若ちゃん、何と関東にお目見えするのは4年振りか?

11月には横浜三吉劇場での公演が、ほんっと!!に久し振りに行なわれますが、これが4年目

何て長い空白期!!

 

しかも、この御仁

滅多、やたらと他劇団にお客様で~すと出向かない方なれば

遠征して見るしかない・・じゃあ、行けってか?

ところが、

私は、滅多、やたらと遠方へ出向かないので・・

 

今回、篠原劇場も久々だけど、あ・・私ね、でも、若ちゃんは、も~~~~~っともっと久々で

感慨深げでありました

 

純弥さんを『にいにい』と呼ぶ若ちゃん

おにいちゃん的存在の純弥さんの舞台だからゲストOKしたのかな~(^o^)

本日のゲストは・・のアナウンスで、都 若丸の名が告げられると

割れんばかりの、すごい拍手!

窓・・割れたかも~~?と、マジで心配するほどのすごい拍手でした!

 

※ ここで一息CM

 

  篠原のおにぎり健在でした。10円値上がりしていたけど、美味しさ変わらず

  米騒動の中でも大きさ健在、お見事です

 

 

さて、オープニングからゲストでも舞踊に出てくれるのが都 若丸

 

さすがに、始まりからじゃないですが・・

 

冒頭は純弥さんを初めとした芸者姿の群舞で

♪ 宇宙戦艦ヤマト(写真なし)

 

続いて、これでいいのかな?

チーム純弥のメンバーさんで、すみません、お名前がわからない・・

なぜ、撮影を?イケメンじゃ~~と(笑)

 

♪ 逢いたいよ(多分)

 

 

若ちゃん登場で、場内は爆発寸前の大騒ぎ

歓声が沸き起こり、すさまじい騒ぎ!!

 

 

♪ 夜桜お七 

相変わらずのサービスで、客席、二階席にまで手を振ってくれていました

 

 

オープニングショーの締めだったんですね

踊りが終わると中央へ正座して深々とお辞儀

拍手なりやまず・・

 

お芝居は、お馴染みの

 

”五条の駆け引き”

 

でした。都の座員さんたちではないので、あそこまでは

乱れなか・・・もとい、大騒ぎにはならなかったまでも、場内大笑い

チーム純弥の団員さんたち、さぞ、面食らって振り回され(笑)た、事でしょう。

 

弁慶親分、客席に降りて来て出口の方まで歩いて行き

戻って来て、子分達に

 

「お前ら!ウロウロ歩くんじゃない!!」(笑)

 

乗り込んで来た牛若親分(純弥さん)を怨み、あいつに仕返ししてやる!!と

舞台をウロウロ・・

 

「あいつを斬って、俺がここの座長になってやる!」

 

壁にズラ~と貼られたゲスト予定の名を見て

 

「あれは、何だ!何?次からのゲストだ?そんなものは要らん!外せ

 全部、断れ!」

 

もう、笑って居ない時間は皆無と言う状態の場内

 

 

3部の舞踊ショー

 

若ちゃん

♪ 乱れ咲き

 

 

 

 

純弥さん中心の群舞

♪ スリラー

 

 

群舞で

♪ 川の流れのように

 

 

 

ここで、口上?ご挨拶タイム

若丸トークが炸裂!

 

篠原劇場に来たのは、何十年振り?と振り返りながら

昔の話になり、純弥さんの10代、20代の頃の事などを暴露(笑)しながら団員たちや、客席を

笑いの世界にひきこむ

 

純「ゲストに来てくれるなんてね~若丸さんがですよ。すごい事でしょう」

若「何、やりたい?って言われて、『五条の駆け引き』って言ったけど、何を、

  ゲストにきてまで、こんなのやらにゃいかん?って、思わなかった?(笑)」

 

純弥さん、真面目にニコニコ(笑)

 

若「あの壁に貼ってある演目って、これからのでしょ?私の以外、ぜ~~んぶ、まともな芝居ばっかり。ワハハハ 泣きの芝居だよね」

純弥「泣きのは、ないの?若は」

 

若「都に泣きの芝居は、ないの。絶対に泣かない(笑)」

 

純弥「でも、演目ではあるでしょ?」

 

若「あってもいいの。泣きの芝居も、笑いに変えちゃうから(笑)」

 

純弥「最近・・・その傾向が出て来たのがいるんですよ・・・わたしの弟なんですけどね・。」

若 「アァ、彼ね。中々 見所があるよ(笑)(笑)」

 

その後、心得た客が出したのがミックスジュース

「やっていいの?」で、さぁ、慣れない団員さんたちも巻きこまれての

大騒ぎ・・・ミックスジュース

 

御存じ♪じれったい!

 

 

再び、戻って

タイトル忘れました

 

登場は、何と二階席!

若ちゃんらしいな~こう言う所。離れているものね~

それで二階席は嬌声の嵐となりました。

二階席、萬遍なく回ったようです。それから階下に降りて来て舞台へ

(ピンボケ失礼)

 

 

ラストショーは

盛大に

♪ Dance dance Dance

アンコールは、2曲!

客席は総立ちで、♪ どうにも止まらない~~!!

 

もちろん、大入りですよ、大入り~~(^o^)

 

 

お見送り

 

100%以上のエネルギーと元気を若ちゃんからもらいました~!!

そして、全く変わって居ない若ちゃんの

『熱い情に溢れた心ある対応』 最後に、しっかりと

目を見つめて言ってくれた言葉

 

これで、どれだけ救われる事か!

 

若ちゃん、ありがとう~~!!

 

 

一気に書いてしまったので、長くなりました

見て下さった方達に感謝です。

 

 

☆ 最後に

ブログアップは、純弥さんからは、勿論ですが

今回、若ちゃんからも許可を得ておりますので、よろしくお願いいたします

 

 

高齢者が多いせいか、昨今さかんに言われて、煽られるように

あちこちで行なわれているのが、断捨離

一向に捗らないし、いくらやっても、荷物が減らない昭和時代の

つまり、高齢者達の多く

 

若い頃、書く方が好きだった私を、読む世界に一気に引き込んでくれた

五木寛之さんのエッセイに久々に出会って、メルカリで購入しました

 

五木さんは終活なんてしていない、断捨離もしていない

いままで自分と共に歩んできた様々な思いが、一つ一つの物にこめられている。

それを見て昔を思い出す事もある。

 

自分の歴史を思い起こすヒントにもなる

捨てる必要などない・・・と語っている。

 

思うに、物がなかった、食べる物も着る物も、現代のように飽食時代なんて

夢の夢で、当時はクズ屋さんと言う職業があり、私が子供の頃にもしばしば

来ていた。

小さな女の子を連れて。我家も貧しい家だったが、当時の庶民は、そんなものだったから、食うに困らず(母の家計管理が優れていた)着る物に困らず(母の裁縫の腕のお陰で、布さえあればどんな物でも作ってくれた)

 

クズ屋さんの連れてくる子供に私のお古を、母は何度かあげていた。

 

そんな時代を過ごして来た者にとって、要らなくなった服はどんどん捨てて

スッキリした方がいい。必要なら買えばいい・・って、何度聞いても

どうしても違和感が出る

 

きょう、徹子の部屋に川中美幸さんが出ていた。

彼女は、断捨離を何度かやったが、今は、一切していない、と言っていた。

 

「無理に捨てる必要ないじゃないですか。そこに私の歴史があるんですよ。逝った後に迷惑をかける?いいですよ、その時は全部捨てて下さい。私が居る間は、私と共に居て欲しい。それに終活って、もう気持が暗くなりますよね。もう死ぬために

一生懸命片付けろって言われているみたいで。私はまだまだ生きていきます。

生き生きと暮したい。」

 

TVーCMを見ても、年寄りさっさと死への旅立ちの準備をして

冥土の旅ツアーに申し込めって言わんばかりじゃないか。

 

加藤茶も、終活して安心・・とニッコリ

俺はいつ死んでもいい?

 

ニコニコ顔は本心?

死神があの世ツアーの添乗員として来るのを、「準備できています」と

すっきりした気分で、バスに乗れる?

他の人にも、それを勧めている?

 

そんな事、あるものか。

人間の生への執着心って、本能ですからね

理屈通りに行く物ですか

 

特に今の高齢者達は、苦労を重ねて来て、時代をみつめて来ていますから

令和時代のドライなロボット人間みたいに

行く物ですか

 

 

老害、老害って

こっちから見れば、若害~ガキ害

なぜ、言わぬ?

 

 

 

 

久し振りの、たつみ座長のブログ

 

実に下らん、おバカ絶頂の某人のせいで、たつみさんのブログに誰もコメントを

入れられなくなってしまってから幾年ぞ?

そろそろ解禁しても良いのでは?と、思いますが・・・

再犯が怖い? 漢字で書くとシビアーだから、「サイハン」

 

そんなのは、出て来たら、舞台同様にぶった斬ってやればいいんスよ。

出来ない?

 

ならば私が、勝手にリブログする・・

 

バッタさんが登場とな?

まず、最初に思ったのは

 

「あら?たつみさ~ん、バッタ触れるのぉ~~?ウッソォ~(笑)」

次に、

「誰の手?これ・・・ムチムチしとるやんけ・・」

 

だってタツミさんの手は、ほっそりとして長い指・・

ここに写ってる半分位の細さだものね~~

 

 

さて、誰の手?これ

爪が伸びているし・・

若くないし(笑)←どうしよう、若者だったら、ワハハハ

 

誰よ~~

削除法で行くと・・

ダイヤではない!

ライトでもない・・!

 

ムーチョは、もっと若々しいだろうから

 

え?

愛さん?(笑)

 

誰だ~~

 

所で、リブログにこんなに勝手に書きまくって良いのだろうか?

知らんわ~~

 

4,5日前

年賀状ならぬ、暑中見舞い(残暑ですね)を出そうと思い立ち

関東首都圏では、昔からある有隣堂の文房具セクションに行ってみた。

 

元々 文章を書くのが大好き人間なので(あ・・アナログで)

手紙・年賀状・暑中見舞いは、スマホ・・LINE時代になるまでは

頻繁にやっていたんですよね~

 

さすがに、今回は数人にだけですが・・

色々探し回っていたら

 

小学生達が5人くらい、自由に試して良いコーナーの所で

楽しそうにしているので、近づいて覗いちゃった~

 

そうしたらサインペン式のカラーペンで、悪戯書きしている

何がどう違うの?別段、珍しくもないのになぁ・・と

で、聞いてみた

 

都会の子供は、最近はヨッパライより目が据わっていて、不審者を見るように

ジロ~っと一瞥して、フンッと言う顔をするか、シカト(特に女の子)

なんですが、尋ねたら

すぐに、男の子が「これね、書きやすいの。やってみて」と

自分が持って居た金色のマーカーを寄越し、自分は銀のマーカーで

英語の筆記体で名前を書いた

 

将来、有名になった時の為のサインを作って居るそうな(笑)

とても愛嬌があって、適切な返事が返ってくるし、コミュ上手

他の子達も、邪魔しない程度に口を挟んでくる。

何か・・すごく楽しい!

 

しばらく、この子達と笑い合っていたら

レジの人達が不思議そうに見ていた。

 

やがて、

「もう、終わり・・ます」と、ニッコリ

 

皆がそろって

「さようなら~」と、去って行った。

 

何かすごく爽やかな気分になれた・・・

 

後から、ふと思ったのは、あのボウヤ

日本人離れした、将来楽しみになるような美形くんだったし

そばにいた女の子も、笑顔が純粋で、きれいな子だった・・

 

ちょ・・っと待った~

もしかして、アメリカン・スクールの子供達だったかな~(^o^)

 

自分の名前をスラスラ~と英語筆記体で、書く

って、やっぱりそうかも・・・

 

だったら、あのコミュニケーションのうまさは、頷ける

 

日本の学校じゃ、まず

ないものねぇ・・(笑)

 

 

母の施設の帰り

目の前でバスが行ってしまいましたが、私の後に来たおじちゃまと

お話して、盛り上がり・・

お陰で、次のバスまでの待ち時間がそう長く感じませんでした(^o^)

 

 

は~い、見知らぬ方です・・

 

 

そういえば、おととい、

混んだドトールで、ランチして・・さて、午後、クリニックへ行くのに午後診療

まで、1時間もある・・ここにそれほど居られないし・・と、

隣の2人がけのテーブルに、こぎれいな格好をした、おばちゃまが来て

ケーキとコーヒー

 

私も食べ終わったので

何気なく声をかけました

 

「ここのケーキどうですか?」

 

そこから、2人で話が盛り上がり(すぐ盛り上げちゃう私?)

アッという間に、色んな話で、意気投合(^o^)

その内に、混雑もなくなったので、更に盛り上がって

 

ワチャワチャして居る内に

時間が経過

 

そこへ、40代くらいの女性が来て

 

「すみません、ここ4人います?」

だよね~2人用のテーブル二つだから・・

 

そしたら、にわかに連れになった方が、私の前の席に

移って、

 

「私、こっちに来ますね~」

 

だから、私、40代くらいの女性に言いました

 

「すみませんね、私達、連れじゃなくて、お隣同士に座っただけの

 行きずりなんですよ(笑)」

 

「え~~!! そんな事って、あるんですかぁ~~」と、

彼女はびっくりしていました。

 

 

 

驚きますよね?(笑)

 

そうだ・・

帰りに、有隣堂行ったら、レジのおじちゃまとも

盛り上がって(単に会計時なんだけど)

大笑いしていたら、他のレジの女性達が

不思議な顔していましたわ~

 

皆さん、どこかで、知らない美人が(私?ワハハハ)

話しかけて来て、2,3分内に盛り上がったら

それ、私です(笑)

 

 

すさまじい暑さでしたね!

マジで恐怖を感じました。

 

週間予報では、きょうは33度の筈だったので、

日曜にまた来るよ~と、母に言っておいたし、

35度に変更になったとは言え、あすから一週間なんと!36~37度じゃないか。

 

それじゃあ、いつ行かれるかわからない・・と、頑張って

行ってきました。

 

バスは時間を調べたけど、いつも5~10分は遅れる。が、

きょうは、しっかりと定時に来た!ラッキー!

 

そして、乗り換えバスも、予定より早く来てくれて、エアコンがガンガン効いている

バス車内で、出発まで待てた(始発地点)

 

 

母は、元気いっぱい

やる事がないから、ケアスタッフのするお仕事、洗濯物畳みを

いそいそとやっていたのに、他の人達から取られちゃった・・と

ガッカリ・・・

 

つまり、入居者達は何もすることがないのですよ。だから

母のみつけた楽しみ(笑)を、横取り・・・

 

バアサンになっても、女はずるいな~(笑)

 

母には、この間 渡した分に加えて、新しく印刷した

塗り絵と、パズルを渡しておきました。

 

さて、帰りのバス

ワオ~!これも時間ピッタリ、ピッタリ過ぎて

あら~!もう来た!と、停留所まであと少しの所で

バス来ちゃった。

でも、待っていてくれました・・・

 

う・・嬉しい!!(^o^)

 

そして、再び横浜駅から乗り換え・・の時も

並んで居る人達が少ないから、これは行ったばかりで

待つかな~と思ったら、すぐに来て、

なんと、待ち時間30秒なり~~ラッキー

 

 

所が、最寄りの駅から自宅まで・・

バスを降りたら、灼熱地獄か地獄の炎なのか・・

 

焚き火大会の中を歩いているような、暑さ・・いや、熱さだ!

 

徒歩6分なんですが、

いくら歩いても歩いても家に着かない・・言う言う錯覚に

襲われた!

 

熱中症になりかかっていたのかも。

 

フラフラして自宅に着くなり

エアコンつけて・・(幸い1階はエアコンの効きがすごく早い)

 

ヨタヨタと、アイスコーヒーをグラスに入れて

 

ガブガブ・・・オォ、生き返るぞ~!

かけつけ三杯・・・(笑)こう言う使い方は反則だけど(笑)

まぁいい

熱中症で、頭・・おかしくなってる最中だし

 

アイスコーヒー三杯、一気に飲めちゃいました

 

アァ、私は絶対に熱さの中では

 

息絶えたくないわ・・・

お目当ての たつみ演劇BOXが横浜に来てくれるのを待っているだけでは

干からびそうなのと、暇なので 三河屋諒さんがゲストだと言う三吉劇場に暑さで

干からびそうな今年の夏・・・この日 行って参りました。

 

 

演目は

”沓掛時次郎”

 

え~?そうなの?

昨年、ハナミチ劇場で、小泉たつみ演じる「雪の渡り鳥/沓掛 時次郎」を

見て、何度目かにも関わらず、それまで見たどれよりも感動/感激してしまった

演目だよ~

 

あの時の小泉たつみは、時次郎を演じていたのではなく、

時次郎になっていたもんな~~~

「お絹さん!!」と、たった今 絶命した愛しいお絹を抱き起こし

悲痛な叫びを上げた時、思わず身体の中から突き上げてくるものがあって

「ウワッ!!」と、なったんですわ・・・

 

この人、本当に日々進歩・向上している・・と、強烈な感動・・を

しただけに、さて・・

さて・・どうなるよ?

 

いや、下手だとか期待できないとかの問題ではなく、

あんな感動をしちゃった演目を、他で見るって、相当な覚悟が要りますわ。

 

 

でも、予約しちゃってあるし・・

観劇友さんと久々に会って、モーニングする約束だし・・

ま、メインは後者だから(笑)と、行ってまいりました。

 

 

砂漠の中をオアシス求めて歩く放浪者のごとく、フラフラ・ヨタヨタ・・と

 

 

お芝居は、三河屋 諒さんが脚本を書いたそうで、

通常の「沓掛」の芝居展開だけでなく、映画の中に描かれている

お絹親子が、時次郎から離れて行ってしまう。

そして、再び巡り会う・・・そこに焦点を当てていたようです。

 

昔、映画では中村錦之助が見事な時次郎を見せてくれた

あの雪のシーンが、脳裏に!

 

で、ラストは、お絹を医者に見せるべく金の為にヤクザの出入りに

助っ人(バイトね)して一両を得る・・これが、今回は10両だったけど

やり過ぎじゃね?

1両で、御の字でっせ~

 

で、時さんが、ヤットォ~と立ち回って帰って来たけど、

お絹は、たった今・・

遅かった!ってクライマックスね。

 

ま~いいや~~

部屋のセットが部屋じゃないって言うのも、何か・・

そう、役者達の動線が、変な事になっちゃって、危ねぇ、危ねぇ・・

 

お絹!と、駆けつけた時次郎が、「遅かったよ」と言われて

いつまでそこに、立ってるのさ?

すっ飛んでいくべよ~~?

 

ま・・いいや~~

 

はい、終わり

チャン・チャン!

 

舞踊の写真 本の少々

 

三河屋 諒さん

 ♪ リンゴ追分

 

 

 

 

お疲れ様でした、明日もゲストでいらっしゃるそうです。

 

 

 

三吉の廊下に今後の公演予定のポスターが

 

オォ、ここでポスターでお会いできましたわ!!

 

10月公演は、待ちに待った

たつみ演劇BOXです。

 

 

え?この写真が一番、大きいってか?

ま~ま~良いでは、ないかぁ~~

ワハハハハ~~

 

親離れしていないんだろうな~

母と居ないと、喪失感がすごい!

 

20年位前に母が入院した時は、初めて一人暮らしになってしまって

すごい違和感があったけど、仕事をしていたので、昼間は気が紛れ

夜は、やけに怖かった(笑)

 

でも、4ヶ月くらいで退院して、それも終わり

 

10年位前にはやはり3ヶ月ほど入院して、仕事はしていなかったけど

頻繁に病院に通って、結構穏やかに過ごしていた・・筈

 

そして、5,6年前かなぁ

この時は確かコロナ禍で、週に一度しか面会に行かれなかったけど

何とかなった・・・

 

今が一番

しんどいんですよねぇ~~~~

なんでよ?と思ったら入院と違って、何ヶ月で退院してくる。と言うのが

ないのがわかっているからなんですね。

 

確かに施設は以前の所より近いし、3~4日に一度行って

時間の制限もない。しかし・・

これ、家に戻ってくることはない・・と言う漠然とした寂しさがすごいもんで。

 

 

40代半ば頃かなぁ・・・・

何となく、自立できない性格だろう・・偉そうな事言っていても・・と

自分の性格に不安があって、それならば・・と、

2年ほどの海外留学を計画したんですが、これが父の他界で中止になってしまった。

 

 

あの時、

実行していたら、今の私より自立心があったんじゃないだろうか・・わからないけど

 

 

で、過去を悔やんでも戻れません

 

いやぁ~~きついは、きついは

 

母は新しい施設で、元気になり、

それは,嬉しいのですよ。

ランチは4食から毎日、好きな物を選べるし 部屋は以前の所より広い

窓というか外に面したガラス戸は高さがかなりあるから開放感があって

家具は白

 

トイレも洗面台も自動で水が出る

TVも先日、設置しました。しかも、この施設って

地上波だけでなくBSまで入ってる!

 

そう、淋しいのは私だけらしい(笑)

 

 

ケアスタッフさんも前の所の優秀な人材で、呼べば即座に飛んでくる・・と言う

かなり贅沢なシステムとまでは行かずとも、

私が何のかのと言う(クレームじゃないですよ)ので、色々と気をつけてくれる

度合いが増えたようです。

 

私が、凹んでいるだけじゃ

 

何か気が紛れないんですよね~~

大丈夫な筈だ・・と、思って居たのは、たつみ演劇BOXの存在だったんだわ~

 

そう、そうなんですよね~

湿度100%以上の日本の夏!

それだけで、心身滅入るのに、心のよりどころ(笑)たつみ劇団が

遠くに~~~居るんだもんな~

 

関東にはゲストなし・・

どうやって私は過ごせばいいんじゃ?

 

オォ、タイトルにそっていないなぁ

私の愚痴じゃないか・・これって(笑)

 

 

 

若い頃、その昔は携帯・スマホなんてないですから

知らない人とは、文通と言う物をして交流しているのが当り前でした。

 

私は文章や手紙を書くのが大好きだったから、

文通相手・(ペンパルってカッコ良くもいう)が、たくさん居たんですが

 

本当のお子ちゃまの時から、(今、考えたらものすごいマセていた?)

エルヴィス・プレスリーが大好きだったんです。

 

やがて成長し、映画の本を通じて「Y君」という男子高校生とエルヴィスの話を

するようになりました。

それが続き、大人になってから・・しばらく途切れたのですが、あるとき

不意に手紙が来て、そこから再び手紙のやり取り

 

そうこうして、現代まで

勿論、今は、たまにスマホでLINEですけど(笑)

 

話の内容はエルヴィスの命日や誕生日以外では、フィギュアスケートの話で

盛り上がり

 

私だけでなく母の誕生日にもメッセージをくれるし、具合が悪いと言えば

まるで実の息子の様に私の母を気遣うLINEが。

 

いつの間にか私を姉さん、姉さんと呼ぶようになっていて、

私にとっては弟。母にとっては、親を気遣う息子として

インプットされて居る人です。

 

昨日の朝、スマホを見たら前日の夜遅く、彼からのLINEが入っていて

横浜にフィギュアスケートを見に来ていて一泊した。

時間が会ったら,会えませんか?って・・・

母の施設に行かねば・・と思ったけど、

 

ようやく、会う機会が?

何と、40年も年月は流れているんです!

 

 

時間を合わせて、ランチをすることにしました。

 

会った事ないのに、急に会う事になった40年来の見知らぬ「友」

 

待ち合わせの場所に人はたくさん居るのに、すぐに

お互いにわかった!って、すごいと思いません?

 

「やっと会えましたね!」とお互いに言って、

ランチして、それこそ積もる話が、あるは、あるは・・

あっちへ飛び、こっちへ飛びという話題に瞬時にして

盛り上がり・・・で、アッと言う間に時間が流れました

 

3時間ほど過ごして、また、いつか会いましょうね。と別れましたが

彼は母にも会いたかったようで、「もっと早く連絡すれば良かった」と

言っていました。

 

母にと、スワロフスキーの綺麗な花の置き物をプレゼントにくれました。

 

いや~それにしても、

まるで旧知の友に出会ったような時間でした。

 

こう言う関係って貴重だな~と

つくづく思いました。

 

 

それに、久し振りに

気の置けない相手と一緒に食事するって、

なんて、美味しく感じるんでしょう(^o^)

 

 

タイムリーに彼は、プレスリーを知らないながら、

ものすごい入れ込み様で、立派なプレスリー信者(笑)

本物のエルヴィスファンって、「信者」なんですよ~(笑)

 

私の場合もそうですが、Y君の場合も、エルヴィスに選ばれた忠実な

ファン

何となくね~

ただのファンでなく、「エルヴィス信者」と呼ばれるすさまじい人達って

どうやら、運命的にプレスリーから、選ばれているみたいな

感じがあるんです。

 

世の中の不思議の一つ(笑)

 

我が,永遠の恋人 

エルヴィス・プレスリー

改めて、心に蘇ったひとときでした。

私の母は7人兄弟(姉妹)なのですが、

大正生まれの98才

 

元気な、元気な98才で、しかも若い頃は23人の男性からプロポーズされたと

いう超・美しいお顔の母

今でも、化粧でなく骨格から整っているので、美人です。

 

入院して7キロ痩せたから、すっきりして顔立ちもメリハリが

戻ってきて、

 

「あら?また美人さん、復活じゃない?」なんて、

美人の遺伝子受け継げなかった私が褒める位(笑)

 

 

病院で、今日か明日か・・と言われたけど

今は元気いっぱいに復活

歩けないのが・・ちょっと・・ね。

 

まぁ、とにかく

98才になって、死にかけて

すっかり元気になって、新しく移った施設ではケアスタッフさんの雑用を

手伝って感謝されてるってすごいんですが、

実は母には、姉が居るのです。以前にも触れた事があると思いますが

 

2人は物凄い仲良し!

 

先月101才になりました。

 

電話したら、息子が出て

 

「お母ちゃんさ~この間、居なくなったんだよね。で、帰って来たから

 どこ行ってたんだ?って聞いたら、『お腹が空いたから

 駅まで行って駅ビルで天丼食べてきたよ』」だってさ~」と大笑い

 

※ ちなみに家から駅までは、私で12,3分かかるから、

  杖をついて,気をつけて歩くと20分くらいかかるのかな?

 

 

 

50才から新日本舞踊を初めて、85才まで舞台で踊ったので

今でもスッキリと姿勢が良くて、トイレもお風呂も1人でOK

 

すごいですよね~

 

ついでに、生存している身内では、母の妹が1人居るんですが、

先日、電話をくれて

 

「ねぇ~!!あたしだけど~(^o^)(^o^)元気してる~?

 今、1人で暮しているでしょ?心配だから電話したの~!!」

 

と、はじける様な声

彼女は、90才です。

どこへ行っても、70代と言われています(^o^)

 

 

ア~~!

いいなぁ~こう言うのを長寿っていうんですね。