今日はドビュッシーの生誕150年の日。マーラーがドビュッシーをニューヨーク・フィルで非常に積極的に取り上げていたことはもっと知られているべきだと思う。
マーラーは、1910年2月17日、18日に《夜想曲》。3月10日、11日に《牧神の午後への前奏曲》。11月15日、18日に《管弦楽のための映像》から〈春のロンド〉。そして、1911年の1月3日、6日、8日には、同じく《映像》から〈イベリア〉を取り上げている。
ドビュッシーが作曲してからほとんど時が経っていない曲(かろうじてフランスで初演されただけぐらいの)を、アメリカで同時代の音楽として果敢に紹介したのがマーラーであったということは、音楽史の上でもまたマーラーを考える上でもたいへん重要なことだと思う。(つづく
マーラーは、1910年2月17日、18日に《夜想曲》。3月10日、11日に《牧神の午後への前奏曲》。11月15日、18日に《管弦楽のための映像》から〈春のロンド〉。そして、1911年の1月3日、6日、8日には、同じく《映像》から〈イベリア〉を取り上げている。
ドビュッシーが作曲してからほとんど時が経っていない曲(かろうじてフランスで初演されただけぐらいの)を、アメリカで同時代の音楽として果敢に紹介したのがマーラーであったということは、音楽史の上でもまたマーラーを考える上でもたいへん重要なことだと思う。(つづく