思わぬ病気のために完成が遅くなりましたが

12月の下旬に『マーラーを識(し)る』を上梓しました。


マーラーを識る/前島良雄
¥1,944
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前著はおもに、マーラーの生涯について書きましたが

今回は作品やマーラー受容の問題などについて

書きました。


どうぞ宜しくお願いいたします。

 昨年の春に、「好酸球性筋膜炎」という非常に特殊な難病を発症して、四肢のひどいむくみと痛みのために、かなりいろいろな面で行動に制約がありました。昨年の10月頃が最も症状が重く、日常生活にも支障をきたすほどでした。
着替えも一人ではできない、箸も使えない。
足が痛くなるので、10分と同じ姿勢で腰掛けていられない。等等の状態でした。
発症から一年余になりますが、幸いなことに適切な治療を受けることができて、かなり症状は改善されました。まだ手足のいろいろなところが不自由であったり、痛みがあったりはしますが、一応普通に生活はできるぐらいになりました。
病気の自覚症状が少しずつ強くなりはじめていた昨年の6月頃に7、8割ぐらいまで進んでいた新しい「マーラー論」も、書けなくなっていたのですが、一年余の中断の後、7月半ばから執筆に戻ることができ、9月初めに一応書き上げることができました。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

ヴェルディとヴァーグナーの記念の年ということで。

マーラーが生涯を通して、ヴァーグナーのオペラを指揮したのは514回。1位は《タンホイザー》92回、2位が《ヴァルキューレ》 82回、3位が《トリスタン》71回。特にヴィーン時代には圧倒的にトリスタンが多い。
それに対して、マーラーが生涯で指揮したヴェルディのオペラは7作品、トータルで65回。ヴァーグナーの514回に比べるとその差は歴然としている。指揮した回数が多いのは《ファルスタッフ》22回、《アイーダ》16回《トロヴァトーレ》12回。
また、マーラーがヴァーグナーを指揮したのは、オペラ指揮者としてだけではなくて、コンサート指揮者としても非常に多い。特にニューヨーク・フィルハーモニック時代。マイスタージンガー前奏曲はマーラーが最も多く演奏した曲である(《ローエングリン》第一幕への前奏曲は何度もプログラムに取り入れているが、第三幕への前奏曲はコンサートでは一度も取り上げていない)。
それに対して、ヴェルディは、コンサートでは一度もプログラムに取り入れていない。マーラーはヴェルディの10倍以上、ヴァーグナーを指揮したと言ってもいいと思う。

最近ではかなり知られてきたことだが、非常に精力的な仕事の虫であったマーラーは、1月1日から指揮をしたことが二回ある。1908年と1911年。08年はメトロポリタン・オペラへのデビュー公演で、曲は《トリスタンとイゾルデ》。
1911年はブルックリンのアカデミー・オブ・ミュージックでのニューヨーク・フィルハーモニックとのコンサート。午後3時からの公演でオール・ヴァーグナー・プログラムであった。つまり、奇しくも、1月1日に指揮をしたのは二回ともヴァーグナーであった。
1911年1月1日のプログラム。
①《リエンツィ》序曲
②《ローエングリン》より第一幕への前奏曲とEinsam in truben Tagen
③《タンホイザー》よりDich teure Halle
④《神々の黄昏》より葬送行進曲とブリュンヒルデの自己犠牲
⑤《タンホイザー》序曲。

(ちなみに、マーラーはヨハン・シュトラウスの曲をコンサートで指揮したことはありません。)
11月18日の東京交響楽団第605回定期演奏会(午後2時開演、サントリーホール)
指揮:飯森範親
バリトン:ロディオン・ポゴソフ

マーラー/ベリオ編:若き日の歌より
~マエストロによるトーク~
R・シュトラウス:家庭交響曲 作品53

ベリオがオーケストレイションしたマーラーは賛否両論の編曲。なかなか演奏されることはないのでめったにない貴重な機会。聴き逃せない。しかし、あらかじめ知っていたほうがよいことがあると思うので、簡単に。
まず、注意するべきはベリオは単純に「マーラー風」、特に「初期マーラー風」になることを目指して編曲したのではないこと。ベリオがやろうとしたのはあり得たかもしれないマーラー本人による初期歌曲の管弦楽伴奏版を作ることではなかった。
例えば、第10番におけるクックのように、マーラー自身であればこうしたのではないかということを、できる限り自分を抑えて考えて管弦楽伴奏を書いたというものではないのである。あくまでもベリオの音楽。
ベリオの姿勢が以上のようなのだから、例えば「さすらう若人の歌」や「角笛歌曲」の、マーラー自身によるオーケストラ版と同様のものを予想して聴くと、まったく期待を裏切られることになる。
「マーラーっぽい」響きに対する期待を抱いて聴くと、実際に響いてくる音楽が、期待とはかなり違っているので戸惑ってしまい、その時実際に聴こえている音楽に向き合えなくなってしまうおそれがある。
実際、このベリオ版「若き日の歌」を「まったくマーラーらしくない」といって非難する言葉が散見される。残念なことだ。11月18日の東響定期でも同様の感想を抱く人がいるかもしれない。
1曲目が「夏の担い手交代」で、これは言うまでもなく交響曲第3番第3楽章にマーラー自身が使っている曲。これも影響しているのか、ベリオのオーケストレイションは比較的「マーラー風」。2曲目もややマーラー風。
ところが第3曲「もう会えない」第4曲「悪戯っ子を躾るには」と後に行くにつれて次第にマーラーらしくなくなっていく。それで全体としてマーラーにふさわしくない恣意的な編曲という印象が残るのかもしれない。
ベリオのオーケストレイションがマーラーらしいかマーラーらしくないかというところではなく、マーラー初期歌曲から触発されたベリオ独自の音楽を味わいたい ものである。
アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと-KC3Z0045.jpg
昨日書いたica国内盤のラインスドルフについての「60年代にRCAに第4番以外のマーラーの交響曲を録音した」というでたらめの出所は例によってウィキペディアかと思って調べたが違った。しかし、ウィキペディアにはさらに強烈なでたらめがあってのけぞってしまった。
なんと、「……プロコフィエフの管弦楽作品全曲のレコーディングを初めて実現したり……」というとんでもない記述があるのであった。これはいったい何を勘違いしたのだろうか。
ジョン・ブラウニングの独奏による5曲のピアノ協奏曲の最初のまとまった録音等いくつかの素晴らしい録音を残したけれども、「管弦楽作品全曲のレコーディング」はしていない。交響曲の録音は第2、3、5、6番。「ピアノ協奏曲全集の最初の録音」という記述を読み間違えたのだろうか。
ウィキペディアに求めても虚しいだけかもしれないけれども、ラインスドルフのレコード史上の業績を述べるのであれば、「モーツァルト交響曲全集」(旧全集による第1番~第41番の41曲を収録。第2、3、37番も聴ける)の最初の録音は挙げなければいけないのではないか。