人事・教育を志す者として、この数十年の(学校)教育現場での難しい課題を、どうしても注視してしまう。
特に、「いじめ」の問題には、目を覆いたくなる。
どうして誰も根本的な解決に「踏み切らないのか」、と。
私事ながら、私が小学校の頃も、多少なりともクラスに「いじめ=からかい」はあった。ある男の子に向けての「からかい」、女の子に向けての「中傷」、は存在した。ユーモアや笑いの存在する「からかい」だった気もする。でも、私も含め、周囲の第3者の誰かが「もうやめろよ」と言って、収束していた気がする。
少し人と違う子(個)、威張っている面々に逆らった子(個)、誰かの言うことを聞かなかった子(個)、おとなしいけど何かを考えている子(個)・・・・・そういう、特性のある「子(個)」が、ターゲットになっているのではないか?
実は、そういう子(個)こそ、オリジナリティ(独創性)を秘めており、今の日本を変革するのに必要な存在になる可能性が高いのである。「独創の個」と呼ぶこともできる。
一方、そのような子(個)をターゲットとして、「いじめ」を煽り、その賛同者を広く集める主体となる子(個)たちがいる。このような子(個)たちは、必ず複数で集まる。いわゆる、「衆愚」となり、周囲を扇動する。
この「衆愚」の子供たちは、メディアの影響を多分に受けており、「数」・「権力」・「自分たちの常識」などを絶対的なより所として、「独創の個」に攻撃をかけ続ける。絶対的なより所があると信じているので、決して自分たちが悪いことをしているなどとは思っていない。そういう彼らには、知性・倫理性のかけらも感じることができず、誠に嘆かわしいことである。
ニュース/各種メディアに登場してくる大人の誰かの真似をしているのかもしれない。
今、大人の側が、「輝く独創的な個があって、そういう個が集まって、初めて素晴らしい国家・社会・組織・チームができるんだよ」と、きっぱりと言う必要があろう。Googleなどの企業文化は、独創性そのものである。
「衆愚」となって仕掛けてくる面々に対して、「何をやっているの?もっと個を磨きなさい。これからの時代、集団に依存する人のほうが生きていくのが大変なのです。」と言い切る大人が必要だろう。
そして、「衆愚」を率先して扇動し、「いじめ」を継続する子供たちに、「正当な罰」を与える。教室や廊下の掃除、グラウンドの雑草取り、1ヶ月間の給食当番、・・・・学校やクラスへの貢献を「罰」として与える。
当然のことである。
社会のルールを教えるのである。モンスターだろうが何だろうが、親に対しても、先生同士が志を持って連携して、毅然とした姿勢で対峙し、コミュニケーションを続ける。
先生は、日本の将来ために「志を持って、立ち向かっていく」存在なのである。尊敬される対象なのである。是非、自信を持って、自信を回復して、進んでもらいたいと思っている。必ず、社会からの期待と賞賛が戻ってくると信じて。
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もちろん、大人が原因を作っている。
中央集権、標準化、システム化、先例重視、欧米の模倣・・・・様々な社会の仕組みや特徴が、日本の「独創的な個」をないがしろにしている。
改新・維新のたぐいは、一部の権力が猛烈に中央集権を進めて権力を独占し、周囲を標準化の渦に巻き込むものであり、決して「個=民」を潤す目的で推進されているのではない。(明治維新は1868年、国会開設は1889年、実に20年間も官が利潤を独占し、「民の政治への参加」は実現していなかったことに注視する人は少ない)
大人たちも、標準化の社会発展にどっぷりと浸かり、その中での既得権益を必死に守ろうと「徒党を組む」。そして、その徒党のルールを脅かされる存在に対して、猛烈に抗議・いやがらせを行う。まさに、「衆愚」である。
欧米のお手本があった時代は、それで済んだかもしれない。
今、欧米から多くを学び、グローバルをリードする存在になるためには、子供も大人も、上記のような愚かな集団の中に甘んじていてはいけない。
もっと、もっと、社会のためになる方向で、人と違うことを、たくさん生み出さなくてはならない。
そういう個の独創性を認める教育や社会が、ほんとうに求められる時代となる。
人と違うこと、新しいことを考えること、独創性のあるサービスを生み出すこと、自分にしかできない何かを見つけること、・・・・「百花繚乱」、大いに結構。
そういう独創性に惚れこみ、多くの人に広めるために、集団となって結束することは大歓迎。豊富な資産・資源を持っている人々こそ、そういう独創性のある個を積極的に支援することが期待される。
ダ・ビンチ や ラファエロなど、イタリアン・ルネッサンスを支えた独創の巨人たちは、メディチ家などの巨大な資産家の支援を受けて、その活動の「花を開かせた」のだから。
社会に活気が復活する。
そういう数多(あまた)の個性を、間違いなく導くリーダーシップこそ、ビジョンを持ったリーダーとして待望されるだろう。
そういう意識を持ったリーダーが、数多く出現してもらいたいものである。