ずっと西にある島 14.唯神
領事館は、教会も一緒になっている。
その日は、サパジもいなく、エルトも忙しそうだったので、教会の長いすに座っていた。
教会では、カトレアさんという30歳くらいの優しそうな女性の方が仕事をしている。
彼女は毎日、神に祈りを捧げている。
どこの国にも神という存在がいるようだが、この国の人は日本人よりは遥かに、信仰に熱心だ。
カトレアは祈りを捧げるのが終ると、優しくキウに微笑み、挨拶をしてきた。
「こんにちは」
「こんにちは」
と、キウは挨拶を返した。
「今日はいい天気ですね」
「そうですね。とてもポカポカしていて暖かい」
「季節はそろそろモーマラに変わったのでしょう」
「なるほど、そうかもしれませんね」
しばらく沈黙、だからキウは続けて尋ねる。
「カトレアさんはいつもどんな神様に祈りを捧げているのですか?」
「そうですか。キウさんはまだフワーナの神様の事を知らないのですね」
キウはそれに頷く。
「では教えてあげましょう」
カトレアはそう言って、キウの隣に座り、話を始めた。
フワーナ島の神の話だった。
彼らが信じる限り、この世界にはもともと何もなかった。
そしてたくさんの何もない場所に頭脳だけを持った多くの神がいた。
神々の代表であるサラはこの何もない空間に何かを作ろうと、他の神々に提案した。
そして神々は個々に何になろうかを考えた。
多くの神々は星となった。遠くで輝く星々はとても美しく世界を照らした。
代表者の親友であるムエスキュエは月となり、代表者であるサラは太陽となった。
サラはあまりに光の力が強いため、一日の半日だけを光で照らし、後は見えない場所に隠れることとなった。ムエスキュエは変り者で、自分の姿を毎日変えるという事をした。
でもそれ以上に変り者はスカラだった。
スカラは海を作った。そしてそこに自分の分身として魚を作った。
魚は海でどんどん増殖していった。
だからスカラは鮫という魚を作り、魚の量をコントロールする事に成功した。
「どうですか。サラさん。わたしの作った世界はおもしろいでしょう」
と、スカラは自慢した。
サラはにこりと微笑んで頷いたが、スカラの兄弟分であるカカラは否定した。
「それではあまりに魚が可愛そうだ」と。
「それならカカラ、君はどんなものを作るんだ?何も作っていないのはもう君だけだぞ」
と、スカラはカカラに言った。
カカラは一番年下の神だったから何も言い返せなかった。
サラはカカラをかばった。
「カカラ。あなたは賢くて、優しい。だからその想いのままに何かを作ればいい。
ゆっくり考えなさい。まだ時間はあるのですから」
カカラはサラの優しさに感謝し、礼を言った。
そしてカカラはフワーナ島を作った。
スカラの海の上に島を作り、地底を自らが支えた。
草木をサラの力を借りて育て、スカラの水の力を借りて、雨を降らせた。
そして自分の分身である人間を置いた。
人間が上手に生きられるように、様々な物を生み出し、世界を創っていった。
スカラは言った。
「難しい事をしすぎたんじゃないのか。それでは毎日いろいろ気を配らなければならない」
カカラは言った。
「それは構わない。私はこの地上に自分の分身である人間が楽しく過ごせるように考えたい」
スカラは呆れたが、サラはカカラの世界に賛同した。
「きっとカカラはあなたの分身と仲良くやってゆく事ができるでしょう」と。
それがこの島の神、カカラの話の始まりだ。
フワーナ島の人々はみなカカラを信じている。
地下にはカカラがいると信じている。
人々は自分たちを生み出してくれたカカラに感謝し、カカラの教えを守っている。
カカラの教えはいろいろあるが、基本的には助け合いであったり、節制であったり、どこかにある宗教と大きくは変わらない。
そういった思いがフワーナ島の人々を穏やかな気持ちに保っているのかもしれない。
神を見失った日本では、毎日自欲に溢れた人間が何かを求めて生きていたかのようだ。
キウはふとそんな事を思う。
全ての人が信じる宗教なら信じた方がいいだろう。
ここには宗教戦争も、支配者によるマインドコントロールもないのだから、疑いなく信仰できるだろう。
カトレアは話し終え、優しい笑みをキウに浮かべた。
キウはとても穏やかで、優しい気持ちになれた。だからキウもまたカカラ神に祈りを捧げた。
『こういった優しい気持ちになれるのは、あなたのおかげです。
これからも僕の心を優しい気持ちにさせてください』
少しずつ、キウはこの島に馴染んでゆく。
キウはそんな自分の変化を快く受け入れていた。
ずっと西にある島 13.然流
一人きりになると、また寂しい気持ちになる。
もう長い間、一人で暮らしてきたはずなのに、
もう一人暮らしなんて慣れたはずなのに、
一人きりの家に入り込む弱い朝の光に、同じ寂しさを感じる。
オーカッの来ない朝が続く。
彼女は学校へ職員として行くようになったと、キウは聞いている。
オーカッと別れてから、キウは一度も彼女と会っていない。
また新しい季節になって、会わなくなって、
キウは一人の朝を迎えている。
朝ごはんはパン屋にある食堂で食べる。
キウには領事館パスというカードが与えられた。
これを持っていると、いくつかの場所で何でも買う事ができる。
食事や日用品はそのパスカードで買う事ができる。
もともとこの国にはお金というルールがない。
だからカードや物々交換で成り立っている。
シンプルでわかりやすい。
無駄遣いも、贅沢もできないが、生きてゆく苦労はない。
実はそれでいいのかもしれない。
ドサラは雨の多い季節である。
キウは竹のような枝を骨に、藁を編んで作った傘を差し、毎日領事館へ行く事になった。
サパジのいる日はサパジと話をし、出かけている日は別の職員と話をした。
職業を決める仕事をしているエルトというおじさんとはよく話をした。
「まあ、気楽にやっていきゃあいいんだよ。
何になりたいかなんて考えたって、そのとおり行くことなんてそうはないさ。
流れに身を任せればいいのさ。
俺だって、別にこんな仕事がしたくてしていたわけじゃない。
ただ物覚えがよかっただけだ。それで前の統領にこの仕事に就かされたんだ。
たまたまだ。
自分が好きで、得意な物は、必ず誰でもできるものじゃない。
だから自然と誰もが気がつけば自分が好きで、得意な事をやっている。
深く考えず、思いつきで選べばいいんだよ」
キウがエルトに未来の相談をすると、エルトはそんな風にアドバイスをくれた。
この国は何かとナチュラルだ。
余計な力が入っていない。
忙しそうな人もいるし、大変そうな人もいる。
だけど他人がやっている事を認め、自分がやっている事に自信を持っている。
パン屋のおばさんも、金物屋のおじさんも、そうやって毎日を送っている。
だからみんな笑顔だ。
寂しい気持ちは変わらないが、それでも笑顔を浮かべてみせた。
何気ない人との会話が日常のあちこちに溢れている。
だから笑顔になれるんだ、とキウは思った。
『僕はほんの少しだけ、生きる事に自信が持てそうだ』
キウはキウなりにこの島に認められ、生きていける気がした。
ずっと西にある島 12.異認
「君は今、フアーナ(島)のグァンダーという地域に住んでいる。
君がオーカッからどれくらいの事を学んだのか、私は知らない。
でも、私なりに君に伝えておく事がある。
フアーナには、
他にスィーホーの地、ムオマーの地、フースムの地という地域がある。
このグアンダーを入れて、4つの地域がある。
私が治めているのはその内のグアンダーの地のみだ。
だから君もこのグアンダーの人間としてむやみにこの地域からはでないで欲しい。
いいね」
サパジはキウにそう伝え、キウはそれに頷いた。
新しい日々を迎えている。
太陽の明かりを感じると共に、キウは目覚め、腹のすかしたままに、領事館までやってきた。
キアという掃除係の女の子がいて、その子が中に入れてくれた。
家の中にあるキッチンで椅子に座って待っていると、キアはパンを持ってきてくれた。
物静かな女の子である。
やがてサパジがやってきて、キウは彼の部屋に通された。
そして、サパジは話を始めた。
話は続く。
「私としては、君がどんな場所から来たかを知りたい。
でもその前に、君にも私に聞いておきたい事があるだろうから、聞いて欲しい」
キウは頷いた。
そして口を開いた。
「オーカッは僕の事について特に何も聞いてはこなかった。
だから僕は自分がどんな地で生まれ、どんな風に育ったかを話はしなかった。
僕も同じように、オーカッに余計な質問はしなかった。
この町の言葉、ルール、地方、季節、そういったものは聞いている。
だけどそれ以上、ここがどんな世界なのかについて、僕は聞かなかった。
感覚的にはわかっている。
この世界は僕の常識と遥かに異なった世界であるって事が。
僕はこの世界が夢の中のように感じられる。
僕の感じる限り、この世界は僕の住んでいた世界よりとても文明が遅れている。
それはこの場所が他の地、
つまり僕が住んでいた常識的な世界との関係を遮断している事にある。
もっと言ってしまうと、この島は僕の学んだ知識の中には存在しない。
知らないだけかと考えてもみたけれど、感じる限り、
この島は僕の住んでいた世界の常識では存在しないはずなんだ。
いったいここはどこだろう?
僕にはそれがまるで理解できない」
キウは自分で気のおかしい人間のような事を言っていると感じていた。
でも、聞きたい事があるとしたらまずはここがどこなのかという事だった。
サパジは頷いた。
「君の言っている事はおかしなことのようで、おかしなことではない。
しっかり的を獲た質問だ。
なぜなら私の知る限り、海の向こうには何もないはずだからだ。
人はこのフアーナにしか住んでいない。
それが私が学んできた常識だ。
私にとって君は私の常識を超えた場所からやってきた。
だから君にとって君の常識を超えた場所に来たと感じるのは当然の事だ」
キウは驚きも感じていたが、またかと感じる部分もあった。
「僕はこの数年間、今までの常識では考えられない世界をいくつか渡り歩いてきた。
ここは僕にとってまた一つ新しい、そういった世界です。
だから大きくは驚きません」
「キウ君、いいかい?
まずは認め合おう。
ここは君の常識では理解できない場所である事を、私はしっかり理解する。
そして君は、
私にとって理解できない場所からやってきた人間である事を分かって欲しい。
まずは互いがその事を認め合う。
そして互いを知ろうとすれば、
君の言っている事を私は理解できるし、
私の言っている事を君も理解できるだろう」
キウはサパジの理解の良さを感じ、素直に自分の事を話せる気持ちになった。
遠い過去から、今日まで、23年程度の歴史でしかないけど、キウはその全てをサパジに伝える事とした。
サパジは優しい笑みを浮かべていた。
キウはその笑みに安心を感じる事ができた。
新しい生活を上手に送る事が出来そうだと安心する。
ずっと西にある島 11.残想
静かな朝だった。
いつものように淡い光が木板の隙間から入り込む。
目覚まし時計もない生活で、キウはその光で目を覚ます。
フアーナ島の気候は一年中安定しているが、ワァンフーという季節にあって、比較的寒い。
キウは布団から出ると、温かい格好に着替え、また新しい一日を迎えようとする。
静かに過ぎてゆく時間を待つ。
やがてオーカッがやってくるだろう。
誰かに朝の挨拶を出来る。誰かが迎えに来てくれる。
キウがその事をとても嬉しい事だと感じるようになったのはつい最近だ。
何事も自分でしなくてはならない毎日が来るとなると、とても疲れるだろう。
キウは未来に不安を感じている。
たくさんの変化が起きる。その事がキウを不安にさせる。
何も変わらない事なんてないはずなのに、また知らない場所にいる自分の姿や、今ある毎日に出会う誰かがどこか知らない場所に行ってしまう事に不安を感じる。
変わってゆく事は誰かが死んで、無くなってゆくように、嫌な気持ちを与える。
まだオーカッとキウはその事を話していない。
今日はその事を知る事になるだろう。
キウとオーカッの毎日は終りを告げようとしている。
家の外を人が通り出すと、オーカッもまたいつものようにキウの家にやってきた。
玄関戸を開くと、いつものようにオーカッはパンの入ったバスケットを持って、家の前に立っていた。
「おはよう」
「おはよう」
フアーナ語でそんな挨拶をし、彼女はにっこり微笑んだ。
いつもの朝食を取る。冷たいオレンジジュースを飲みながら。
何気ない幻のように、僕は君といる。
オーカッとの生活は一年になる。ワァンフーに始まり、ドサラ、モーマラ、ワース、ムフォ、モクヮーナ、シパーガと流れて、またワァンフーになった。フアーナ島での7つの季節が過ぎた事もオーカッに教えてもらった事だ。
その事を何気ない会話の中で、オーカッはまた季節の事を説明した。
朝食も終わり、何気ない会話の間が空いた。
「君はこれからどうする?毎日が過ぎたね」
キウはオーカッにそう尋ねた。
ずっと心の奥底で、その事を尋ねなければならないと考えていたんだ。
オーカッもまたその事を言わなければいけない事に気づいていた。
もうすぐこの毎日が終る。
キウよりも先にその事は知っていた。
でも言えなかった。ずっと胸の内にしまっていた。
キウに尋ねられてしまったから、オーカッは答えなくてはならなかった。
「わたしは大丈夫よ。この先も決まっているから」
と、オーカッは答えた。
会話はそれ以上続かなかった。
傍にいても、まるで理解し合えない関係もある。
キウとキウの親のように。
遠くにあっても、想い合う想いもある。
キウはカミにその想いを抱いている。
(それは一方的な想いかもしれないが)
キウはオーカッといる事に慣れていた。
だから嫌な部分も含め、全てを認められていた。
傍にいて、わかり合える関係のようの気がしていた。
「僕はこれからも君と繋がっていたい。同じ朝を迎えられればそれだけでも嬉しい」
キウは思い切ってそう言ってみた。
キウの言葉をオーカッは感じていた。
でもオーカッは冷たい表情をした。
そしてこう言った。
「でもそれはきっと出来ないと思う」
オーカッはキウにそう伝えた。
そして何気ない一日は過ぎた。
「それじゃあ、元気でね」
そんな何気ない挨拶で、オーカッはキウの家を去っていった。
何気ない単純な別れだった。
ずっと西にある島 10.知欲
でも、いつまでも同じ日々は続かない。
キウは国の統領であるサパジに呼び寄せられた。
衛兵のクリショバと共に、キウは石造りの宮殿の中に入る。
そしていつもの中心にある部屋に通される。
サパジは円卓の向こう側に座っている。統領と言っても、比較的質素な生活をしている。王様やどこかの国お偉いさんのように大きな椅子に座っていたりはしない。
キウは手前の椅子に促されるように座った。
「私の言葉がわかるかい?」
サパジはまずキウにそう尋ね、円卓に肘をつき、キウの顔をまじまじと見つめた。
そしてキウが答える前に続けて話し始めた。
「きっとわかるよね。君はオーカッとも仲良くいっていた。一時期はうまく行かない時もあったけれど、その後は長い間とてもうまくいっていた。それが理解し合うというためには一番大切な事なんだ。分かり合いたい、知ろうとしたい、そういった気持ちがなければ何も覚えられないからね。言葉だけじゃない。いろいろな事を知り、身に付けるという事は分かり合いたい気持ちから始めるんだ。
君は僕の言う言葉の一つ一つを理解できているかい?言葉と言うより意味として理解して欲しい。それができれば君はもう十分だ」
キウはぼうっとサパジの顔を眺めていたが、フワーナ島の言葉の一つ一つがキウには理解できた。自分でも不思議なくらい意味がわかっていた。キウはそんな自分自身に驚いていた。
「サパジさん。僕はあなたの言っている一言一言が理解できるよ。だけど、僕はこの先どうしていいかわからない。何が十分なのか、わからない」
そういうキウにサパジは頷いた。
「この先、どうするか、確かにそれは問題だ。私自身もこの先君をどうするかなんて決められないんだ。選ぶ権利は君にあるからね。でもどうだろう?もし君がよければわたしはしばらく君といろいろな話がしたい。だからこの領事館に毎日のように通って欲しい。私は君がどこから来たどんな人間なのか知りたい」
キウはパッと目を輝かせた。
「僕もそうしたい。僕も聞きたかった。ここがどういう世界なのかについて。
僕はすでに気づいている。この世界が僕の常識を遥かに超越した場所にあるって事を」
サパジはにこりと微笑んだ。
「超越ねえ。難しい言葉を使う。それなら君はもう大丈夫だ。私たちは十分に理解し合えるだろう」
キウは知りたかった。
フアーナ島の事だけでなく、秋の森も、雨に沈む町の事も、自分が彷徨ってきた世界の全てに何らかの答えを出したかった。
そうすれば現実の戻れる気がした。それがどんな現実なのかはわからないが、秋の森に迷い込んで以来、キウは悪くも良くも夢を見ている世界の中にいるような気がしている。
とにかくそんな夢から目覚めたい。キウはその事を望んでいる。
たまに現実のような夢を見る。
まだ高校生で、父親がいて、母親がいる。
学校へ通う。
何気なく家の玄関の扉を開く。
そうだよな、これが俺の毎日だよなって思う。
でもそれが夢で、目が覚めると薄暗い木板に囲まれた家の中にいる。フアーナ島の我が家だ。
キウの新しくも変わらないフアーナ島での生活が始まる。