Shall we think?! -19ページ目

Shall we think?!

一個人、海賀大湧の自由な発想の記

ミッシェル・フーコーというフランスの哲学者が、「知の考古学」を唱えています。


ポイントは、いろいろな歴史的事象は、実際にその時代/当時の環境に戻って、その場に立った感覚で振り返らないと、その本質は理解できない、というものです。


例えば、「宗教改革」と一口に言いますが、どうしてルターが「聖書に戻れ」と言い出して、それが広く民衆に受け入れられたのかを考えないと、「宗教改革」の本当の実感が捉えられないのです。


たぶん、クラッシックの楽曲を学ぶときに、その楽曲を作曲家が書いた時代背景や心情を学ぶ「アナリーゼ」も、知の考古学と言えるでしょう。(私は、「のだめカンタービレ」を見て、アナリーゼを知りました:笑)



その当時の時代環境、生活風潮、学問の趨勢・・・・そこに立ち返って、その時代の人になって、事象を見つめる。



これは、人間関係でも大切かもしれません。


相手の置かれた環境に立ったつもりで、相手の思考・行動を考える。



思いやりは、そこから生まれるのかもしれませんね。




「こうなりたい」、「こういう状態でありたい」と思い描くイメージをすることを、「ビジョン」を持つと言うのだろう。



強い「思い」が、ビジョンにつながる。



ビジョンを持ち続けると、そこに近づこうとする行動を選択する傾向が強くなる。


近づくために、もっと成長が必要ならば、自らそういう努力や経験を買って出て、身につける。


気がつくと、ビジョンに近づいている自分がいる。




しかし、時にネガティブな思いが、ネガティブなビジョンにつながることもある。



「自分の個別の事情」でネガティブになることが多いのではないか。


どうだろう、いっそ思いっきり「普遍的な考え方」をしてみては。




「人間、ネガティブより、ポジティブがいいに決まっている。」


「この歴史上で、自分だけのケースではないにちがいない。」


「暗い気持ちでいるより、明るい方が健康になるに決まっている。」




単純だけど、意外と強い。




普遍的に考え、ポジティブをイメージして、明るいビジョンで、少しずつ進みたいものである。




クリスタルには、ほんとうにお世話になっています。


自分の持っている波動と同調させて(ブレスレッド等で)身につけることで、豊かで安定した「気」を保てています。



レインボーストーンは、豊かな希望を叶える力があるそうです。


金針ルチルとグリーンファントムの組合せは、ビジネスにとても強く、華僑の皆さんたちも愛用しているそうです。


人間関係への対応はオレンジの天眼メノウが効きそうです。


翡翠(ヒスイ)は、とても心が穏やかになります。




私たちを高めて、守ってくれるパワーストーンを、いつも側に置いておきたいものです。



気の合う、友人のように。



法隆寺の夢殿の中に、秘仏「救世観音」が鎮座します。


聖徳太子の生き仏と言われている観音様です。



明治維新時に、岡倉天心とフェノロサが、1000年もの間、数百メートルの包帯でぐるぐる巻きにされていた秘仏を解放したものです。当時の法隆寺の住職たちが「天変地異」を恐れて逃げ出したらしいです。


その後頭部の「延髄」近辺に、杭(くい)が刺さっていて、そこから「光背」がついています。普通、「光背」は仏像の後に土台を作って、きちんと立たせて作るものです。頭にささっているものなど、他に無いようです。



梅原猛氏は、救世観音は「聖徳太子を封じ込めた仏像」と著書の中で言っていたような気がします。



誰が、何のために、聖人を封じ込めたのでしょう。


よく考えると、聖人は悲劇的な最後を遂げるから、聖人に昇華するのではないでしょうか。



・・・・・



しかし、聖人は私たちの「こころ」の中に、確かに継承されています。


それが、素晴らしい、民の力なのではないでしょうか。




BOP=「ベース・オブ・ピラミッド」という考え方がグローバルで広がっている。



何のことはない。日本が今までやってきた、幅広い購買者(富のピラミッドの中下層の人々)の生活を豊かにすることで、経済をより活性化しようというもの。日本人なら当然で、すぐに理解できる。顧客指向の、生活者視点なのだから。


何故、今頃、この重要性が、ことさらにグローバルで持ち出されるのか。


それだけ、「富が上層部に偏在して、富裕層だけ富めばいい」という、単純な資本主義を「是」として推進し、「多くの生活者を豊かにする」という感覚がグローバルには欠けているということだろう。


カラオケやアニメが、あれだけグローバルで喜ばれるのは、生活者視点のサービスが少なかったから、ということも要因としてあるだろう。



小林よしのりさんが、以前書いていましたが、お隣の韓国でさえ明治維新の頃でも「両班(リャンパン)」という特権階級が民を搾取し、街のインフラ・生活のレベルの低さ(清潔さも含めて)はとてもひどいものだったそうだ。明らかに民を育てていなかった。訪れた外国人が記述として残している。


(もちろん、日本でも平安時代は荘園の独占、民を搾取する時代だったようで、民衆の目線からはとても「平安」とは言えなかったようであるが)



いずれにしても、欧米もアジアも、継続的に国の経済が発展するためには、中間層、低所得層(BOP)を搾取するのではなく、「育てる」ことの重要性に気がついてきたようだ。


生活者大国の日本は、率先してアドバイスできる存在になる。




歴史的な興行記録を打ち立て、日本中から支持された「もののけ姫」。


日本人の古代からのDNAを呼び覚ます。



○大自然の森に育てられた娘、サン


○日本古代からの原日本人、アシタカ


○タタラ場(鉄の精錬所)を仕切る、女棟梁と仲間たち


○謎の軍団を率いて、デイダラボッチの首を狙う、僧侶



原日本人の思いと叫びが通じた、共存・共栄の最後の芝生のシーン。


森の無制限な伐採の進行や、一定の勢力への権力集中を回避した、象徴のシーンだろう。




古代のDNAを呼び覚まし、多くの日本人の共感を得ている「もののけ姫」。



日本人が「こころ」を残して、日本人として今も「共存」ができている理由が、そこには隠されている。






田んぼの間の通り道の真ん中に「重い岩」が落ちて、道をふさいでいる。


両側をすり抜けることもできない。田んぼに落ちてしまう。生活通路として大切な道なので、何とかしなければいけない。



どうしようか。



誰かが何とかするまで待っている。


役所の仕事だから、任せよう。


少し遠いけど、裏道を使おう。




多くの皆が、よけることばかりを考える。


・・・・・


ずっと考えていた一人が、


長い木の棒をたくさん持ってきた。


そして、たくさんの人に「この道を何とかしなければ」と声をかけて、集めてきた。


そして、皆で、梃子(てこ)の原理を使い、重い岩を田んぼでもない脇の場所に移した。



おそらく、この人の行動が当事者意識なのだろう。


課題を自分のこととして捉え、その解決に知恵を絞り、周囲の人々に訴え、何かを成し遂げる。



国、地域社会、会社・チーム、家庭、学校等々の中で、どれだけ「当事者意識」を持って生きてゆけるか。



責任無き、娯楽・無気力社会の側面の改善のためのキーワードかもしれない。


「当事者意識」を持った善意の人々の真面目な発言を、「うざい」「そんなことわかっている」等と簡単に片付けず、むしろ大歓迎しようではありませんか。



深く物事を知りたくなったとき、人は専門家に頼る。


専門家の書いた書籍や、彼らへのヒアリングを通じて、その物事の意味や可能性、リスクを理解する。例えば、震が多発すると地震研究の専門家がテレビを賑す。テロや紛争が増えてくると軍事評論家が多く顔を出す。


彼らは、一般的に、その分野の知識の深堀りを行っている。社会生活全体の俯瞰はない。




一方で、その分野の深堀りだけでなく、社会全体を俯瞰する・広く見る視点も合わせて持つ専門家もいる。


その領域の深堀・解説に留まらず、実際の施策責任を負い、政治から独立して社会全体の経済運営のコントロールを任される日銀は、その最たるものであろう。


経済活動は全国民(国際人)の生活に直結するため、極めて広い視野・先の視点が求められる。日々、研鑽なのだと思う。




そう考えると、政治家は何なのだろう?


業務の卓越した知識を持ち、更に国家や国際社会全体を俯瞰して、最適な施策を実行できる政治の専門家と言えているか?


卓越した知識は官僚に任せ、人間関係重視の派閥の根回しに注力するような政治家は、何の専門家なのだろう。政治家に求められる要件は何で、どのような専門性が必要なのだろうか?


まさか、多くの政治家が、司馬遼太郎さんが豊臣秀吉について書いたような「人たらし」の面だけの専門家を自負して、目指しているのではないことを心から願う。



タレント議員も多数存在する。


そもそも、専門家なのだろうか?




私たちは、彼らに何を望んで、選んでいるのだろうか?


一人一人が、よく考えてみたいものである。




自己の内面を深く考えることと同じくらい、世の中を広く見ること/考えることは大切だ。


自分の知らないことがまだまだたくさんある、と思うから学び、成長する。成長とは、今の自分から、次の自分に変化することなので、今の自分にこだわりすぎて「変わること」を恐れてはいけないと思う。


広く、大きく、そしてグローバルの仕組みまで視野を広げる。そして、その中で次の自分のイメージを膨らませる。その繰り返しが、自分の思考を広げてくれる。



欧米(特に、アングロサクソン)と対峙するには、相当の思考・視野の広さ・深さが必要になってくる。単発で彼らに勝ったと思っても、ルールを変更したり、コンセプト力や行動力で巻き返され、力負けしてしまう。


○第二次世界大戦の米国開戦の真珠湾攻撃後のアメリカの巻き返し(物量+計画された作戦)

○日本の金融機関の欧米進出後、BIS規制というルール変更で、日本の金融機関の経営の健全性を黄~赤信号に変えた巻き返し(自己資本比率規制の導入)

○時に、グローバルのルールーに従わないで、京都議定書への調印を拒み続けたアメリカ等々


(仮説)

○もしかすると、日本のアメリカに対する多額の債権(米国債の購入等々)は、何らかのルール変更で「なかったこと」にしてしまう=>再度の何らかの戦争+敗戦国化+占領・・・・・ そんなことも平気でやりかねないかもしれないと心配になる。それほどの彼らの借金なのだから。



一方、中国と対峙するときにも、気をつける。彼らは、周辺の国境に関しては、自分の都合でルールを変えてくるようだ。日本の尖閣諸島問題では、あたかも自国の領土であるかのように主張しかねない状態が続いている。日本は、かなり甘く見られているようだ。



俳優の大沢たかおさんがテレビで言っていた。海外のニュースで日本の政治の話題がでると、キャスターはほとんどあきれた様子で話しているのがよくわかるそうだ。日本の中から見ている私たちも、そう思っているのだから、当然かもしれない。


グローバルにおける日本の存在が軽くなっている。


グローバルに目をやって、日本の存在意義=プレゼンスを高めるため、長期的な最善の手を考え、実行することは重要で、そのためには「外に向かって最大限に知恵を絞る」ことが求められる。


そんな時代である。


自分の内面のことも大事だが、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」のように「自分を顧みず、外に向かって何かに貢献することに集中して、何かを成し遂げる」ことも大事だと思う。



がんばろう、ニッポン!



人間の体は、細胞の集まり。


その細胞は、もっと細かく見ると、分子・原子になり、ここでは総称で「粒子」としましょう。


粒子の一つ一つの粒が、お互いに並んで、体の部分を構成していることをイメージしてみます。


その粒同士が、ぎっしりと隙間無くつまった堅い状態と、少しやんわりと隣り合った柔らかい状態を思い浮かべて、比較してみましょう。


堅い状態の粒同士は、身構え、固まり、粒同士の間には「気」は流れず、周囲の「気」をはじき返します。


柔らかい状態の粒同士は、穏やかに寄り添い、ゆったりと構え、その粒同士の間を「気」は自由に流れ、周囲の「気」をも受け入れます。



ある時期、長い間、堅くなった筋肉に「針治療」を受けていましたので、そういう感覚がよくわかるようになりました。そして、しなやかな筋肉が、豊かな気を宿すのではないかと思うようになりました。


針の先生が、「ライオンやチーターなどを良く見てごらん。日頃、トレーニングをしなくても、しなやかな筋肉を保ち、いざという時にすごい瞬発力が出るだろう。そして筋肉痛も起こさない。あれは、日頃、とても自然にリラックスが出来ていて、自然な状態に筋肉が保たれ、いい気が流れているからだよ。」と教えてくれました。



なるほど。


日頃からストレス社会に生きる私たちは、知らず知らずのうちに、息を呑み、周囲の気をはじき返すように身を固め、極めて柔軟性の無い、「気」の流れない状態を長く作ってしまうため、様々な病を呼び込んでしまうのではないでしょうか。


やはり、体は粒子から出来ていることをイメージし、その粒一つずつを柔らかく解放してあげるように「気」を流し、常に健康な状態を保てるように生活をしていきたいものです。


悪い気を祓い、良い気を呼び込み、心身をリラックスさせること。



もしかしたら、「毎日、お風呂で湯船にゆったりと浸かること」が、日常では一番の良薬なのかもしれませんね。