気が付けば師走になっていた。今年もあと僅か。今年は少し『人生の転機』になったかもしれない。去年の12月、体調が悪く、検査を行ったところ肝機能に異常が見られた。ガンマGtpが1000を超えたのである。52歳から3年継続していた断酒も55歳から再飲酒をして酒量が増えたのである。突然の父の死と同時に始まった母の介護。3カ月実家に帰り母の介護を行った。毎日3食作ることの大変さを実感した。今は母が施設に入り、実家は誰も住んでいない状態だ。

 検査を受けた病院からアルコール専門クリニックを紹介されたて通うことになった。診断結果は『アルコール依存症』だった。まだ軽度だということだがショックだった。土曜日のミーティングにも参加している。ミティーングはアルコール依存症の人達が集まってプログラムを行う。基本的にはテーマに沿ったスピーチである。テーマはアルコールに関するものである。例えば『あなたが自分の飲み方について普通じゃないと思ったのはいつですか』『お酒を飲むことで失ったものは何ですか?逆に得たものは何ですか』のようなテーマだ。スピーチ基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしで、質問や反論は厳禁である。皆、アルコールに関する悩みをテーマに沿ってスピーチする。普段言えない事を吐き出す感じだ。中には想像を絶すものあった。仕事を失った人、家族を失った人、アルコール性鬱病を患っている人など誰もが酒で失った物がある。メンバーは同じ苦労をしているので話しやすい。

 

 一般的にアルコール依存症に対する偏見は強く、世間の理解が浅い病気である。私も最初はミーティング参加することに抵抗があった。自分の事を棚に上げるようだが、アルコール依存症は社会不適合者がなるものと思い、ミーティングも殺伐としたものを想像したしていた。しかし参加者はごく普通の社会人であった。むしろ真面目な人が多い印象だ。参加者の20人前後、年齢は20代から70代と広く、女性の参加者もいる。共通しているのは飲酒をコントロールできなくなった事だ。アルコール依存症になった原因は男性の80%以上が仕事のストレスだった。厳しいノルマ、客の接待、管理職としての責任の重さ等々である。真面目で責任感の強い人が多いようだ。酒の力で乗り切ってきたつもりがいつの間にか病気になっている。長期の入院経験がある人も多く、皆断酒に励んでいるいるのである。

 

 一度依存症になると断酒しか治療方法がない。一生断酒をする必要がある。脳に依存症の回路が出来てしまっているからである。私も大好きだった酒をもう飲めないのだ。ちなみにアルコール依存症の平均寿命は52歳。昭和の大スターや有名人もこの病気で亡くなっている恐ろしい病気だ。症状を簡単に段階的に以下にまとめる。心当たりがある方は注意が必要だ。

①毎日飲酒をしてしまい休肝日が作れない(晩酌等)

②翌日に大事な用事があっても飲み過ぎてしまう

③休日は朝から、もしくは昼から飲んでしまう

④仕事中に隠れて飲酒する、もしくは通勤途中や前に飲酒する

⑤飲酒中心の生活になり社会的な生活が送れない

 

 一度依存症になると断酒は難しい。一人だと飲酒してしまうのでミーティングに参加して自分がアルコール依存症である事を再認識して断酒に励むのである。中には断酒歴5年以上の人もいる。

私も1年近く通い、肝臓の数値が正常値に戻った。そうなると飲酒欲求が強くなるので危険な状態だ。私の症状は、毎日多量の酒を飲んでしまう事である。ただし飲む時間帯は決まっており、寝る前の2~3時間である。なんとか社会生活は送れているが肝臓がボロボロになり、毎日だるい日々が続いた。病気が進行すると朝から飲んだり、四六時中飲む等、社会生活が送れないようになるようだ。当然体もボロボロになるのである。断酒は続けているが、何回か飲酒してしまった。スリップとういう。スリップの怖い所は以前のような飲酒生活に戻るきっかけになることである。重度の依存症の場合、スリップから連続飲酒(食事もとらずにひたすら何日も酒を飲み続ける)となり、意識を失い、救急搬送されるのである。連続飲酒の体験も参加者から何度も聞いた。年末年始は飲酒の誘惑が多いので気を付けたいと思っている。

 

 私は酒を否定するつもりは無い。適度に飲めば楽しいし、コミュニケーションツールとしは最高だ。ストレス解消にもなるし、酒による恩恵は多い。しかし習慣化すると依存症という落とし穴が待っている。そして誰でもその落とし穴に嵌る可能性がある。まあ今の段階で治療を受けて良かったのかも知れない。もし重度になっていたら肝硬変等、取り返しがつかない状況になっていたかもしれない。日本でアルコール依存症の患者は100万人。予備軍を加えると200万人とも言われている。しかし治療を受けているのは5%に過ぎないということだ。誰もが認めたがらない『否認の病気』とも言われている。お酒の好きな人は注意が必要だ。

 

 さて、9月に『小説家になろう』に投稿したネット小説『私とアイドルエイリアン』であるが最終回まで投稿し、現在のところアクセス数は2500を超えた。これが多いのか少ないのかわからないが思ったより多くの人が読んでくれてるようだ。お世辞かもしれないが、何人かの知人から続編を書いて欲しいと言われたので、今は続編を書いている。しかしこれが難しい。パート1にアイデアを全力で注ぎこんだのでそれを超えるアイデアが出てこないのである。映画でもパート2以降がつまらない理由がわかった気がする。パート1では斬新だったアイデアも続編ではあたりまえになってしまう。まあ、趣味の世界だからあまり気負わずに書こうと思っている。しかし続編では『ラブコメ』のはずなのに趣味のミリターに走ったしまった。やたらと戦闘シーンが多いのである。年明けに続編を投稿しようと思っている。4分の3ほど書いたがラストをどうするか悩んでいる。ちょっと作家気分だ。

 

 来年の話をすると鬼が笑うと言うが(鬼達よ、笑いたければ笑え)、来年も断酒とネット小説の執筆を継続させたい。正月は施設から母を連れ出して実家で過ごしたいと思っている。母とあと何回一緒に正月を迎えられるだろうか。歳をとるのは残酷な事だと思う今日この頃。私も老後に備えなければ。

それでは皆さん『良いお年』を! ちょっと早いか?

 

 

ちなみに『私とアイドルエイリアン』のURLです。是非ご一読下さい。読んで頂けるとたいへん嬉しいです。まあ、57歳のおっさんが書いた変なラブコメです。

私とアイドルエイリアン (syosetu.com)