先日、金魚水槽の水質浄化を目的に、ウキクサの代わりにオオサンショウモを導入。

 

今の所、藻水槽内でも育っていて葉が増えている。

 

ウキクサが育たなかったのは、リン不足か水質が合わなかった(汚れすぎていた)のか、その両方なのか。

 

このまま順調であれば、10月末には室内へ移動させて冬越しをさせる予定。

 

金魚水槽への直接投入は、金魚に食い荒らされて無残な結果になることが目に見えているので、あえて食べさせる時を除いて基本的には行わない予定。

 

その他、今年はまだ石巻貝への水温対策としての水槽への保冷剤投入は行っていない。

最高気温が36℃を超える状況においても水温は27℃程度を保っているので。

 

簡易的な気化冷却装置等が機能しているのか、単に日陰で風通しが良いことが良かったのか。

 

昨年のほうが大掛かりな仕掛けを施していたのだが、結果が出なければ話にならない。

 

気化冷却装置を設置していない藻水槽と比較すると0.5℃程度低い位なので、基本的には設置場所が良かったのだろう。

 

そういえば、藻水槽出口の藻のフィルターの所で水温を測ると、水槽の他の部分よりも1℃は低い。

 

藻があることで水が気化しやすくなっているのだろうか。

 

 

今年は気温の割に、吹いてくる風が涼しいと感じている今日この頃。

 

 

人生で初めて、自転車のチェーンが切れたので交換を実施した。

 

これまで乗ってきた自転車の品質が良かったのか、単に距離を走っていなかっただけなのか、チェーンが切れた自転車がホームセンターの安物だったためなのか。

今回は多分、一番最後が該当すると思われる。

 

もっとも、安物の上に貰い物で、それが実際に走れる様にするために500円もかけていないとあれば、文句を言うものでもないだろう。

前乗っていた自転車から泥除けとサドルを移植するくらいで、さほど手をかけずとも2年半は問題なく走ってくれたので。

 

ということで、チェーン切れは突然やってきた。

 

幸い、交通量が多いところではなかったので、切れた以外に特に被害はなし。

その時向かっていた買い物を諦めて、ケンケンで家までなんとか帰った位。

 

チェーン交換を頼んだら、4000〜5000円はかかりそうだなと思いつつ、ホームセンターでチェーン本体の値段を見てみると、それだけで約2600円。

これに工賃が加わればほぼ予想通りの金額になりそう。

 

しかも、交換を頼む場合には、この熱中症警戒アラートが出ている季節に店まで自転車を持ち込む必要がある。

それはちょっと気乗りしない。

 

チェーンが切れただけで自転車本体に問題が発生している訳でもなく、その交換自体はさほど難しくはなさそうなので検索。

 

その結果、自分の自転車(前3段、後6段変速)に該当するチェーンを、1150円で発見。

チェーンの長さは元のものに合わせれば良いので、後はチェーンを切ったり繋げたりする道具をどうするか。

 

釘とハンマーと適当な台があればなんとかなりそうではあるが、結構な時間と手間と集中力を必要としそう。

 

結局、チェーンカッターは人から借りて実行。

専用工具を使ったほうが、早いし確実。

それは無骨そのもので高そうなものではなかったけれど、性能は全く問題なし。

 

ということで、元のチェーンとコマ数を合わせて新しく入手したチェーンを切断。

 

その残骸。

 

 

ピンが2箇所ほど出ているのは、本番前に1回練習を行ったため。

 

購入したチェーンは、6〜8速共用で、方向性無しのクイックリンク接続方式。

ギアの前段が何段であろうと後段の段数でチェーンの種類が決まってくるそうで、入手したチェーンは8速用の表示だったけれど問題なく装着できた。

 

クイックリンク接続方式はかなり簡単。

 

チェーンを下側で仮接続した後、少し送って前ギアの少し後ろの所で止め、ブレーキをかけた状態で力を加減しながらペダルを踏み込むと簡単に接続出来る。

 

専用工具があれば更に簡単なのだが、次は数年後にしか使わないだろうということを考えると入手したとしても、、、、チェーンを手で引っ張っても嵌り難い。

 

もちろん、足で踏み込む前に確実に接続状態にズレが無いことを確認する必要がある。

 

ただ、チェーンカッターが準備できるのであれば、クイックリンク方式にこだわる必要は無いなと思った。

 

それなりにコツはいるけれど、チェーンカッターが必要なアンプルピン方式のチェーンであれば880円で入手することも出来たので。

 

 

 

安さのみに目を向けると、チェーンが切れた直後には、使用できなくなる段も出てくるけれどチェーンのコマ詰めで対応しようかとも思っていた。

 

それでも実際に新しいチェーンに交換をしてみると、動きが軽い!

この快適さはチェーンを交換しないと味わえない。

 

更には、チェーン切れの原因はチェーンの劣化。

その状態を継続させていると、他の所が再び切れる危険性もあるし、切れなくてもいずれギアの歯が削れてチェーン交換どころの出費ではなくなってしまう。

 

実際、以前乗っていた自転車はチェーン切れを起こさず10年以上乗ってはいたが、手放す直前にはギアの歯がかなり無残な状態になっていた。

 

ホームセンターのお粗末な品質の自転車ではあるが、その劣化を加速させないために定期的な注油とチェックを欠かさないようにしようと思う。

 

今回、最初のボロチェーンを交換したので、次回はもう少し持ってくれるだろう。

 

 

久しぶりに、コミックの方を購入。

 

アニメを見て面白いのは解っていたが、中古で買おうかなと思っていたら今になってしまった。

 

購入した人が手放さないのか、中古店で探してもなかなか見つからない。

 

アマゾンで中古を探しても、近所の本屋で新品を買ったほうがいいよねという価格。

 

なお、アマゾンで新品の本を買うことは、品質管理が残念なので諦めている。

 

アニメの方がブラッシュアップされている感があるが原作も面白かったので、今日は1巻だけの購入だったが近日中に全巻揃える予定。

 

アニメといえば、怪獣8号の続きが始まるので、こちらも楽しみ。

 

ダンジョンの中の人のアニメの続きも見たいものだ。

 

結局の所、そこに住んでいる人間の意識が変わらないことには何かをやったとしても徒労に終わる。

 

そこで、その意識を変えようとあれこれしてみたとしても、そもそも人には誰かに強制されたくないという意識があるので、大体失敗する。

 

そもそも、誰がその状況を変えなければならないと思っているのか。

 

あるいは、何が。

 

何故そう思うのか、その様に考えるのか。

 

その原因は何なのか。

 

何をどうするのかは、それぞれの自由。

 

例えその結果がどうなろうとも、それはその本人が望んだこと。

 

なので、やらなければならないからやる、ではなく、やりたいからやる。

 

そう思ってやっていたら、何かが少し変わってきた気もする。

 

気がするだけで変わらないかもしれないが、少なくとも以前帰省した時よりは改善の兆しは見えてきていた。

 

物理的にも精神的にも風通しは大事だなと思った次第。

 

実家の環境悪化の物理的側面。

物が増える→ホコリが増える→体調不良の発生→湿度が高いとホコリが舞い難いことに気づいて風通しを悪くする→カビが増える→カビによる体調悪化→物が増える→ 最初に戻ってエンドレスループ。

 

その他、この酷暑の中、エアコンの利用が推奨されているが、メンテナンスされていないエアコンからばらまかれるカビの影響は看過出来るものではない。

 

幸いというべきか、実家のエアコンは数年前に壊れていて今後直すつもりも買い換える予定もないらしい。

 

その結果、前述の環境も相まって、自分の家族と共に帰省することは完全に諦めている。

 

もし実行するとしても、片道4時間の日帰りか、ホテル泊まりでの対応となる。

 

よほど劇的に実家の環境が改善されない限り。

 

 

今は、アウトドア用ベッドのコットと空気清浄機その他を持ち込みで単独帰省対応中。

 

毎度毎度、帰省した途端に大掃除から始まるので、それ相応の装備の準備をした上で。

 

帰省の主目的が掃除という状況はいつ変わるのやら。

 

 

カビ、ホコリだけでなく仏壇の線香も欠かさないため、新品の空気清浄機のHEPAフィルターがわずか2日でうっすら茶色くなった。

 
そんな中でも、健康になるためには薬と検査が大事だと考えている模様。
 
いや、それ以前の問題なのだけれど。
 
本人が納得するまで待つしかない。
 
 

誰しもいつ死ぬのかは定かではないのだけれど、昔、人生80年ということを思った時、なんて長いのだろうと感じていた。(小学生〜40代まで)

 

その頃は、人生の主導権を放棄していたので、学校も最初に入った会社も人生のベースは悪夢として認識していた。

 

実際の所、人生のほとんどが悪夢のようだったとは言えない。

それに、学校や会社で過ごす時間以外の方が睡眠時間も含めてではあるが物理的に長い時間となっていたので、「人生のほとんどが」という形容にはなりえない。

それはまあ、不幸中の幸い?として学校も会社も一応はホワイトな所と認識されている所にいたので。(一時、時間の配分が逆転していたこともあったが)

 

その中での経験も、悪いことばかりではなかったと言えるのだが、いかんせん、その頃の人生を見るフィルターがかなり歪んでいたこともあり、今ならもう少しやりようがあったかな、という感じでもある。

まあ、それは当たり前のことか。

 

そして今は、人生80年は、そんなものかとも思う。

 

別に明日あるいは今日死ぬとしても死ぬ時は死ぬのだから特に不満はなく、80歳以降も生きていたとしても、それなりに何かをやっていると思う。

 

結局の所、学校は卒業して自動的にその環境から離れ、しかし就職時に人生の希望も見いだせなかった結果を自覚して離職し、再就職して同じことを繰り返していると認識して再度転職してから、ようやく悪夢から離れられた様に感じている。

 

まあ、辞めなくても悪夢を終わらせることも出来たのかもしれないが、今考えてみてもそこから離れることが最良の選択だったと思う。

そして、それを許容してくれるパートナーの存在も大きかった。

 

自分の人生の主導権を握る。

 

いや、どの様なことであれ自分が選んでいると認識する。

 

誰にどの様な迷惑をかけるようなことになったとしても、それはその様に思い込まされていただけなのかもしれない。

 

自分が納得する様に生きる。

 

それは、それによって生じる結果も受け入れるということ。