2年越しの思いにようやく一歩踏み出せました。


ホントにこの2年間、一歩がなかなか踏み出せなくて、気持ちは募るばかり。


やりたい、やりたいって口ではいいつつ行動に移さなかったこと。


それは、リンパケアをできるようになりたいってことでした。


いつか家族を介護する日が来るからと、資格を取った介護福祉士。


お父さんとおばあちゃんを家で看取ることが出来たけど、


介護って、誰だってされたくないって最後まで思うもの。


妥協を乗り越えなきゃいけない。


だから、ホントに家族を介護するってなった時、


いろんな葛藤があった。


だけどお父さんが最期まで私にして欲しいって望んだのが、


マッサージだった。


癌の痛いところをさすったり。


腹水でパンパンのおなかをさすったり。


腫れた足をさすったり。


もっと知識があれば、もっと技術があれば…。


そしたらもっと、力になることが出来たのにって、お父さんが亡くなって2年間思い続けてた。


そして、今年。

お父さんの妹にあたる私のおばちゃんがすい臓癌だってことが分かった。


そして残された時間は少ない。


ちゃんとした知識と技術を身につけて、大切な人たちの体のケアが出来るように。


まだ、一歩踏み出したばかり。


これからだよ~。


今日は、リンパの仕組みやいろんな知識を学んで、その後実際にケアを受けました。

顔半分だけまずやったんだけど、

ちょっとケアしただけで、ぜんぜん違った。

鼻が少し高くなって、フェイスラインがすっきり。

ぼてっとしたお肉?が実は老廃物だったなんて。

全身もやってもらったんだけど、

これはヤバイ。いいって実感しました。


だから、いっぱい練習して、テスト受かって、

私の大切な人たちをケアできるようになりたいって思った。


リンパって、老廃物とか毒素とかを運ぶ働きがあるから、

これをケアすることって重要なことで、

以外にも流れが滞りやすくって、

私も、かなりリンパの流れがわるうございました。


これから、このリンパケアは、病気の予防のためにもかなり重要な役割を担う分野じゃないかと私は思ってます。

この間、抗がん剤が効いているかの検査がありました。

ドキドキしながら待つこと1時間。

名前を呼ばれて行くと1枚の紙を渡されました。


そこには癌が縮小していますって書いてありました。


姉ちゃんの目からは涙が溢れ、みんなで安堵しました。


苦しい治療も頑張れる。


姉ちゃんは抗がん剤の治療を続けることを選びました。


暗闇にさした一筋の光。


希望の光。


この光を手繰りながら、再び抗がん剤の治療がはじまりました。

姉ちゃんの抗がん剤の治療が2クール目に入りました。


前回よりも、副作用が顕著に現れてきてしんどそう。



お医者さんの言葉って、患者や家族にとっては一本の光のようなもの。



わらをもつかむ思いで、自分の命をお医者さんに委ねるしかない。



自分でお医者さんを選ぶっていったって、そんなに情報量あるわけじゃないし、



セカンドオピニオンったって、



体力もいるし、そんなに簡単なことじゃない。



お医者さんの一言に、一喜一憂する日々です。




日に日に変化していってる姉ちゃんの体。



抗がん剤の副作用で、白血球と血小板の数値が下がってる。



打ってもいないのに足にあざができてたり、



今の数値だと抗がん剤は打てないってさ。



今日は、ブラックジャックによろしくって漫画を読み返してた。



告知についていろいろ考える。



余命が後わずかだとしたら、それを自分の体で感じているのに、わざわざ知る必要があるんだろうか。



現実を受け止められないままに、時間が流れ、ようやく現実を受け入れられるようになったときには体が動かなくなってたりって事も考えられる。



もし、そうなってしまったら、告知したことを後悔するだろう。



明日をどう生きる?



日々続いていくと思っている明日。



その明日に、期限があるって現実。



自分に置き換えて考えられるわけがない。



自分がそうなるなんて思ってないんだから。



死って、生きるって、いったいどういうことなんだろう。



そもそも答えを見つけようとすること自体が間違ってるのかな。



もっと別のところに目を向ける必要があるのかな。



気分が悪いって苦しんでても、



癌の痛みに苦しんでても、



目の前にいるのに、痛みをとってあげることできないし、



できることって、何もないかのように感じる。



そして、自分のことを無力だなって思い、落胆する。



もって行き場のない気持ちを抱えてる家族の気持ち。



それでも毎日ちゃんと両足で踏ん張って立ってる兄ちゃんの気持ち。



何もできない無力さを感じるけど、だけどだからってできることまでやめちゃいけないよね。



今日の私は、なんだかすごく気持ちが落ち込んでる。



胃と腸がキューって痛くって、その痛みが余計に気分を落ち込ませる。



けど、癌を患ってる姉ちゃんは、この何倍も何倍も痛い思いして、その度に気分が落ち込んで、



いつまで生きられるかって考えてて、苦しんでる。



それを考えたら、こんなことで私は弱気になってる場合じゃないって思う。



けど・・・。



いろんな事を考えて、今日はいいようのない不安に駆られる自分がいます。



無理に元気出そうとせず、こんな日は寝るしかないよね。



しっかりしなきゃとか、がんばらなくっちゃとか、今日はちょっとそういうのお休みにさせてあげよう。




お母さんと一緒に、余命1ヶ月の花嫁を見ました。


そしてその後、このブログを読み返していました。



薄れていく記憶。



あの時、現実に起こっていた出来事。



二人で、あーだった。こーだった。って話しながら。



最近よく思う。



我が家は本当に愛にあふれた家だって。



自分のことよりも、他人のことを優先させるのは、母親譲りなのかもしれない。



そこには、自分がその人の為になにができるかって事しかなくって、




ただ目の前にいるその人を介して、自分が教えてもらうことばかりで、



心のつながり。



一番大事な部分を大切にしようとする姿があって、



なんだか、試されてるきがするんだ。



そして、それが自分の使命のような気がする。



目に見えない部分での心の繋がりを、



一人じゃないよ。って伝えたくって。



孤独や、恐怖を少しでも半分こできたらって。



分け合うことができたらって。



そういうのを分け合うことができるのは、人間にしかできないことであって、


私はそれが愛だと思う。



楽しいことは2倍になるし、つらいことは半分にできる。



それを共有しあいながら、時間を重ねて。



そして、みんな旅立っていく。



人生ってその繰り返し。



それを繰り返しながら、いっぱいの思い出を胸に、最期は見送った人たちが迎えに来てくれて、


笑顔で旅立っていけたらって思う。



今回の私の人生、それをどこまでできるかなのかもって思う。



日々、いろんな人が目の前の現実に押しつぶされそうになりながら生きていて、



笑っていられる人生なんてほんとにわずかなときだけで、



大切な人を見送らなくちゃいけない辛さや寂しさが、これから年を重ねるごとに増えていく。



これまでそんなことあまり考えたことなかったけど、



生きていれば必ず死が訪れて、



ここで出会った人たちとは、きっと不思議な縁でつながっていて・・・。



成功とか失敗とか、お金とか地位や名誉なんて、



どうでもいいことで、



家族とか他人とか、そんなこともどうでもいいことで、



なんだかとりとめもなくだらだらと書いてしまったけど、



そんなことを思っています。



この体が、健康でいられて、今日も昨日と変わらない笑顔がそこにあって、


音があふれてて、光があふれてて、


会話があって、



けど、なかなか気づくの難しくって。



あふれてる幸せに感謝できる日々が、一番大切!!




姉ちゃんが入院して今日で3日目。


昨日は姉ちゃんのお見舞いに行った後、


旦那さんのご飯つくりに行ってきました。



はぁ~みんなの悲しみを受け入れられるもっと大きな器がほしい。



昨日は、正直旦那さんと一緒にいて、いたたまれなくなったよ。


何でこんな・・・って思うくらい非情なまでの現実を、私たちみんな一人一人が一生懸命受け入れようとしている。



姉ちゃんが侵されてる病はすい臓癌。



すい臓癌は沈黙の臓器とも言われ、発見されたときには予後が極めて悪い。


まだ、実際のところの話は旦那さんにもされていない。



だけど、いろんな事考えるんだよね。



姉ちゃんは、旦那さんを残して逝くことが本当につらいって泣いてた。



逃げようがない今の現実。


襲ってくるいろいろな不安や恐怖、癌の痛み。



神様は残酷すぎるよ。



みんなの不安や恐怖や悲しみを、今は一緒に共有することしかできないけれど、



すっごく苦しいけど、


今は、そうすることしかできないんだ。



姉ちゃんに言われちゃった。


3ヶ月以内に美由紀、結婚してよ~。って。



私の花嫁姿が見たいって。


姉ちゃん、ごめんね。


姉ちゃんのいろんな望みかなえてあげたいけど、


それだけはできそうにないや。



情けないね。








翌日、仕事が終わってからいろいろ考えた。


姉ちゃんの家は夫婦2人暮らし。


姉ちゃんに会いに行こうと思っていたけど、


どんな顔をして会いに行けばいいのかわかんない。


私が泣いてしまって、逆に迷惑かけるかもしれない。



こんなとき、元気付けられるような言葉なんて浮かばない。



そんなこと思いながら、姉ちゃんのだんなさんに電話してみた。


旦那さんは、「お前、はよこい。」って。


日頃から不器用で言葉の少ない旦那さんだけに、



私は電話を切った後涙が止まらなかった。



急いで支度して姉ちゃんちにいくと、


旦那さんだけが家にいた。



姉ちゃんは月曜日から入院のために仕事を休まなきゃいけないからって、


残ってる仕事片付けてるらしい。



結局帰ってきたのは22時くらい。


姉ちゃんが帰ってくるまでの間、夜ご飯を作って、旦那さんといろいろ話をした。



姉ちゃんが、夏まで持たないって自分で思ってること。


葬式は家から出してほしいって願っていること。



そのほかにもたくさん。



そうこうしてると姉ちゃんが帰宅。



私がこれまで見たことない、不安や恐怖でいっぱいの表情をした姉ちゃんがいた。


目が合うなり唇をかみ締め、涙をこらえた姉ちゃん。



私は後ろから肩を2回叩いた。


一緒にガンバロってキモチをこめて。



結局、その日はご飯を3人で食べて私は家に帰ったのだけど、


ご飯を作ってたことにすごく喜んでくれて、



行ってよかったって思った。



子供がいない姉ちゃん夫婦だけに、


私は、姉ちゃんたちの子供のような存在でずっといたいと思った。




今日、友達の家で、余命1ヶ月の花嫁をみてた。


見てる最中に電話がなり、出るといとこのお兄ちゃんからだった。




内容は、父の妹(私のおばさんにあたる人)が、すい臓癌だって。



いつも、姉ちゃんってよんでるから、以下、姉ちゃんと書きます。



この間のGWのときに、姉ちゃんのみぞおちあたりに、しこりを発見した。



触った瞬間に尋常じゃないことが分かった。



触った瞬間に癌だと思った。



根拠なんてなかったけどそう思った。



それから病院へ行って、検査したらすい臓癌だって。




癌が憎い。



おばあちゃんを奪い、お父さんを奪い、今度は姉ちゃんまで・・・。



私の大事な家族をこれ以上奪わないで。




まさか、こんな展開が待ち受けてたなんて。




私は、姉ちゃんに何がしてあげられるかな。




子供がいなくて、ただでさえさびしい思いをいっぱいしてきたのにさ、



なんで・・・。



もういやだよ。




須佐神社
出雲神話に出てくる須佐之男命(スサノヲノミコト)の祀られている須佐神社へ行ってきました。

神社の境内の裏にある、
樹齢1200年の杉の木。

歴史を感じさせる存在感。

そこには命があり、とてつもない生命力を感じました。

自然の流れを受け入れて生きる姿がありました。