Minichamps ミニチャンプス 1/18 ミニカー ダイキャストモデル 2021年トルコGP 3位 レッドブル・レーシング 2021 Turkish GP RED BULL - F1 RB16B HONDA RA620H Honda Tribute Special livery 特別カラー仕様 No.11 Sergio Perez
楽天市場
29,880円
マーチ2-4-0/フォード
1976年シーズン終了後の発表されたマーチの6輪F1。
タイレルP34と違い特殊タイヤを使わず従来のフロントタイヤをリアに4輪配置て駆動輪にした。
当時、モーター誌に掲載されていたのはホワイトボディだった。現存する車両はマーチ・ワークスのスポンサーであるBetaカラーのオレンジに塗装されている。
ミニカーを集め始めた最初期に購入したミニチャンプス1/43。
6輪マシンをはじめとする❝変わりF1❞は集めようと思っていたので「今、買っておかねばタイレルP34のように入手できなくなる」と静岡のミニカーショップで購入した。1/43ミニカーはまだ5台も持っていない頃だった。
ミニカーのケースが通常版より大きいために場所をとってしまうのが難。
タイレルP34/フォード ’77型
2シーズン目になった6輪F1マシン。
メカメカしく野暮ったい初年度マシンに比べ、フルカウルされ洗練されたスタイルになった。加えてコクピット周囲が白になり、ホワイト&ブルーのカラーリングが爽やかで美しい。ドルフィンは'77年型の方が好きだ。
しかし、シーズン後半になると前輪グリップ力を増加させるためにタイヤを外に出したがためにノーズからはみ出る事に。空気抵抗の減少がウリだった小型フロントタイヤの利点が消えてしまった。
タイレルだけのための小型タイヤ開発も遅れ、優勝には手が届かなかった。
レーヴコレクションから観戦した日本GP仕様が発売されたので入手。’76年型が#4だったのでエースであり翌年にロータス79で活躍した#3ロニー・ピーターソン選手のマシンを選んだ。
’77年F1日本GP#4パトリック・デパイユ選手
2019サウンド・オブ・エンジンでピエルルイジ・マルティニ選手が所有するP34で走行
再び走るP34を観られて嬉しかった。しかもかなり攻めた走りだった。
数周しか走らなかったため動画撮影してコマ抜きした。
京商1/43ミニカーと
タイレルP34/フォード
あまりに有名で多くのグッズも販売されているが、紛れもなく❝変わりF1❞の類に入る。
前輪を小さくして空気抵抗を抑え、尚且つ車輪を増やすことでグリップ力を増すのが目的。
デビューイヤーの1976年スウェーデンGPで1-2フィニッシュを飾っている。#3ジョディ・シェクター選手と#4パトリック・デパイユ選手で2位、3位表彰台には多く登っていた。
ミニカーを集め始めた頃、大阪・日本橋のリサイクル店で海外の分冊百科だったらしいRBM製1/43ミニカーを入手した。
当時はミニチャンプスは絶版状態だったので、この発見には興奮した。
近年、F1マシンコレクションやスパークからも発売されたが、初めて入手した時の興奮が詰まっているので1/43ミニカーはRBM製だけに留めている。
日本初登場の「’76年F1inJapan」と「富士スポーツカーフェスティバル’83」で高橋国光選手のドライブで走る姿を観ている。
御殿場レーシングパレスで展示。スポーツカーフェスティバルと同じマシンらしい車両
田宮模型本社での常設展示
2019年サウンド・オブ・エンジンにやってきた田宮模型のP34
京商1/64ミニカーと一緒に
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
1月1日ということで❝雅❞なミニカーを。
フェラーリ458チャレンジ 小林可夢偉選手車
フェラーリ・レーシング・デイズ2013で開催された「Ferrari Challenge Trofeo Pirelli」で、当時フェラーリ・ドライバーだった小林可夢偉選手がゲスト参戦したマシン。日本をイメージした綺麗なカラーリングでこの1戦のみで使用された。
可夢偉選手に初めてお会いできたのもこのフェラーリ・レーシング・デイズだった。
ミニカー化してくれたのは高品質ミニカーで知られるアイドロンのみだった。
実車さながらの細かいディティールとカラーリング。台座の「金」は実車で使用された金シートと同じものを使用している。
ドルフィンが所有しているミニカーの中でも高額な1台。「高額」「思い出」「サイン入り」ということもあり光による色褪せを防ぐため、このミニカーだけラックに展示せず化粧箱にそのまま入れている。1年に1~2回しか拝んでいない。
スーパーフォーミュラ初テスト時に小林可夢偉選手にサインを入れて頂いた
ヘリテージ車両動態確認走行会
ホンダワークス・クーペ9
ホンダ1300をワークスチューンで全日本富士1000kmレースに参戦。菅原義正/高武富久美 組で総合7位、TS-1クラス優勝した。
特注トミカになっている。
ホンダ1300クーペ
このマスクを見ると『超人バロム1』のマッハロッドを思い出してしまう。
ホンダS800
マツダ・ファミリア・ロータリークーペ
トヨタ・スポーツ800
11月6日に行われたヘリテージ車両動態確認走行会の続き―
「ClassicGT」枠は鈴鹿サウンド・オブ・エンジンでも観なかった(―と思う)マシンも走行してくれた。サウンド・オブ・エンジンって参加費高いのかな?
ゲストドライバーがいないだけマシン走行に集中できるので、これはこれでので楽しめた。
アルファロメオ75V62.5Gr.A
「アルファ155っぽいけど違う」と気になっていたら「155」の前機「75」だった。
1987年のインターTECに参戦したイタリアのチームのマシン。レース後にそのまま購入したらしい。
アルファロメオ・ジュリアGTA
オーバーフェンダーと横出しエキパイがレーシングっぽくてカッコイイ。
アルファロメオ・ジュリア・スプリントGT
夕方の走行枠はライトオンされて綺麗だった。
アルファロメオ150スパイダー
アルファロメオ1750GTV
アルファロメオ1750Gr.2
レーシングマシンのグループ分けが「A~C」別け以前の「1~7」規定の「Gr.2」用の車両。
このマシンもオーバーフェンダーや下げられた車高がレーシングでカッコイイ。
パドックにもアルファロメオ・ジュリア・スプリントGTA
ヘリテージ車両動態確認走行会 「Classic Sports」枠
F1で名を馳せるコンストラクター、ロータスやブラバムが造ったプロトタイプスポーツカー。大排気量マシン相手に勝利した名車たち。
堅実で戦闘力のある市販レーシングカーを造りはじめたローラがシェアを広げ、2社ともにスポーツカーから撤退したらしい。
ロータス19
鋼管スペースフレームのシャシーにミッドシップエンジンのスポーツカー。
’62年デイトナ24時間も制したことがある名車。
ロータス23B
薄い! めっちゃ薄いボディ。
’63年開催の第1回日本グランプリで1~3位を独占した日本でも活躍したレーシングカー。
サイドカウルが開いて乗車する
パドックにもロータス・エリーゼ
ブラバムBT8
ロータスほど革新的ではないが手堅い造りが武器だったブラバム。
プリンス自動車がR380の参考に購入したほど。
ウイングカー創成期の1979年に登場した❝変わりF1❞コパスカー・フィッティパルディF6/フォード。
たった1戦しか使われなかった大失敗作として知られるマシンだが、アンダーウイングの効果が得られる場所をより駆動輪近くに持って行こうとした意欲作。そのシャープなスタイルはドルフィンから見ると漫画の主人公マシン級にカッコイイのだ。
『赤いペガサス』のSV11も実際に作られたらきっとこんな感じだったのだろうな…。
ミニカーコレクションを始めた当時から「欲しいマシンの一台」だった。
注文していたスパーク1/43ミニカーがようやく届いた。自分自身へのクリスマスプレゼントだ。
このマシンを買う人なんて少ないから製造量も少ないんだろうな。
当時の写真として残っていない後部も作り込まれていて「こうなっていたんだ」と改めて分かった。滑らかに跳ね上がるアンダーウイング後部。これでは排出口が狭いのではないかと思う。
ウイングカーの必需品・サイドスカート。サイドポンツーンと路面を塞ぐパーツだ。パーツの骨格間に❝反り❞があって実車で布っぽい素材で作られていたことが分かる。芸が細かい。
F6の写真が無いのでサウンド・オブ・エンジンに来たフィッティパルディF5
乗車するエマーソン・フィッティパルディ選手のフィギャも細かい。ヘルメットのブルー部分の網目やスーツ腕のシンプソンのロゴもハッキリ分かる再現度だ。向かって右側にヘルメットから伸びる緊急時酸素ボンベのチューブも付けられている。
シンプソンヘルメットはまだバンデットタイプではなかった。
エマーソン選手のフィギャ
サイドポンツーンのマシン底部にエアを導く部分には仰角が付けられている。
ポンツーン上部はラジエーターのエア開口部にくらべ排出部以降が極端に低い構造になっていた。そのためリアサスペンションのアームがボディ上部のカウル間にあるってのが凄いな。
雑誌の写真だけでは分からなかったマシンの細部に至るまでの独創性が見つかる。ミニカーを作る時に設計の資料はどうしているのだろう?
この時代、ブラバムBT46Bファンカーや、アロウズA2、カウーゼンWK等❝変わりF1❞が多数登場した。ドライバーもチームが用意したマシンを乗りこなしてライバルにアドバンテージを得ようとしていた。エンサインN179も❝変わりF1❞だがカッコ悪いので食指が動かなかった。
同時期の❝変わりF1❞カウーゼンWKとF6
’70年代後半から’80年代初頭のF1ウイングカー時代には多くの❝変わりF1❞が登場した。
ロータス78&79の大活躍によりベンチュリー効果でダウンフォースが得られると分かり、各チームが様々なボディ形状をトライしていた。
1979年南アフリカGPに投入されたコパスカー・フィッティパルディF6/フォードもその1台。
ロータス78をデザインしたラルフ・ベラミー氏が設計。ロータス79形状のウイングカーよりもマシン後部にダウンフォースの作用点を置きたかったため、サイドポンツーンを後部に移動させている。後のフラットボトムF1並みの短さだ。
大失敗作として知られるF6。しかし、そのスタイルはカッコイイ!
シャープなノーズに後部に寄せられたサイドポンツーン。まるで戦闘機のようなフォルムではないか!
加えてメインスポンサーのコパスカー(ブラジルの製糖会社)のカラーリングが美しい。
当時、テープライターの色を合わせてコパスカーカラーのネームシールを作って貼っていたほどだ。現在も自作マスクに「コパスカー・フィッティパルディ」のロゴを使っている。
F6の写真が無いのでサウンド・オブ・エンジンに来たF5Aのサイドポンツーン
ドライバーは2度のF1ワールドチャンピオン経験者のエマーソン・フィッティパルディ選手。兄で元F1ドライバーのウィルソン・フィッテパルディ氏が立ち上げたブラジルF1チーム「フィッティパルディ」に加入していた。
『赤いペガサス』ブラジルGP編で知ったエマーソン選手。過去の活躍を知るほどに好きになっていた。
CARTシリーズでもチャンピオンを獲得。あと1年早くもてぎでCARTシリーズが開催されていたら、エマーソン選手の走りを観る事ができたのだが…。
2019年に孫のピエトロ・フィッティパルディ選手がスーパーフォーミュラで走る時は「お爺ちゃん来ていないか?」と必死に探したものだった(笑)。
サイドポンツーン上面はごっそりラジエーターのエア排出ルート
全く走らないマシンだったので南アフリカGPの1戦だけで終わってしまった。同じ1戦だけで終わったものの優勝したブラバムBT46Bとは出来が違ってしまった。
しかし、当時モーター誌で見た写真には強烈なインパクトがあった。❝変わりF1❞好きなドルフィンの心を鷲掴みにしたのだった。
ミニカーを集め始めた当初から入手したいマシンの1台だった。
以前はレジン・キットのモデルがあったらしいが、納得できるように組み上げられるほどの腕は持っていない。
マイナーマシンをモデル化してくれるCPモデルで1/43スケールが発売になったが高額過ぎて躊躇している間に売り切れてしまった(お金持ち多いなぁ)。
スパークから発売のリリースがあった時は「今度こそ」と予約したものの発売まで1年以上かかったために予約解除されてしまった…。
もう出ないのか? と思っていたらSNSだったかで入手している方の写真を見て「いつの間に出た!?」と慌てて探し始めた。ようやく受け付けてくれる店を発見して「商品入荷次第」ということで注文したのだった。
ようやく「商品入荷・発送」の連絡が来た次第だ。
コパスカーF6が今年、最後の入手ミニカーになった。このマシンで「ミニカーコレクションを始めた当初に入手したいマシン」は全て揃った事になる―と思う。マイナー待てば出してもらえるものだな。
あ! まだ高橋徹選手のマーチ832が残っていたか!
今回はマシンの沿革を書いたので、次回はミニカーについて書きます。