わけのわからない言葉でわーわー言い出すのだ。
というわけで、キウとオーカッの関係は最近毎日険悪なムードにある。
君がイライラすれば、僕もイライラする。
イライラするから、なるべく話したくない。
なるべく君とは話さない。
僕は異国の人だから、この町には馴染まないのだから。
そんなふうに自分に言い聞かせる。
でもさらにキウは自分の過去を振り返る。
僕に本当に馴染む場所などあったのだろうか?
雨に沈む町での生活も、実家でも、学校でも、僕はいつだって誰とも馴染まなかった。
僅かな友達はいた。でもその全ての関係は薄っぺらな表だけの繋がりでしかなかった。
いつもどこでもだれとでも、僕は誰かと薄っぺらな関係を築いて生活している。
唯一無二の存在は、秋の森の果実(カミ)にあった。でも彼女はきっと幻なのだ。
こんな性格の僕が生み出した偶像の世界に過ぎない。
夢の中で結びついた。夢でも結び合えた事で満足だ。
果てしなく広がってゆく世界の中で、僕が再び秋の森という夢の世界に紛れ込む事はないだろう。
僕は孤独だ。
夢も希望もないままに生きている。
実に暗い。
根暗だ。
知っている。
そもそも僕は部屋で閉じこもってゲームばかりをやっていた少年だった。
人生を誰かと繋げようなんて、考えた事はない。
そういう結論に達する。
キウは今が自然のままの自分だと理解する。
どれだけ世界が変わろうと、原因は自分にある。そして一度出来た性格は簡単には変わらない。
どんな世界で生きようと自分は自分でしかない事を実感する。
ところでキウは自分がいくつになったのだろうかと気にしだす。
どうでもいい事かもしれないが、キウは自分の誕生日を見失った。
西暦もマンスもウィークもない世界で、キウはいろいろと忘れてしまう。
きっと22歳になったのだろうと、およその自分を想像する。
毎日毎日オーカッとの生活は続く。
ずっと西にある島 5.忘懐
何もない部屋の中に小さな日差しが入り込む。
塵や埃が宙を舞っていた。
キウはそんな塵や埃をただ眺めていた。
僕の望みが風となり、塵のような僕の存在をこのフワーナ島まで運んできたのかもしれない。
この国の季節で、モクヮーナからワァンフーの日々が流れた。4~5ヶ月くらいの時期だ。
キウは少しずつ日本を忘れてゆく。過去の記憶は明らかに薄らいだ。
過去の記憶はあまりいいものではないはずだ。でも過去の記憶は懐かしく、そこに触れられない思いはキウの心を切ない思いで包み込む。
母親の温もりも、友人との関係も、大してなかったはずなのに、何故かとても懐かしく、愛しいものだったように感じられる。
キウはほんの少しだけ過去に帰りたいと感じた。
一方で現実の今が過去を忘れさせようとする。
現実は、過去が彩られているだけなんだと言っている。今を見失ってはいけない。また虚しい過去を作り出すだけだから、今を生きろと言っている。
そしてキウから過去の記憶が遠のいてゆく。
イットコさんの家を出たキウはサパジという名の町を統治する統領に出会った。
石で出来た家の中に彼は住んでいた。宮殿とか言えるような大層なものではないが、ベニヤ板で出来た他の家と比べれば、群を抜いて立派な建物の中に彼は住んでいた。
サパジは若い統領であり、聡明そうな顔立ちをしていた。
目は穏やかで、どこかの国の大統領や首相のように、厳格でピリピリしてる感じはしなかった。どちらかというと王様や天皇のような感じである。
サパジはキウに何らかを告げた。その内容が何なのか、キウにはわからなかったが、キウは自分の名を聞かれた事だけは理解し、自分の名を名乗った。
サパジはそれに頷いた。
その場はそれだけであり、そのサパジの前を後にすると、クリショバと名乗るおじさんが近づいてきた。
クリショバはキウを連れ、宮殿の前の道を太陽の輝く方へと歩いていった。
やがていくつかの家が立ち並ぶ場所へと着き、そこの端にある家にやってきた。
クリショバはどうやら、ここが君の家だ、と言っているようだった。
キウがその事を理解して頷くと、クリショバは簡単な挨拶をして、立ち去ってしまった。
ベニヤで出来た馬小屋のような小さな家だ。とはいっても藁があるわけではないし、馬もいない。
イットコさんの家のような生活感はないが、この国の家々の作りからすると、とりわけ酷い家でもない。一部屋しかない小さな家だが、一人で暮らしてゆくには十分である。木のベッドも置いてあり、しっかりと羊毛の布団も付いていた。
それでする事もなくベッドに寝転がっていると、誰かが家の扉をガンガン叩いた。ノックのようだった。
キウが家のドアを開けると、そこには一人の若い女が立っていた。
彼女は何も言わず部屋の中へと入ってきた。そして中央にあったテーブルの上に持ってきたかごを置いた。そこにはパンが入っていた。
召し上がれ、というような彼女の言葉を聞いて、キウはそれを食べた。
その子はすぐに帰る気配もなかった。
そして自分はオーカッという名前だと言った。
痩せて細い感じの顔で、天然パーマが目立つ女の子だ。
キウはまさかこの子と一緒に住むのかもと考えた。
とても美人とは言えない。僕にはつり合わない。それに僕は今でもカミの事を思っている。
だから君の事は愛せないだろう。
キウは勝手にそんな事を考える。
が、そんな心配は要らなかった。やがてキウは気づく。その女性はただキウを教育するためにやってきた人物だという事にだ。
そして、キウとオーカッ先生の毎日が始まった。
何日かが過ぎた。自然とキウには居場所が出来ていた。
この島がフワーナという名前である事も、今がワァンフーという季節である事もキウはオーカッから習った。
新しい日々に不自然ながらもキウは脳を現実とすり合わせようとしている。