『久々の社員旅行』

大分時間がたってしまったが、2月後半の3連休(2月23日~2月25日)に社員旅行で沖縄に行って来た。人生初の沖縄である。社員旅行が開催されるのは20年振りだ。コロナ渦でリモートワークが増え、社員間のコミュニケーションが希薄になったので、団結力強化のために企画したようだ。各自の旅行積立金ではなく、全額会社負担なので参加者も多かった。会社の創業30周年パーティーもある2泊3日の旅行である1泊目の宿は読谷村のリゾートホテル『日航ウィラ』、2泊目は那覇市内のビジネスホテルだった。2日目の観光は貸し切りバスのバスツアーと自由行動が選択できるようになっていので、私は自由行動を選択した。沖縄は初めてで土地勘も無く、交通手段も少ないと聞いたので選択を迷ったが、どうして行きたい場所があったのだ。沖縄は鉄道が無い為、移動手段は限られる。レンタカーを借りる手もあるが、何年も運転していないうえに未知の土地である。事故でも起こしたら目も当てられない。お金は掛かるがタクシーをメインに移動する事を前提に下調べをした。

 

『温度差』

出発の朝は早く、6時45分に羽田空港集合だった。自宅を出たのは5時15分。暗い空に小雪がチラつく寒い朝だった。ところが羽田を飛び立って3時間後、那覇空港に着くと暖かい。というより熱い! 厚手の『MOMAパーカー』のうえに自衛隊の作業用ジャンパーを着ていたのだが、汗が出てきた。温度は24度。東京の初夏の温度である。ジャンパーだけではなく、パーカーも脱いでTシャツになった。他のメンバーも同様に上着を脱いだりTシャツだけになっていた。同じ日本とは思えない温度差である。南へ来たことを実感できる瞬間だった。なんか沖縄スゲエ! 旅行への期待が膨らんだ。初日は『おきなわワールド』で鍾乳洞に入り、物産や文化の展示コーナーで沖縄の様々な文化に触れることができた。夜の創業記念パーティーはジャケット着用のドレスコードはあったが和やか雰囲気だった。

 

 

『期待以上の満足感:中城城跡』

沖縄旅行2日目は朝から自由行動である。ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらった。タクシーは10分くらいで到着。行先は『中城(なかぐすく)城跡』である。事前のリサーチで沖縄には琉球王国時代の城跡が幾つもあることを知った。石垣は中国の万里の長城のような形で世界遺産にもなっている『中城(なかぐすく)城跡』に行くことに決めていた。途中、ホテルから1Kmの距離にある『チビリガマ』という壕に寄ってもらった。周りには何もない林の中にある洞窟のような壕である。壕の入り口の石碑には亡くなった方の名前が刻まれていた。沖縄県の南部には沖縄戦の終盤、追い詰められた日本軍兵士と住民が集団自決した壕がいくつかあるが、読谷村の『チビリガマ』はアメリカ軍上陸直後に集団自決があった壕である。銃撃や手榴弾による攻撃の後、投降勧告もあったが、立てこもっていた129名の内82名が集団自決で亡くなったのである。半数以上が子供だという。アメリカ兵は鬼畜で残忍だと教わっており、捕って残虐な仕打ちに合うことを恐れていたようだ。沖縄戦における民間人が巻き込まれた痛ましい事例の一つである。詳しい状況はWikipediaに記載されている。私は壕の入り口で一礼し、黙祷してその場を後にした。入壕は遺族会の意思で禁止されている。自由行動の初めは極めて重い場所からのスタートになった。

壕を出て、タクシーで1時間ほど走った。運転手さんが古くからある集落や墓地を通っていろいろ説明してくれた。緑の中に佇む赤い屋根の沖縄独特の住宅が興味深かった。屋根にはシーサーが乗っている。タクシーの運転手は60代くらいの穏やかな方で、沖縄の文化や暮らしについていろいろ話してくれて観光ガイドのようだった。

 

中城城跡はかなりの高台にあった。駐車場でタクシーを降り、入り口で入場券を買うと頂上まではカートに乗せてくれた。城跡は左右に太平洋と東シナ海の両方を眺める事ができる風光明媚な所だった。石垣も思ったより大きく、数も多い。城跡は想像していたよりも規模が大きく、階層状になっていた。景色も素晴らしく得をした気分である。交通の便は悪い(那覇からバスが出ているが、バス停から30分以上歩く)がお勧めポイントである。見学時間はおよそ1時間。タクシーは駐車場で待っていてくれた。運転手さんとの交渉で、料金はすべてメーター通りという事にしていた。

 

 

『ハリウッド映画にもなった戦跡:ハクソーリッジ』

次に行きたかったのは『前田高地』、別名『ハクソーリッジ』である。沖縄戦における日米の激戦地の1つで、2016年にメルギブソン監督によりアメリカで映画化された映画のタイトルになった場所である。日本でも上映された映画だ。私は『ハクソーリッジ』のDVDを持っていたので来てみたいと思っていたのである。宗教上の理由で武器を持たないアメリカ軍の衛生兵が敵味方関係なく負傷兵の救護に当たり、75名の負傷兵を救った実話を元に作られた映画である。切り立った崖をロープを伝い、負傷兵を背負って救出するシーンが印象的な映画だ。日本軍側の呼び名は『前田高地』、アメリカ軍側の呼び名は『ハクソーリッジ』(ノコギリの刃のように尖った崖とうい意味らしい)である。中城城跡からタクシーで40分位の移動だった。途中にアメリカ軍の飛行場『嘉手納基地』や、アメリカ軍の兵士の住宅地(キャンプ)に立ち寄ってくれたのでミリタリーマニアの私には有難かった。また、沖縄の基地問題についても考えさせられた。前田高地はモノレールの『浦添前田駅』と近かったのでタクシーはここまでにした。料金は1万5千円。2時間半の拘束で、ガイドもしてもらったので高いとは思わなかった。まあ、複数人であればもっと安かったのだろうが、マニアックな場所だったので仕方がない。バスツアー組は『美ら海水族館』、『琉球村』、『古宇利島』やステーキハウスを回るルートだった。他にはゴルフに行くグループやレンタカーで観光名所を回るグループもいた。私は孤独に城跡と戦跡を巡ったが、知らない土地を一人で巡るのは少し冒険気分も楽しめた。普段使わないスマホの地図アプリが実に役に立った。

 

前田高地は、高地というだけあって、標高120mの高台だった。2泊3日分の荷物が入った大きなリュックを背負っていたのでしんどかったが、いい運動になった。前田高地には『浦添城』の城跡もあり、緑も多く、散策には良い所だった。獣道のような所も通り、『ハブ注意』の看板が多いのは気になったが(結構ビビッた)、同時に沖縄に来たことを実感できた。高地の頂上からは那覇方面とアメリカ軍の侵攻ルートが見渡せた。前田高地は首里にあった日本軍の司令部攻略を目指すアメリカ軍を迎え撃った場所である。79年前にこの場所で映画さながらの激戦が繰り広げられたと思うと感慨深かった。見渡せる平地を侵攻してくるアメリカ軍の大軍を、日本軍の兵士達はこの丘からどんな気持ちで見ていたのであろうか。前田高地には記念碑や激戦地であった事を示す案内板が建てられていた。記念碑には戦闘の概要や戦闘に参加した部隊名や戦死した日本軍兵士の名前が彫られていた。日本で唯一、民間人を巻き込んでの地上戦があった沖縄を肌で感じることが出来る場所だった。身が引き締まる思いがした。

 

 

『地獄の戦場:シュガーローフヒル』

次に目指した場所は、沖縄戦最大の激戦地『シュガーローフヒル』である。モノレールに乗って『浦添前田駅』から『おもろまち駅』へ移動した。おもろまちは那覇新都心と呼ばれ、ショッピングセンター、映画館、飲食店などが立ち並ぶ新しい街だった。シュガーローフヒルは、駅からは歩いて5分の整備された公園がある小さな丘で、現在は貯水タンクが立っている。おもろまち駅を降りると、駅と直結した大きなアウトレットショッピングモールがあり綺麗に整備された街で、激戦地だった面影は無い。貯水タンクのある小さな高台の横の階段を登るとそこが『シュガーローフヒル』だった。丘の上には小さな慰霊碑と案内版があるだけだった。眼下には高級ブランドの看板が幾つも出ているショッピングモール、ホームセンター、大きな紳士服チェーン店が見えた。すぐ近くに丘を見下ろすように高層マンションが建っていた。かつては砲声と銃声が響き、日米の双方の兵士の亡骸が沢山転がっていた場所である。先ほど行った前田高地よりも首里に近く、ここも首里にある司令部を守る防衛ラインだった。小さな丘の頂上を何度も取ったり取り返したりした激戦地で、アメリカ軍に最も大きな損害が出た場所である。現地招集の兵士や民間人も巻き込んでの戦闘は1週間に及んだ。

 

『お土産』

シュガーローフヒルを降りた後はコンビニに入ってペットボトルの水と、スパムと卵焼きを挟んだおにぎりサンドと、東京では見かけないメーカーのチョコレートバーを買って路上で食べた。時刻は14:00、遅い昼食だった。その後はモノレールで那覇に移動して会社が予約してくれたビジネスホテルにチェックインし、19:00からの民謡酒場での会社の宴会に参加した。沖縄民謡の生演奏と歌声を聞きながら沖縄料理を食べ、沖縄気分に浸った。周りは泡盛を飲んで盛り上がっていたが、私は我慢(辛かった)してお茶を飲んだ。

 

 最終日は『国際通り』でお土産を買って『首里城』に行って観光は終了。お土産は有名な『紫芋タルト』や『ちんすこう』と小さな『シーサー』にした。事前にネットで調べておいたミリタリーショップにも入った。店の中はアメリカ軍由来の衣服が並び、ミリタリーマニアには堪らないものばかりだったが、私は20mm機関砲弾、9mmパレベラ弾、45ACP弾、5.56mm弾の4種類の弾丸を買った。実弾(もちろん火薬は入っていない)は飛行機に持ち込めないので店から『ゆうメール』で自宅へ送った。今まさに私の書いているネット小説で主人公が使っている銃が45ACP弾を使用する銃で、女性キャラクターが使う銃が9mmパラベラム弾を使う銃だったのでタイミングがよかった。実物を手にするとイメージが膨らんで執筆時のテンションがあがるのである。

 

2泊3日の初めての沖縄旅行は有意義なものとなった。もし今回の社員旅行の企画がなければ一生に沖縄に行くことは無かったかもしれない。もっと早く来ていればリピートしたであろう。次に行った時はメジャーな観光地を回ってみるか。いい所だったなぁ。