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Shall we think?!

一個人、海賀大湧の自由な発想の記

NHKの大ヒット番組、「プロジェクトX」。



「様々な物事の成功には、それを成し遂げた人々の熱い思い・行動がある。」


「そのような人々は、名前が公に残らなくても、人生の使命として物事に取り組んでいた。」


「そういう人々が日本の発展を支えてくれている/いたのだ。」


と私たちに教えてくれていました。




その主題歌「地上の星」を中島みゆきさんが心を込めて歌っていました。



・・・・


地上にある星を


誰も覚えていない


人は空ばかり見てる


つばめよ、高い空から


教えてよ、地上の星を


つばめよ、地上の星は


今どこに、あるのだろう


・・・・



熱い思いで物事を成し遂げるも、多くの人々に知られることのない「無名の戦士(=サムライ)」が日本にはいる。


その貢献は組織に吸収され、多くの人々はその「無名の戦士」のことを知らず、名は歴史にも刻まれない。


多くの人々は、地上の星である「無名の戦士」が社会に貢献することに関心を持つよりも、空にある「権威・権力」ばかりを見て/尊重して、そこに擦り寄ろうとする。


私たちの社会の発展を「ほんとうに」支えてくれる地上の星は、今、どこにいるのだろうか。どこかに埋もれてしまっていないだろうか。


その存在をきちんと見つけることを、「つばめ」に託す。



・・・・



日本の将来を見据え/日本の社会を明るくするために、


その社会に「確かな一つの貢献」をして、


例え名も無き一生であっても、


いつもプライドを持ち、


その人生に納得し、自分で賛辞を贈る



・・・・



そういう人々を、数多く、世の中に広げたい/送り出したい。


そういう人々が、実際に社会を支えているのだから。




男性も女性も、「百花繚乱」


プライドを持った、社会に貢献する/社会を明るくする地上の星が、地上を埋め尽くす。




ほんとうに、そう願っている。




江戸時代、将軍徳川家康~家光の3代に仕えた天海大僧正が、江戸の街を「風水都市」として設計したと言われています。



江戸の河川・水路を環状に施し、街全体の「気」の向上をもたらしました。


江戸の真北の日光の地に「東照宮」を、江戸の鬼門に「東叡山寛永寺」「増上寺」を建立し、徳川将軍家が幕府を開いた江戸の永遠の繁栄への願いを込めました。



怪僧、天海大僧正の功績は計り知れません。


私たちが今、世界に誇る国際都市東京を築き、その豊かな「気」を湛える地で生活できているのも、天海大僧正の設計理念に負うところが大きいのではないでしょうか。



上野公園の一角に、天海大僧正の毛髪塔があります。私は、時々、「気」を受けに参ります。私の場合、背中を押してくれるような「気」を頂くことができていると思っています。ありがたいことです。



【天海大僧正の毛髪塔】


Shall we think?!











(2009/07/10 | 天海僧正の髪塚 in 上野 | TOKYO | sanoa  から引用)




しかし、この2年ほど、毛髪塔の敷地内に、パイプ椅子等々が20台ほど置いたままになっていて、とても気になっていました。神聖な場所を物置にしていることは不謹慎なことと思い、上野公園の管理事務所に撤去を3回申し出ていますが、まだ撤去の実行はされていないようです。(どうも、お寺の管轄であるとの様子)




一方で、1週間ほど前の早朝7時30分頃に参拝に行きましたら、落ち葉などのお掃除をされている老人に出会いました。「中で参拝していいんだよ」と声をかけられ、こちらからもご挨拶をすると、気さくに話しかけてくれて、15分間ほど話し込みました。


「もう20年間、天海さんのために、自主的に、毎朝5時くらいから掃除をしている」


「自分はもう85歳だけど、おかげさまでこんなに元気である」


「掃除をしながら、いろいろな人が側を通って行くが、今の時代、挨拶をしていく人間は本当に減ってしまった。いったい、どういう時代・教育なのかねえ」




具体的にお願いしても動かない役所



何も言わなくても自主的に奉仕するご老人=それも85歳まで20年間も!



ご老人の思い・行動に心から感謝しつつ、その対比で役人のこころの無さを一層痛感した、その日の朝でした。




大丈夫か、日本。




日本人は、おこら(怒ら)なくなった。




社会の中でよく聞くのは、「何でおこるの?おこる人がいけない・・・・」等という言葉。


その言葉を発している人や集団は、おこられる原因を作っていても、その言葉を発する限り免責となり、人間性は問われない。


必然的に、冷めた顔や素振りで、相手のいやがることを仕掛けてくる人や集団の「一人勝ち」となる。




崇高な、こころある者たちが、誰もおこることができない社会。



今、そうなっている。




神様(仏様)は、私たちを優しく受け入れてくれる。その一方で、「悪いことをしたら、バチを当てる」存在でもある。だから、私たちは、神(仏)を敬虔な存在として向い合う。畏怖の念が無い神(仏)の前では、私たちのこころが引き締まり、成長することは難しい。



「荒魂と和魂」



この両方が揃って、はじめて神(仏)の存在が際立ってくると思う。





○神道では、次のように考えられている。

(ウィキペディアより抜粋)


荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))とは、神道 における概念で、霊魂 が持つ2つの側面のことである。


荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟り は荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。


荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮 の正宮と荒祭宮 といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。



「この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。」




○仏教では、御仏の役割で住み分けている。


如来さま:悟りを開いた、絶対的な存在

菩薩さま:悟り前で、衆生に教えを説く存在

明王さま:悟り前で、菩薩の下で、時に怒りを持って衆生を悪から救う存在


菩薩さまは時には、明王さまも、おこるようだ。





もちろん、神(仏)とは違う人間の世界でも、家庭・社会・学校では、「よりよい社会を作る」意識の高い、こころある人々が、こころなき人々を「おこり、そして受け入れる」ことが大切なのではないかな、と思う。



おこらない、クールすぎる社会に、どのような将来が待っているのだろうか。




そろそろ少しずつ、人間世界でも、おこり始めてもいいのでは?



もちろん、おこり終わったら、相手を受け入れるための着地点を見据えて。


国家100年の計、という言葉があります。 今の政治家に、どのくらい望めるでしょうか。



明治神宮の森を100年(~150年)の計で設計した人たちがいます。



今、多くの皆さんが「清正井」をパワースポットとして訪れる明治神宮は、本多静六氏たちが、その設計当初から、自然に生息繁栄を続けることができる「永遠の森」となることを意図し、100年後の常緑の広葉樹・照葉樹(椎や樫など)の森の姿を想定して造られたものです。


杉並木にする意見(大隈重信氏ら)も多かったようですが、関東ローム層の都会には不向きなことを説得して、建設にいたったそうです。



ゆったりとした葉が生い茂り、優しい木々の気を漂わせ、明治神宮の森は私たちを出迎えてくれます。



落ち葉が大地の養分となり、この森は永遠の森として、自然に存続してゆきます。


偉大なる先人たちの知恵が、私たちを潤してくれます。


日本人として、本当に、ありがたいことだと思います。




毎年10月に翌年の願いを書いた「祈願書」を書いて、本殿にお参りに行きます。10月を逃してしまったら、11月に参ります:笑。今年は、そのパターンです。



成りたい自分を思い描いて、筆を取り、一生懸命に祈願をしてこようと思います。



明治神宮の森の神様、ほんとうにありがとうございます。






吉永小百合さんが、最近のJRのCMで、戸隠神社(奥社)を散策していました。素敵なCMでした。




李家幽竹さんによると、奥社は強いパワースポットで、特に参道の途中の「随神門」を抜けたすぐの場所に、強い気があるそうです。


私は、今まで3回訪問していますが、2004年に最初に訪れた時から、素晴らしい気に驚きました。木々の根元に立ち止まり、目をつむり、深呼吸して、豊かな気を受けます。ほんとうに、ありがたいです。





「随神門」(2004年秋)


Shall we think?!



「随神門」を抜けてすぐの杉並木。(2004年秋)


Shall we think?!



人の姿も写っていますが、すごく小さくて見えないくらいですね。


それほどまでに大きな杉並木です。






榛名神社と戸隠神社(奥社)は、東日本のパワースポットの双璧です。



榛名神社が「剛の気」なら、戸隠神社(奥社)は「柔の気」と言えるでしょう。



ゆったり、柔らかい気を感じ、体に充満して、心が穏やかになります。





両神社とも素晴らしく、また是非、出かけてみたいものです。




バックボーン=背骨が、人間の体の根幹になります。



私がお世話になっている禅密気功では、下記のように背骨の大切さを説いています。


「禅密気功」は、人間の根幹である「背骨(頚椎・胸椎・腰椎・仙骨)」の動きを通して意念の鍛錬を図ります。背骨は、背骨は、人間の重要な内臓、器官と脳、延髄をつなぐ神経幹線を保護しており、その異常は、各器官の異常につながる大事なものです。禅密気功を続けると、 背骨が強化され、異常に対する矯正作用が働き、内臓、器官が健康になります。(「禅密気功」HPより抜粋)




気功で、背骨のコリや緊張を解き、あらゆる臓器・神経の動きをリラックスさせて、健康を回復する効果があります。内部から気を回復する「内気功」と、外から気を入れて頂く「外気功」があります。



私は、外気功による治療を受けることが多いのですが、それでも「背骨」に豊かな気を溜める感覚がよくわかり、疲れたときにそれを思い出して、「意念」を通して、回復に努めています。



とても、ありがたいです。




背骨は、その文字から、「背後にある」イメージを持つ方も多いと思いますが、「体の中心」を通って、「体を支える基」になっているというほうが正しい感覚かもしれません。


時折、目をつむって、自分の背骨がどこにあるのか、その存在を意識するだけでも効果はありそうです。


是非、試してみてくださると、嬉しいです。



今回は、「~になって、~の役に立ちたい」という夢・願いの大切さについて触れたいと思います。

夢を語るとき、「~になりたい」という表現をする方が多いと思います。例えば、「スポーツ選手になりたい」・「芸能人になりたい」・「医者になりたい」・「公務員になりたい」・「社長になりたい」・「大企業に勤めたい」等々、ある存在になりたいという願望(=「存在目標」)を表現するケースを多く聞きます。

その、いわゆる「存在目標」を一歩深めて考えると、その先に「有名になりたいから」・「目立ちたいから」・「かっこいいから」等の外観上の理由や、「儲かるから」・「一生安定しているから」等の経済上の理由につながっている場合も多いように思われます。メディアやネットの発達によって「多くの人々に見てもらいたい」という意識が高まり、また経済社会の発展で「お金を多く稼ぐ人生が正しい人生である」という感覚が蔓延しています。

この「存在目標」だけに意識を支配されると、次のような「負の思考」が生じやすくなります。つまり、①(不正も含めて、)どんな手をを使ってでも、その存在になる/儲ける、②その存在になったら/儲けを実現したら、(不正も含めて、)どんなことをしてもその存在にしがみつく、という発想です。存在(地位)だけを重視・追求することにより、それだけが「人生の最終的なゴール」になってしまうのです。

しかし、様々な職務にはそれぞれに本来の意義(=「活動貢献目標」)があります。公務員であれば「多くの国民の幸せのために、万難を排して職務を全うする」、医者であれば「多くの患者を救済するために職務を全うする」、社長であれば「多くの生活者を豊かにするサービスを提供し、全社員の生活を支える」、芸能人であれば「多くの生活者を幸せにするような豊かな芸を磨き、後世に伝える」等々、表現はいろいろと考えられるかもしれませんが、その職務固有の活動貢献が存在します。別の言葉で言うならば、「ミッション」と言うこともできます。「~になって、~の役に立ちたい」
という部分です。それを充分に意識することが、とても大切なのです。

結論を申し上げると、「活動貢献目標
を充分に理解してプロセスを遂行することで、事を成し遂げ、「存在(地位)の継続」につながるのです。「存在(地位)の継続」のために不正をしたり、悪知恵をめぐらすことはあまり頭のいいことではありません。どうしたら素晴らしい「活動貢献」ができるのかについて、豊かな知恵を発揮する人々こそが、日本の社会を支えている人々と言っても過言ではないでしょう。

私は人事教育コンサルタントとして、企業内で活躍される数多くの方々をインタビューしていますが、優秀な方々の傾向として「職務を通して、社会の人々の生活向上に貢献したい、人々の役に立ちたい」という社会貢献の意識や、「自分の職務におけるプロフェッショナリズムを試してみたい、花開かせたい」という自己実現の意識が多く見られました。それらの皆さんは、職務固有の活動貢献を充分に理解して、活躍をされていました。そして、高い地位に上れば上るほど、そこに期待される職務範囲・責任は大きいのですから、広く社会に貢献するためには、益々の自己研鑽を積まなくてはならないことも理解されていました。

学生の皆さんがしっかりと様々な職務の「活動貢献目標」(ミッション)を理解し、社会に出て活躍されることを期待しています。また、それらをしっかりと理解していない大人たちに遭遇した時に、「何かおかしい」と感じる感性を持った若者が増えてくることを期待しています。


資本主義は、富める者が社会貢献・還元の意識を忘れなければ、良い教義であることを、「母性による日本再生」で触れた。



問題の一つは、富と地位を最終目的とする「貧相なプロセス」を突き進んでいる輩が、世間に氾濫してきたこと。そして、時折、間違って賞賛を受けている。


(本物の女性は、そんな男性に惹かれないのではないかな?物質に恵まれる生活のために、惹かれるふりはしているかもしれないが。こころまでは、捧げていないのではないかな。)




更に大きな問題は、健全な能力や父性=リーダーシップを持つ男性が、標準化された、かつ不健康な人間関係の社会の中で、「たたかれ尽くされて」元気を失っていること。


日本のため、組織のため、家族のために健康なこころを持って働く人々が、少しでも目標に届かないと家畜のように責められ、その能力に罵声を浴びせられる。浴びせている連中にも、当然に連帯責任があるにもかかわらず。


責任を取らない輩がはびこり、責任感の強いリーダーが傷を負う。これも「貧相なプロセス」の一つである。当然ながら、家庭に帰って、父性を発揮できる力まで失ってしまう。「自分の人生は、何なのか/何だったのか」、と。




皆で、「貧相なプロセス」は、短期的な利益を上げる手段にすぎない、ということを共有することで、それは解消できる。


社会の優秀な人材イメージを、確かなものに変えて、共有することが大切になる。


多くのみんなが、「貧相なプロセス」で富と地位を背景にして他者の尊厳を打ち砕く者たちを「格の低い輩」として認識し、それを広め、確かに共有することが大切になる。




人間性を失ってまで、利潤を追求する輩を認めない。社会環境を破壊してまで、突き進む輩に苦言を呈する。



深い人間性と、社会を大切に思い、継続的に繁栄させ、後世まで伝える人々を認める。そういう人々が、お互いに知恵を出し合って、力強く企画・政策を打ち出し、行動に移す。




難しいことではない。




家族のみんなを大切に思い、家族(子供)の自立・成長を長期的に考えて、育て上げ、子々孫々までの繁栄の基盤を作るために、家族全員で力を合わせて、時にはわが身を犠牲にしてまでも、確かな人生を進んでゆく。



このような父性を、皆が「思い出す」だけでいい。





母なる大地があり、その存在に感謝して、私たちは豊かな気持ちで生きていける。


人間も同じであろう。 母性、その存在は限りなく大きい。



資本主義は教義としては大切だけれども、「心無い運用」がはびこると、富の一極集中を生み、それを守るための組織をつくり、地位を貪る人々が横行する。


アップル社/ピクサー社のスティーブ・ジョブズ氏が無給で経営活動に奉仕したり、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏が社会貢献活動に巨額の寄付をするなど、「心ある資本主義の成功者」が、日本には少ない。


成功者の証として、富と地位だけを目指して血相を変えて迫る。そのためなら、心無き手段を使ってでも、他人を貶め・蹴落とすことに何の躊躇い(ためらい)もなしに突き進んでしまう(=「貧相なプロセス」)。



それを助長するがごとく、貧相な富や地位に媚びて、擦り寄る人々も数多く存在する。男性にもいるし、女性にもいる。彼らの存在が、「貧相のプロセス」を一層加速させる。


「お金があれば、何でもできる」と公言して憚らない貧相な人々に、欲望をコントロールする自制を失った多くの人々が群がり、社会の空気を濁らせてゆく。




こころが叫んでいる、


「人間は、そんな貧相な生き物ではない。」


「どこに私たちの豊かな感性を蘇らせてくれる場所はあるのか。」


、と。



もし、多くの人々が、次のような言葉を多くかけられて育てられたら、人々の感性は蘇るのではないだろうか。


「人の道を誤ることなく、プライドを持って生きるんですよ」

「人にはそれぞれ「分」、「役割」がある。その「役割」を見つけて、世のため、人のために尽くしなさいね。」

「自分のよからぬ心を、きちんと抑えなさい。自分を律する力こそ、大人として大切ですよ。」

「個性とわがままは違う。社会的な道徳を身につけたうえで、個性は磨かれ、発揮されるのです。」

「周囲の皆と仲良くするのですよ。でも、悪い人々には関わってはいけません。すぐに、離れなさいね。」

「何か、間違ったことがあったら、すぐに教えなさい。解決に向けて、一緒に考えるから。」



「あなたは、私たちの子供です。プライドを持って生きなさい。」

「私は、あなたを見守っていますよ。」

「いつでも、相談にきなさいね。」



そして、

「お母さんは、あなたを愛していますから。」


、と。



子供を受け入れ、「こころ」を育てることの大切さ。


まず大切なのは、そういう「母性」。




その後、威厳とプライドを持った父性が、背中を見せて、こどもを責任を持って育てる。こどもに強さが身につく。


学業で知力を磨くことに努力することは、「母性、父性による育成」の後に来る。





母性の復活。



普遍的な原点の大切さを、改めて認識し直したい。






アメリカに関して、明らかに今までの潮流が変化したことを教えてくれる本が出版されています。


①「アメリカにはもう頼れない」(著:日高義樹氏)

②「アメリカとともに沈みゆく自由世界」(著:カレル・ヴァン・ウォルフレン氏)


今日は、①について考えたいと思います。


アメリカの財政危機も深刻で、軍事費の抑制から、グローバル軍備の再編を行う必要があり、日本における軍備も見直しが生じ、普天間・グアムなどの課題が多発しています。アメリカも、日本に軍備を置いておく余裕も意味も薄れてきていると思っているようです。冷戦時代と違い、アメリカは中国と関係を強化したいのですから。



アメリカの著名な政治家たちとのパイプを持つ日高氏によれば、鳩山元首相が「アメリカとの関係を変える」と言った当初、詳しく情報を集める前には、アメリカは「日本が核兵器を持って自立することを決意したのか」と、実は「納得できる論調」として捉えられたのだそうです。


それは、石原都知事が自民党の国会議員だったとき、ソニーの盛田会長と書いた「NOと言える日本」をアメリカに説明しに行き、「核兵器による自立」を唱え、アメリカから賞賛・敬意を得ていたそうです。「国が自立するとは、そういうことだ」、と。


しかし今回の鳩山氏の「アメリカとの関係を変える」発言は、「アメリカの言いなりにはならない(今までの自民党と違うぞ)」という単なる精神論であることが判明するにつけ、アメリカからの失望・嘲笑を受けてしまったそうです。とても、何の根拠や準備も無く、一国のトップが言うことではない、と。



そして、小沢氏が「アメリカは第七艦隊だけでいい」とか、政権奪取直後に同盟国のアメリカではなく、真っ先に中国への大訪問団を送ったことにアメリカは驚きと怒りを持っていたそうです。


また、岡田氏が核持ち込みの密約を公表し、批判したことで、アメリカは「そういう態度で出るのか」「本当に、日本は核無しで守りきれるのだな」と、やはり怒りを覚えているそうです。



中国は、そんな日米のおかしくなった関係を熟知し、尖閣諸島問題を起こし、アメリカの対応を試したのだそうです。アメリカが、どこまで尖閣諸島問題に関わって、口を出してくるのか、と。


結果は、アメリカは「中国との関係をこわしたくない」と出て、中国の強気に火がつき、コマツ社員の逮捕などにも踏み切ったそうです。


アメリカは、領土問題には関与してこない。日本周辺での軍事衝突にも支援は行わない。日米安保が発動されるのは、周辺国家が「核の使用を示したとき」に限られるだろう。・・・・これが、現在のアメリカのスタンスだそうです。




幸い、日本の自衛隊は、中国、韓国、北朝鮮の軍事力を超えているそうです。小競り合いにも、簡単には負けないそうです。


しかし、国の指導者のポリシーやスタンスが、「巨視」を忘れてしまっていると国民が感じる場合、とても不安な状況が生まれてしまうのではないでしょうか。


何としても、「グローバルな視点で、アメリカや中国と交渉を行い、日本を守り抜く強さ」を示してもらいたいものです。




いっそ、日本は世界の富を集中的に保有しているのですから、その強みを生かして「永世中立国」として認定を受けることも目指したらどうでしょうか。


そうしないと、以前も書きましたが、アメリカが日本に対して負っている巨額の債務(米国債)も踏み倒されかねないとさえ危惧しています。そういうことも踏まえて、緻密にプランを練り、細行していかなくてはなりません。




日本のリーダーたちには、ほんとうにしっかりしてもらいたいものです。


更に言えば、リーダーを担いでその下で「利を貪る方々」にも目を覚ましてもらい、そんなに陰に隠れて利権を保守しようとしないで、時代が変わってきたのですから、もっと時代の変化を見据えて、「一身を投げ打ってでも、オール日本のために知恵を絞って行動ください」と申し上げたいです。もうみんな日本人なのですから。


私たち国民は、そういう気運を盛り上げ、素晴らしいリーダー、政治家を選ぼうではありませんか。


(本当に国を動かすのは政治家であるという期待のもとに)