一番好きな季節になった。新緑のこの頃が1年で一番好きだ。1日毎に日が長くなるのが何とも嬉しくて気分が少し上がる。この季節を好きになったきっかけはハッキリと覚えている。大学生の時だった。1限目の授業に出席するために学校の最寄り駅を降りて駅前のローターリーを横切ろうとした時だった。ローターリーに植えてある大きな木の緑が目に飛び込んできた。眩しいような、燃えるような鮮やか緑だった。青空を背景に緑が風に揺れていた。綺麗だった。そして鮮やかだった。目を奪われ、足を止めて息を飲んだ。何でもない日常の中で戸惑うような出来事だった。あの時から初夏が好きになったのだ。あの時の映像は切り取ったように私の頭の中に焼き付いている。それまでは秋が好きだった。徐々に日が短くなり、夕焼けが家路を急かすような、少し物悲しい空気の秋が好きだったのだが、あの出来事から初夏が好きになったのだ。毎年、桜や紅葉を待つ以上に初夏の緑が待ち遠しい。同じような感覚の人はいるだろうか? きっといるだろう。

 

 

 

大阪に転勤していた頃、京都の八坂神社から見た東山の緑も忘れられない。最近は近所の小石川植物園の森の緑を楽しみにしている。

木々の緑にも様々な緑がある。黄緑色から濃い緑色まで無段階のグラディエ―ションに圧倒される。見ていると自身の気分が輝くのが実感できる。新緑が過ぎると憂鬱な梅雨がやってくる。梅雨が明けると暴力的な猛暑だ。今の季節が一年で一番いい。梅雨入りまでの間、爽やかな風と新緑を堪能したい。

 

 

 

 

 

 最近は飲酒を控えている。替わりにコーヒーにハマり、より美味しく淹れたいのでコーヒーケトルも購入した。コーヒーは、近所のコーヒー豆専門店で購入している。休日にゆっくり飲むコーヒーが堪らなく美味い。この季節に飲むコーヒーは格別だ。前の記事にも書いたネット小説の投稿も終わり、今は書き切れなかった分を『外伝』として追加で執筆して投稿している。外伝だけで5話になった。そろそろ次の作品を考えたいが、今書いている作品からなかなか離れられない。私の頭の中で私が作った愛すべきキャラクター達がまだ活発に活動しているのだ。ジャンル分けの出来ない『変なラブコメ?』(50代に刺さるように書きました。アニメ化したい!)だが、興味のある方は是非読んで欲しい。初めて書いた小説だが、友人達にはなかなか好評だ。おかげさまでアクセス数も7000を超えた。

 

 しかし今年ももう半分近くが過ぎてしまった。このブログにも書いたように今年はアジャイルで行くと決めた。断酒が上手くいって健康を取り戻した為か、やりたい事が沢山ある。4月に58歳になった。アラフィフどころかアラシック(言わないか)もしくはアラ還だ。まだまだ先は長い。生き急ぐ事無く、思いつくままに色々試して行きたいと思う。夏は何をしようか? とりあえず残り少ない50代を楽しもう。アラフィフの同志諸君、新緑を愉しもう!

 

 

小説のURLは以下の通りです。読んでもらえると嬉しいです。感想をもらえると泣くほど嬉しいです!

 

 

小説家になろう 

 

【私とアイドルエイリアン】

 私とアイドルエイリアン (syosetu.com)

 

【続 私とアイドルエイリアン『MM378戦記:革命士官ナナミ大尉』

続 私とアイドルエイリアン 『MM378戦記:革命士官ナナミ大尉』 (syosetu.com)

 

 

 

『久々の社員旅行』

大分時間がたってしまったが、2月後半の3連休(2月23日~2月25日)に社員旅行で沖縄に行って来た。人生初の沖縄である。社員旅行が開催されるのは20年振りだ。コロナ渦でリモートワークが増え、社員間のコミュニケーションが希薄になったので、団結力強化のために企画したようだ。各自の旅行積立金ではなく、全額会社負担なので参加者も多かった。会社の創業30周年パーティーもある2泊3日の旅行である1泊目の宿は読谷村のリゾートホテル『日航ウィラ』、2泊目は那覇市内のビジネスホテルだった。2日目の観光は貸し切りバスのバスツアーと自由行動が選択できるようになっていので、私は自由行動を選択した。沖縄は初めてで土地勘も無く、交通手段も少ないと聞いたので選択を迷ったが、どうして行きたい場所があったのだ。沖縄は鉄道が無い為、移動手段は限られる。レンタカーを借りる手もあるが、何年も運転していないうえに未知の土地である。事故でも起こしたら目も当てられない。お金は掛かるがタクシーをメインに移動する事を前提に下調べをした。

 

『温度差』

出発の朝は早く、6時45分に羽田空港集合だった。自宅を出たのは5時15分。暗い空に小雪がチラつく寒い朝だった。ところが羽田を飛び立って3時間後、那覇空港に着くと暖かい。というより熱い! 厚手の『MOMAパーカー』のうえに自衛隊の作業用ジャンパーを着ていたのだが、汗が出てきた。温度は24度。東京の初夏の温度である。ジャンパーだけではなく、パーカーも脱いでTシャツになった。他のメンバーも同様に上着を脱いだりTシャツだけになっていた。同じ日本とは思えない温度差である。南へ来たことを実感できる瞬間だった。なんか沖縄スゲエ! 旅行への期待が膨らんだ。初日は『おきなわワールド』で鍾乳洞に入り、物産や文化の展示コーナーで沖縄の様々な文化に触れることができた。夜の創業記念パーティーはジャケット着用のドレスコードはあったが和やか雰囲気だった。

 

 

『期待以上の満足感:中城城跡』

沖縄旅行2日目は朝から自由行動である。ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらった。タクシーは10分くらいで到着。行先は『中城(なかぐすく)城跡』である。事前のリサーチで沖縄には琉球王国時代の城跡が幾つもあることを知った。石垣は中国の万里の長城のような形で世界遺産にもなっている『中城(なかぐすく)城跡』に行くことに決めていた。途中、ホテルから1Kmの距離にある『チビリガマ』という壕に寄ってもらった。周りには何もない林の中にある洞窟のような壕である。壕の入り口の石碑には亡くなった方の名前が刻まれていた。沖縄県の南部には沖縄戦の終盤、追い詰められた日本軍兵士と住民が集団自決した壕がいくつかあるが、読谷村の『チビリガマ』はアメリカ軍上陸直後に集団自決があった壕である。銃撃や手榴弾による攻撃の後、投降勧告もあったが、立てこもっていた129名の内82名が集団自決で亡くなったのである。半数以上が子供だという。アメリカ兵は鬼畜で残忍だと教わっており、捕って残虐な仕打ちに合うことを恐れていたようだ。沖縄戦における民間人が巻き込まれた痛ましい事例の一つである。詳しい状況はWikipediaに記載されている。私は壕の入り口で一礼し、黙祷してその場を後にした。入壕は遺族会の意思で禁止されている。自由行動の初めは極めて重い場所からのスタートになった。

壕を出て、タクシーで1時間ほど走った。運転手さんが古くからある集落や墓地を通っていろいろ説明してくれた。緑の中に佇む赤い屋根の沖縄独特の住宅が興味深かった。屋根にはシーサーが乗っている。タクシーの運転手は60代くらいの穏やかな方で、沖縄の文化や暮らしについていろいろ話してくれて観光ガイドのようだった。

 

中城城跡はかなりの高台にあった。駐車場でタクシーを降り、入り口で入場券を買うと頂上まではカートに乗せてくれた。城跡は左右に太平洋と東シナ海の両方を眺める事ができる風光明媚な所だった。石垣も思ったより大きく、数も多い。城跡は想像していたよりも規模が大きく、階層状になっていた。景色も素晴らしく得をした気分である。交通の便は悪い(那覇からバスが出ているが、バス停から30分以上歩く)がお勧めポイントである。見学時間はおよそ1時間。タクシーは駐車場で待っていてくれた。運転手さんとの交渉で、料金はすべてメーター通りという事にしていた。

 

 

『ハリウッド映画にもなった戦跡:ハクソーリッジ』

次に行きたかったのは『前田高地』、別名『ハクソーリッジ』である。沖縄戦における日米の激戦地の1つで、2016年にメルギブソン監督によりアメリカで映画化された映画のタイトルになった場所である。日本でも上映された映画だ。私は『ハクソーリッジ』のDVDを持っていたので来てみたいと思っていたのである。宗教上の理由で武器を持たないアメリカ軍の衛生兵が敵味方関係なく負傷兵の救護に当たり、75名の負傷兵を救った実話を元に作られた映画である。切り立った崖をロープを伝い、負傷兵を背負って救出するシーンが印象的な映画だ。日本軍側の呼び名は『前田高地』、アメリカ軍側の呼び名は『ハクソーリッジ』(ノコギリの刃のように尖った崖とうい意味らしい)である。中城城跡からタクシーで40分位の移動だった。途中にアメリカ軍の飛行場『嘉手納基地』や、アメリカ軍の兵士の住宅地(キャンプ)に立ち寄ってくれたのでミリタリーマニアの私には有難かった。また、沖縄の基地問題についても考えさせられた。前田高地はモノレールの『浦添前田駅』と近かったのでタクシーはここまでにした。料金は1万5千円。2時間半の拘束で、ガイドもしてもらったので高いとは思わなかった。まあ、複数人であればもっと安かったのだろうが、マニアックな場所だったので仕方がない。バスツアー組は『美ら海水族館』、『琉球村』、『古宇利島』やステーキハウスを回るルートだった。他にはゴルフに行くグループやレンタカーで観光名所を回るグループもいた。私は孤独に城跡と戦跡を巡ったが、知らない土地を一人で巡るのは少し冒険気分も楽しめた。普段使わないスマホの地図アプリが実に役に立った。

 

前田高地は、高地というだけあって、標高120mの高台だった。2泊3日分の荷物が入った大きなリュックを背負っていたのでしんどかったが、いい運動になった。前田高地には『浦添城』の城跡もあり、緑も多く、散策には良い所だった。獣道のような所も通り、『ハブ注意』の看板が多いのは気になったが(結構ビビッた)、同時に沖縄に来たことを実感できた。高地の頂上からは那覇方面とアメリカ軍の侵攻ルートが見渡せた。前田高地は首里にあった日本軍の司令部攻略を目指すアメリカ軍を迎え撃った場所である。79年前にこの場所で映画さながらの激戦が繰り広げられたと思うと感慨深かった。見渡せる平地を侵攻してくるアメリカ軍の大軍を、日本軍の兵士達はこの丘からどんな気持ちで見ていたのであろうか。前田高地には記念碑や激戦地であった事を示す案内板が建てられていた。記念碑には戦闘の概要や戦闘に参加した部隊名や戦死した日本軍兵士の名前が彫られていた。日本で唯一、民間人を巻き込んでの地上戦があった沖縄を肌で感じることが出来る場所だった。身が引き締まる思いがした。

 

 

『地獄の戦場:シュガーローフヒル』

次に目指した場所は、沖縄戦最大の激戦地『シュガーローフヒル』である。モノレールに乗って『浦添前田駅』から『おもろまち駅』へ移動した。おもろまちは那覇新都心と呼ばれ、ショッピングセンター、映画館、飲食店などが立ち並ぶ新しい街だった。シュガーローフヒルは、駅からは歩いて5分の整備された公園がある小さな丘で、現在は貯水タンクが立っている。おもろまち駅を降りると、駅と直結した大きなアウトレットショッピングモールがあり綺麗に整備された街で、激戦地だった面影は無い。貯水タンクのある小さな高台の横の階段を登るとそこが『シュガーローフヒル』だった。丘の上には小さな慰霊碑と案内版があるだけだった。眼下には高級ブランドの看板が幾つも出ているショッピングモール、ホームセンター、大きな紳士服チェーン店が見えた。すぐ近くに丘を見下ろすように高層マンションが建っていた。かつては砲声と銃声が響き、日米の双方の兵士の亡骸が沢山転がっていた場所である。先ほど行った前田高地よりも首里に近く、ここも首里にある司令部を守る防衛ラインだった。小さな丘の頂上を何度も取ったり取り返したりした激戦地で、アメリカ軍に最も大きな損害が出た場所である。現地招集の兵士や民間人も巻き込んでの戦闘は1週間に及んだ。

 

『お土産』

シュガーローフヒルを降りた後はコンビニに入ってペットボトルの水と、スパムと卵焼きを挟んだおにぎりサンドと、東京では見かけないメーカーのチョコレートバーを買って路上で食べた。時刻は14:00、遅い昼食だった。その後はモノレールで那覇に移動して会社が予約してくれたビジネスホテルにチェックインし、19:00からの民謡酒場での会社の宴会に参加した。沖縄民謡の生演奏と歌声を聞きながら沖縄料理を食べ、沖縄気分に浸った。周りは泡盛を飲んで盛り上がっていたが、私は我慢(辛かった)してお茶を飲んだ。

 

 最終日は『国際通り』でお土産を買って『首里城』に行って観光は終了。お土産は有名な『紫芋タルト』や『ちんすこう』と小さな『シーサー』にした。事前にネットで調べておいたミリタリーショップにも入った。店の中はアメリカ軍由来の衣服が並び、ミリタリーマニアには堪らないものばかりだったが、私は20mm機関砲弾、9mmパレベラ弾、45ACP弾、5.56mm弾の4種類の弾丸を買った。実弾(もちろん火薬は入っていない)は飛行機に持ち込めないので店から『ゆうメール』で自宅へ送った。今まさに私の書いているネット小説で主人公が使っている銃が45ACP弾を使用する銃で、女性キャラクターが使う銃が9mmパラベラム弾を使う銃だったのでタイミングがよかった。実物を手にするとイメージが膨らんで執筆時のテンションがあがるのである。

 

2泊3日の初めての沖縄旅行は有意義なものとなった。もし今回の社員旅行の企画がなければ一生に沖縄に行くことは無かったかもしれない。もっと早く来ていればリピートしたであろう。次に行った時はメジャーな観光地を回ってみるか。いい所だったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 2月は断捨離で服を10着捨てる事を目標としていた。3年以上着ていないアウターから捨てる事にした。ここ10年ほどミリタリー系の服がメインになっている。本物に拘ってきた。ミリ服の本物は意外に安い。むしろアパレルメーカーのミリタリー風な服よりも本物の方が安かったりする。特にデットストック物は狙いめだ。数年前、フランス軍のミリ服にハマった。F2ジャケットやフィールシャツやハーフコートである。タグに服を生産した街の名前と製作した『年』が記載されている。中には1968年(私が2歳の頃)、フランスのある街(ネットで調べたらフランス田舎の街だった。生産地が『パリ』の物のもあった)で作られた物があった。フランスのどこかの倉庫に50年以上も大量に眠っていたのだろう。おそらくそれをバイヤーが買い付けたのだ。本物のミリ服は大量生産品であるため価格が安いのである。まして倉庫に眠っていた物だ。本物のミリ服は実に機能的(ポッケや風避け等)で丈夫である。まあ戦場で使うのだからね。本来フランス軍の兵士の誰かが着る為に作られた服が、50年の時を超えて日本人の私が着るのだ。なんかロマンがある。

 

 ミリ服は各国の物があるが、フランス軍のミリ服はオシャレなのである。シルエットは細身で、襟やポケットの形がカッコいい。アメリカ軍のミリ服は汎用性があり、丈夫だが、形がボックス型なので野暮ったいのである。フランス軍の半袖のフィールシャツはもう8年も着ているがまったくヘタっていない。F2ジャケットも6年以上着ている。胸の斜めのジッパー付のポケットは実に機能的である。フランス軍のパラシュートパンツも履きやすくて気に入っている。ミリ服の話が長くなってしまったが、ミリ服にもお国柄が出るのである。

フランス軍やイタリア軍のミリ服はオシャレである。旧共産圏や北欧のミリ服も独特の尖った感じがあって、結構オシャレである。本物のミリ服は安く、機能的で丈夫である。また歴史と巡り合わせを感じるロマンがある。ただし興味の無い人(大半か)から見ればただの作業着にしか見えないかもしれない。もちろんフォーマルな場所で着る事はお勧めしない。

 

 ミリ服の話が長くなってしまったが5着を捨てる候補に挙げた。古いビジネススーツも2着あった。なせかビジネススーツは捨てられないのである。普段は着る事が無いが、もし、今稼働しているスーツが破れたりトラブルがあった場合の予備として、とっておきたいのだ。今稼働しているスーツは3着で予備が2着である。

 

 しかしここで事件が起きた。なんと稼働しているスーツ2着のズボンの後ろが大きく破けたのだ。朝、出勤の為にスーツを着ようとした時に1着目のスーツのズボンの後ろが破れている事に気が付きショックを受ける。指ざわりで気が付いた。なぜ破れたのか原因は不明だが、ハンガーの内側の尖った突起(ズボンを挟んで止める箇所)に引っ掛かった状態で強く引いたのかもしれない。朝は忙しいのでズボンをハンガーから乱暴に引っ張る事がある。慌てて2着目に着替えようとするがなんと2着目もズボンの後ろが破れている。「アタタタ、ホーワッチャ!」思わず叫んでしまった。スーツが2着同時にトラブルになった。もう一着のスーツはクリーニングに出している。仕方無いので予備のスーツを着る事にしたが、長らくハンガーに掛けっぱなしだったため、形が崩れている。色も焼けた感じだ。稼働スーツ3着のうち2着がダメになった。虎の子の空母を2隻同時に失った艦隊司令官の気分だ。断捨離どころじゃねえ! スーツ買わなきゃ!!!

 

 翌日、会社からの帰りにスーツを2着買いに行った。店に入ると店員が「何をお探しでしょうか」と揉み手をしながら近づいてくる。「紺色と黒のスーツをください」私は間髪いれずに答えた。

普段はゆっくり何着も手に取って吟味してから購入するが、今回は焦っていた。店員が

無地の紺色と黒いスーツを持ってきた。光沢が上品で着心地が良さそうなスーツだ。生地も滑らかである。店員が商品の特徴を説明したが殆ど聞いていなかった。私は執筆中のネット小説の事を考えていた。店員の勧めで試着する。冷やかしではなく、買う気満々の客なので店員も対応が丁寧だ。試着をして寸法も合わせた。

「じゃあこれをください」

「ありがとうございます。お支払いは現金ですか、カードですか?」

財布の中には銀行でおろしたばっかりの、スーツ2着分の金額16万円入っている。現金で払おうと思った。

「幾らになりますか?」

「えーと、2着で袖直しが3500円ですので、24万9千円になります」

「えっ!!?」

<やべ、高い、1着12万円! 想定外だ。カードで払うか・・・・・・>

この店では見るだけのつもりだったのが勢いで買ってしまった。今更断るわけにはいかない。

 私が入った店は池袋の西武デパートにある『ポールスミス』だった。前から欲しいと思っていたブランドだが手が出せなかった。ポールスミスは見るだけで、もう少し安い他のブランドを買うつもりだったが焦りと勢いで買うことになってしまった。普段は『タケオキクチ』か『カルバンクライン』の7万~8万円のスーツを着ている。たまに9万円の『ブラックレーベル』だ。10万円を超えるスーツは初めてである。思わぬ出費だ。しかしポジティブに、10万円超えスーツのデビューと考える事にしよう。

 

 私は30代までは『アオキ』や『青山』や『コナカ』のスーツを着ていた。それもセール品ばかりだった。4万円を超えることはなかった。時にはダイエーの上下で19800円のスーツだったが不自由は感じなかった。スーツなど作業着だと思っていたからである。しかしある時、少し高いスーツを着てみようと思った。それは母の言葉がキッカケだった。35歳の時だった。急用(実家のパソコンがウィルスに感染)で会社帰り実家にスーツで帰った時だった。

「あんたいつもそんな安っぽいペラペラのスーツ着てるの? あんたも課長で部下もいるんでしょ。上司がそんな安っぽいスーツ着てたら部下の人達が可哀そうよ。こんな人の部下なんだって思ってるわよ」

母親の一言で意識が変わった。西武デパートに行って店員に勧められた『バーバリーブラックレーベル』のバンカーストライプのスーツを買った。8万6千円だった。袖が折り返しになっているオシャレなスーツだった。高い(私にとってはだが)スーツを着ると、スーツを雑に扱えなくなった。作業着だったスーツが意識して着る物に変わった。不思議と所作も変わった。気分も上がった。以来スーツは7万円以上のものを着ている。もちろんスーツの良さは値段ではないが、3万円のスーツよりは明らか着心地が良く、生地の肌触りも良かった。クラブのお姉ちゃん達は手触りで高いスーツか安いスーツかを見分ける事ができる。

「お客さん、いいスーツですね」

何回か言われた。エレベータの中で同じ会社の管理部門の若い女性社員に突然スーツの襟を掴まれ、ひっくり返して胸の裏側のタグを見られた事もあった。バーバリーブラックレーベルの特徴的なスーツを着ている時だった。

「結構いいスーツ着てるんですね。形がオシャレだからどこのブランドか気になったんです」

まあ悪い気はしない。

 

 それにしても断捨離を実行している時にスーツを2着買わなければならなくなってしまった。ズボンがダメになったスーツの上は捨てるか。でも普段使いもできるかな。ジャケットが2着増えてしまう。断捨離が進まない。何よりも悔しいのは予定外の思わぬ出費が発生した事だ。最近パソコンも調子が悪い。買い替え時なのか? 洗濯機も途中で止まったりして調子が悪い。シェーバーも変な音がする。電話機も留守電機能が壊れたようだ。家電製品が壊れる時は申し合わせたかのように一斉にダメになる。

 

PC「俺、そろそろ壊れるけど寂しいから誰か付き合ってくれよ」

固定電話機「おうっ、いいぜ、俺も長いし、もう疲れたわ。最近は仕事もあんまりねえし。

これでも昔は忙しかったんだぜ」

洗濯機「そういう事なら俺も仲間に入れてくれ。いずれ壊れるんだ、一緒に壊れようぜ」

シェーバー「俺も毎朝同じ事の繰り返しで飽きたよ。景気よく一緒にいくか」

PC「おい、コンポ、お前はどうするんだよ?」

コンポ「まだ耐用年数になってないからもう少し頑張るよ」

PC「お前は相変わらず真面目だな。もっとイージーに生きた方がいいぜ」

スマホ「俺は来たばっかりだからまだまだ頑張るよ。お前らの事は忘れないぜ」

 

 さて断捨離、レアなミリ服も着てない物は捨てるかな。メルカリとかに出す手もあるが面倒臭そうだ。スーツは来週に出来上がる。初めての10万円超えのスーツ。欲しかった『ポールスミス』。痛い出費だった事は忘れて気分をあげていこう。破けないように丁寧に扱わねば。いつかはヒューゴボスのスーツを着たいと思っている。

 

 執筆中だったネット小説「続 私とアイドルエイリアン『MM378戦記 革命士官ナナミ大尉』」の最終話を投稿した。あまりアクセス数は伸びていないが、全49話。文庫本換算で500ページ弱の作品になった。最初の作品にしてはよく頑張ったつもりだ。ネット小説は趣味として継続したい。季節はもうすぐ春。今週末の3連休は社員旅行で沖縄に行く予定だ。初めての沖縄だ。2泊3日の工程だが2日目はフリー(バスでの団体ツアーもある)にした。観光地より戦跡を巡りたいと思っている。もちろん一人だ。もしかしたらブログにアップするかもしれない。泡盛をしこたま飲みたいが我慢だな。

 

 私は桜が咲く頃(4月)一つ歳を取る(最近は開花が早くてすっかり散った後だが)。還暦まであと2年。社会人になってから、あっという間だった。光陰矢の如しだ。長々と書いてしまったが2月の断捨離計画は遂行中。3月の目標は何にしようか。そうだ、少し歩いてみよう。座骨神経痛で通勤以外はまったく歩かなくなってしまった。明らかに運動不足だ。お腹も出てきた。腹筋が割れていた5年前が懐かしい。5年前は休日に20Kgの重りの入ったリュックを背負って10Km以上歩いていたのだ。座骨神経痛の様子を見ながら、通勤以外で一月に30Km歩く事にした。休日に1日4Km歩けば達成できる。今の私には結構キツいけどやってみよう。もちろん無理はしないつもりだ。座骨神経痛を悪化させたくはない。とにかく早く春よ来い♪。

 

*最近写真が無い。つぎは写真を入れたい。

 年が明けて一ヵ月が過ぎようとしている。何もしないうちに2月になりそうだ。今年は特に抱負は無い。毎年抱負を考えるが、GWの頃に忘れてしまっている。その日その日をポジティブに生きて行けばきっと何かが残るだろう。また、年単位で考えるのではく、月単位で『これをやってみよう』と考えるくらいが丁度良いかもしれない。その方が取り組みやすいだろう。その時の気分に合わせて今やりたい事をやってみるのだ。

 そもそも良くも悪くも、1年もあればその間に自分を取り巻く状況が変わる。この年(57歳)になると健康状態、仕事関連、人間関係などは予測がつかない変化が起きる。社会も変わる。そんな中で自分の気分や興味も変わるだろう。もしかしたら突然寝たきりになるかもしれないし、会社の業績が悪化するかもしれない。身内や親しい人の不幸があるかもしれない。自分だけのことではない。周りの人間が辛い目に合うかもしれないのだ。その時にはどう寄り添うか考え、行動しなければならない。目標など先に延ばせばいい。

 もちろん思いもよらない良い事もあるかもしれない。素敵な異性と出会って恋に落ちるかもしれない。ラッキーな大金を手にするかもしれない。仕事で予想外の成果を出すかもしれない。まあ、中学生のような発想だな。私もいい歳だ、変な妄想は止めておこう。何にしても大人の良識だけは持ち続けたい。プロジェクトマネジメントでいえば、計画ありきのウォーターホール型ではなく、変化に対応しながら軌道修正して成果を出すアジャイル型で1年を過ごすことにした。ベースとなる活動は断酒(土曜日のクリニックのミーティング参加含む)とネット小説の執筆だ。今年はヘルニアと脊柱管狭窄症の手術をしたいと思っている。2年前に発症した座骨神経痛はひどくなるばかりだ。強い鎮痛剤を飲んで痛みを押さえ、保存療法とい方法で自然治癒を期待していたが、良くなるどころか酷くなっている。痛みは押さえても『痺れ』が強い。時々左足の感覚が無くなって、階段を踏み外しそうになる。主治医にも手術を勧められた。

 覚悟を決めるるか・・・・・・。さて、ネット小説の方は続編を日々投稿している。アクセス数は日によってバラバラだ。減って来てるかな。ラブコメ色が薄くなり、かなり戦闘色が濃い内容になっている(架空戦記ものみたい)のがよくないのか? しかし去年から始めたこの趣味も継続していきたいたい。皆さんはどんな一年を思い描いているのだろうか。

 

 何をやるかの意気込みよりも、小さな事でも確実に『やれた事』を振り返れる一年にしたい。今月はブログの記事を一つUPしようと思っていた。達成できそうだ。2月は断捨離をしたい。まずは着ていない服を10着捨てよう。

 

 

勝手ながらネット小説の情報を貼らせてもらいます。読んで頂けると嬉しいです。感想を頂けるともっと嬉しい!

 

【作品情報1】

タイトル:「私とアイドルエイリアン」

作者名:南田 惟

話数:全29話、外伝1話、ショートストーリー3話 

文字数:154,092字(文庫本256ページ相当)

ジャンル:ローファンタジー  ラブコメ>SF>ミリタリー

URL:https://ncode.syosetu.com/n5698ik/

 

【作品情報2】

タイトル:「続 私とアイドルエイリアン『MM378戦記:革命士官ナナミ大尉』」

作者名:南田 惟

話数:未定、現時点[1月11日時点]で第10話まで投稿済 

文字数:57,249字(文庫本95ページ相当)[1月11日時点]

ジャンル:ローファンタジー  ミリタリー>SF>ラブコメ

URL:  https://ncode.syosetu.com/n8628io/

 気が付けば師走になっていた。今年もあと僅か。今年は少し『人生の転機』になったかもしれない。去年の12月、体調が悪く、検査を行ったところ肝機能に異常が見られた。ガンマGtpが1000を超えたのである。52歳から3年継続していた断酒も55歳から再飲酒をして酒量が増えたのである。突然の父の死と同時に始まった母の介護。3カ月実家に帰り母の介護を行った。毎日3食作ることの大変さを実感した。今は母が施設に入り、実家は誰も住んでいない状態だ。

 検査を受けた病院からアルコール専門クリニックを紹介されたて通うことになった。診断結果は『アルコール依存症』だった。まだ軽度だということだがショックだった。土曜日のミーティングにも参加している。ミティーングはアルコール依存症の人達が集まってプログラムを行う。基本的にはテーマに沿ったスピーチである。テーマはアルコールに関するものである。例えば『あなたが自分の飲み方について普通じゃないと思ったのはいつですか』『お酒を飲むことで失ったものは何ですか?逆に得たものは何ですか』のようなテーマだ。スピーチ基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしで、質問や反論は厳禁である。皆、アルコールに関する悩みをテーマに沿ってスピーチする。普段言えない事を吐き出す感じだ。中には想像を絶すものあった。仕事を失った人、家族を失った人、アルコール性鬱病を患っている人など誰もが酒で失った物がある。メンバーは同じ苦労をしているので話しやすい。

 

 一般的にアルコール依存症に対する偏見は強く、世間の理解が浅い病気である。私も最初はミーティング参加することに抵抗があった。自分の事を棚に上げるようだが、アルコール依存症は社会不適合者がなるものと思い、ミーティングも殺伐としたものを想像したしていた。しかし参加者はごく普通の社会人であった。むしろ真面目な人が多い印象だ。参加者の20人前後、年齢は20代から70代と広く、女性の参加者もいる。共通しているのは飲酒をコントロールできなくなった事だ。アルコール依存症になった原因は男性の80%以上が仕事のストレスだった。厳しいノルマ、客の接待、管理職としての責任の重さ等々である。真面目で責任感の強い人が多いようだ。酒の力で乗り切ってきたつもりがいつの間にか病気になっている。長期の入院経験がある人も多く、皆断酒に励んでいるいるのである。

 

 一度依存症になると断酒しか治療方法がない。一生断酒をする必要がある。脳に依存症の回路が出来てしまっているからである。私も大好きだった酒をもう飲めないのだ。ちなみにアルコール依存症の平均寿命は52歳。昭和の大スターや有名人もこの病気で亡くなっている恐ろしい病気だ。症状を簡単に段階的に以下にまとめる。心当たりがある方は注意が必要だ。

①毎日飲酒をしてしまい休肝日が作れない(晩酌等)

②翌日に大事な用事があっても飲み過ぎてしまう

③休日は朝から、もしくは昼から飲んでしまう

④仕事中に隠れて飲酒する、もしくは通勤途中や前に飲酒する

⑤飲酒中心の生活になり社会的な生活が送れない

 

 一度依存症になると断酒は難しい。一人だと飲酒してしまうのでミーティングに参加して自分がアルコール依存症である事を再認識して断酒に励むのである。中には断酒歴5年以上の人もいる。

私も1年近く通い、肝臓の数値が正常値に戻った。そうなると飲酒欲求が強くなるので危険な状態だ。私の症状は、毎日多量の酒を飲んでしまう事である。ただし飲む時間帯は決まっており、寝る前の2~3時間である。なんとか社会生活は送れているが肝臓がボロボロになり、毎日だるい日々が続いた。病気が進行すると朝から飲んだり、四六時中飲む等、社会生活が送れないようになるようだ。当然体もボロボロになるのである。断酒は続けているが、何回か飲酒してしまった。スリップとういう。スリップの怖い所は以前のような飲酒生活に戻るきっかけになることである。重度の依存症の場合、スリップから連続飲酒(食事もとらずにひたすら何日も酒を飲み続ける)となり、意識を失い、救急搬送されるのである。連続飲酒の体験も参加者から何度も聞いた。年末年始は飲酒の誘惑が多いので気を付けたいと思っている。

 

 私は酒を否定するつもりは無い。適度に飲めば楽しいし、コミュニケーションツールとしは最高だ。ストレス解消にもなるし、酒による恩恵は多い。しかし習慣化すると依存症という落とし穴が待っている。そして誰でもその落とし穴に嵌る可能性がある。まあ今の段階で治療を受けて良かったのかも知れない。もし重度になっていたら肝硬変等、取り返しがつかない状況になっていたかもしれない。日本でアルコール依存症の患者は100万人。予備軍を加えると200万人とも言われている。しかし治療を受けているのは5%に過ぎないということだ。誰もが認めたがらない『否認の病気』とも言われている。お酒の好きな人は注意が必要だ。

 

 さて、9月に『小説家になろう』に投稿したネット小説『私とアイドルエイリアン』であるが最終回まで投稿し、現在のところアクセス数は2500を超えた。これが多いのか少ないのかわからないが思ったより多くの人が読んでくれてるようだ。お世辞かもしれないが、何人かの知人から続編を書いて欲しいと言われたので、今は続編を書いている。しかしこれが難しい。パート1にアイデアを全力で注ぎこんだのでそれを超えるアイデアが出てこないのである。映画でもパート2以降がつまらない理由がわかった気がする。パート1では斬新だったアイデアも続編ではあたりまえになってしまう。まあ、趣味の世界だからあまり気負わずに書こうと思っている。しかし続編では『ラブコメ』のはずなのに趣味のミリターに走ったしまった。やたらと戦闘シーンが多いのである。年明けに続編を投稿しようと思っている。4分の3ほど書いたがラストをどうするか悩んでいる。ちょっと作家気分だ。

 

 来年の話をすると鬼が笑うと言うが(鬼達よ、笑いたければ笑え)、来年も断酒とネット小説の執筆を継続させたい。正月は施設から母を連れ出して実家で過ごしたいと思っている。母とあと何回一緒に正月を迎えられるだろうか。歳をとるのは残酷な事だと思う今日この頃。私も老後に備えなければ。

それでは皆さん『良いお年』を! ちょっと早いか?

 

 

ちなみに『私とアイドルエイリアン』のURLです。是非ご一読下さい。読んで頂けるとたいへん嬉しいです。まあ、57歳のおっさんが書いた変なラブコメです。

私とアイドルエイリアン (syosetu.com)

 前回のブログで書いた通り、ネット小説の投稿を開始した。投稿頻度は毎日1話ずつアップする予定だ。現在は6話までアップしている。今まで小説を書いたこと無いので今回が処女作である。

純文学に挑戦してみたかったが、純文学を書くには時間が無かった。

足りない語彙力と文章力を鍛えながら物語のプロットを考えるには時間が必要だ。

等身大の自分のままで書くにはライトノベルが調度良かった。ある程度プロットを決

めてしまえば浮かぶアイデアを文字にしていけばよかった。SFとラブコメの融合した

ような作品だが、面白おかしく読みながら少し切なくなるような作品にしたかった。

この作品の主人公の服装、趣味、アイテムは私自身のそれである。

素人の作品なので読者が面白いと感じるかどうかまったく予想ができないが、今回は

このブログで作品の「あらすじ」を紹介したい。

 

投稿サイトは『小説家になろう』。作品のタイトルは『私とアイドルエイリアン』。

 

Googleで『私とアイドルエイリアン』を検索すれば最初の候補に作品が出てくる。興味のある方はぜひ一読することをお願いしたい。感想などを残してもらえると本当に嬉しい。よろしくお願いします。

次の作品を書くかどうかは考え中であるが創作活動は実に楽しい。

 

【以下あらすじ】

 

冴えない独身ITエンジニアの水元岳(タケル)は夜の公園でホームレスに絡まれる。
友達になって欲しいというホームレスは、宇宙人で何にでも姿を変えることができると言う。酔っていたタケルは面白半分でホームレスに国民的アイドル『美島七海』に変身することができたら友達になると交換条件を出す。MM星人のホームレスは本当に『美島七海』に変身した。アイドルに変身した宇宙人とタケルの同棲生活が始まる。美貌でタケルや周り男達を虜にしていく七海。やがてアイドル美島七海のコピーであることで生活に支障が出始める七海はタケルの作ったオリジナルの姿に変身してさらに美貌に磨きをかける。無邪気で天真爛漫な七海。しかし七海は故郷の惑星MM378で過酷な過去を背負って地球に逃亡してきた軍人だった。
感情が希薄だったMM星人の七海はタケルや周りの人達との交流を通して感情が芽生える。すっかり地球人として安定した生活を送る七海。美しく可愛い七海の魅力が炸裂。濃いキャラクターの仲間達とともに織りなすエピソードを中心に、地球人と宇宙人という生命体の枠を超えて惹かれあうタケルと七海。七海の美貌を活かしてモデルデビューを企画する仲間たちと七海。そこに謎の組織が介入する。故郷MM378で大きな異変が起きていることを知る七海、心が揺れ動く。
ラブコメ、SF、ミリタリーを軸に物語は展開する。ラストは少し切ない展開に。40

代~50代の心に刺さる設定多数。

久しぶりです。

もう4年も更新していなかったのか。

この4年間、本当にいろいろなことがあった。突然の父の死、実家に帰っての母の介護、そして私も病気で休職した。コロナ下で運動もできず、酒を飲み過ぎてしまった。

今は断酒して大人しく過ごしている。ありがたいことに仕事も落ち着いている。

暇なのでネット小説を書いてみた。ジャンルはローファンタジーのラブコメ?というかSFというか。『小説家になろう』に4話まで投稿してみた。すでに最終回まで書いているが加筆しながら、少しずつアップする予定だ。まあ、素人が書いた駄文だけど楽に読める作品だと思っている。。

作品のタイトルは『私とアイドルエイリアン』。グーグルで検索しても出てくるので興味のある方はぜひ一読してほしい。文才は無いのであくまでも趣味だが、創作活動は思った以上に楽しく、アイデアがどんどん湧いてきて一気に書いてしまった。作品内で取り上げる事柄につてネットで調べたり本を読んだりして知らなかったことにも興味が持てた。特に宇宙について興味が湧いた。まったく興味がなかったのだが、作品内で触れているので調べる必要があったのだ。創作活動はお金もかからないし、想像力と文章力が鍛えられるいい趣味だと思った。

老後の暇つぶしにもなるだろう。

 

小説家になろうに投稿(グーグル検索でもOK)

作品名:『私とアイドルエイリアン』

著者名:『南田 惟(なんだこれ)』

久しぶりのブログ(今年2回目でなんと大晦日)。

年を取ると1年が早いというが、まさにその通り。もう今年が終わろうとしている。

終わっちゃう・・・。

令和元年も終わりかぁ。 

個人的には特に何も無い年だったけど、禁酒もなんとか続き、自重筋トレ(最近は結構ハードメニュー)も継続している。

ボルダリングは春先に手首を痛めて3ヵ月くらいできなかったが、夏には回復。久しぶりに登ってみると体が上がらない。一気にグレード(登れるレベル)が3級も落ちてびっくりした。頭では憶えていても体が連動しない。秋から週2回ペースでジムに通ってなんとか感覚を取り戻しつつある。

そうそう、今年一番盛り上がったのは、ラグビーワールドカップ。日本代表がまさかのベスト8進出。30年来のラグビーファンにとっては涙が出るような出来事。ラグビーの人気が続いてくれると嬉しいけど・・・。

 

来年は年明け早々仕事が忙しくなりそうだ。

 

最近は特にアップする写真もないが、夏に体を焼いてみたので、その時の写真をUPしたい。不思議だが日焼けすると筋肉がたくましく見える。ボディビルダーの人たちが体を焼く理由がわかった気がする。私は引き締めるのが目的で、マッチョになるつもりがないが・・・

でも、なんかいいかも!夏が待ち遠しい。

 

それでは、みなさん良いお年を!!!

 

暑すぎて誰もいない「新木場公園」(2019年8月)

3回行きました( ^ω^)・・・

          

 

 

 

 

焼くといいかも~