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昨年11月にica classics から出されたラインスドルフとボストン交響楽団のマーラーの交響曲第1番他のDVDは、よくぞ出してくださいました、という素晴らしいものだと思う。ボストンに迎えられたばかりのラインスドルフが、オーケストラを見事にコントロールして自分のマーラーの音楽を確信をもって造り上げている姿が感動的である。
多分、マーラーの交響曲の映像としては最も古い記録だと思う。
ところが、こんなに素晴らしいDVDなのに、国内発売されたものの帯の解説のあまりのでたらめぶりに怒りを通りこして絶望に近いものを感じてしまった。
そこには次のようにある。
「……(ラインスドルフは)1960年代には、LPの登場で長時間録音が可能になったという追い風を受け、RCAビクターに超優秀録音のマーラーの交響曲全曲を録音(第4番だけは除く)し、マーラー・ブームを先導するという偉業も成し遂げました……」どうしてこんなにひどいでたらめを書くのだろうか。この紹介は誰が書いているのだろうか。ラインスドルフに対してはもっと正当に評価されるべきだと思う。特に、ヴァーグナーの演奏史における重要性。また、それと並んで、マーラーの演奏史・録音史における重要性も極めて大きなものがある。
そうであるからこそ、このようなでたらめな情報を貴重な記録となる商品の解説に載せるというのはほとんど犯罪的な行為であろう。この貴重なラインスドルフのDVDを一人でも多くの人に手に取って欲しいという思いから出ている言葉であると好意的に受け止めるにしても、やはりこれは見過ごしにはできないでたらめである。それにしても、ラインスドルフと誰かを間違えているとか、複数の指揮者の業績についての知識が入り混じっているとかという次元のことというよりも、故意にでたらめの情報を流して混乱させようとしているのでは、と思ってしまうぐらいの無茶苦茶ぶりである。naxosさん、なにをしているのですか?
ちなみに、ラインスドルフがボストン交響楽団を指揮して60年代にRCAに録音したのは第1番(62年10月)、第3番(66年10月)、第5番(63年11月)、第6番(65年4月)である。第6番は国際マーラー協会版による初の録音ということを謳ったもので、スケルツォを第2楽章にした初の録音であった。
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少し前に、ブルーノ・ヴァルターが1942年にニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したマーラーの交響曲第1番(10月25日)と第2番(1月25日)のライヴがMusic&Artsから出された(CD1264)。そもそも戦時中のマーラーのライヴで残されているものはあまりないようなので、今回発見されたこの記録は極めて貴重だと思う。この録音が残っていたのはほとんど奇跡的では。しかも、驚くほどに鮮明な音。
今回出された第2番は、48年12月5日のニューヨーク・ライヴ(日本ワルター協会が1990年に会員頒布用にLP化したことがあるだけで、まだCD化されたことはない)と同じで英語による歌唱になっているのだが、48年の日本ワルター協会盤よりも歌詞がよく聴きとれる。楽章の間の音も(多分)そのまま収録されている。第2楽章の後に少し拍手が入る。ともかくいろいろな意味で大変貴重な記録だと思う。
ヴァルターとしては9種類目の第1番と5種類目の第2番にあたる。年代から言うと第1番は39年の記録に次ぐ二番目に古いもの。第2番は今まで知られてきた録音は戦後のものばかりなので、最も古い記録ということになる。当然のことかもしれないが、晩年のセッション録音とはかなり違っている。とは言っても、第2番で8種類の録音が聴けるクレンペラーほどの極端な違い――例えば50年のシドニー・ライヴ(全曲で約67分という猛烈な速さ、因みにこれも英語歌唱)と71年のNPOライヴ(約99分という気の遠くなるような遅い演奏)との間の違いはあまりにものすごい――があるわけではない。しかし、1957年(第4、5楽章)と1958年(第1~3楽章)に録音されたあの有名な米コロンビアへのニューヨーク・フィルハーモニックとのセッション録音にはない大きな身振りや激しさが、1948年のヴィーンでのライヴ、同年のニューヨークでのライヴ、1957年のニューヨークでのライヴ以上にある。若き日(といっても60台半ばだけれど)のヴァルターの覇気が今まで知られてきたどの録音よりも強く出ていると思う。
同じことは第1番によりはっきりと現れている。この42年のニューヨーク・フィルハーモニックとの演奏の、特に第4楽章は圧倒的である。
Wikipedia日本語版のアルマ・マーラーの中に「…マーラーが冷淡だったフランス音楽…」と例によってでたらめな記述があるが、マーラーは決してフランス音楽に冷淡だったわけではない。ドビュッシーは先に書いた通り。ベルリオーズはたいへん積極的に指揮している(幻想交響曲だけでも12回)。
ビゼーを何度も指揮していることは言うまでもないが、シャブリエもデュカスも取り上げている。サン=サーンスもピアノ協奏曲第4番をヨーゼフ・ホフマンの独奏で演奏している(1910年11月15日と18日)。むしろフランス音楽にも積極的であったというべきであろう。
コンサート指揮者としてだけではなくてオペラ指揮者としてもマーラーはフランス音楽に冷淡だったわけではない。《カルメン》は得意な演目の一つであった。マスネやシャルパンティエ等多くのフランスものをヴィーン時代の前にも、宮廷歌劇場でも手掛けている。
今日はドビュッシーの生誕150年の日。マーラーがドビュッシーをニューヨーク・フィルで非常に積極的に取り上げていたことはもっと知られているべきだと思う。
マーラーは、1910年2月17日、18日に《夜想曲》。3月10日、11日に《牧神の午後への前奏曲》。11月15日、18日に《管弦楽のための映像》から〈春のロンド〉。そして、1911年の1月3日、6日、8日には、同じく《映像》から〈イベリア〉を取り上げている。
ドビュッシーが作曲してからほとんど時が経っていない曲(かろうじてフランスで初演されただけぐらいの)を、アメリカで同時代の音楽として果敢に紹介したのがマーラーであったということは、音楽史の上でもまたマーラーを考える上でもたいへん重要なことだと思う。(つづく

NHK交響楽団の機関誌『フィルハーモニー』の9月号の

新しく始まる「シリーズ 名曲の深層を探る」に

文章を書きました。

タイトルは

「マーラー 《交響曲第9番》 このうえもない幸福な日々の中で書かれた音楽」

です。

この曲について従来言われてきたことの多くを覆す内容を書いたつもりです。


『フィルハーモニー』は基本的に定期購読かN響の定期公演会場で購入するかで、

HPでは一部の文章しか読めませんでしたが、

9月からは内容刷新とともに、HPで文章のすべてが読めるようになるようです。

詳しくはこちら(『フィルハーモニー』にリンク) で。