お父さんが亡くなって1年がたちました。


あっという間の1年。


この1年で我が家は結構変りました。


まず、妹の出産。


血を分けた家族が増えました。



私も仕事に対してのキモチがだいぶ落ち着いてきて、日々勉強の毎日です。


いろんな新しい出会いもありました。



私、少しは変れたかな。


お父さんのせいにして逃げてたことも沢山あったし。


言い訳にしてた部分もいっぱいあった。



けど、お父さんがいなくなって、それが出来なくなってやっと気づいたよ。


これからは、私がしっかりしていかないと。



これまでは投げやりだった自分の人生。


少しずつ、自分の将来について考えて生きたいと思います。



お父さんがいなくなって、お父さんの存在がホント大きかったことにも気づきました。


嫌だったこと、辛かったことなんて、時間がたてば忘れられる。


いい思いでは、ずーっと心の中で生き続ける。


ホントそう思います。


縁あって家族になった私達。


縁あって出会った友達。


コレまで学んできたことや経験してきたことをこれからどう生かしていけるか、それが自分のテーマかな。



久しぶりに映画を見に行きました。

肝細胞ガンで余命宣告をうけたプロウィンドサーファーの飯島夏樹さんの映画。

『life 天国で君に逢えたら』

この人の闘病生活と父の状態が時期的に同じくらいだったから、毎日ブログをチェックしてた。

余命宣告から半年も長く生きた彼と家族の話。

闘病というよりかは、ガンとの共生という方が正しいのかも。
私のお父さんもだけど、余命を知って生きるのは、考え方によっては、幸せなことだったんじゃないかなと少し思う。

本人も、家族も、その時がくるまでにいろいろと心の準備ができるから。

後悔しないようにって生きてても、やっぱり時間が経つと後悔はある。

けど、やらなかった後悔は少なくてすむ。

だから私はこうして父の死を受け入れられているんだと思う。

きっと飯島夏樹さんの家族もそんな感じだったんだろな。

毎日が最期の日で、

朝、目が覚めると、

また今日がやってきたことに喜べて…。


だから映画もあんなに爽やかにできたんだろな。


そして、主演の大沢たかおが飯島夏樹さんにあまりにそっくりで鳥肌がたちました。

海辺を歩いてるシーンとか、生き写しかと思っちゃうくらいに。

この人の本がまた読みたくなっちゃった。

読書の秋一発目は飯島夏樹さんの本にしよ~っと。
061105_1752~01.jpg
お父さんが亡くなって初めて夢に出てきました。

場所は最後に家族みんなでいった地元の盆踊り。

あの日のように父の友達とビール飲みながらワイワイしています。

身体は昔の元気な時の体型で、酔った勢いで矢倉にあがり太鼓を叩く父。

私が小さな時にみた光景でした。

父は酔っぱらいながらみんなに『ありがとうの』 って言ってた。


生前言えなかったありがとうをいっぱい言ってた。


いつになったら夢で会えるんだろうと思ってたから嬉しかった。

けど、私と会話してるシーンはなかったな。


私もありがとうがたくさんいえるようにならなきゃ。


感謝を忘れるなって父からのメッセージかな。


そろそろ父の追悼BBQするかな。


私が大好きな父の友人呼んで。
070404_1630~01.jpg
お父さんを失った時、

失恋に似た感覚がありました。

片思いの失恋じゃなくて、お互いに思い合ってるのに別れがやってきたような。


異性の親は、家族以外の誰かを好きになる前の段階にする初恋の相手だと聞いたことがあります。

私にとって父は、やはり理想の男性像なのかもしれません。

ギャンブラーな一面は外してそれ以外の父は。
Iさんの葬儀に参列してきました。

家族に愛されてたIさん。

今以上に家族との連絡を密に行い、離れて暮らす距離を埋められたらと思いました。

コノ仕事について初めてお年寄りが亡くなった時、死をなかなか受け入れられず、それでもいつもと変わらず仕事しなくちゃいけない事に随分苦労しました。

あれから6年。

たくさんのお年寄りを見送って来たけれど、死というものを受け入れられるようになったように思います。

寂しいけど、人生を全うされた旅立ちにこうして立ち合えて幸せです。

介護させてもらえて幸せでした。
070127_233427_ed.jpg
久しぶりの更新です。


先日携帯電話を変えました。

以前の携帯電話が壊れたとかではなく、だけどいつか近いうちに変えなきゃって思ってて。


その理由っていうのがさ、携帯電話の留守録にお父さんの声かま入っててね。 自力じゃ消せなくて、けど、このままにしておけなくて。

お父さんが亡くなって結局一度も聞く勇気がなく聞けずじまいになっちゃったんだけどね。


お父さんが亡くなってまだ半年もたっていないんだけど、もう結構前のような気がしてる。


だけどいまだにひょっこり帰ってきそうな気もする。


でも世界中探しても見つからないんだよね。
061116_144332.JPG
今日、妹と赤ちゃんが退院して我が家に帰ってきました。

新しい命が我が家にやってきましたよ☆

赤ちゃんといると本当に不思議なくらいに癒される。

まぁ、私の子供じゃないから責任もないからかわいいって感情だけだし☆


昨日はリリー・フランキーの『東京タワー』がテレビであった。

テレビ見ながら、お父さんを看病してる時を思い出したり、忘れてそうになっていた様々な記憶を思い出した。


お父さんも亡くなる前、わけのわからないことを言っていた。


お父さんが亡くなって、あっという間に新しい命がここにいて・・・。


だけど不思議なんだぁ。お父さんのこと悲しみの感情で思い出すことはほとんどない。


さびしいなぁって思うこともほとんどない。

お父さんと、いつかまた必ず出会えるって思うし。


この間は、お父さんを看病してくれた看護婦さんが我が家に来た。


看護婦さんの声を聞くなりお母さんの目からは涙が・・・。

私も看護婦さんの声を聞くと、あの時(お父さんを看病していた頃)にタイムスリップした感覚に陥る。


東京タワーを見てて、改めて家で最期を見とれたことの幸せを感じた。

あの時の私たち家族は、本当に協力し、支えあいながら介護してた。

当たり前だと思っていたけれど、今の世の中同じ家族でも協力し合えない人たちはたくさんいる。

それも最近色々な人の話を聞いて感じる。


いろんな事があったけど、私はこの家に生まれて、お母さんとお父さんの子供で本当に幸せだぁって思った。


親 辛苦  
子  楽
孫 貧乏

この言葉はお母さんに教えてもらった言葉。

この言葉のようにならないように、私も今のうちにいっぱい苦しいことやつらいことを経験して、人の気持ちを考えられる人間になりたいと思う。

なんだかかたくなっちゃった(笑)
061113_152126.JPG
今日は夜勤明け。


仕事から帰るとお腹が痛いって妹が言っていました。


とりあえず旦那さんと病院に行き、入院が決定。


あとからお母さんと一緒に病院へ行くことにしました。


きっと今日の夜くらいだろうとのんびり構えて病院へ昼過ぎくらいに行きました。


行くと妹の姿も旦那さんの姿もなく、ノートに陣痛の感覚がメモしてありました。


よくみると1分おき。

そして、廊下からは赤ちゃんの産声が・・・。


お母さんと 『ちがうよねぇ~、タバコでもすいにいっとるんかねぇ』って話ていると、分娩室からなんだか聞き覚えのある声。

しかも、なんだかうめき声のような・・・。


よくわけの分からないまま、かすかに見える分娩室をのぞいていると、


赤ちゃんが!!!!!!!!


通りがかりの看護婦さんに聞いてみると産まれましたよとのこと・・・。


想像以上の超安産☆よかったぁ☆


なんだか、さっきチラッと見えた赤ちゃんが妹の赤ちゃんだって分かった瞬間ジーンと胸にこみ上がってくる感情がありました。


新しい命の誕生。


これまで10ヶ月、ずーっとお腹の中にいたのかと思うと、本当に神秘☆


そしてさらに神秘的なことは・・・・。


4年前の今日、おばあちゃんが家で亡くなった・・・。


さっき、おばあちゃんとお父さんを看護してくれた看護婦さんと話をしたんだけど、きっとおばあちゃんが恩返しの為に産まれてきたんじゃないかなって・・・☆


この偶然が必然なのかどうなのかは神様には分からないけれど、


家に帰って、すぐさま御仏壇に報告しました。


新しい命の誕生のエネルギーはすっごい☆


周りの誰もをHAPPYにしてしまう。


2006年11月13日(月)15時17分誕生(^з^)-☆
061105_1752~01.JPG
先日、納骨が終わりました。

家に帰って祭壇を片付けて、以前と変らない部屋になりました。

変ったのはお父さんがいなくなったって言うこと。


じわじわと実感がわいてきました。

なんだか急にチカラが抜けてしまって・・・。


まぁ、あせらずゆっくりと仕事やらなんやらしていこっと。

写真は、お父さんが一番輝いていた時の一枚。

ソフトボールの選手でキャッチャーをやってた頃の。


お父さんがキャッチャーミットをかぶってた頃の話を聞くと、

あ うん の呼吸で、ゲームが進んでたんだって。


この写真、お母さんが一番好きな写真でもある。

私はまだ小さかったから、この頃のお父さんを知らない。


みてみたかったなぁ・・・☆
061103_2135~01.JPG
先日、お母さんがお父さんが亡くなって初めて夢をみたんだって。

だだっ広いお部屋。

だけど、色々なものがあって片付けられていないお部屋の中で、

お父さんは『何も食わせてくれん!!』ってそこら辺にある毛布に身をくるんでふてねしてたらしい。

よくよく考えると、その日は本当の49日の日だった。


偶然なのかそうでないのかは分からないけど・・・。


お母さんと先日話をしてたんだけど、


生前、やっぱりお父さんは寂しかったんだろうな。


お盆が過ぎたくらいから、部屋のベッドではなく、常に誰かのいるリビングのソファーベッドで寝るようになり、結局最期までリビングにいた。


それもやっぱり寂しかったからなんだろうな。


私は、生前お父さんにお父さんのこと大好きだよって伝えることが出来なかった。


大嫌いだったけどやっぱり大好きで、だけど私はそれを表現できる術を知らなかった。



たった一言、『お父さんありがとう』って伝えられてたら・・・。


それを表現する唯一の術が足のマッサージだった。


けれどやっぱり口で言葉に出して初めて伝わるもののほうが多い。


家にいても結局、お父さんはいつも居場所がなかったんだろうな。


いつも口数の少ないお父さんだったから、私はお酒を飲んでいる時のお父さんが大好きだった。


よく喋るからだ。


饒舌になると、いつも思ってることを話したりしてくれた。


けれど、面と向かってじゃなくって、一緒にお酒を飲んでる人に間接的に。


だけどそれが嬉しかった。


いろんな事があったけれど、やっぱり世界に1人しかいないお父さんで、もう会うことも喋ることも出来なくなってしまった。


後悔はいくらでもする。


くいのないようにって思ってもいくらでも沸いてくるかのように後悔の気持ちがある。



けれど、これは今後に生かしていく以外になくって、同じ後悔は二度としないことって自分に言聞かせるほかない。


お父さんが亡くなって、そして家からお父さんのなきがらが亡くなって、『ただいまー』って帰ってこないし、やっぱり死んだんだなぁと最近変に考える時がある。


お父さんにとって家族の中で一番心配なのはきっと私だろな。


だけど、いっぽ一歩、毎日を積み重ねていくよ。

言えなかった『ありがとう』を、今度は誰かにちゃんと言えるようにね。