六太のうつ病闘病記

六太のうつ病闘病記

2005年夏 発症
2006年1月 初めての精神科受診
2010年1月 精神障害福祉手帳3級認定
2012年1月 精神障害福祉手帳2級に変更
2013年12月 発病以来 初めての入院

寛解しては再発を繰り返す「反復性うつ病性障害」六太のうつ病闘病記です

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体調が安定せず メールやメッセを頂きながらも
お一人お一人にご返信できず ほんとうにごめんなさい

昨年12月7日に入院した越谷の病院に入院中です
フロアは4Fに転室になりましたが…

体調の安定している日は 許可を頂いて外出なども出来るようにはなってきましたが
退院までには まだまだ時間がかかりそうです

ご報告だけの内容でごめんなさいね
もう少し元気になったら また書きます
「家族でいること」の意味

自分で言うのもナンですが 六太はとても忍耐強く
人の気持や状況を 深いところまで読み取ってしまうタイプです

特に相手が家族ともなれば 尚のこと

ココからは 少し過去の話(実家のこと)になりますが
下半身不随で車いす生活の父と 重い統合失調症の弟を10年近く介護しました
(父は他界し 弟はアルバイトが出来るくらいに回復しました)

父は生命保険に入っていましたが 弟は無保険
ふたりとも重篤な時期があって差額ベット代などがべらぼうに高くて……
当座の入院費を支払うために 六太は仕事をいくつも掛け持ちしました

サポートエンジニア
シンガー
音楽教室の講師を3箇所5講座掛け持ち
苦手な水商売
自宅に帰宅してからは 電話カウンセリングの仕事を深夜まで

父、弟の療養費を支払うこと 六太が必死で稼ぐこと それはそれで構わないのです

だって それが“家族”だから
助けあうのが“家族”だから
稼げるヒトが稼いで手を差し伸べて でも六太が倒れた時には助けてね…って
支えあうのが“家族”だから

でも 六太はほんとうに孤独でした

統合失調症の弟の妄想は「きょうだい(六太)は自分の情報を悪の組織に際限無くリークする敵の一味」との内容で
いわれのない詰問や尋問で 一晩中寝かせて貰えないことがあったり
胸ぐらをつかまれて怒鳴られたりした

父は心筋梗塞で脳に血液が回らず一気にボケた上 その一年後に
結核により頚椎と脊髄を損傷して車いす生活となった

母と妹はいわゆる“天然”で お金の流れや 父弟の治療計画を
冷静に論理的に分析出来るタイプでは無い上
母は六太のやることなすこと全てが気に入らず まるで嫁いびりのような仕打ちを受け続けたし
「お金はどこからか湧いてくるもの」とでも考えているようだった

統合失調症の弟
ボケた父
山口にお嫁に行っており いまいち他人ごとで天然の妹
実の娘イビリをする母

六太は 誰からも感謝されることも 労られることもありませんでした
もちろん そんな言葉が欲しくて頑張っていたんじゃない
家族みんなが シアワセで元気で そして笑顔でいて欲しいと願うからこそ
文字通り 身を粉にして働きました

でもね…
「六太ちゃんが頑張ってくれてるから 助かるわ」とか
「そんなに働いて 体調は大丈夫なの?」とか
家族の誰かが声を掛けてくれていたら……

六太の いちばん最初のウツ病発症のきっかけは この厳しかった家族関係にも一因があると考えています

六太には結婚に近いパートナーシップへのあこがれというものがありませんでした
その六太が「パートナーシップを築きたい」と考えるようになったのは
父や弟の入院を通じて「家族」で無ければ出来ないことが余りにも多い…ということを
痛いほど体験したから

火葬 葬儀 埋葬 役所や銀行などへの手続きなど……
当時既に結婚して鶴家の籍を外れている妹が 何かの手続きで役所に行ったら
「戸籍謄本を取ってきて」と言われてすごすごと戻ってきたこともあった
(山口県から駆けつけているのだから、そんなのすぐには取り寄せられるはずもない)

そして パートナーシップ願望のなかった六太が “家族”を求める心境に至ったのだ

秘密にしているわけでは無く
でも 積極的に公表もしていないのですが
六太にはパートナーがいます

5年前に ひっそりと戸籍だけを共にしました

六太がパートナーと法律上家族になったのを公言しないのも
お披露目をしなかったのも
「プライベートなことを公言したくない」というパートナーの意向を汲んでのことでした

だから 表ブログにも mixiの全体公開日記にもパートナーは登場しません
パートナーのことを書く時は「家族」「ごまちゃん」「ゴマフアザラシ」と呼んでいまし た

パートナーはミュージシャンですが 既婚/未婚で人気が左右されるタイプでもなく(笑)
浮気も全く心配無いので 理由はそこではないでしょう

医師の診断を受けたわけではありませんが
パートナーはアスペルガー症候群だと思われます

★アスペな大人の接し方 http://asperger.nerim.info/

★Wikipedia「アスペルガー症候群」 http://ja.wikipedia.org/wiki/ %E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC %E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE %A4#.E3.82.BF.E3.83.AC.E3.83.B3.E3.83.88

六太が長年関わってきたIT業界には アスペルガー的な方たちが多かったように感じ ます
特にエンジニア気質が高ければ高いほど そしてエンジニアとして優秀なほど
アスペルガー的な気質も高かったように
六太の経験からは感じています

はじめにお伝えしておきますが 六太は決してアスペルガーの人たちが嫌いではあり ません
純粋で裏表がなく ものすごくピュアで むしろ好もしいと感じているくらいです
パートナーに限らず これまで長く付き合うコトになった恋人は アスペ的な人が多かったか もしれませんね(笑)

このヒトと家族になりたいと思ったのは
音楽に対する純粋で真摯な取り組み
今までこんなに練習するヒトに 六太は会ったことがない
心の底から尊敬しています

そして ふつーなら「アタマおかしいんじゃないの?」と言われても可笑しくない
六太が“大いなる者”と直接つながる感覚や体験を バカにせず 受容してくれたこと

テンパッてアワアワしがちな鶴家のメンバー(笑)と違って
善き時も悪しき時も 常に平常心で事を進められる冷静さが 六太にはありがたかった

あとね……
関西人やから オモロイねん(笑)
コレ 重要(笑)

共感力に乏しかったり コトバの裏の意味や比喩表現を理解出来なかったり
空気を読む 相手の感情や状況を判断したりといったことが苦手なことも
パートナーが自らのBassの技術を向上させること以外 全く興味が無いということも

すべて理解し 納得した上で「それでもこの人と人生を共にしよう」と決めたつもりでした

が アスペルガー的で風変わりなパートナーとの暮らしは 想像以上に大変でした

外食 スーパーのお惣菜などが苦手なため 食事は全て手作り
買物に付き合うのも苦手なため パートナーが独りでスーパーに行き買ってくる
六太は 友だちを呼んで手料理を振る舞ったりするのが好きなのですが それもNG
誕生日 結婚記念日 クリスマスなどのイベント事が苦手なため 全てスルー
彼の実家 六太の実家に関わらず 親戚の集まりも苦手で なんとか理由をつけて避けようとする
同じMusicianでありながら 六太のライブに足を運んだり 機材を運ぶ手伝いをしてもらったこともない

今回の入院につながる不調の引き金になった出来事があるのですが
長くなったので 明日 書ける元気があったら続きを記します
今日 入院しました

六太の人生にとっては とても大きな出来事で……

頻繁にお会いすることは叶わなくとも
これまでの関わりの中で ココロは強く繋がっている、と

偏見や 心無いコトバで傷付けるような方ではない、と

「きっと理解して下さるだろう」と

感じる方に この秘密の「うつ病闘病記」をひっそりと教えてあります



けっこう長い年月を うつ病と闘っています



2005年夏頃より 下痢 パニック症状 過呼吸 貧血などの
身体の不調が現れはじめ
意欲・集中力の低下 不安感が募り

2006年1月に精神科を受信し うつ病と診断されました

以降 回復した時期もあったものの
転職やライフステージの変化などで
良くなったり 再び奈落の底に堕ちたりのくり返し

2009年秋に大きく体調を崩した際に 主治医の勧めで
精神障害福祉手帳3級の認定を受け

2012年1月の更新時には 更に症状が重くなり
手帳の等級は より重い2級に変更となりました

これまでの闘病中 病気である事実を隠してきたこと
家族にもっと重い病を抱えている者がおり
自分の治療どころではなかったことから
入院だけは経験していなかった

が……

今回の10月ごろからの不調(激しい下痢や 全身の耐え難い神経痛)で
一ヶ月で8キロも激痩せしてしまい体力が著しく低下

友人を亡くした喪失感

そして 10月の不調時にパートナーに無視されたことで感じた絶望感 虚無感
互いに障害を持ちながら助け合って生きてきた亡友人ご夫婦と
我がパートナー関係とのあまりにも違う現実にいたたまれなくなり

体調と絶望感は 急落の一途をたどり
お薬を増やしてもなかなか気持ちはアガってくれませんでした

遺された友人の旦那さま(も、六太の友人で元同僚です)に
そして 亡くなった友人に申し訳無いと思いながらも

苦しみも 悩みも 明日の心配もせずに済む世界に旅立っていった友を
心の底から羨ましいと思い 六太もそこに還りたいと願ってしまう気持ちを
どうしても抑えることが出来なかった

パートナーと少し距離を置いて 関係のあり方を見つめなおしたいという気持ちがあるけど
この精神状態で独り暮らしをすることも危険

うつ病の原因のひとつは 実の母との確執にもあるため
実家に帰るという選択肢は無い



主治医とも相談をして 入院をすることになりました


今朝11時頃に病院に到着し 入院の手続きや
この病院での主治医になる医師の診察を受け
判断では 入院期間は現在のところ3週間~1ヶ月とのこと

入院が決まるまでの自宅療養中も辛かったけど
他に選択肢が無いとはいえ 入院の宣告はやはり堪えました…
何かにつけ涙があふれて あふれてどうしようも無い

けど さきほど病院での2回めの食事を頂き(夕食)
3日ぶりにお風呂に入れたら
(生活のこういった基本的な行動すら出来なくなってしまう)

気持ちが少し落ち着いて来ました

これからまだまだ体調の波が来るだろうし
コメントやメールに反応出来ないこともあると思いますが
どうか許してくださいね

これを読んでくださっている皆さんご自身や
周りのご家族 ご友人に 六太と同じような辛さを抱えている方がいらしたら
六太の体験や 持っている情報が
少しでも助けにはならないかな、という気持ちも込めて書いています

あなたが 六太のことをとても大切に想っていて下さること いつも感謝しています
ホントに ホントに ありがとう!
大切なあなたにだから 知っていて欲しかった

そんな思いで書きました
また ココでお話させてくださいね
出来るだけ
…せめて最低月一度は 近況をUPしたいと思っていますが
不調な時期は 自ら何かを発信する気持ちになれず
結局また とても久しぶりの投稿になりました

8月の不調時には 通算10日くらい欠勤してしまった

涼しくなるにつれ 少しづつ体力 気力が戻ってきて
9月は不意の欠勤は一日で済んだ

10月に入り 気力 集中力共に充実してきて
うつ病発症前の自分に戻った…とまではいかないものの
かなり元気になったいた

体調管理にも相当気を使って 外出も控えていたし
家事も相当に手を抜いて(苦笑)とにかく身体を休めることを優先していたのですが

その日は突然やってきました

うつ病になってから定例のように 激しい腹痛と下痢
そして微熱で不調が始まったのが 10/5土の夜のことだった

下痢は3~4日で収まったけど 今度は全身を激しい神経痛に襲われた

帯状疱疹の跡がピリピリ痛むのはいつものこと
今回の神経痛は そんな可愛いもんじゃない(苦笑)

例えて言えば インフルエンザの時の関節痛の十倍くらいの耐え難い痛み
文字通り頭の先からつま先まで襲い
立って歩くことも難しいほど

リューマチってこんな痛みなんだろうかと考えたりもした

髪の毛に触れるだけでもビリッと激痛が走ったり
肩甲骨 肩 首 後頭部など いつも「凝り」の範疇で済まされていた鈍痛が 締め付けられるように痛い

左股関節の付け根…

ここも不調時にはいつも鈍痛がある箇所だけど
始終押したり揉んだりしていなければ気が済まないほど

神経痛は常にあるが 痛みには強弱があり
その箇所は一定ではなく動いてゆく

気持ちの落ち込みはさほどでも無かったのに
あまりに痛くて気が狂いそうで
大げさでも 言葉の綾でもなく
本気で殺して欲しいと思った…

痛みの波の狭間にiPhoneで検索していたら この病気の症状がドンピシャ

「線維筋痛症」

微熱 下痢 むずむず脚症候群
移動する痛み…
思い当たる症状てんこ盛り(苦笑)

このサイトの説明が一番分かり易かったです

★知っておこう 線維筋痛症
http://www.azegami.com/fm/#%90%FC%88%DB%8B%D8%92%C9%8F%C7%82%C6%82%CD

あと一日この痛みが続いたら リューマチ科のある病院を受診しよう

そう決意した翌日 すうっと痛みが弱まった
とはいえ いつもの鬱の痛みと 今回の耐え難い神経痛の半分くらいに軽減しただけで
相変わらず神経痛は続いていたのだけど(-_-;)

更に今回はね…

耐え難い神経痛と並行して 入眠時に幻覚 幻聴が襲ってきたのです…

以前 リーマスの副作用で蜘蛛の巣状の幻覚を見たことがあるが
その時は幻聴は無かったし
今回 薬の処方が変わったわけでもない

今まさに ウトウトと眠りに落ちる瞬間になると
耳元でドラが鳴り響くような激音や
マントラか インドの呪文か?というような意味のない大きな声が…

まぶたには鮮明な光や映像
体は金縛りのような状態で動けない かすりとも声が出ない

眠りに落ちようとすると激しい音と映像が現れるため
ウトウトしては目覚める…の繰り返しで朝を迎える

そんな夜が続き 疲れ果ててしまいました

たまたま電話をくれた主治医の指示で
抗鬱薬を半分に減らし(抗鬱薬の副作用:譫妄ではないか?との判断)
睡眠薬を倍に増やして 強制的に眠りに就く…というのを3日ほど続けると
快眠とはいかないが なんとか眠りに就けるようになった

振り返るに 眠れない数日と全身の神経痛状態は リンクしていたように思います

連休が明けても回復せず 結局 仕事に行けたのは
台風が関東を襲った日の朝でした(笑)

10日間寝込んでいたことになります…

でもね 不思議だなと感じるのは
あんなに激しい症状だったにもかかわらず
不調をあまり引きずっていないこと
今日現在 まずまず元気にやれています

不調の原因を自分なりに分析するに

10/5土に うつ発病のきっかけのひとつとなった ストレスフルな職場の友だちと 思い出話をしたこと

現在の職場でちょっとした変化があったこと

・席替え
・その週から毎週レポートを作成するというタスクが課せられた
・お客様先に営業の訪問に伺う仕事が増えた

元職場の友だちとは トラウマに触れるような話題では無かったし
今の会社での変化だって 元気な時の自分なら ほんとうに取るに足らないような些細なこと

厄介なうつ病という病気に対して それだけまだまだ細心の注意が必要ということなんでしょうね…

iPhoneからの投稿
前回の投稿からまた間があいてしまいました

暑さのせい?か睡眠が十分に取れなくなって以来
気持ちの落ち込みが激しくなってきたことは
前回の投稿のとおり

就寝前に飲んでいる抗鬱薬ジェイゾロフト
弱めの睡眠導入剤に併せて
ランドセンを飲むことになった
睡眠薬を強いものにすると 翌日に残ってしまうため

また 異常に緊張した状態が続き強くなった
肩こり 偏頭痛などの症状を和らげるため
主治医の苦肉の策だ

加えて ヨクカンサンという漢方
これは 以前にも緊張が強く肩こりが激しかった時期に
処方されたことがある

最初の数日~一週間は
なんてありがたいんだろう!と感動するほどに
よく眠れたし 気持ちの落ち込みも徐々にアガってきた

……でも

一週間を過ぎたころから カラダが動かなくなった

とにかく 動けない
カラダが鉛のように重くて 起き上がることが出来ない
頭が朦朧として働かない

会社に「欠勤させてください」とメールを打つのも一苦労
iPhoneを顔の上に何度も落としそうになり
(そのうちの何回かは 実際に落としwww)ながら
やっと送信する始末

そして とにかく眠る ひたすら眠る
眠いとか 眠くないとかいう以前に
カラダを起こしていることが辛いために横になると
そのまま寝落ちしてしまっている…というのが正しいかな

夕方になるにつれ徐々に動けるようになるため
夕食の支度はして 翌日のお弁当の準備までして(笑)
でも 翌朝は やっぱり動けない

……という繰り返し

8月2日(金)までは 休みながらも出勤出来ていたけど
3日(土)より寝たきりになり 今日に至っています

今朝 上司に送ったメールの返信に
「しっかり治してから出勤して頂きたいので
今週いっぱいお休みされてはいかがですか?」との
申し出が(T ^ T)

なんてありがたいんだろう……

傾眠や カラダが動かない症状は
うつ病の症状でもあるので 一概には言えないけど
六太は 今回のは ランドセンの副作用ではないかと考えています

ランドセンが処方されたのは 二週間分
その最後のひと粒が終了した

睡眠も十二分過ぎるほどに取ることが出来たし
今夜からは 抗鬱薬と睡眠導入剤だけの服薬に戻る

どうか眠れますように
そして 明日は眠りっぱなしということがありませんように

今週末までには 外出出来るくらいには回復できて
来週月曜日は 出勤できますように

今夜も祈りつつ薬を飲みます




iPhoneからの投稿
$六太の独り言
ここ数週間ほどで 体調が後退中です

気分の落込みや カラダ全体の倦怠感
ひどい肩凝り 首から後頭部にかけての痛み
脳みそがキューッとなるような締めつけ感…

早退させて頂いた7/19(金)は 家に辿り着くのがやっとで、
トイレに行くにもパートナー氏の肩を借りなければ歩けないほど憔悴していた

加えて ほんとうに久しぶりに

「自分は無用なのではないか」と消えてしまいたくなる気持ち
「こんな苦しい体調で いつまで生き続けなければならないんだろう?」という絶望感
「家族やみなさんに迷惑を掛けるくらいなら、死んでしまったほうがいいのでは?」と
ネガティブな思いに囚われた

あの状態が続くようなら入院も考えねば…と覚悟しました
実際 兼ねてから調べてあったこの病院に 入院の問合せをしようとしていたほどだった

★医療法人秀峰会「楽山」 http://www.rakuzan.or.jp/index2.html

が、土曜、日曜、月曜と経つにつれ、徐々に回復しているのを感じています
一日中頭を離れなかった希死念慮も だいぶ薄れつつあります

ネガティブな話ですみません……
でもこのようにみなさんに打ち明けられているから
深みにはハマっていないということなんです

深刻な状態には陥っていないという自認ですので
どうぞあまり心配なさらないで下さいね

ほんとうに自殺を企てる「自殺念慮」まで行ってしまうと
六太の場合 家族にも 親しい友人にも 辛さを口に出来なくなってしまうので…

気持ちの面では持ち直しつつあるのに
今日は超ド級ウルトラ下痢ぴーに見舞われました_| ̄|○

早朝に腹痛で目覚めて トイレを往復
下痢は夕方まで続きました
(要は 水分や食べ物を摂取すると 下してしまう状態です…
コレを書いている今は 昼食以降何も食べていないので 下痢は止まってます・笑)

優しいボスとチームの皆さんに助けて頂いて
不調を抱え 欠勤や遅刻・早退でご迷惑をお掛けしながらも
なんとか通勤出来ているんだと思う

このチームでダメなら他のどんな会社どんな環境でも社会復帰はムリ
そう感じるほど 大切にして頂いていますし 六太もチームのみんなのことが好き

これからもいっしょに仕事を続けてゆくためにも
慎重に養生したいと考えました
先ほどボス宛にメールをして 明日も欠勤をお願いしました

写真は パートナー氏が切ってきてくれた庭のゴーヤです
不調つづきで大した世話もできていないのに こんなに大きくなってくれて……

元気なゴーヤに添い寝してもらい パワーをもらいます(笑)!
永らくブログやSNSを留守してしまいました

精神的にも 体調的にも 時間的にも
ギリギリいっぱいな日々がつづいていました…

PCを起動することができない 移動中にスマホをいじることが出来ないほど
毎日ヘトヘトだった上
不調なスマホを初期化して 環境を復旧するのに時間が掛かってしまいました

2月末 六太のWeb学校卒業を待っていてくれていたかのように
パートナー氏の父が亡くなりました

葬儀の時も気丈に振る舞っていたパートナー氏の母ですが
やはり長年連れ添った夫の死 泊まり込みの看病で疲れがたまっていたのか
葬儀の二週間後に胃潰瘍が発覚
緊急入院してしまいました

パートナー氏の父葬儀の数日後
精神障害者専用の就職エージェントさんから紹介を受けた会社は
戸越銀座にある外資系の郵便機械の会社

数度にわたる面接を進めて頂きながら
パートナー氏の母の退院のお手伝いなどで神戸を往復する日々
体力的にかなり厳しい状態でした

紹介された会社:戸越銀座までは
ドアツードアで2時間くらいかかります
出来るだけ通勤時間が短い場所
それが叶わないなら下り方面の会社を希望していたので
お断りするつもりで初回面接を受けたんです

ところが(笑)

めちゃめちゃ気さくな人事部長さんとのお話は
フランクな雑談のようだったし

「今日 こういう方(六太のこと:この会社で初めて障害者として面接に来てる人、の意)
が来ているのは“彼”も気になってるみたいで
さっきから部屋の前をウロウロしてるので 呼びますね」って???

引き合わされたのはイギリス人の社長さんで いきなりの英語面接(笑)
なんの準備も出来なかったやんけ~(笑)

でも 二年前にappleを受けた時に比べて
明らかに違うと感じたのは
分からない単語があってもスルーして全体像を掴む
「六太流なんちゃってEnglish」の度胸が戻っていたということ(笑)

イギリス流のシニカルなジョークに乗って ジョークを返せたり
会話の意図するところを摘んで返答したりは出来た
社長の英語が六太にとって分かり易いものだったというのも大きいと思うけど…

それにしても 最初から人事部長と社長面接って(笑)

初めての面接のあとは 営業さんとは会社の近くで分かれて
戸越銀座の駅まで人事部長さんと二人だけで帰った(笑)

その時に 大学での専攻は教育心理学だったこと
ご自身も30代のころうつ病で苦しまれた時期があったこと
現在は中学生のお嬢さんが登校拒否になり オーストラリアにいらっしゃることなどを話して下さった

二回目は 営業さんと人事部長さんと三人で五反田の本屋さんに寄り飯田史彦の著書「生きがいの創造」を買うのにお付き合いしたりした

その後3回の面接を受け 六太がアサインされる部署の上司となる方にもお会いした
外資系PC大手のD社で電話営業を指揮していたという
淡々としたエンジニア気質だけどひょうきんなところもある 穏やかな方

外資系の自由さは持ちつつも
「生き馬の目を抜く」的な厳しさは強くない
ハードウエアの会社で 楽しそう
うつ病に強力に理解のある方がいて下さることが 何より心強い

通勤時間のことを除けば
六太にとっては この上ない条件に思えた

これからもしばらく続くであろう神戸への帰省
底をつく貯金
延々とつづくかもしれない就活……
このまま就活を続けることの方が辛い と感じられたんです

先方にご迷惑を掛けるかもしれないけれど
まずやってみようとハラをくくって

この会社への就職への就職を決めました


いきなりのフルタイム 10時~18時勤務は 3年以上ぶり
下痢や 頭痛 吐き気などの症状にも悩まされ
これらの症状で出勤が危ぶまれた日もあった

一週間を無事やり過ごしても
週末は下痢や倦怠感で 何も出来ずに寝ているだけ…という日々

それでも なんとか1ヶ月間勤め上げられたのは 大きな自信に繋がりました!
通院など予定のお休み以外は 遅刻 早退 欠勤なし!エヘン(*^^)v

それを達成できた5月31日と
初給料日に銀行のスマホサイトで給与の振込額を確認したときには

感慨深く ウルッときてしまいました…

「誰にお礼の言葉ををお伝えすれば良いのか分からないので
〇〇さん 受け取ってください(笑)
皆さんと会社のおかげで ここまで回復できました
ほんとうにありがとうございます」
と 直属のUマネージャーに伝えると

「私にではなく 戸越の神様に言ってください(笑)」と笑っていらっしゃいました

そういえば Uマネージャーが六太のために作ってくださったトレーニング資料の表紙には
唐突に(笑)カメのイラストが添えられていた

「どうしてカメのイラストなんですか?」と尋ねてみると
「ゆっくりやれば良いんじゃないかな~と思いまして」と…

これから先 何か起こるかもしれないけど
この環境なら なんとか乗り越えられるんじゃないかと感じています
朝からこんな話題で申し訳ありません
パートナー氏の父が、天国に旅立ちました
昨年 末期の胃ガンが発見され
肝臓への転移も認められ 手遅れの状態でした

5日ほど前から感染症になり
治療をあきらめ緩和ケア病棟へ

看取ったパートナー氏の母の話では 穏やかな最後だったとのことでした

六太とパートナー氏も
ふたことみこと言葉を交わすことができ
善きお見送りが出来たと思います

パートナー氏の父のために天国の門が開かれるよう
お祈りしています

パートナー氏実家の辺りはWi-Fiの電波が弱く
しばらく連絡がとりづらくなるかもしれませんが
ご容赦くださいね

落ち着いたらまたご報告いたします



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久しぶりの日記になってしまいました

日記を書けなかった間のことを報告しておくと

8月20日から半年間 「求職者職業訓練」に通っていました
精神障害者用の職業訓練を受験しましたが 競争率30倍で落ちてしまったので
健常者向けの訓練に参加したんです

コースの内容云々ではなく
とにかく家から近いこと
講座のレベルが今の自分の体調に負担にならないこと などを主眼に

家から一番通いやすい 急行でヒト駅の町田にある「Webクリエーター養成コース」を選びました

結果 このコース選択は間違いではありませんでした

受講してわかったことですが
元来のIT好きな性分に加え
クリエイティブな作業であるillustrator photoshop でのデザインや
HTML CSS などのコーディングは 想像以上に楽しいものでした

Web製作を志すくらいの方たちなので
回りの受講生もクリエイティブなヒトが多く
話が合ったのも良かった

サポートエンジニアとしての経歴が長かった六太ですが
同じIT業界でもココを選んでいればうつ病にならなかったのか?
こちらの方が向いていたのかな?などと考えてしまったくらい(笑)

偶然とはいえ 今の自分に合う講座が選択出来て良かったです(笑)

朝9時から15時まで
月曜日から金曜日の週5日
半年間の私の目標は とにかく辞めずに通いきること

成績やWebの出来が気になったり
いつものお節介グセが出て(笑)対人トラブルに巻き込まれたりもしましたが

とにかく 通院などの予め予定した休み以外は欠席せず通いきることが出来たことは大きな自信になりました

M社 IT ラーニング終了時「この一年で自己受容がすすんだなぁ」
と感じていたのはまだまだ序の口だったことも痛感

自分の体調や体力の限界をまだまだ甘く見ていたところがあり
通学中2回も過呼吸症状を勃発(^-^;
学校には保健室なんて無いから 床や空き教室のイスで横にならせてもらった日も(笑)

でも 多少の不調でも通い続けることにより

不調の見極めや体調管理
うつ病を抱えて生きることへの
更なる受け入れが進んだと感じています

自分がうつ病であることを周りのヒトに語ることも
発病当初 障害手帳取得当初よりも苦じゃなくなってきたしね

ともあれ 無事半年間の訓練を終えることが出来たのは
障害に対する理解をもって接してくれた講師お二人と クラスメート
そして 六太の通学を精神的に支え 見守ってくれた家族や友だちのお陰です

ほんとうにありがとうございました



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